理想の妻とやらと結婚できるといいですね。

ふまさ

文字の大きさ
上 下
10 / 35

10

しおりを挟む
「……ぼくはまだ十九歳だ! 伸びしろは団長よりある!!」

 裏返った声で叫び、アンガスは団長の屋敷から逃げ出した。呼び止める者も、追いかけてくる者も、一人もいない。それがなぜか無性に悔しくて、アンガスは走りながら涙を滲ませた。

(劣ってなんかない……ぼくは団長より、劣ってなんかないんだ。なんでみんな、平気であんな酷いこと……っ)

 向かったのは、この街をおさめる領主の屋敷の敷地内にある、騎士たちが乗る愛馬がいる馬小屋だ。アンガスはすぐに人が乗れる状態の馬に飛び乗ると、馬番や門番の者たちの制止を振り切り、馬を走らせた。

「くそっ……くそくそっ」

 行き先は、エミリアの実家だ。行く当てもない、金もないエミリアは、絶対にそこにいる。実家に頼るつもりも戻るつもりもないと偉そうにほざいていたが、アンガスは確信していた。

 女々しく、団長とシンディーにすべてをあけすけに愚痴りまくった女の言うことなど、誰が信じてやるものか。

「……全部、全部、あいつのせいだ!」

 叫び、街を飛び出す。土下座して謝罪させてやると息巻き、アンガスはろくな休憩もせず、ただその決意から、ひたすらに馬を走らせ続けた。

 街からエミリアの実家は、そう離れてはいなかったため、日が暮れる前に、アンガスはエミリアの実家──ブルーノ子爵の屋敷に辿り着くことができた。






「──え?」

「ですから。エミリアお嬢様は、お戻りになってはおりませんよ」

 昔から顔馴染みの、ブルーノ子爵に仕えている執事が、眉一つ動かさずにそう告げた。いつも笑顔で出迎えてくれていた相手だっただけに、無表情の執事の対応に焦り、アンガスが少し、気後れしてしまう。年長者の圧力、というものだろうか。

「そ、そんなはずはない」

 負けじと反撃するが、執事が「事実です」と、さらっと返す。

「なら、屋敷内を探させてくれ!」

 アンガスは敷地内にすら入れてもらえず、いまは、執事と鉄格子の門扉越しに話をしている状態だった。

 ここまで無茶をしてきたから、喉はカラカラ。朝からなにも口にしていなかったお腹は、うるさいぐらいに音を立てていた。

 中に入れば、茶や菓子が出てくる。それも相まって、アンガスの形相は怖いほどに必死だった。だが、執事は欠片も動じない。

「それはできません。エミリアお嬢様とあなたは離縁なさったのでしょう? なら、あなたはもう、他人じゃないですか。他人を勝手に敷地内に入れたとなれば、私が叱られてしまいます」

「…………っ」

 団長やシンディーだけでなく、エミリアはブルーノ子爵にすら、もう離縁のことを伝えていた。そのことを知ったアンガスは、怒りとショックで頭がどうにかなりそうだった。

(……離縁してからまだ二日しか経っていないのにっ)

 なにもできないお嬢様だと見下していた相手の根回しが想像より早くて、アンガスは頭を掻きむしった。

(あの女……あの女……あの女ぁ!!)

 いや、落ち着け。アンガスが必死に、自身を落ち着かせようとする。団長とシンディーのときとは違うのだ。なにも証拠がないのだから、話せばきっと、わかってもらえる。

「……離縁の理由は、なんと?」

 深呼吸してから、アンガスが低く問いかけると、執事は「簡潔にお伝えいたしますと」と、機械のように、感情のない声で口火を切った。

「アンガス様に理想の妻──美人で全身のケアが行き届いている女性ができ、アンガス様はその方と結婚したいそうなので、離縁することに決めたと」

 ──あいつ!

 アンガスは血がでるほど強く、唇を噛み締めた。

「すべてでたらめだ! ぼくはそんなこと、一言も言ってない! どうしてそんな嘘、信じたんだ!!」

「──ちなみに。あなた様に理想の妻とやらができてからエミリアお嬢様にどんな言葉を浴びせてきたのかも、きっちり手紙には記されていましたことを、お伝えしておきます」

 ひやりとした双眸に、アンガスが息を詰まらせる。でも、ここで負けるわけにはいかないのだ。

「違う! ぼくは、エミリアに少しでも魅力的になるように努力してほしかっただけだ! 家事も、手を抜いていたから注意しただけで……っっ」

 喚くアンガスの視線の先にある屋敷の扉が開いた。そこから出てきた人物がこちらに向かってつかつかと歩いてくるのが見え、アンガスは執事から、勢いよくそちらに視線を移した。

「ブルーノ子爵! 良かった。この執事がどうしても中に入れてくれなくて……大切なお話があるのですが、その前に、水を一杯だけいただけませんか? 喉がカラカラで」

 険しい表情のブルーノ子爵が、執事に目配せをする。執事は頷くと、あっさり門扉を開けた。

「流石はブルーノ子爵。やはり貴族はちが──」

 ゴッ!!

(…………え?)

 鈍い音があたりに響き、気付けばアンガスは地面に倒れていた。一呼吸遅れて、痛みが左頬に集中していく。ブルーノ子爵のこぶしに、あれで殴られたのだとなぜか冷静に分析することができた。

「なんとうるさい小蝿よ。エミリアはここにはおらん。わかったらとっとと失せろ。もしまたその顔を私の前に見せたら、次はこの程度ではすまさんぞ」

 仁王立ちするブルーノ子爵を、地面に頬をつけたアンガスは目だけで見上げていたが、くるりと踵を返し、屋敷に足を向けたブルーノ子爵に焦り、無理やり上体を起こした。

「……かはっ。ま、待ってくだ……な、なら、エミリアは……ど、どこに……あいつが一人で生きていくことなんて……で、できないはず」

 血の味が広がり、口の中と外が痛んでうまく話せないアンガスがそれでも言葉を紡ぐと、ブルーノ子爵はゆらりと、アンガスを振り返った。

「屑が。だからどんな扱いをしようとエミリアがお前から離れるわけがないと、そう高をくくっていたのか?」

「……ご、誤解です。エミリアからなにを吹き込まれたのかは知りませんが、すべては事実無根です。だって、なにも証拠なんてないですよね……? ブルーノ子爵は、エミリアの手紙に記されたものが事実だと、なぜわかるのです?」

「──私の娘が、嘘をついたと?」

 貴族特有の圧を感じ、アンガスがたらっと汗を流す。それでもアンガスは食い下がる。

「……む、娘だからとなにもかも鵜呑みにするのは、いかがなものかと」

 ブルーノ子爵は僅かに沈黙した後、アンガスに向き直った。

「──幸せにすると、誓ったな」

 言葉に、アンガスの身体がびくんと跳ねた。

「必ず、エミリアを幸せにすると。だから私は、貴様との結婚を許した。苦労は承知。アンガスと一緒にいられるならそれだけで幸せだと笑っていたエミリアが、お前と離縁することをみずから選んだ。私には、それがすべてだ」

「…………あ」

 そうだ。団長とシンディーとは違う。

 ブルーノ子爵は、エミリアの親なのだ。結びつきは、アンガスとは比べものにならない。そんな当たり前なことに気付き、アンガスはようやく、諦めたように項垂れた。

 ブルーノ子爵は背を向け「あやつはきちんと、一人で生きていく道を見つけたようだ──私に頼ってきても、よかったのに」と呟いてから、今度こそ振り返ることなく、去って行った。

「……え……?」

 ぽかんとするアンガスの前で、門扉が音を立てて閉められた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「奇遇ですね。私の婚約者と同じ名前だ」

ねむたん
恋愛
侯爵家の令嬢リリエット・クラウゼヴィッツは、伯爵家の嫡男クラウディオ・ヴェステンベルクと婚約する。しかし、クラウディオは婚約に反発し、彼女に冷淡な態度を取り続ける。 学園に入学しても、彼は周囲とはそつなく交流しながら、リリエットにだけは冷たいままだった。そんな折、クラウディオの妹セシルの誘いで茶会に参加し、そこで新たな交流を楽しむ。そして、ある子爵子息が立ち上げた商会の服をまとい、いつもとは違う姿で社交界に出席することになる。 その夜会でクラウディオは彼女を別人と勘違いし、初めて優しく接する。

婚約破棄を、あなたのために

月山 歩
恋愛
私はあなたが好きだけど、あなたは彼女が好きなのね。だから、婚約破棄してあげる。そうして、別れたはずが、彼は騎士となり、領主になると、褒章は私を妻にと望んだ。どうして私?彼女のことはもういいの?それともこれは、あなたの人生を台無しにした私への復讐なの?

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい

高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。 だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。 クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。 ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。 【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】

「きみ」を愛する王太子殿下、婚約者のわたくしは邪魔者として潔く退場しますわ

茉丗 薫(活動休止中)
恋愛
わたくしの愛おしい婚約者には、一つだけ欠点があるのです。 どうやら彼、『きみ』が大好きすぎるそうですの。 わたくしとのデートでも、そのことばかり話すのですわ。 美辞麗句を並べ立てて。 もしや、卵の黄身のことでして? そう存じ上げておりましたけど……どうやら、違うようですわね。 わたくしの愛は、永遠に報われないのですわ。 それならば、いっそ――愛し合うお二人を結びつけて差し上げましょう。 そして、わたくしはどこかでひっそりと暮らそうかと存じますわ。  ※作者より※ 受験や高校入学の準備で忙しくなりそうなので、先に予告しておきます。 前触れなしに更新停止する場合がございます。 その場合、いずれ(おそらく四月中には)更新再開いたしますので、よろしくお願いします。 ※この作品はフィクションです。

君のためだと言われても、少しも嬉しくありません

みみぢあん
恋愛
子爵家の令嬢マリオンの婚約者、アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は……    暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた

菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…? ※他サイトでも掲載中しております。

婚約破棄された公爵令嬢は本当はその王国にとってなくてはならない存在でしたけど、もう遅いです

神崎 ルナ
恋愛
ロザンナ・ブリオッシュ公爵令嬢は美形揃いの公爵家の中でも比較的地味な部類に入る。茶色の髪にこげ茶の瞳はおとなしめな外見に拍車をかけて見えた。そのせいか、婚約者のこのトレント王国の王太子クルクスル殿下には最初から塩対応されていた。 そんな折り、王太子に近付く女性がいるという。 アリサ・タンザイト子爵令嬢は、貴族令嬢とは思えないほどその親しみやすさで王太子の心を捕らえてしまったようなのだ。 仲がよさげな二人の様子を見たロザンナは少しばかり不安を感じたが。 (まさか、ね) だが、その不安は的中し、ロザンナは王太子に婚約破棄を告げられてしまう。 ――実は、婚約破棄され追放された地味な令嬢はとても重要な役目をになっていたのに。 (※誤字報告ありがとうございます)

処理中です...