上 下
3 / 24

3

しおりを挟む
「……いつ」

「昨日です」

「この……っ」

 馬鹿が。という暴言を、なんとかぐっと堪え、ベイジルがこぶしを握る。

「変な誤解をされないためにも、早く止めないとっ」

「早馬に頼みましたので、今から追いつくのは不可能かと」

「……くそっ! 直接屋敷に赴いて、モンテス伯爵と父上に話をしないとならなくなったじゃないか!」

 がしがし。ベイジルが苛ついたように頭を掻きむしり、クラリッサを指差した。

「いいか。ぼくの幸せを願うなら、ぼくが浮気していたこと、モンテス伯爵や父上に言わず、手紙はきみの誤解だったと弁明しろ。すぐに屋敷に戻って使用人たちに準備をさせないと──くそっ。もう王都の城門が閉まる時間じゃないか。なんでもっと早く言わなかった!!」

「すみません」

「ああ、もう! 明日、朝一で出発するから、城門が開く少し前にぼくの屋敷に来い。きみだけじゃ不安だから、ぼくも一緒に行ってやる! 感謝しろ!」

「わかりました」

 クラリッサの返答に舌打ちしながら、ベイジルは喫茶店を後にした。その背が完全に見えなくなってから、クラリッサはネリーに顔を向けた。

「どうしました? 顔色が悪いようですが」

「……だ、だって……あんなベイジル様、はじめてで……いつも紳士的で、優しくて……それがあたしの知るベイジル様で……」

「そうですね。わたしも最初はそう思っていました」

「……あれが、ベイジル様の本性なのですか? あんな身勝手で、高圧的な……紳士とはほど遠い」

「どうなのでしょうね。でもね、ネリーさん。わたしと交わした約束、覚えていますよね?」

 ショックから思考が停止しているネリーが、なんのことだと首を捻る。

「……えと」

「あなたがベイジルと婚約すれば、慰謝料は請求しない。契約書にも、サインしてくれましたよね?」

 はっとしたように、ネリーの顔から血の気が引いていく。

「ま、待ってください。だって、ベイジル様があんな方だったなんて、あたし、知らなくて……っ」

「たとえそうでも、ベイジルがわたしの婚約者だということはご存知でしたよね? それを知りながら、あなたはベイジルと不貞行為をした。それは責められるべき行いではないですか?」

「そ、れは……でも、最初に声をかけてきたのはベイジル様です! それだけは信じてください!」

 誘いに乗った時点で同罪だろう。思ったが、それは口には出さなかった。時間が惜しかったから。

「この議論は、移動中にしましょう。わたしの実家まで、王都から一週間はかかりますから」

「……え?」

「あなたに慰謝料を請求しない条件として、もう一つ提示してあったはずです。ベイジルとの不貞行為を認め、必要ならそれを証言すると」

「そ、それって……モンテス伯爵とロペス伯爵の前で、ベイジル様との浮気を自ら証言しろってことですか……?」

 ネリーはその光景を思い浮かべたのか、カタカタと身体を震わせはじめた。

「なにを今さら。ベイジルと一緒になるためならなんでもしますと言い切ったのはあなたじゃないですか」

「……こ、こんなことになるなんて思ってなかったから。クラリッサ様があたしたちを祝福してくれたから、きっとみんなもそうだって……」

 どうにもおめでたい頭の持ち主のようだが、そのおかげであのような──浮かれていたとはいえ──条件を吞んでくれたのだから、いまは感謝すべきなのだろう。

 はあ。クラリッサは深く、深くため息をついた。

「学園生活は続きますし、これからもベイジルと顔を合わせる機会はあるでしょうから、本当はわたしも、穏便に事を進めたかったのですが……」

 異常にプライドも自己評価も高いベイジルを持ち上げ、あくまであなたの幸せのために身を引くのだと。本来請求するはずの慰謝料もいらないと言えば納得するだろうと考えていたが、甘かった。これでも最大限、譲歩したはずだったのに。

(不貞行為も認めたうえで、まだあんなに偉そうな態度をとるなんて、流石に予想していなかった……)

 これはもう、手に負えない。逆恨みされようと、周りを巻き込むしかない。けれど外面が良いベイジルの本性を、はたして父たちに信じてもらえるだろうか。不安だったが、でもこのチャンスを逃したくなくて、とにかくクラリッサは必死だった。

「移動の準備はできています。あなたの屋敷へは使いを出しておきますから、ご心配なく。さあ、行きましょう。早く出立しないと、城門が閉まってしまいますからね」

「……あ、あたし、まだ混乱してて」

「混乱など、馬車内でいくらでもできますよ」

 クラリッサはネリーの手を取り、少々強引に引っ張った。探偵からもらった調査報告書の写しはそれぞれの家に、手紙と共に送ったが、それでもまだ安心はできない。

 駄目押しがほしい。それが、ネリーの存在と証言だった。嬉しい誤算だが、ベイジルはネリーの前で、本性を垣間見せてくれた。不貞行為と共に、それも父たちの前で証言してほしかった。




「予定通り、お父様のお屋敷に向かってください」

 個室から出ると、クラリッサは控えていたお目付役の男にそう告げた。先に話を通していたのだろう。かしこまりました、と真剣な表情で男が頷く。

 喫茶店近くに停まっていた馬車にクラリッサとネリーが乗り込むと、馬車はゆっくりと動き出した。王都の出入り口の、城門へと向かう。

 窓から周りを確認する。ベイジルの姿がないことにひとまず安堵し、ほうっと息をつくクラリッサ。前に座るネリーは、膝の上に置いたこぶしを震えさせていた。

「……なんで、こんなこと……あたしはただ、幸せになりたかっただけなのに……クラリッサ様の嘘つきぃ……」

 しまいには、ボロボロと涙を流しはじめた。自分には一切、非がない。その思考回路はベイジルと似ているなと、クラリッサは呆れてしまった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~

コトミ
恋愛
 結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。  そしてその飛び出した先で出会った人とは? (できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです) hotランキング1位入りしました。ありがとうございます

妹に人生を狂わされた代わりに、ハイスペックな夫が出来ました

コトミ
恋愛
子爵令嬢のソフィアは成人する直前に婚約者に浮気をされ婚約破棄を告げられた。そしてその婚約者を奪ったのはソフィアの妹であるミアだった。ミアや周りの人間に散々に罵倒され、元婚約者にビンタまでされ、何も考えられなくなったソフィアは屋敷から逃げ出した。すぐに追いつかれて屋敷に連れ戻されると覚悟していたソフィアは一人の青年に助けられ、屋敷で一晩を過ごす。その後にその青年と…

行き場を失った恋の終わらせ方

当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」  自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。  避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。    しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……  恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

【完結】婚約者は自称サバサバ系の幼馴染に随分とご執心らしい

冬月光輝
恋愛
「ジーナとはそんな関係じゃないから、昔から男友達と同じ感覚で付き合ってるんだ」 婚約者で侯爵家の嫡男であるニッグには幼馴染のジーナがいる。 ジーナとニッグは私の前でも仲睦まじく、肩を組んだり、お互いにボディタッチをしたり、していたので私はそれに苦言を呈していた。 しかし、ニッグは彼女とは仲は良いがあくまでも友人で同性の友人と同じ感覚だと譲らない。 「あはは、私とニッグ? ないない、それはないわよ。私もこんな性格だから女として見られてなくて」 ジーナもジーナでニッグとの関係を否定しており、全ては私の邪推だと笑われてしまった。 しかし、ある日のこと見てしまう。 二人がキスをしているところを。 そのとき、私の中で何かが壊れた……。

妹に一度殺された。明日結婚するはずの死に戻り公爵令嬢は、もう二度と死にたくない。

たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】
恋愛
婚約者アルフレッドとの結婚を明日に控えた、公爵令嬢のバレッタ。 しかしその夜、無惨にも殺害されてしまう。 それを指示したのは、妹であるエライザであった。 姉が幸せになることを憎んだのだ。 容姿が整っていることから皆や父に気に入られてきた妹と、 顔が醜いことから蔑まされてきた自分。 やっとそのしがらみから逃れられる、そう思った矢先の突然の死だった。 しかし、バレッタは甦る。死に戻りにより、殺される数時間前へと時間を遡ったのだ。 幸せな結婚式を迎えるため、己のこれまでを精算するため、バレッタは妹、協力者である父を捕まえ処罰するべく動き出す。 もう二度と死なない。 そう、心に決めて。

【完結】妹が旦那様とキスしていたのを見たのが十日前

地鶏
恋愛
私、アリシア・ブルームは順風満帆な人生を送っていた。 あの日、私の婚約者であるライア様と私の妹が濃厚なキスを交わすあの場面をみるまでは……。 私の気持ちを裏切り、弄んだ二人を、私は許さない。 アリシア・ブルームの復讐が始まる。

【完結】婚約者の好みにはなれなかったので身を引きます〜私の周囲がそれを許さないようです〜

葉桜鹿乃
恋愛
第二王子のアンドリュー・メルト殿下の婚約者であるリーン・ネルコム侯爵令嬢は、3年間の期間を己に課して努力した。 しかし、アンドリュー殿下の浮気性は直らない。これは、もうだめだ。結婚してもお互い幸せになれない。 婚約破棄を申し入れたところ、「やっとか」という言葉と共にアンドリュー殿下はニヤリと笑った。私からの婚約破棄の申し入れを待っていたらしい。そうすれば、申し入れた方が慰謝料を支払わなければならないからだ。 この先の人生をこの男に捧げるくらいなら安いものだと思ったが、果たしてそれは、周囲が許すはずもなく……? 調子に乗りすぎた婚約者は、どうやら私の周囲には嫌われていたようです。皆さまお手柔らかにお願いします……ね……? ※幾つか同じ感想を頂いていますが、リーンは『話を聞いてすら貰えないので』努力したのであって、リーンが無理に進言をして彼女に手をあげたら(リーンは自分に自信はなくとも実家に力があるのを知っているので)アンドリュー殿下が一発で廃嫡ルートとなります。リーンはそれは避けるべきだと向き合う為に3年間頑張っています。リーンなりの忠誠心ですので、その点ご理解の程よろしくお願いします。 ※HOT1位ありがとうございます!(01/10 21:00) ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも別名義で掲載予定です。

【完結】側妃は愛されるのをやめました

なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」  私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。  なのに……彼は。 「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」  私のため。  そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。    このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?  否。  そのような恥を晒す気は無い。 「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」  側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。  今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。 「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」  これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。  華々しく、私の人生を謳歌しよう。  全ては、廃妃となるために。    ◇◇◇  設定はゆるめです。  読んでくださると嬉しいです!

処理中です...