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最後の恋

17. 倦怠期

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倦怠期。
 浮気。

 頭の中でぐるぐるとさっき目にした文字が回る。回りすぎて吐き気さえしてきた。

 嘘だろう。だって、俺とゼンはお互いが初恋で、それがようやくかなったところじゃないか。一年間付き合ってようやく同棲して、それでも好きで好きでたまらなくて、ちっとも俺はゼンに飽きてなんていない。倦怠期ってもっと時間が経ってからなるはずじゃないか。

 それに浮気なんてあの優しいゼンがするわけない。俺はこんなにゼンのことが好きなのに、俺にはゼンしかいないのに。ゼンに振られたらきっともう俺は一生一人で誰のことも好きにならずに生きていくって、前に彼に伝えた通りなのに。なのに浮気? そんなことを彼がするだろうか。

 でも、と頭の中で暗い考えが浮かんでくる。でもゼンは違う。俺にはゼンしかいないけど、ゼンは俺以外とも付き合うことができる。昔は亜人の恋人がいたようだし、亜人以外に人間とも恋愛関係になれるみたいだし、それならばこれからだってあり得るんじゃないか?
 前に話し合った時はそんな話題でなかったけど、俺がずっと彼一筋なのとはわけが違うんだ。彼はいくらでも他に選べて、それは浮気だってできるってことだ。

 ぐらりと目の前のパソコン画面が傾いた、と思ったら俺の尻が椅子から転がり落ちていた。

「いや、そ、そんなわけ、ないよな」

 そんなわけない。きっと勘違いだ。だってゼンは相変わらず優しいし、ちょっとセックスの回数が減った程度でそんな浮気だなんて……、ほら、もしかしたらゼンは亜人にしては性欲が薄い方かもしれない。人間だって人によってめちゃくちゃ違うじゃないか、そういうの。
 そうだ、きっとただ少し疲れていたとかそういう理由だろう。ゼンは仕事も最近忙しいし時間がなくてそんな気にならなかっただけかもしれないし。新人教育に気を取られすぎていて、家でリラックスのスイッチが入らないのかも。

 頭の中であれこれと言い訳を並べて、よろけながらパソコン画面に目を戻した。

 なにか打開策はないんだろうか。亜人ならではのアドバイスとか。

 そう考えながら縋るように画面の下の方までスクロールしていく。
 案の定、倦怠期打破のためのアドバイスらしきもののリンクが貼られていた。迷わずクリックすると、今度はさっきと打って代わって励ますような論調のページに、元気の出るバランスのいい食事、適正な量、睡眠時間。それからパートナーとするマッサージや飽きの来ないデートプランが書かれている。
 食い入るように真剣にそれらを眺め、なんなら少しスマホにメモまで取った。そして。

「あ、これ……」

 すいすいとページをスクロールしていった中で……そこに写されたとある広告に視線が止まった。いつもだったら気にもしない「その広告」。
 だけどそれを俺は神妙な顔で見つめて、それから意を決してクリックした。


◇◇◇◇◇




 がちゃりと響く重たい玄関の扉の音。その音が鳴ったのを聞いて、キッチンにいた俺はぴょんと跳ね上がった。腰にエプロンを巻いたまま、スリッパの音を響かせて廊下を走る。

「お、おかえりゼン!」
「ただいま」

 一分もせずに辿り着く距離だけど走り寄ると、ゼンが持っている鞄をひったくるようにして受け取る。それに彼が少しだけ瞳を驚いたように大きく開いたけれど、俺は何も言わずに鞄を両手に下げたまま彼のスリッパを出した。

「お疲れ様。今日も遅かったね」
「ああ。そろそろ早く帰れるといいんだけど……。なぁ、自分の荷物は自分で持つよ」
「へ!? いやいや、大丈夫だよ! 疲れてるだろ!」
「そうか?」

 そうそうと俺は何度も頷いて、鞄を持ったままゼンの部屋へと入っていった。

 こじんまりとした部屋の中にぎゅうぎゅうに彼の一人暮らし時代のベッドやらパソコン用の机やらが詰め込まれている部屋。そこに俺も足を踏み込んでそっとあちこちへと視線を配る。変なところはとくにはない。他人の影を感じさせる、たとえばプレゼントっぽいものとかは何もない。少し前に入ったときと同じだ。そのことに少しだけ安心してホッと息を吐いた。

「差山、飯食ってないのか?」
「あ、うん。今日は俺が作ったから、一緒に食べようと思って」

 スーツのジャケットをハンガーにかけたゼンに振り返ってそう言わる。ネクタイを煩わしそうに外す仕草。俺だって毎日しているはずなのに格好いい。見惚れている俺に気がつかないゼンは、俺の手から鞄を取り返すと少し顔を顰めた。

「無理しなくていい。俺が作り置きしてったのがあるだろ? 美味くなかったか?」
「いや、いつも作ってもらってばっかりだからさ、お返ししないとなって思って」
「そうか?」

 そう言いながら部屋着に着替えたゼンとリビングへと移動する。
 彼はあまり納得していないようだけど、今日は俺がどうしても作りたかった。それにこれからも俺が作る気だ。そんな意気込みを表すように、俺は両手を固く握りしめた。

 そうだ。これからは俺も彼に負けないくらいには作らないと。

 俺はゼンと同棲するまでは普通の社会人一人暮らしとして自炊もそこそこしていた。簡単なものしか作れないけど栄養バランスにも気を付けていた。それに炊事だけじゃなくて洗濯や掃除やらと身の回りのことはそれなりにできていたと思う。だけどゼンと同棲し始めてから、ここのところすっかり堕落しきっていた。体力が桁違いのゼンは、仕事で深夜に帰ってきてもピンピンしていて、『ついで』とかそんな軽い言葉と共に部屋の掃除やら炊事やらを済ませてしまう。最近のようにゼンの方が遅くなると分かっているときはその前の週末に温めるだけおかずを作り置いてくれ、そして俺は怠惰に食べるだけだ。ゼンは暇さえあればせっせと俺の世話を焼いてくれて、俺はそれをひな鳥よろしく享受するだけになっていた。

 でもこれじゃあいけないだろう。
 さっきまで見ていたウェブページの内容が頭をちらつく。浮気の理由の一つが、相手が理想と大きく違っていたから……というものだった。だから同棲なんかして相手のリアルな姿が見えると嫌になってしまうことがあるらしい。

 そのことを考えてみると、俺はゼンが文句を言わないからといってのんきに構えすぎていた。彼がいくら「俺がやる」と言っても、そこは遠慮すべきだったのかもしれない。

 なんとか名誉挽回しないとな!

 ふんふんと内心で鼻息を荒くすると、俺は心の中で再び気合を入れた。 

「すごい、豪華だな」
「そう?」

 リビングに入り、テーブルの上にずらりと並べられた皿を前にゼンが驚いたように言う。すっとぼけた返事をしてしまったが、肉と魚、両方のメインディッシュ。簡単ではあるけどサラダにスープ、それから冷蔵庫のゼンの作り置きも数品足してあるのでなかなかのボリュームだ。たくさん食べるゼンのために食材のストックがたくさんあるから作りすぎてしまったかもしれない。でも俺だって料理できるところを見せないとな。

「嬉しいが、本当に無理しないでくれ」
「大丈夫だって。俺だって昔は一人暮らししてたんだし」

 飲み物を冷蔵庫から取り出してテーブルにつくけれど、ゼンはなぜか微妙な顔だ。

「冷めないうちに食べようよ、な?」
「そうだな。……ありがとう、差山」

 もしかして好きじゃないメニューだった? 浮かない彼の表情に一瞬不安になるけれど、きちんと手を合わせたゼンは大きな口を開けて俺の手料理を咀嚼した。そして微笑んで『美味いな』と言われて俺はほっと息を吐き出した。


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