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「なんだが、これまでの婚約者候補さんたちとは違うみたいね。本気で、気にしていないみたい。前の人は、それでも大丈夫ですって言っていたけど、やっぱり怒っているのが伝わってきたもの。無茶を言っているのは、あたしたちなんだから、仕方なかったんだけど……」
 
 カイラの言葉に、アラスターは、違う、と待ったをかけた。

「無茶も、無礼も、すべてわたしの我がままだ。カイラには、とても辛い思いをさせた。すまない」

「なにを言ってるの? どうであれ、あなたの傍にいられる。あたしはそれで、充分、幸せなの」

 甘い空気が流れる。いくら空気を読めない、読んだことのないニアも、流石にこれには気付いた。

「あの、わたし、外で待ってますね」

 邪魔をしないように。かといって、はじめての屋敷では、何処に行けばいいのかもわからない。なので、ニアなりに出した結論が、これだった。

 玄関扉の取っ手に手をかけるニアに、アラスターが焦り、カイラが慌てて止める。

「そ、そんなことしなくていいから!」

「ですが、久しぶりの再会に、わたしはどう考えてもお邪魔なので」

 それでも出ていこうとするニアの腕を、アラスターが掴んだ。

「きみが居辛い空気を作ってしまったこと、謝罪する。先ほどの一方的な酷い宣言も……すまない。きみを試したんだ」

「? わたしはなにを試されたんですか?」

「婚約者候補のきみに、将来結婚するかもしれないきみに、心から信用するのも、愛しているのも、カイラだけだと言ったろう? とても酷い言葉だ。普通なら、怒って帰るところだよ」

 わたしには帰る場所がないので。

 返そうとして、ニアは思いとどまった。怒られる、と、咄嗟に身体と心が震えたからだ。もはやそれは、染みついた行動と思考だった。

 外から来た人に、助けを求めようとしたことが、一度だけあった。それが屋敷の者にばれ、ニアはご飯を何日も抜かれたうえ、折檻を受けた。

 屋敷の中での出来事は、外部にもらさない。もらすと、ひもじくて痛いことをされる。それが根強く、ニアの心にあったから。

「……どうした?」

 数秒間。沈黙したままのニアに、アラスターが気遣うように声をかけてきた。

「やはり無理だと思ったら、言ってくれ。フラトン子爵の屋敷まで、きちんと──ああ、いや」

 ふっと視線を逸らしたアラスターは、ぐっと唇を噛み締めた。

「わたしは、きみを利用する。代わりに、きみに温かな食事と寝床を約束する。不自由な思いもさせないし、できる限り、きみの望みは叶えたいと考えている」

「……望み」
 
 ニアの瞳に、はじめて、微かな希望が宿った。

「あるのか? なら、言ってみてくれ」

「えと、でも……」

 安らかに死にたい。なんて、言ってもいいのだろうか。

(……わたしを利用する、ということは、わたしは生きていないと駄目ってことで……あれ?)

 死ねばいいのに。言われたことは何度もあれど、生を願われたことはない。
 
(そうか……いつまでかはわからないけど、わたし、生きてなくちゃいけないんだ)

 なんか変なの。

「温かな食事と寝床があれば、充分です」

 そう答えると、アラスターは少しだけ残念そうに、そうか、と呟いた。

 

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