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アズラーク視点:拘束
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アズラーク視点:
どこか遠くで、細く細く俺の名前を呼ぶサタの声が聞こえた気がした。
そんなことあるはずない。サタは屋敷に閉じ込めていて外には出られない。第一、彼の意思に反してあの部屋に押し込め、服を引き裂いて組み敷き蹂躙した俺を、サタが呼ぶはずなんてない。
そうじゃないかと自嘲的な気分でぼやけた意識の中で瞼を開くと、薄っすらとした光が辺りに満ちていた。天井まで届くような大きな窓。そこから淡い朝の光が差し込んでいる。
体は力が抜けて重たく動かず、なんとか首だけを傾けて辺りを伺う。背中に当たる柔らかなシーツに、どうやら豪奢な天蓋付きのベッドに寝かされているようだと気が付いた。
……一体ここはどこだ。
俺は、囚われていた令嬢を助けるためにスラムの奥まで入り込んで根城としている館に押し入った。館はやたらと静かで、大型獣である俺や、虎や豹なんかの夜目のきいて機動力のある先鋭だけを連れて入り込んで……。それからどうなった?
ずきりと腕が鋭く痛んで、斬りかかられた切っ先が肩を掠めたことを思い出した。どうやらその傷口は手当されているようで、視線を辿らせると、緩められた上着の胸元から白い包帯がのぞいている。必死に意識を手繰り寄せようとしていると、鈍く扉が軋む音がして誰かが軽い足音と共に室内に入ってきた。
「お目覚めかしら?」
か細く甲高い声。だけどそれは弱々しさなんて感じさせない程、自信に満ちた……いや、正確にはうっすらと高慢さの透けて見える声。僅かにぼやける視界の中で、その僅かな匂いと声に俺は驚いて声を上げた。
「……あなたは、イレーネ嬢?」
「あら、わたくしの匂いと顔は覚えていて下さったの? 嬉しいわ」
ころころと楽し気に笑うと彼女は静かな足音と共に俺の近くまで足を進めてくる。彼女のことを憶えていた、と言っていいたんだろうか。イレーネ嬢とは昔、一度だけ見合いをしたことがある。スラムでサタに出会うほんの少し前のことだ。イレーネ嬢が俺に一目惚れをしたということで、彼女の家の強い希望で一度だけ会った。だが俺みたいな気の利かない武人より線の細い貴族の方が似合っているだろうとこちらから断りを入れた。その彼女が『攫われた』と聞いて、その時に記憶の片隅から彼女の姿や匂いを思い出した。
だがそんなことよりも、今はその攫われているはずの彼女がなぜ、ということに俺は意識を向けた。
「……あなたは、人質に取られていたのでは」
「騎士団長様ともあろう方が、まだそんなことを仰るのかしら」
ベッドのすぐそばに立った彼女は、笑みを浮かべたままの顔で俺を見下ろしている。小さく細い体。爪も牙も見えないほどに小さく、頭頂の耳も髪の毛に隠れてしまうほど。この獣人の世界ではこれほど獣性の薄い彼女を丁重に扱わない獣人はいないだろうし、ましてや貴族の娘ならば何一つ不自由なんてないはず。
なのに。なのにこの状況から見ると……。
「イレーネ嬢、本当にあなたが影で糸を引いていたということか」
「ええ。スラムのゴロツキなど、金さえ払えば何だってしてくださいます。しかも獣性の薄いわたくしのお願いなら、それこそ喜んであなたを襲いましたわ。全て上手くいったら番になってあげる、なんて言葉を信じて」
にわかには信じがたく起き上がろうとするが、腕が震えて再びベッドに沈む。は、と熱い息を吐き出すと彼女は冷ややかな目で俺を見ろ下ろして、胸元から小さな布でできた包みを取り出した。
「獣性の強い方には、本当によく効きますわね。もちろん私もくらくらしますけど。ああ、この屋敷全体に焚き染めていますから、あなたの部下も動けませんわ。獣性の強い猫族ばかりを連れて来たのは失敗でしたわね。もちろん、あなたがそうするなんてことは分かり切っていたことですけどね」
再び暗い笑みを彼女は浮かべて独り言ちる。そのままその布の包みを俺の胸元に放られて、その匂いに俺は僅かな力さえも体から抜けていくのを感じた。
どこか遠くで、細く細く俺の名前を呼ぶサタの声が聞こえた気がした。
そんなことあるはずない。サタは屋敷に閉じ込めていて外には出られない。第一、彼の意思に反してあの部屋に押し込め、服を引き裂いて組み敷き蹂躙した俺を、サタが呼ぶはずなんてない。
そうじゃないかと自嘲的な気分でぼやけた意識の中で瞼を開くと、薄っすらとした光が辺りに満ちていた。天井まで届くような大きな窓。そこから淡い朝の光が差し込んでいる。
体は力が抜けて重たく動かず、なんとか首だけを傾けて辺りを伺う。背中に当たる柔らかなシーツに、どうやら豪奢な天蓋付きのベッドに寝かされているようだと気が付いた。
……一体ここはどこだ。
俺は、囚われていた令嬢を助けるためにスラムの奥まで入り込んで根城としている館に押し入った。館はやたらと静かで、大型獣である俺や、虎や豹なんかの夜目のきいて機動力のある先鋭だけを連れて入り込んで……。それからどうなった?
ずきりと腕が鋭く痛んで、斬りかかられた切っ先が肩を掠めたことを思い出した。どうやらその傷口は手当されているようで、視線を辿らせると、緩められた上着の胸元から白い包帯がのぞいている。必死に意識を手繰り寄せようとしていると、鈍く扉が軋む音がして誰かが軽い足音と共に室内に入ってきた。
「お目覚めかしら?」
か細く甲高い声。だけどそれは弱々しさなんて感じさせない程、自信に満ちた……いや、正確にはうっすらと高慢さの透けて見える声。僅かにぼやける視界の中で、その僅かな匂いと声に俺は驚いて声を上げた。
「……あなたは、イレーネ嬢?」
「あら、わたくしの匂いと顔は覚えていて下さったの? 嬉しいわ」
ころころと楽し気に笑うと彼女は静かな足音と共に俺の近くまで足を進めてくる。彼女のことを憶えていた、と言っていいたんだろうか。イレーネ嬢とは昔、一度だけ見合いをしたことがある。スラムでサタに出会うほんの少し前のことだ。イレーネ嬢が俺に一目惚れをしたということで、彼女の家の強い希望で一度だけ会った。だが俺みたいな気の利かない武人より線の細い貴族の方が似合っているだろうとこちらから断りを入れた。その彼女が『攫われた』と聞いて、その時に記憶の片隅から彼女の姿や匂いを思い出した。
だがそんなことよりも、今はその攫われているはずの彼女がなぜ、ということに俺は意識を向けた。
「……あなたは、人質に取られていたのでは」
「騎士団長様ともあろう方が、まだそんなことを仰るのかしら」
ベッドのすぐそばに立った彼女は、笑みを浮かべたままの顔で俺を見下ろしている。小さく細い体。爪も牙も見えないほどに小さく、頭頂の耳も髪の毛に隠れてしまうほど。この獣人の世界ではこれほど獣性の薄い彼女を丁重に扱わない獣人はいないだろうし、ましてや貴族の娘ならば何一つ不自由なんてないはず。
なのに。なのにこの状況から見ると……。
「イレーネ嬢、本当にあなたが影で糸を引いていたということか」
「ええ。スラムのゴロツキなど、金さえ払えば何だってしてくださいます。しかも獣性の薄いわたくしのお願いなら、それこそ喜んであなたを襲いましたわ。全て上手くいったら番になってあげる、なんて言葉を信じて」
にわかには信じがたく起き上がろうとするが、腕が震えて再びベッドに沈む。は、と熱い息を吐き出すと彼女は冷ややかな目で俺を見ろ下ろして、胸元から小さな布でできた包みを取り出した。
「獣性の強い方には、本当によく効きますわね。もちろん私もくらくらしますけど。ああ、この屋敷全体に焚き染めていますから、あなたの部下も動けませんわ。獣性の強い猫族ばかりを連れて来たのは失敗でしたわね。もちろん、あなたがそうするなんてことは分かり切っていたことですけどね」
再び暗い笑みを彼女は浮かべて独り言ちる。そのままその布の包みを俺の胸元に放られて、その匂いに俺は僅かな力さえも体から抜けていくのを感じた。
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