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木曜日
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さっきから苦戦して組み上げていたプログラムがなんとか一段落して、時計をぼうっと眺めると、もう午後九時を過ぎている。
今日は終電コースで確定だろう、しかも明日の飲み会のために頑張ろう、というまったくモチベーションの上がらない理由で、だ。
今回のプロジェクトで最大の問題となっている難所を別の部署から来た俺に丸投げしておいて、正面に座る課長がいま何をしているのかはよく知らないが、軽く一礼だけして俺は給湯室に向かう。
コーヒーを淹れながら長く吸った息を、おおきく吐き出す。他人が書いた膨大な量のソースコードを読解するのは、最初から自分でプログラムするよりも疲労がはげしい。
給湯室には先客がいた。歳の近い同期、同僚の杉田──今朝の電車で遭ったヤツだ──は俺に同情的で、いろいろと面倒を見てくれるのだが、なにしろ杉田自身も別の問題を丸抱えしているので、あまり頼るわけにもいかない。
「こんだけ頑張ったけど間に合いませんでした。っていうオチが見えてるだろ? オッサンも、すでに諦めモードだしな。おまえもあんまり気負うなよ、榊」
オッサンというのが今回のプロジェクトリーダーで、つまり俺たちの直属の上司である課長だ。杉田はフチなしの眼鏡を外すと、目を細くして冷たく笑う。
「で、本社はどうよ? ここよりはマシだろうけどな」
「いろいろめんどくせー。足の引っ張り合いとか、飽きずによくやるよ……」
それも勘弁だな、と話を締めて杉田は苦笑する。
「明日の飲み会、覚悟しとけよ。ここの支社の飲み会はわりと、いや。かなり激しいからな」
「勘弁してくれよ……」
「じゃあ、先に戻るぞ。もう今日はテキトーに上がろうぜ」
しかし上司が残っている以上、立場的に俺は帰れなかった。杉田はやがて帰ってしまったが、すこし申し訳なさそうに俺を見ていた。
どうにも同じ場所でつまづいている気がして気分転換にブラウザを開く。ニュースサイトには芸能人の不祥事だとか、海外の不穏な情勢だとか、見たところでどうしようもないニュース記事が並んでいる。
それから検索エンジンを開いた。
あいつは──向晴は、名刺から俺の会社を知った。
思えば「向晴」というのも変わった名前だ。何となく、本当に何となく思いつきで入力してみると、意外にも「秋津」まで入力した時点で、予測変換の一覧に「秋津向晴」というキーワードが表示されていた。
同姓同名だろうか──半信半疑で検索すると、意外にも多くの関連記事がある。動画のサムネイルを目にした瞬間、鳥肌が立った。
ユニフォーム姿の男は、再生するまでもなく本人なのだと分かる。動画は一年ほど前のものだった。いわゆるインターハイの男子駅伝、一区で区間賞という文字が視界に映った。同年の国体の、男子10,000メートルでも優勝している。
わずかに指が震えた。そもそも県内屈指のスポーツ強豪である母校で、陸上部の主将という時点で相当な実力があるのは予想がついていたが、まさかここまでとは思いもしなかった。完全に全国区の有名人じゃないか。
スカウトなど、どこの大学からでも来るだろう。
大手マスコミの記事見出しにも「超大型新人」だとか「箱根駅伝へ」だとかのアオリがある──だが、そこで強烈な違和感があった。
それなら、この時期にバイトなどする余裕があるだろうか。教習所にも通っているようだったが。
インターハイには学校が予選落ちしていれば参加しようもないが、今年の国体に参加した形跡もないし、そもそも名門への入学が決まれば練習だって、さらに厳しくなるのでは──?
向晴は、たしか「夏まで主将だった」と言ったが、これも考えてみれば妙な話だ。国体の開催が今月であった以上、推薦で大学が決まっているのなら別に主将を退く理由がない。引退するにしても、国体後でも別に構わないはずだ。そのへんは学校の事情次第のところもあるだろうから、何とも言えないが。
心拍がイヤな予感に早打つのが分かる。いくつかの記事の見出しが、予感を確信に変えてしまいそうになるたびに、胸が痛んだ。
『秋津、故障か──⁉』
今日は終電コースで確定だろう、しかも明日の飲み会のために頑張ろう、というまったくモチベーションの上がらない理由で、だ。
今回のプロジェクトで最大の問題となっている難所を別の部署から来た俺に丸投げしておいて、正面に座る課長がいま何をしているのかはよく知らないが、軽く一礼だけして俺は給湯室に向かう。
コーヒーを淹れながら長く吸った息を、おおきく吐き出す。他人が書いた膨大な量のソースコードを読解するのは、最初から自分でプログラムするよりも疲労がはげしい。
給湯室には先客がいた。歳の近い同期、同僚の杉田──今朝の電車で遭ったヤツだ──は俺に同情的で、いろいろと面倒を見てくれるのだが、なにしろ杉田自身も別の問題を丸抱えしているので、あまり頼るわけにもいかない。
「こんだけ頑張ったけど間に合いませんでした。っていうオチが見えてるだろ? オッサンも、すでに諦めモードだしな。おまえもあんまり気負うなよ、榊」
オッサンというのが今回のプロジェクトリーダーで、つまり俺たちの直属の上司である課長だ。杉田はフチなしの眼鏡を外すと、目を細くして冷たく笑う。
「で、本社はどうよ? ここよりはマシだろうけどな」
「いろいろめんどくせー。足の引っ張り合いとか、飽きずによくやるよ……」
それも勘弁だな、と話を締めて杉田は苦笑する。
「明日の飲み会、覚悟しとけよ。ここの支社の飲み会はわりと、いや。かなり激しいからな」
「勘弁してくれよ……」
「じゃあ、先に戻るぞ。もう今日はテキトーに上がろうぜ」
しかし上司が残っている以上、立場的に俺は帰れなかった。杉田はやがて帰ってしまったが、すこし申し訳なさそうに俺を見ていた。
どうにも同じ場所でつまづいている気がして気分転換にブラウザを開く。ニュースサイトには芸能人の不祥事だとか、海外の不穏な情勢だとか、見たところでどうしようもないニュース記事が並んでいる。
それから検索エンジンを開いた。
あいつは──向晴は、名刺から俺の会社を知った。
思えば「向晴」というのも変わった名前だ。何となく、本当に何となく思いつきで入力してみると、意外にも「秋津」まで入力した時点で、予測変換の一覧に「秋津向晴」というキーワードが表示されていた。
同姓同名だろうか──半信半疑で検索すると、意外にも多くの関連記事がある。動画のサムネイルを目にした瞬間、鳥肌が立った。
ユニフォーム姿の男は、再生するまでもなく本人なのだと分かる。動画は一年ほど前のものだった。いわゆるインターハイの男子駅伝、一区で区間賞という文字が視界に映った。同年の国体の、男子10,000メートルでも優勝している。
わずかに指が震えた。そもそも県内屈指のスポーツ強豪である母校で、陸上部の主将という時点で相当な実力があるのは予想がついていたが、まさかここまでとは思いもしなかった。完全に全国区の有名人じゃないか。
スカウトなど、どこの大学からでも来るだろう。
大手マスコミの記事見出しにも「超大型新人」だとか「箱根駅伝へ」だとかのアオリがある──だが、そこで強烈な違和感があった。
それなら、この時期にバイトなどする余裕があるだろうか。教習所にも通っているようだったが。
インターハイには学校が予選落ちしていれば参加しようもないが、今年の国体に参加した形跡もないし、そもそも名門への入学が決まれば練習だって、さらに厳しくなるのでは──?
向晴は、たしか「夏まで主将だった」と言ったが、これも考えてみれば妙な話だ。国体の開催が今月であった以上、推薦で大学が決まっているのなら別に主将を退く理由がない。引退するにしても、国体後でも別に構わないはずだ。そのへんは学校の事情次第のところもあるだろうから、何とも言えないが。
心拍がイヤな予感に早打つのが分かる。いくつかの記事の見出しが、予感を確信に変えてしまいそうになるたびに、胸が痛んだ。
『秋津、故障か──⁉』
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