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「……あの居酒屋に、居たんですか? そんな……ぼくがシンディーさんに気付かないはず」

 アンガスの呟きに、団長が不快そうに眉を寄せた。

「この話を聞いて、真っ先に出た台詞がそれか。心底呆れる」

「……あ、えと」

「あの居酒屋は人気があって、いつも満席だ。でも、あの日はスムーズに中に入れたろう? それを少しも不思議に思わなかったのか?」
 
 団長の問いに、アンガスは首を捻った。

「たまたま……ではなかったということですか?」

「そうだ。あそこは、金を出せば席を予約できる。エミリア・ブルーノはあらかじめ、二席分を予約してくれていた。お前が座った真後ろの席に、私の──信頼する使用人二人が待機していた。だからまあ、シンディーはあの場にはいなかったんだよ。これで納得したか?」

「ま、待ってください。あいつがそんな余分なお金、持ってるはずありません。もしかして団長が、そのお金を出したんですか?」

 シンディーが「主人はなにもしておりませんよ」と、口調を強めた。

「もちろん、わたくしも。でも、その口ぶりですと、あなたの給金には手をつけていないということなのですね。エミリアさんは、なんとお強い方なのでしょう。それに比べてあなたは──余分なお金を持ってるはずがない、などと。どうせ、エミリアさんが給金を持っていったと疑ったのでしょうけど。どう考えても、エミリアさんにその権利はありますよね? 財産分与って、ご存知?」

 圧に、アンガスが後退る。ちなみにと、団長は傍に控えていた使用人から紙の束を受け取り、みなに見せるように頭の高さまで軽く掲げてみせた。

「これがそのとき交わされた会話の記録だ」

 アンガスは目を見開いた。団長が持つ紙の束をじっと見詰める。背中に冷たい汗が流れる中、居酒屋で交わしたエミリアとの会話を必死に思い出していた。

(……い、いや……あのとき、そんな酷いことを言った覚えは)

「使用人はできうる限り正確に、文字におこしてくれた。これを読んで、確信したよ。エミリア・ブルーノが信じるに値する人で、強く、とても優しい人だということもな。そしてお前の本性も、知ることができた」

 どくん。どくん。
 心臓が早鐘を打ちはじめ、アンガスは必死に思考を動かす。早く。早く。なにかうまい言い訳を考えなければ。

「ま、待ってください。そ、そもそもどうして、あんな奴の頼みなんて引き受けたのですか? 使用人まで動かして……と、特に親しかったというわけじゃないですよね?」

 アンガスがやけになったように、団長ではなく、シンディーに詰め寄る。言い訳にもなにもなっていないことは、アンガスも理解していた。でも、黙っている度胸もなかった。団長ではなくシンディーに近寄ったのは、無意識の行動だった。けれどシンディーは、アンガスが距離を詰めた分だけ、嫌悪感を隠そうともせず、その場から下がった。

「…………あ」

 そんな場合ではないのに、シンディーに避けられたような気がして、アンガスの心はずきりと痛んだ。

 その様子に、団長はシンディーを背に隠すように前に出た。

「……なるほど。確かに、エミリア・ブルーノの危惧は、当たっていたかも知れないな」

「危惧? 危惧ってなんですか? シンディーさん。どうしてそんな目でぼくを見るんですか?」

 シンディーは団長の服の裾を軽く握ると、真っ直ぐにアンガスを見据えた。

「エミリアさんは、わたくしのために、わたくしたちを必死に説得してくれました。あなたのわたくしへの執着は異常だから。わたしと離縁したらどんな行動を起こすかわからない。それを信じてもらうためにもどうか、と」

「そう。はじめは、お前がシンディーを愛しているなど。ましてそれを妻であるエミリア・ブルーノに告げていたなどと、信じられなかった。お前の人柄は、あまりにもよすぎたからな。でも、あまりにも真剣な目に、私たちは心を動かされた。もし仮に彼女に騙されていたところで、居酒屋で使用人が待ちぼうけをくらうだけにすぎないしな。まあ、使用人に迷惑をかけることになっていたかもしれないが。本人たちが、シンディーのためならと、了承してくれたんだ。そこからは、彼女の願いを聞くことに、なんら迷いはなかったよ」

 アンガスは「……はあ?」と、左の口角だけを上げた。

 ──ぼくのシンディーさんへの愛が、異常な執着だと?

 残念ながら団長の言葉は右から左に流れて認識すらしておらず、シンディーの言葉だけが強く、アンガスの耳に残っていた。

 ぷつんとなにかが切れたアンガスは「それは違います!」と、真剣な顔で叫びはじめた。アンガスにとってエミリアが伝えた内容は、心外以外のなにものでもなかった。

「ぼくはシンディーさんを、本気で愛しています。それを異常だなんて……あいつ、あいつはなんて最低な奴なんだ!!」

 しん。
 水を打ったように静まり返った庭で、先輩の騎士の一人が「……お前、正気か?」とぽつりと呟いた。なにが、とアンガスはその騎士を睨みつけた。

「シンディーさんが団長の奥様だからですか? だから愛してはいけないと? みんなだって本当は、自分の妻よりシンディーさんの方に惹かれているはずだ。ただ、世間体があるから黙っているだけで、シンディーさんを愛しているのはぼくだけじゃない。ぼくはそれを、素直に口に出しただけだ。それのなにがそんなにいけない? そんなに責められることか?!」

 まわりを見渡し、騎士団の仲間に同意を得ようとするアンガスだったが──誰一人として頷かず、先ほどのシンディーと同じ、汚物を見るような目で、みながこちらを見ていた。

「…………っ」

 なんで。どうして。
 ぼくは間違っていないのに、どうして誰も賛同してくれないんだ。

 叫びたいが、悔しくて声が出ない。

「……あの。ぼくたち、なにもついていけてないんだけど。お前たち夫婦は円満だと思っていたし、お前も奧さんのこと大切に想っているって、よく口に出していたじゃないか。それなのに、離縁って……それだけでもわけわかんないのに。お前がシンディーさんになにするかわからないって、奧さんがわざわざ団長の屋敷まで警告しにいくって、どういう状況? お前、なにしたの?」

「……アンガス。シンディーさんは団長の奥様なんだぞ。そんな人を堂々と愛してるって……というか、それが奧さんにばれてるって、どういうことだよ。まさか自分の奧さんに、他の女性を愛してるって公言していたわけじゃない、よな……?」

 震える声で、信じられないという双眸を向けてくる同期たちに、アンガスはようやく──本心がどうであれ、失言だったと自覚したのか、悔しそうにぐっと押し黙った。

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