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ワガママ 10.

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「この鍵、返す。いらない」

俺の口から出てきた言葉は固く強張っていた。
掌をアルジオの胸に押し付けるようにして、鍵を彼に突き返す。


だって酷いじゃないか。
俺はたしかに彼には不釣り合いな男かもしれないけど、本気で彼を好きで付き合ってた。
俺に田舎に帰れって言ったその口で、一緒に住むかなんてひどい冗談だ。

心の中が悲しいとか悔しいとかで荒れ狂って、なんにもしていないのに息が上がる。

「っていうか俺、もうここには来ないし。アルジオさんも食堂来ないでよ。来てもこれからはセックスしない」
「エーク、急にどうした?何言ってるんだ」

戸惑ったような声が掛けられて、余計に頭に血が上った。
彼にとっては何でもない世間話みたいなものだったとでも言うんだろうか。
俺は怒らないし傷つかないと思ったんだろうか。
たしかに何をされても好きだし受け入れちゃうけど、それでも傷つかないってわけじゃない。

だから彼にしっかりと振って欲しかった。
俺の心を、彼の方から粉々にして欲しかった。
彼のプライドのためとか負担になりたくないとか、結局は言い訳だ。
彼から振ってもらわないと、でないと俺は諦められなそうだから・・・この言葉は、口に出したくなかったのに。


「ね、俺と別れてよ」


俯いたまま俺は吐き捨てた言葉は、意外と部屋に大きく響いた。
涙がじんわりと目元に滲む。
こんなワガママ、嘘でも言いたくなかった。
欠片も本心じゃない言葉。
でもこれで終わりだ。
彼の言葉を待つ時間が永遠のように感じられた。


「……どういうつもりだ?」


凍えるように冷たい声が頭の上から降ってきて、俺は顔を上げられなくて床を見つめる。
どういうつもりって、そんなこと聞いてどうするんだよ。
俺の9個のワガママを受け入れた彼は、きっと10個目のワガママも聞いてくれる。
そして、俺との別れも他のワガママみたいに何でもないこととして彼の上を通り過ぎるんだ。
そう思ってゆっくりと視線を上げると。

「どれだけ俺を振り回せば気が済むんだ?」

暗い炎を灯す瞳と目が合った。
彼の手が伸びて来て、逃げる間もなくきつく腕を掴まれる。
そのまま引きずるようにベッドに倒されて、腹の上に乗り上げられる。
重たくて苦しいけど、それ以上に乱暴な仕草に驚いて俺は呆然と彼を見上げた。


「そっけなかったお前が急に可愛く甘えだしたと思って浮かれれば、他の男と仲良くするし……。無理やり指輪を付けさせられたのが嫌だったのか? 束縛されるのが嫌で、別れたくなった?」

掌が俺の首筋に伸びてきてゆるく拘束される。
苦しくはないけど肌をじわりと這う恐怖に、俺の口から小さく悲鳴が漏れた。

「一緒に住めるかと思って、期待させて……。俺がどれだけ喜んだか分かるか?」

目を眇めてこちらをみるアルジオの顔は強張り、どこか青ざめているようにすら見えた。

悲痛なその顔を見ていたくなくて俺は目を伏せる。

「でも、俺、別れないと、」

別れないと、彼は前みたいに笑えない。
俺と一緒にいたらダメだ。
彼は優しい人だって分かっているから、だから余計に、優しい彼が俺に冷たくなっていくのを感じるのは辛かった。


「駄目だ。別れない。あんまり乱暴なことはしたくないから、早めに撤回すると言ってくれ」

首筋に巻き付いていた掌に、じわりと力が込められる。

そのままもう一つの手が俺のシャツのボタンを外していって、素肌に触れた。
体の上をなぞるように滑るその手は酷く冷え切っていて、それを俺は慌てて掴んだ。

「ちょっと待って、」

「俺の我儘ばかりに付き合って、お前が嫌気をさしてるのは分かる。……でも、別れない」
「違う、違うよ。アルジオさんはワガママなんかじゃない……もう、アルジオさん、俺と付き合ってから笑わなくなったし、いっつも怖い顔しているし、……一緒にいちゃダメだと思って、だから別れようって、」

言わないでおこうと思っていた本音が口から零れ出る。
それは酷く勇気がいることだったのに、アルジオは俺の言葉に眉をきつく寄せた。

「それはお前が付き合っても、俺のことなんて好きじゃないと態度で示していたからだろう。部屋に泊るのも嫌がる、休みの日にも会いたがらない。付き合っているのかさえ不安だった」
「嘘だ……」

そんなの嘘だ。
アルジオは騎士で格好良くて、俺のことなんかで不安になるはずがない。
彼はいつも他の人に囲まれていて俺なんかとは釣り合わなくて、だから俺ばっかりが好きで苦しいはずなのに。

「アルジオさんは、そんな風に思うはずないだろ。なんで、俺にそんな惚れてるみたいなこと言うんだよ」

小声で弱々しく呟くと、彼は苛立ったように眦を吊り上げた。


「惚れてるに決まっている! でなければあんなに必死に口説き落としたりしない! わざわざ遠い食堂まで通って、騙し討ちのようにして手に入れたのは、分かっているだろう!」

アルジオはまだ眉を寄せたまま顔を近づけてきた。
きつい瞳にねめつけられて、彼の瞳に映った俺は情けない顔をしていた。

だけどそれと同じくらいアルジオも必死な顔をしていて。

……もしかして、俺は彼の言っていることを信じていいのだろうか。

俺だけがアルジオを好きなんじゃなくて。
この関係は彼の気まぐれなんかじゃなくて。
本当に彼に好かれていると、大事にされていると、希望を持ってもいいんだろうか。

胸の奥にじんわりと彼の言葉が染み入って、長い間押し殺していた気持ちがあふれ出てきた。

「エークの方こそ、俺と別れたい本当の理由は何だ?」
「さっき言ったのが、本当の理由だよ。アルジオさんが笑わなくなって……それが辛かった。俺ずっと、アルジオのこと好きだけど、我慢しなきゃって思ってて。俺の態度でアルジオさんが苦しいのに気づきもしないで、悩んでた。ずっと好きだって言って甘えたかったのに」

アルジオの掌を掴んでいた手を放して彼の首に抱き着く。
ぎゅうぎゅうと力をこめると、耳元で小さく『信じていいのか』と囁かれる。

返事をする代わりに、俺は彼の唇に触れるだけのキスをした。
唇を放すと彼の瞳が間近で俺を覗いていた。
その瞳は出会ったころと同じ優しい色を取り戻していて、俺は心が震えるのを感じた。


「ずっと素直になれなくてごめんなさい。……本当は甘えたかったけど、面倒な奴って思われたくなくて我慢してた」


俺の言葉に彼は首をゆっくりと横に振る。


「面倒なんて思うはずないだろう。俺こそ……付き合いだしてから、エークにもう嫌だ別れたいって言われるのが怖かった。俺は嫉妬深いし、しつこいから。だからさっき別れたいって言われた時、思わず頭に血が上った。……撤回してくれるな?」
「ごめん……なさい。俺、本当は別れたくない」

本当は別れたくなかった。
だけどそれじゃダメだと思って、自分で自分の首を絞めていた。
彼はいつだって誠実で優しくて俺のワガママを聞いてくれていたのに。

「これからは、ずっと一緒に居て」

俺の最後のワガママにアルジオが頷く。
今まで言えなかった大好きだって言葉を、涙でしゃくりあげながら何度も呟いた。







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ワガママ 10. ×僕と別れて ○ずっと一緒にいて
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