11 / 35
11
しおりを挟む
無茶をさせてしまったため、馬はまだ走れそうになく。アンガスは馬には乗らず、手綱を引きながら隣の領地に向かった。
それほど距離は離れていなかったが、なにせ徒歩なので、エンリケ子爵の屋敷に着いたのは、深夜に近い時刻だった。
玄関のドアノッカーを叩くと、しばらくしてから「どなたでしょう」と、耳に馴染んだ声色が聞こえてきた。
「……アンガス、です」
数秒の間のあと、がちゃりと鍵音がし、玄関扉が開かれた。燭台を持って立っていたのは、エンリケ子爵家に仕える執事だった。
「こんな時間にすまない……その、とりあえず喉がカラカラで。水を一杯もらってもいいかな。あと、馬にも飲ませてあげたくて」
「……かしこまりました。とりあえず、中にどうぞ」
答えに心から安堵し、ありがとうと礼を述べ、中に入る。応接室に通され、出された水を一気に飲み干すと、アンガスは空になったコップを両手で握った。
「優しさが染みるよ。やっぱりこんなときに頼れるのは、家族だけだね」
「──ほお。お前にとってエミリアは、家族ではなかったということか」
執事の後ろから響いた怒気を含んだ声に、アンガスは飛び上がるように椅子から立ち上がった。
「ち、父上……?」
蝋燭の灯りに照らされたエンリケ子爵の目は、怒りに吊り上がっていた。
まさか。ごくりと息をのむアンガスに、エンリケ子爵は一通の手紙を顔の横に上げた。
「誰からの手紙かわかるか」
「…………。エミリアから、ですか」
「そうだ」
「……父上は、その内容を信じたのですか?」
アンガスは真っ直ぐに、エンリケ子爵を見据えた。
「エミリアが嘘をついていないと、エミリアは悪くないと、どうして言い切れるのですか? どうして息子であるぼくの話を聞こうと思わないのですか?」
「……聞いて、お前は私にどうしてほしいんだ」
「なにも望んでいません。ただ、父上たちがぼくの味方であってくだされば、それでいいのです。それだけでぼくは、頑張れる」
「……なるほどな。お前の味方はもう、誰もいないのか。お前が所属する騎士団の仲間にもか?」
動揺するアンガスに、エンリケ子爵は絶望したように片手で顔を覆った。
「……どちらにせよ、成人したお前に私がしてやれることはもうない。帰れ」
「か、帰れって……もう深夜で、外は真っ暗なんですよ? 一晩泊めてくれてもっ」
「村には居酒屋があるだろう。あそこは宿泊所も兼ねているし、そこに行けばいい」
「あ、あんまりですっ」
「……エミリアのこと、本当の娘のように思っていたよ。でも、縁が切れてしまった。残念だ」
「……っ。じゃ、じゃあせめて、お金を貸してください。なにも考えずに飛び出してきてしまって、持ち合わせがっ」
ばたん。
応接室の扉が無情に閉じられ、エンリケ子爵の姿が見えなくなった。アンガスは絶句しながら、控えていた執事に、縋るように顔を向けた。
「申し訳ありません。旦那様がああおっしゃられた以上、私にはどうすることも……」
「わ、わかった。お金はいいよ。でも、せめてなにか食べる物をわけてくれないかな」
腹の音は聞こえているはずなのに、執事はもう一度「申し訳ありません」と、腰を折るだけだった。
まだ幸いだったのは、馬には餌と水を与えてくれていたようで、少し元気を取り戻していることだった。
それでも深夜の移動は危険を伴うし、腹も限界だったアンガスは、村で唯一の居酒屋へと向かった。食べ物と酒の匂いが入り交じる騒がしい店内に入ると、店で一番若そうな女性店員に声をかけた。
「こんばんは」
「! いらっしゃいませ。すみません、気付かなくて」
「いいんだ。それより、あの、ぼくのこと知ってる?」
キョトンとする女性店員に、アンガスは「ぼくの名はアンガス・エンリケ。この村の、領主の息子だよ」と、笑った。
女性店員が、ぱっと顔を輝かせる。
「えー、そうなんですね。知らなかったです!」
「うん。それでね、えっと。少し恥ずかしいんだけど」
「はい、なんでしょう」
「訳あって、持ち合わせがなくて……でもお腹がとても空いていて。後日お礼するから、なにか食べさせてくれると嬉しいんだけど」
え。とたんに、にこやかだった女性店員から笑みが消えた。
それほど距離は離れていなかったが、なにせ徒歩なので、エンリケ子爵の屋敷に着いたのは、深夜に近い時刻だった。
玄関のドアノッカーを叩くと、しばらくしてから「どなたでしょう」と、耳に馴染んだ声色が聞こえてきた。
「……アンガス、です」
数秒の間のあと、がちゃりと鍵音がし、玄関扉が開かれた。燭台を持って立っていたのは、エンリケ子爵家に仕える執事だった。
「こんな時間にすまない……その、とりあえず喉がカラカラで。水を一杯もらってもいいかな。あと、馬にも飲ませてあげたくて」
「……かしこまりました。とりあえず、中にどうぞ」
答えに心から安堵し、ありがとうと礼を述べ、中に入る。応接室に通され、出された水を一気に飲み干すと、アンガスは空になったコップを両手で握った。
「優しさが染みるよ。やっぱりこんなときに頼れるのは、家族だけだね」
「──ほお。お前にとってエミリアは、家族ではなかったということか」
執事の後ろから響いた怒気を含んだ声に、アンガスは飛び上がるように椅子から立ち上がった。
「ち、父上……?」
蝋燭の灯りに照らされたエンリケ子爵の目は、怒りに吊り上がっていた。
まさか。ごくりと息をのむアンガスに、エンリケ子爵は一通の手紙を顔の横に上げた。
「誰からの手紙かわかるか」
「…………。エミリアから、ですか」
「そうだ」
「……父上は、その内容を信じたのですか?」
アンガスは真っ直ぐに、エンリケ子爵を見据えた。
「エミリアが嘘をついていないと、エミリアは悪くないと、どうして言い切れるのですか? どうして息子であるぼくの話を聞こうと思わないのですか?」
「……聞いて、お前は私にどうしてほしいんだ」
「なにも望んでいません。ただ、父上たちがぼくの味方であってくだされば、それでいいのです。それだけでぼくは、頑張れる」
「……なるほどな。お前の味方はもう、誰もいないのか。お前が所属する騎士団の仲間にもか?」
動揺するアンガスに、エンリケ子爵は絶望したように片手で顔を覆った。
「……どちらにせよ、成人したお前に私がしてやれることはもうない。帰れ」
「か、帰れって……もう深夜で、外は真っ暗なんですよ? 一晩泊めてくれてもっ」
「村には居酒屋があるだろう。あそこは宿泊所も兼ねているし、そこに行けばいい」
「あ、あんまりですっ」
「……エミリアのこと、本当の娘のように思っていたよ。でも、縁が切れてしまった。残念だ」
「……っ。じゃ、じゃあせめて、お金を貸してください。なにも考えずに飛び出してきてしまって、持ち合わせがっ」
ばたん。
応接室の扉が無情に閉じられ、エンリケ子爵の姿が見えなくなった。アンガスは絶句しながら、控えていた執事に、縋るように顔を向けた。
「申し訳ありません。旦那様がああおっしゃられた以上、私にはどうすることも……」
「わ、わかった。お金はいいよ。でも、せめてなにか食べる物をわけてくれないかな」
腹の音は聞こえているはずなのに、執事はもう一度「申し訳ありません」と、腰を折るだけだった。
まだ幸いだったのは、馬には餌と水を与えてくれていたようで、少し元気を取り戻していることだった。
それでも深夜の移動は危険を伴うし、腹も限界だったアンガスは、村で唯一の居酒屋へと向かった。食べ物と酒の匂いが入り交じる騒がしい店内に入ると、店で一番若そうな女性店員に声をかけた。
「こんばんは」
「! いらっしゃいませ。すみません、気付かなくて」
「いいんだ。それより、あの、ぼくのこと知ってる?」
キョトンとする女性店員に、アンガスは「ぼくの名はアンガス・エンリケ。この村の、領主の息子だよ」と、笑った。
女性店員が、ぱっと顔を輝かせる。
「えー、そうなんですね。知らなかったです!」
「うん。それでね、えっと。少し恥ずかしいんだけど」
「はい、なんでしょう」
「訳あって、持ち合わせがなくて……でもお腹がとても空いていて。後日お礼するから、なにか食べさせてくれると嬉しいんだけど」
え。とたんに、にこやかだった女性店員から笑みが消えた。
1,075
お気に入りに追加
1,916
あなたにおすすめの小説
うーん、別に……
柑橘 橙
恋愛
「婚約者はお忙しいのですね、今日もお一人ですか?」
と、言われても。
「忙しい」「後にしてくれ」って言うのは、むこうなんだけど……
あれ?婚約者、要る?
とりあえず、長編にしてみました。
結末にもやっとされたら、申し訳ありません。
お読みくださっている皆様、ありがとうございます。
誤字を訂正しました。
現在、番外編を掲載しています。
仲良くとのメッセージが多かったので、まずはこのようにしてみました。
後々第二王子が苦労する話も書いてみたいと思います。
☆☆辺境合宿編をはじめました。
ゆっくりゆっくり更新になると思いますが、お読みくださると、嬉しいです。
辺境合宿編は、王子視点が増える予定です。イラっとされたら、申し訳ありません。
☆☆☆誤字脱字をおしえてくださる方、ありがとうございます!
☆☆☆☆感想をくださってありがとうございます。公開したくない感想は、承認不要とお書きください。
よろしくお願いいたします。
【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい
高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。
だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。
クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。
ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。
【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】
そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。
しげむろ ゆうき
恋愛
男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない
そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった
全五話
※ホラー無し
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
「わかれよう」そうおっしゃったのはあなたの方だったのに。
友坂 悠
恋愛
侯爵夫人のマリエルは、夫のジュリウスから一年後の離縁を提案される。
あと一年白い結婚を続ければ、世間体を気にせず離婚できるから、と。
ジュリウスにとっては亡き父が進めた政略結婚、侯爵位を継いだ今、それを解消したいと思っていたのだった。
「君にだってきっと本当に好きな人が現れるさ。私は元々こうした政略婚は嫌いだったんだ。父に逆らうことができず君を娶ってしまったことは本当に後悔している。だからさ、一年後には離婚をして、第二の人生をちゃんと歩んでいくべきだと思うんだよ。お互いにね」
「わかりました……」
「私は君を解放してあげたいんだ。君が幸せになるために」
そうおっしゃるジュリウスに、逆らうこともできず受け入れるマリエルだったけれど……。
勘違い、すれ違いな夫婦の恋。
前半はヒロイン、中盤はヒーロー視点でお贈りします。
四万字ほどの中編。お楽しみいただけたらうれしいです。
もう、愛はいりませんから
さくたろう
恋愛
ローザリア王国公爵令嬢ルクレティア・フォルセティに、ある日突然、未来の記憶が蘇った。
王子リーヴァイの愛する人を殺害しようとした罪により投獄され、兄に差し出された毒を煽り死んだ記憶だ。それが未来の出来事だと確信したルクレティアは、そんな未来に怯えるが、その記憶のおかしさに気がつき、謎を探ることにする。そうしてやがて、ある人のひたむきな愛を知ることになる。
もっと傲慢でいてください、殿下。──わたしのために。
ふまさ
恋愛
「クラリス。すまないが、今日も仕事を頼まれてくれないか?」
王立学園に入学して十ヶ月が経った放課後。生徒会室に向かう途中の廊下で、この国の王子であるイライジャが、並んで歩く婚約者のクラリスに言った。クラリスが、ですが、と困ったように呟く。
「やはり、生徒会長であるイライジャ殿下に与えられた仕事ですので、ご自分でなされたほうが、殿下のためにもよろしいのではないでしょうか……?」
「そうしたいのはやまやまだが、側妃候補のご令嬢たちと、お茶をする約束をしてしまったんだ。ぼくが王となったときのためにも、愛想はよくしていた方がいいだろう?」
「……それはそうかもしれませんが」
「クラリス。まだぐだぐだ言うようなら──わかっているよね?」
イライジャは足を止め、クラリスに一歩、近付いた。
「王子であるぼくの命に逆らうのなら、きみとの婚約は、破棄させてもらうよ?」
こう言えば、イライジャを愛しているクラリスが、どんな頼み事も断れないとわかったうえでの脅しだった。現に、クラリスは焦ったように顔をあげた。
「そ、それは嫌です!」
「うん。なら、お願いするね。大丈夫。ぼくが一番に愛しているのは、きみだから。それだけは信じて」
イライジャが抱き締めると、クラリスは、はい、と嬉しそうに笑った。
──ああ。何て扱いやすく、便利な婚約者なのだろう。
イライジャはそっと、口角をあげた。
だが。
そんなイライジャの学園生活は、それから僅か二ヶ月後に、幕を閉じることになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる