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聖堂
しおりを挟む日本では朝食はとらなかった。
デスクワークだったし少しコーヒーを飲むくらいで、別に腹も減らなかった。
だけどこの世界に来てからは毎日勝手に豪華すぎる朝食が用意され、俺はいらないとも言えずにもそもそと一人食事をとっている。
とても美味いから食べすぎなほど食べてしまっていて、最近少し太ったんじゃないかと心配なくらいだ。
微妙に不細工で太ってるなんて最悪じゃないか。
ただでさえ良いところのない上に、更にアスファーに駄目な番だと思われたくはない。
それでも残し過ぎも気まずいと食事を口に頬り込んでいると、輝くような男が優雅な足取りで入ってきた。
「おはようウィチ。体調はどうだ?疲れは取れたか?」
相変わらず艶やかな髪と吸い込まれそうな瞳をした彼は、心配そうな表情でそっと俺の隣に座る。
真面目な顔のアスファーに、壊れ物に触れるかのように優しく額に手を当たられて熱を測られる。
……そもそも俺は別に病気でもなんでもない。
昨日は早めに眠ったけれど、それは自分自身の消化しきれていない思いを飲み込むための仮病みたいなものだ。
だけどそう言って突っぱねることもできずに、俺はあいまいに頷いた。
「おはよう。大丈夫だよ、よく寝たから」
「ならいいが……念のため、医者に診せようか」
「いやいやいや、いらないよ!」
まだ若干不安げな顔のアスファーの言葉に、俺は焦って大きく首を横に振った。
日本にいた時よりもずっと健康体なくらいだ。
こんな状態で医者にかかるなんて、元サラリーマンとしては罪悪感を感じて逆に気分が悪くなる。
「それより今日、セッテに勉強しないって言ったんだって?」
「ああ、そうだ。体調が悪いのに無理することはない」
「だから俺は別に体調不良じゃないって……」
いつもだったら俺が朝食を摂っている時には既に部屋で待機してるセッテが来なくて、不審に思って給仕さんに尋ねたら、まさかのアスファーから勉強会の中止が言い渡されていた。
昨日、ちょっと寝たら大丈夫だと念を押したつもりだったんだが、アスファーは納得していなかったようだ。
これが日本だったら別に俺だって困り果てたりしない。
ああそうか、俺の意思はともかく俺の為を考えてくれたんだな、と流せる。
だけどここは俺のまったく知らない世界で、俺は一刻も早くこの世界に慣れなきゃいけない存在で、正直いつ放り出されるかすら分からない不安が常に俺の後ろを付きまとっている。
アスファーの、そんな俺の不安をまるで意に介さないような振る舞いに、俺は自分勝手だと思いながらも行き場のない黒い感情が胸の内に渦巻いた。
アスファーには俺の勉強の進み具合もこの先の生活も関係ない。
この世界に上手く馴染めようが、食つなぐだけでギリギリの生活になろうが知ったことではない。
言外にそう言われているようで、どうにも胸が苦しい。
それとも、竜人の番であるならばこの程度の困難なんて苦労のうちに入らないと思われているのかもしれない。
知人すらいない世界で一人で生きていくのも俺にとっては恐怖だけど__他の竜人の番なら軽々とこなすのだろうか。
他人と比べても事態は好転しない。
そう自分に言い聞かせて、俺はなんとか引き攣った笑顔を浮かべた。
「俺、早くこの世界に慣れたいんだよ……頼むからさ、」
俺は、早くこの世界に溶け込みたいんだ。
番なのだからアスファーの側にいると決めた。
でも番と言っても別に彼の恋人でも何でもないし、ただの知り合い程度の俺に、彼の興味がいつまで続くかは分からない。
いざ一人ぼっちになった時に、一人で静かに生活できるくらいの仕事は見つけておきたい。
せめて野垂れ死なない程度の。
薄笑いに哀願を乗せて彼を見ると、彼はなぜか一瞬顔を紅潮させて瞳を彷徨わせた。
「じゃあ、今日はこの王宮の聖堂を見に行こう。神に祈りを捧げるのはこの国では習慣のようだし、大理石の細工が美しくてウィチの気もまぎれるだろう」
聖堂へ行くことに賛成したのは、将来どこにも行き場がなくなった時に頼れるかもしれない、という下心からだった。
日本でも海外でも、神様に仕える場所では恵まれない人間に愛と食料を差し伸べている。
だけど連れてこられた場所は、予想よりもはるかに荘厳な大聖堂で、俺は高い天井を見上げてぽかんと口を開いた。
「……これは、すごいな」
大理石の床には、精巧な文様が描かれて足を乗せるのが躊躇われるほど輝いている。
壁には計算しつくされた彫が施され、だがなによりも目を引いたのが、高く伸びる柱に支えられた天井だった。
日本のビルで言ったら3階建て程度はあるだろうか。
高い天井いっぱいを埋め尽くす、天使、悪魔、そして竜の色とりどりの絵画。
ところどころが彫刻となっていて絵に立体感を持たせている。
陽の光をふんだんに取り入れる設計の窓が、礼拝堂内を明るく、そして神秘的に彩ってまさに圧巻。
思っていた庶民の集まる礼拝堂のような聖堂とは大違いで、もはや建物自体が美術品のようだった。
「そうか?気に入ったか?」
「気に入ったというか……綺麗すぎて、言葉にならないよ」
美しすぎる光景に、俺は何度も深呼吸を繰り返す。
神父すらもいない人気のない空間は別世界のようだ。
少し落ち着きを取り戻して静かに歩みを進め、聖堂の中でも美しく奉られた祭壇へと近寄った。
「あの祭壇の彫刻は、竜?」
何かの神話を示しているんだろうか。
剣を振るう若者、そして咆哮を上げるようにして口を大きく開く翼のある恐竜のような彫刻がそびえるように立っている。
「ああ。この大陸はもともと魔族がいて、魔族に人間は長い間虐げられていた。ほんの数百年前だが、勇者と名乗る男が一気に魔を打ち払ったんだ。その時の戦いに竜族も手を貸して、それ以来奉られているな」
「魔族?」
「大丈夫だ。心配しなくても、ウィチには指一本触らせない」
魔族なんて日本では完全におとぎ話だ。
だけど宗教画には天使と悪魔なんていっぱい出てくるから、こちらでも同じようなものなのだろうか。
でもアスファーが竜人と呼ばれているなら、本当に魔族なんていうのもいたんだろうか。
俺から見たアスファーはまったく普通の人間と変わりないけど、この国では誰でも彼のことを竜人と呼ぶ。
竜人と竜とは別のものなんだろうか。
彫像の竜は、西洋の竜と同じような姿をしていて、アスファーと違って完全に爬虫類って感じだ。
その瞳には鈍く輝く貴石がはめ込まれていて、美しすぎる彫像に俺は感嘆の息をついた。
「すごいな、綺麗だし………格好いい」
「ウィチにそう言ってもらえるなんて、石の像に嫉妬しそうだな」
嫉妬するだなんて、冗談でも今までの恋人たちにすら言われたことはない。
アスファーが本気でそれを言っていないのは、彼の軽い口調からすぐに分かった。
でもまるで彼が俺を気にかけているかのような発言に、俺は少しだけ頬を染めて思わずにやけた。
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