上 下
1 / 22

1

しおりを挟む
「女性の中で一番愛しているのはきみだけど、すべての人間の中で一番好きなのは、アデラかな」

 婚約者のネイトは何の悪びれもなく、そう言って笑った。


「……またですか」

 王都にある洒落たカフェ。二杯目の紅茶を飲みほしたエリンは、呆れたようにため息をついた。正面に座るリックが、申し訳なさそうに謝罪する。

「すみません」

「あなたが謝ることではないですよ」

「いえ。兄のしでかしたことなので」

 真顔なリックに、エリンは苦笑した。一つしか違わないこの少年は、とても真面目だ。

「あなたも大変ですね。それで。今日はどれぐらいの遅刻ですみそうですか? それともデートじたい、キャンセルでしょうか」

「何とも言えません。昨日具合が悪そうだったから、少し様子を見てくる、だそうなので。僕が行くと言ったのですが、まあ、聞き入れてくれるわけもなく」

 でしょうね。エリンは慣れたように頷いてみせた。

「なるほど。本当にアデラの具合が悪かった場合、キャンセルになりそうですね」

 う。リックは言葉を一瞬詰まらせたものの、すぐに、はい、と答えた。

「おそらくは……すでに十分の遅刻ではありますが」

「何も用がない場合、ネイトはたいてい、わたしより早く待ち合わせ場所にきていますから。まあ、遅刻は予想していましたよ」

「……そうですか」

「はい。ところでリック。このあと、ご予定は?」

 リックは心得たように「ありません。なので、よければ気がすむまで付き合いますよ」と答えた。

「そうですか。では、あと二十分だけ付き合っていただけますか?」

「それであなたも帰るのですか?」

「わたしは……まあ、あと少しだけ待とうかと」

 リックは心底不思議そうに、はあ、と声をもらした。普段あまり表情が動かない彼にしては珍しいことだ。

「これを惚れた弱み、と言うのでしょうか」

 ふふ。
 エリンはそう言って、小さく笑った。



 エリンの婚約者であるネイトは、いつもにこやか。かっこよくもあり、可愛さもあわせ持つ、天性の人当たりの良さとでも言おうか。男女関係なく寄ってくる。そんな男だった。

 そのうえ侯爵令息であり、長男でもあるのだから、学園に入学してからというもの、女子生徒に言い寄られることは多々あった。そんな彼の傍には、子爵令嬢であるアデラの姿が常にあった。

 自信なさげに、常にうつ向いているアデラ。お世辞にも見た目がいいとは言えない彼女の、学園で唯一の友達と呼べる相手は、幼馴染みであるネイトだけ。

 けれど、彼女に構うのも、話しかけるのも、常にネイトだった。むろん、二人の仲を疑う者はいたが、ネイトはいつも「彼女は大事な幼馴染みだよ」と答えていた。

 実際、学園入学からひと月もしないうちに、ネイトは告白してきた伯爵令嬢と付き合いをはじめた。アデラの様子も特に変わりなく、本当に幼馴染みの関係だったのだとまわりは思った。──ただ、アデラに構う頻度は変わらなかったけれど。

 それから少し経って、ネイトは伯爵令嬢と別れた。まもなく、別の令嬢と付き合うことになるが、ひと月もしない内にまた別れてしまった。

 まわりの女子生徒たちがネイトの元恋人に訊ねる。どうして別れたの、と。だが二人とも、たいした理由ではないと曖昧に答えるだけ。

 あんなに素敵な方なのに。どうして。

 女子生徒たちが首を傾げる。エリンもその一人だった。そんなときだったろうか。ネイトから声をかけられたのは。

「あなたは公爵令嬢という立場でありながら、傲りもなく、とても優しいお方なのですね」

 上っ面の言葉ではなく、心からの言葉だと思った。笑顔がキラキラとしていて、胸が高鳴った。

 どうしてそんなことを突然言ってきたのかは、よくわからない。校舎内の曲がり角でネイトとぶつかり、エリンが「すみません」と謝罪しながらネイトが落とした教科書を拾い、手渡そうとしたときに、何故かそう言ってきたのだ。

 公爵令嬢であるエリンに言い寄る男は、あきらかに地位が目当ての者ばかり。だからこそ、それ目当てに話しかける者は、直感でわかってしまうようになってしまっていた。

 エリンがネイトに惹かれたのは、そんな理由からだろう。それから少しずつ話すようになって、あるとき、ネイトから告白された。

 少しだけ迷った。それは、過去に付き合った女性との、別れた理由。その場で訊ねれば、答えてくれたかもしれない。でも、そこで気分を害し、告白をなかったことにされるのが怖くて、聞けなかった。


 それほどまでには、ネイトを好いていたから。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします

天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。 側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。 それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

婚約者は幼馴染みを選ぶようです。

香取鞠里
恋愛
婚約者のハクトには過去に怪我を負わせたことで体が不自由になってしまった幼馴染がいる。 結婚式が近づいたある日、ハクトはエリーに土下座して婚約破棄を申し出た。 ショックではあったが、ハクトの事情を聞いて婚約破棄を受け入れるエリー。 空元気で過ごす中、エリーはハクトの弟のジャックと出会う。 ジャックは遊び人として有名だったが、ハクトのことで親身に話を聞いて慰めてくれる。 ジャックと良い雰囲気になってきたところで、幼馴染みに騙されていたとハクトにエリーは復縁を迫られるが……。

婚約者と義妹に裏切られたので、ざまぁして逃げてみた

せいめ
恋愛
 伯爵令嬢のフローラは、夜会で婚約者のレイモンドと義妹のリリアンが抱き合う姿を見てしまった。  大好きだったレイモンドの裏切りを知りショックを受けるフローラ。  三ヶ月後には結婚式なのに、このままあの方と結婚していいの?  深く傷付いたフローラは散々悩んだ挙句、その場に偶然居合わせた公爵令息や親友の力を借り、ざまぁして逃げ出すことにしたのであった。  ご都合主義です。  誤字脱字、申し訳ありません。

婚約者に初恋の従姉妹といつも比べられて来ましたが、そんなに彼女が良いならどうぞ彼女とお幸せに。

天歌
恋愛
「シャティならもっと気の利いたことを言ったのに」 「お前といると本当に退屈だ。シャティといればいつでも心躍るのに」 「シャティの髪は綺麗な金色で花も霞んでしまう程なのに、お前の髪は本当に地味だな」 「シャティは本当に優しくて美しいんだ。それに比べてお前は氷のように冷たいな!」 私の婚約者であるエルカルト・ルーツベットは、毎度毎度顔を合わせる度に私をこのように彼の初恋の相手である彼の従姉妹のシャティ様と比べては私を卑下するような事ばかり言う。 家の為の結婚とは言え、毎度このように言われては我慢の限界を迎えつつあったある日。 「あーあ。私は本当はシャティと結婚したかったのに!お前のせいで思い合う二人が引き裂かれた!!悪魔のようなやつめ!!」 そこまで言うならばお好きにどうぞ? ただし…どうなっても知りませんよ…?

大好きな恋人が、いつも幼馴染を優先します

山科ひさき
恋愛
騎士のロバートに一目惚れをしたオリビアは、積極的なアプローチを繰り返して恋人の座を勝ち取ることに成功した。しかし、彼はいつもオリビアよりも幼馴染を優先し、二人きりのデートもままならない。そんなある日、彼からの提案でオリビアの誕生日にデートをすることになり、心を浮き立たせるが……。

あなたの仰ってる事は全くわかりません

しげむろ ゆうき
恋愛
 ある日、婚約者と友人が抱擁してキスをしていた。  しかも、私の父親の仕事場から見えるところでだ。  だから、あっという間に婚約解消になったが、婚約者はなぜか私がまだ婚約者を好きだと思い込んでいるらしく迫ってくる……。 全三話

聞き分けよくしていたら婚約者が妹にばかり構うので、困らせてみることにした

今川幸乃
恋愛
カレン・ブライスとクライン・ガスターはどちらも公爵家の生まれで政略結婚のために婚約したが、お互い愛し合っていた……はずだった。 二人は貴族が通う学園の同級生で、クラスメイトたちにもその仲の良さは知られていた。 しかし、昨年クラインの妹、レイラが貴族が学園に入学してから状況が変わった。 元々人のいいところがあるクラインは、甘えがちな妹にばかり構う。 そのたびにカレンは聞き分けよく我慢せざるをえなかった。 が、ある日クラインがレイラのためにデートをすっぽかしてからカレンは決心する。 このまま聞き分けのいい婚約者をしていたところで状況は悪くなるだけだ、と。 ※ざまぁというよりは改心系です。 ※4/5【レイラ視点】【リーアム視点】の間に、入れ忘れていた【女友達視点】の話を追加しました。申し訳ありません。

処理中です...