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1.声にできない想い
しおりを挟む「おい、お前。」
低い声に呼び止められて、振り返ると悪鬼のような顔をした大男が立っていた。
俺は当時170㎝にも満たない身長で、まだ学ランを着ていた。
彼はすでに2m近くの鍛え上げられた体躯をしていて、見上げるほどだった。
「俺の番になれ。」
その鬼のような顔立ちのアルファの言葉を退けられるオメガはいない。
そう思えるほどの迫力だった。
◇◇◇
「・・・・・え、マジでそれが馴れ初めなの?」
「うん。そうだよ。まぁ、樋沼(ひぬま)さん無口だし」
目の前でドン引いている、数少ないオメガ仲間__葉崎 灯(はざき あかり)__に、俺は困ったように笑う。
確かに俺たちの出会いが一般的でないのは良く分かっている。
彼の素直な態度に好感がもてるのと同時に、だから『話すほどの馴れ初めはない』ってあらかじめ言ったのにと思う。
だけど灯は俺の内心など気が付かないのか仰け反りながら声を荒げた。
「いやいやあり得ないでしょ!いくら無口でもさ、名前も聞かないで『番になれ』って。しかも命令口調。よくそんなの了承したねえ。」
「あはは。灯君のところはどうなんだっけ?」
なんで了承したかを深く触られたくなくて、俺はそっと彼に水を向ける。
するとほんのり頬を染めた彼は、少し伸びた髪の毛の先を弄りながら口を開いた。
「いや、俺のは幼馴染でお兄ちゃん的な存在だったから・・・たぶんずっとお互い意識はしてたんだけど、デート誘われて誕生日に告白されて付き合って、何年かしたら番になってくれって言われたよ。普通に」
「へぇ……」
お手本みたいだと思ったけど、その言葉は飲み込む。
そんな言葉が思い浮かんでしまうこと自体が・・・俺の中に黒い気持ちがあるようで、慌ててそれを打ち消した。
「幼馴染で付き合い長いから、お互い空気みたいなところはあるけどさ。やっぱ俺らオメガって発情期あるじゃん。そん時ずっと側にいてもらうのはあいつがいいなーって思って。それで噛んでいいよって言ったんだよね」
「すごいねぇ。愛だね」
ふふ、と笑うと灯は照れたようにますます赤くなる。
華奢で目が大きくて素直で、番に愛されて当然の可愛らしさ。
そんな彼は、大きな目をキラキラと輝かせた。
「じゃあお互い一目惚れだったんだな、浅葱(あさぎ)君のところ」
灯の世界では、番っていうのは愛し愛されてようやくなるものなんだろう。
嘘をつこうか一瞬迷って、それでもすぐに分かる嘘に意味などないと思い至る。
彼をがっかりさせませんように。
俺のせいで傷ついたりしませんようにと思いながら、小さく首を横に振った。
「ううん。違うと思うよ」
「違うって・・・だったらなんで番になったんだよ」
灯の言葉に、俺は脳裏に彼と初めて出会った時を思い描く。
……俺に声を掛けてきた時、彼の近くには泣き崩れるオメガと彼を抱きしめるアルファがいた。
その時は彼以外はよく目に入らなかったし紹介もされなかったけれどとても美しいオメガだったと思う。
後に彼の知り合いから聞いた話だけど、樋沼さんがずっと付き合っていたオメガが別の人と番になってしまったらしい。
しかもそのオメガはわざわざ新しい相手を彼に引き合わせて、自分と別れて欲しいと告げた。
もうこれ以上自分に纏わりつかないで欲しい、と。
それでやけっぱちで番に選べれたのが、偶然通りかかった俺だ。
「タイミングっていうか・・・偶然、かなぁ」
へらっと笑ってそう言うと、灯は納得いかないと言わんばかりの顔で俺を覗き込んでくる。
「偶然?」
「うん。都合よく俺がいたから。通りがかって。でなきゃオメガでも微妙な俺を選ばないって」
「・・・・良く分からないけど、それなんか酷くないか?」
優しい番を持っているロマンチストなオメガの灯の顔にはありありと俺が『可哀そうだ』と書いてある。
彼にとっては番って言うのは愛し合った末になるものらしい。
もしくは運命に引き寄せられて、お互いに熱烈に求め合ってなるもの。
だけど俺には運命と偶然の違いはよく分からない。
深夜近い時間に小さな音がして玄関が開いた。
すでにパジャマの俺はのそのそと居間から出て、彼を出迎える。
出会った時は完全にヤクザだと思った強面の樋沼さんは、ちゃんと堅気のお仕事をしている人だった。
彼と同じくアルファの父の跡を継いで、不動産関連の仕事をしているらしいけど詳しくは知らない。
俺が知っているのは、相当忙しいらしいってことだけだ。
「おかえりなさい」
「ああ・・・・寝てろと言っておいただろう」
不機嫌そうな声が玄関に響いて、俺は口の中で小さく『目が冴えちゃって』と呟く。
俺の言葉が聞こえたのかどうか分からないけど、彼は俺の方を見ないで靴を脱ぐとマンションにしては長い廊下を進む。
彼が独身の頃から住んでいた、おそらく一人で住んでたわけじゃないだろう広いマンションに俺は転がり込んでいる。
番は別に結婚はしていないのだから一緒に住まなくてもいいと思ったんだけど。
自分の番があまりに安いアパートに住んでいるのが世間体が悪いと思ったのか、それとも発情期のたびに訪れるのが煩わしかったのか、彼は俺を同居させてくれている。
家賃も受け取ってくれないし、彼は食事を家でしないからする家事もあまりない。
俺にばかりメリットがあるけれど自分から喚きたてることもできなくて、高校を出てからずっとこの生活だ。
「今日、誰か来たのか」
いつもと違って量の多い洗った食器を見て、彼が呟く。
家のことが気になるなんて珍しいと思いつつ素直に応える。
「灯君が来ましたよ」
俺の言葉に、彼はふん、と鼻を鳴らした。
「矢山の番のオメガか・・・矢山は付いて来なかったよな?」
「来てません」
灯の番と彼は知り合いだ。
アルファ同士の関係はオメガには分からないほど複雑だ。
オメガにも序列があるけれど、支配する本能の強いアルファのそれはもっと苛烈らしい。
自分の家に近づかれるのも嫌なのかもしれない。
今後、ないと思うけれどアルファをこの部屋に入れるような真似はしないように気を付けようと頭に入れる。
「浅葱」
ぼんやりとしていたら、彼の鋭い視線がいつの間にか俺にひたりと据えられていた。
慣れていない頃は何をしてしまったのか、殴られでもするのかと毎回半泣きになった目つきの悪さだけど、今は大分慣れた。
彼に手をあげられたことは未だにない。
「お前、発情期が近いのか?」
自分では分からないけどフェロモンが漏れていたのか。
番にしかフェロモンが効かなくなったから、すっかり発情期の管理が甘くなっていた。
そう言えば少し怠くて熱っぽいなと日数を頭の中で軽く計算する。
「そう、ですね・・・たぶん来週の半ばがピークです」
「分かった。その辺りは早く帰る」
彼は俺のことを見ないでそう言うと、早々と自室に引っ込んだ。
面倒だと思っているのがありありと伝わってくる態度に、俺は痛む胸を抑えて心の中でごめんなさいと呟く。
俺の友達は、俺のことを可哀そうだと思っている。
好きでもない相手におざなりに番にされて、そのアルファに愛されていない憐れなオメガ。
たしかに俺は抱かれるのは発情期に必要最低限だけでしかも避妊までされている。
俺と樋沼さんの間には恋愛感情も親愛もなくただ義務的な冷たい空気が流れるだけで、しかもオメガの俺にはその関係を解消することもできない。
・・・・・・だけど本当に可哀そうなのは俺じゃない。
俺は彼に声を掛けられた瞬間、恋に落ちていた。
雷に打たれたように体が痺れて心が震えて、たった一人で恋に落ちていた。
恐ろしい顔立ちをした男に逆らえなかったんだと周りは思うけれど、本当は違う。
彼が誰でなんで俺に声を掛けたのかも気にならないほど魂が惹かれてしまった。
だから本当なら精神状態がおかしかった彼に代わって、俺が宥めて『会ったばかりで番にはなれない』とちゃんと告げればよかったのに、そう分かっていたのに俺は番になることをその場で承諾したのだ。
番になってしまえば、彼に抱いてもらえるのだと俺の体が瞬時に計算して、彼が冷静になる時間を与えたくなかった。
そして彼は偶然俺なんかに声を掛けたせいで、好きな人と番になることができなくなってしまった。
たしかにアルファは番を複数作れるし、解除だってできる。
でもそれは今は社会的にも非道なことだとみなされるし、責任感の強い彼にはできないことだろう。
一時の気の迷いなんかで俺と番ってしまった可哀そうな彼。
しかも、・・・・・彼は俺を無理やり番にしてしまったと罪悪感まで感じている。
当時は俺はまだ子供で、彼は俺が彼が怖くて番になることを了承したと思っているんだ。
それでお互い好きでもないのに番になってしまったんだから、彼が我慢しよう、と。
きっとこの先いくら好きな人ができても彼は諦めることしかできない。
どれだけ俺を疎ましく思っても、自分の責任だと生涯俺の傍に居続けてくれる。
だから俺は可哀そうじゃないし、本当に可愛そうなのは俺に捕まってしまった彼の方なんだ。
好きだとは声に出して言えないけれど、彼から気持ちを返されることはないけれど。
彼が恋しくて夜中に嗚咽が止まらないこともあるけれど。
それでも俺の初恋は実ったんだ。
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