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誕生日パーティーの準備が整うまでは、まだ少し時間があった。それまでは部屋で、一人で休むと言い残し、マリーにとっては懐かし過ぎる自室へと向かった。ジャスパーはしつこくせめて部屋までは送ると申し出てきたが、断固として拒否した。父もジャスパーもひどく困惑していたが、それに構う余裕などマリーにはなかった。
自室に着くと、マリーは手鏡を探した。自分の顔をじっくりと眺めてみる。やはり、思い描く自身の顔より、ずいぶんと若く、幼かった。
次に、小さな頃に亡くなってしまった母親から譲り受けた首飾りを手に取ってみた。澄んだ空色をしていたその首飾りは、何だか少し、濁ってみえた。
崖に落とされ、意識を手放す瞬間、首飾りが熱を持ったような気がしたのは、はたして何だったのか。
「……お母様」
馬鹿な話し、と人は笑うだろう。けれどマリーには、母親が──この首飾りが、もう一度チャンスをくれたような気がしてならなかった。それが正解かどうかなんて、誰にもわからない。ならこの考えも、誰にも否定できないはずだ。
「お父様に頼んで、ジャスパーとの婚約をなかったことに……いえ、それじゃ駄目ね」
今の段階では、ジャスパーは何もしていない。一方的な婚約破棄だと、ジャスパーに慰謝料を払わなくてはならなくなる。ジャスパーには少しのお金だって、とられたくはなかった。そんなことをすれば、喜ばせるだけだから。
──わたしとの結婚が駄目になっても、ジャスパーのことだから、他の貴族令嬢と結婚するはず。
悔しいが、ジャスパーは見目もよく、社交的で、エスコートも完璧にこなす。例え次男だとしても、寄ってくる令嬢はいるだろう。
(ジャスパーの恐ろしい本性をさらけ出させるにはどうすれば……いえ。その前にまず、しなければならないことがあるわ)
コンコン。
部屋の扉をノックされ、マリーは一瞬びくついたが、深呼吸をしてから、はい、と答えた。扉の向こうから聞こえてきたのは、ジャスパーの声だった。
「マリー。そろそろパーティーがはじまるよ」
「すぐに行くわ。先に行ってて」
「どうして? ぼくがエスコートするよ」
困惑する声音。思えば、こんな余裕のないジャスパーははじめてかもしれない。
(……考えてみれば、当然のことよね)
自身の行いを振り返る。ジャスパーが大好きで、それを全身で、行動で語っていた。ジャスパーが不安になる隙などなかった。きっと、鬱陶しいと思いながらも、馬鹿な女だと心の中でさぞや嗤っていたことだろう。
そんな女が突然、訳もわからず拒絶しはじめた。大事な金づるが、だ。何とわかりやすい。
「…………っ」
唇を噛み、溢れた涙をそっと手で拭うと、マリーは立ち上がり、扉を開けた。ジャスパーに非があると確認できるまでは、できるだけ普段通りに振る舞わなければならない。ジャスパーは恐ろしい男だ。金のためなら躊躇いもなく、平気で人を殺せる。この男には、心などないのだから。
本性を知っていると知られたら、何をされるかわからない。きっとこの時点では、誰もジャスパーの本性に気付いてなどいないだろう。
どうすればみんなに信じてもらえるのか。ジャスパーを前にすれば、恐怖で震えそうになりながらも、そればかりが頭をまわった。
「わかったわ。一緒に行きましょう、ジャスパー」
意識して微笑むと、ジャスパーはホッとしたように息を吐いた。
「ありがとう。ねえ、マリー。ぼくは何か、きみの気に触るようなことをしてしまったのかな。だとしたら、謝るよ」
「何でもないわ。今日からわたしも十二になるのだし、レディとして恥ずかしくない振る舞いをしようと思っただけよ」
何だ、そうだったの。
ジャスパーが笑う。
「きみはもう、立派なレディだよ」
甘い科白も、もはや鳥肌が立つだけだった。
自室に着くと、マリーは手鏡を探した。自分の顔をじっくりと眺めてみる。やはり、思い描く自身の顔より、ずいぶんと若く、幼かった。
次に、小さな頃に亡くなってしまった母親から譲り受けた首飾りを手に取ってみた。澄んだ空色をしていたその首飾りは、何だか少し、濁ってみえた。
崖に落とされ、意識を手放す瞬間、首飾りが熱を持ったような気がしたのは、はたして何だったのか。
「……お母様」
馬鹿な話し、と人は笑うだろう。けれどマリーには、母親が──この首飾りが、もう一度チャンスをくれたような気がしてならなかった。それが正解かどうかなんて、誰にもわからない。ならこの考えも、誰にも否定できないはずだ。
「お父様に頼んで、ジャスパーとの婚約をなかったことに……いえ、それじゃ駄目ね」
今の段階では、ジャスパーは何もしていない。一方的な婚約破棄だと、ジャスパーに慰謝料を払わなくてはならなくなる。ジャスパーには少しのお金だって、とられたくはなかった。そんなことをすれば、喜ばせるだけだから。
──わたしとの結婚が駄目になっても、ジャスパーのことだから、他の貴族令嬢と結婚するはず。
悔しいが、ジャスパーは見目もよく、社交的で、エスコートも完璧にこなす。例え次男だとしても、寄ってくる令嬢はいるだろう。
(ジャスパーの恐ろしい本性をさらけ出させるにはどうすれば……いえ。その前にまず、しなければならないことがあるわ)
コンコン。
部屋の扉をノックされ、マリーは一瞬びくついたが、深呼吸をしてから、はい、と答えた。扉の向こうから聞こえてきたのは、ジャスパーの声だった。
「マリー。そろそろパーティーがはじまるよ」
「すぐに行くわ。先に行ってて」
「どうして? ぼくがエスコートするよ」
困惑する声音。思えば、こんな余裕のないジャスパーははじめてかもしれない。
(……考えてみれば、当然のことよね)
自身の行いを振り返る。ジャスパーが大好きで、それを全身で、行動で語っていた。ジャスパーが不安になる隙などなかった。きっと、鬱陶しいと思いながらも、馬鹿な女だと心の中でさぞや嗤っていたことだろう。
そんな女が突然、訳もわからず拒絶しはじめた。大事な金づるが、だ。何とわかりやすい。
「…………っ」
唇を噛み、溢れた涙をそっと手で拭うと、マリーは立ち上がり、扉を開けた。ジャスパーに非があると確認できるまでは、できるだけ普段通りに振る舞わなければならない。ジャスパーは恐ろしい男だ。金のためなら躊躇いもなく、平気で人を殺せる。この男には、心などないのだから。
本性を知っていると知られたら、何をされるかわからない。きっとこの時点では、誰もジャスパーの本性に気付いてなどいないだろう。
どうすればみんなに信じてもらえるのか。ジャスパーを前にすれば、恐怖で震えそうになりながらも、そればかりが頭をまわった。
「わかったわ。一緒に行きましょう、ジャスパー」
意識して微笑むと、ジャスパーはホッとしたように息を吐いた。
「ありがとう。ねえ、マリー。ぼくは何か、きみの気に触るようなことをしてしまったのかな。だとしたら、謝るよ」
「何でもないわ。今日からわたしも十二になるのだし、レディとして恥ずかしくない振る舞いをしようと思っただけよ」
何だ、そうだったの。
ジャスパーが笑う。
「きみはもう、立派なレディだよ」
甘い科白も、もはや鳥肌が立つだけだった。
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