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第29話 小路
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『アイの実』の店内はリディとニケが食べている間も混雑が続いていた。
全ての席が埋まっている訳ではないが、客の来るタイミングによってはリディたちと同様に相席をお願いしている場面も見られた。
リディは先に食べ終えて、アイシスとのおしゃべりに興じながらニケが食べ終わるのを待っている。
ニケは食べるのが遅いのだ。
「あなたたち、この後はどうするの?」
「宿を探そうと思っている。ここに立ち寄ったのも宿探しの途中だったからな。そうだ、『カッコウのとまり木』という宿を知っているか?知り合いにそこを紹介されたんだ」
このまま街を散策しながら探すのもいいが、こうして知り合ったのも何かの縁だ。
リディはせっかくなのでアイシスに宿の場所を知っているかを聞いてみた。
「『カッコウのとまり木』……ね。そういえば、ウチからここに来る途中にそんな名前の宿があった気がするわね」
「本当か!?」
イダンセの街は広い。イダンセにずっと住んでいるという人でも詳しい場所は街全体の一部だろう。そのためリディとしてはダメでもともとのつもりだったが、アイシスに心当たりがあったのは運が良かった。
「私もこのあと家へ帰るし、よかったら案内しましょうか?」
「それは助かる」
アイシスが案内を申し出てくれたので、リディはご相伴に預かることにした。
「――ごちそうさま」
「ニケも食べ終わったな。まだ混んでいるし、さっさと席を空けよう」
ニケの食後の挨拶をきっかけに、リディたちは会計を済ませて店を出る。
ちなみにニケには『ごちそうさま』という習慣はなかったが、料理やその元となった食材を作ってくれた人に感謝を込めて言うようにとリディに言いつけられていた。
「こっちよ」
店を出ると、アイシスが先導して通りを歩いていく。
広い通りを歩くのかと思ったが、アイシスは馬車は入れないような細い道を選んで進んでいく。
両脇に育ち放題の木々がそびえて日陰を作っており、昼間でも薄暗い。ぱっと見はあまり治安のよくなさそうな道だ。
「いつもこの道を通っているのか」
「えぇ、あそこに通っていることはあまり知られたくないから、なるべく人の少ない道を選んでいるわ」
「イダンセは治安がよいのか?」
「そうねぇ……、もちろん場所によるけれど、この辺りは比較的良いほうね」
王都でも治安の良し悪しはその地域によって大きく異なる。
夜でも安全な地域もあれば、昼間でも目があっただけで絡まれるような場所もある。
昔は王都全体でもっと治安が良かったらしいが、王が身罷られてから政府の意思決定の速度が落ちたこともあり、徐々に治安が悪くなっているのは大きな懸案事項だった。
「貴族のお嬢様なら、お忍びでも護衛をつけることをおすすめするが」
「!?」
リディのその言葉に、アイシスは目を剥いてリディを見る。
「あなた……、気づいてたのね」
一瞬驚いた表情を見せたアイシスだがすぐに平静を取り戻す。
「参考までに聞きたいのだけれど、どこで私が貴族だって気づいたの?」
「そうだな、一番はやっぱりその身なりかな」
「こんなに地味なのに?」
アイシスはスカートを両手で軽く広げ自分の服装を改めて見直す。
本人としてはこの服装で貴族だと思われるとは思っていないようだ。
「色使いは確かに地味だが、素材が見るからに高級品だ。見る人が見ればすぐに分かるぞ」
「素材……。確かにあまり気を使っていなかった部分だわ。ダメね、もう少し考えないと」
アイシスがこの服を購入したのは、普段から贔屓にしている店だった。その店の中で庶民に紛れるような地味な服を選んだつもりだったが、確かに素材は盲点だった。
その店で扱っている商品は基本的には上等な素材でできている衣服のため、次は店を選び直さないとダメだとアイシスは思った。
「どうして、庶民になりすまそうとするんだ?」
「周りに気を使わせないためよ。普通の人って相手が貴族だと、とたんに畏まってしまうでしょう?」
あなたは違うようだけど、とアイシスに対しても物怖じせずに話すリディをアイシスはちらりと横目で見る。
「『アイの実』は私の憩いの場なのよ。貴族である私が来店することで、そこの店員や他のお客さん達に余計な気をつかわせるのは本意ではないわ」
「そういえば、『様』をつけて呼ぶなと言っていたな。あの店員とは気安そうな仲に見えたが」
「えぇ、『アイの実』の存在を知ってからずっと通い詰めたの。あの子が親しくしてくれるようになるまでも結構な道のりだったわ」
アイシスが『アイの実』の存在を知ったのは数年前。持ち前の好奇心から市井の人々が普段どんなものを食べているか知りたくて、たまたま入った店だった。
しかし、アイシスはそこで食べたオムライスに衝撃をうけて、すぐさま虜になってしまった。
その後、アイシスは『アイの実』に通い始めるのだが、すこし経って店員や客がよそよそしく、居心地の悪い視線の浴びていることに気がついた。
アイシスの侍女であるケイファに相談したところ、貴族であるアイシスが庶民の店に行くことを奇異に見られているのだと教えてもらった。それからアイシスは他の客と似た雰囲気の服を着て見た目を寄せ、店員に親しくしてもらえるように、店に行った時には必ず一言二言注文などの形式上ではない雑談をすることを始めた。
そうしてアイシスはあの店に月日をかけて溶け込んでいったのだ。
「でも、服の素材のことを指摘されなかったということは、まだまだ私も気を使われているということね」
「そうマイナスに考えるものじゃないさ。彼女らが服の素材のことに気がついていなかった可能性だって十分にあるし、素材はともかく表面上はその格好だって十分あの店に溶け込んでいる。彼女たちはそれで十分だと思っていたんじゃないか?」
「そう……ね。そうだと嬉しいわ」
少しうつむいていたアイシスは、リディの言葉を聞いて顔をあげ、前を向き直した。
「この辺りで見かけたと思うのだけど」
細い道を抜けて、少し人通りのある通りに出たところでアイシスは周囲を見回し始めた。
アイシスは『カッコウのとまり木』という看板をこの辺りで見かけたはずだった。
「――ねぇ、あれじゃない?」
最初に見つけたのはリディたちと別の方向を見ていたニケだった。
ニケの指差す方向を見ると鳥が描かれた看板を掲げた建物が目に入る。
「そうそう、あれよ。間違ってなくてよかったわ」
普段通る道でも、その道にあるもの全てが記憶に残るわけではない。アイシスはこの街で宿など使わないし『カッコウのとまり木』はなんとなく認識していただけで、確証はなかったので、ほっと息をつく。
『カッコウのとまり木』という宿は周囲の建物より一回り大きい造りをしていて、建物は結構古そうだったが丁寧に清掃されているのか、汚らしさやみすぼらしさはなく、伝統すら感じさせる建物だった。
リディたちはこれから宿に入り、アイシスはこのまま帰宅するのでここでお別れのはずだったのだが――。
「あなたたち、明日は時間ある?こうしてあったのも何かの縁だし、よかったら街を案内するわよ」
「あーいや、すまない。明日から少し遠出をするんだ」
「イダンセに来たばかりなのに?どこに行くの?」
「えーっと……」
アイシスはリディが思っていたよりも、リディたちが気に入ったようで、リディが濁した返事を深堀りしてきた。
憲兵の詰所でポリムと話した、ダーロンとルナークの調査の件は伏せておきたかったのだが、とっさにごまかす言葉が浮かばずリディは言葉に詰まった。
「――ダーロンとルナークに行くんだよ」
「あ、ニケ!」
リディが言葉に詰まったのを街の名前を忘れたからだとでも思ったのか、ニケが先に答えてしまった。
(しまった、ニケに口止めをしていなかった)
リディがそう思ってももう遅い。あの場でポリムと話したことは機密にあたり、本来誰にも話してはいけないのだが、ポリムとリディは職務上そういう常識があっても、ニケにはまだそれはない。ニケにそのことを伝え忘れたリディのミスだった。
「ダーロンとルナーク……」
ニケの口から出た二つの村の名前をアイシスが繰り返す。
その表情はさっきまでの明るい雰囲気とは異なり、怒りと恐怖が入り混じったような表情でリディたちを見ていた。
「どこでその名前を聞いたの?なんであなたたちが知ってるの?そこに何をしにいくの!?」
アイシスはリディの返事など待たずに、声を大きくしながら掴みかからんばかりに乱暴に質問を投げつけた。
「ちょっ、ちょっと、ちょっと待った。なんで、どうした?!」
リディは慌ててアイシスの肩を抑えて落ち着かせようとするが、その視線は鋭さをもったままリディを射抜いている。
しかし、話をしないとアイシスが突然詰め寄る理由も分からない。
リディはなんとかアイシスを落ち着かせて、まずはちゃんと話をしようと持ちかけた。
目の前は宿だ。リディは先に宿にチェックインをして、部屋で話をすることを提案し、アイシスもそれを不承不承ながら了承し、話の続きを宿で行うことになった。
全ての席が埋まっている訳ではないが、客の来るタイミングによってはリディたちと同様に相席をお願いしている場面も見られた。
リディは先に食べ終えて、アイシスとのおしゃべりに興じながらニケが食べ終わるのを待っている。
ニケは食べるのが遅いのだ。
「あなたたち、この後はどうするの?」
「宿を探そうと思っている。ここに立ち寄ったのも宿探しの途中だったからな。そうだ、『カッコウのとまり木』という宿を知っているか?知り合いにそこを紹介されたんだ」
このまま街を散策しながら探すのもいいが、こうして知り合ったのも何かの縁だ。
リディはせっかくなのでアイシスに宿の場所を知っているかを聞いてみた。
「『カッコウのとまり木』……ね。そういえば、ウチからここに来る途中にそんな名前の宿があった気がするわね」
「本当か!?」
イダンセの街は広い。イダンセにずっと住んでいるという人でも詳しい場所は街全体の一部だろう。そのためリディとしてはダメでもともとのつもりだったが、アイシスに心当たりがあったのは運が良かった。
「私もこのあと家へ帰るし、よかったら案内しましょうか?」
「それは助かる」
アイシスが案内を申し出てくれたので、リディはご相伴に預かることにした。
「――ごちそうさま」
「ニケも食べ終わったな。まだ混んでいるし、さっさと席を空けよう」
ニケの食後の挨拶をきっかけに、リディたちは会計を済ませて店を出る。
ちなみにニケには『ごちそうさま』という習慣はなかったが、料理やその元となった食材を作ってくれた人に感謝を込めて言うようにとリディに言いつけられていた。
「こっちよ」
店を出ると、アイシスが先導して通りを歩いていく。
広い通りを歩くのかと思ったが、アイシスは馬車は入れないような細い道を選んで進んでいく。
両脇に育ち放題の木々がそびえて日陰を作っており、昼間でも薄暗い。ぱっと見はあまり治安のよくなさそうな道だ。
「いつもこの道を通っているのか」
「えぇ、あそこに通っていることはあまり知られたくないから、なるべく人の少ない道を選んでいるわ」
「イダンセは治安がよいのか?」
「そうねぇ……、もちろん場所によるけれど、この辺りは比較的良いほうね」
王都でも治安の良し悪しはその地域によって大きく異なる。
夜でも安全な地域もあれば、昼間でも目があっただけで絡まれるような場所もある。
昔は王都全体でもっと治安が良かったらしいが、王が身罷られてから政府の意思決定の速度が落ちたこともあり、徐々に治安が悪くなっているのは大きな懸案事項だった。
「貴族のお嬢様なら、お忍びでも護衛をつけることをおすすめするが」
「!?」
リディのその言葉に、アイシスは目を剥いてリディを見る。
「あなた……、気づいてたのね」
一瞬驚いた表情を見せたアイシスだがすぐに平静を取り戻す。
「参考までに聞きたいのだけれど、どこで私が貴族だって気づいたの?」
「そうだな、一番はやっぱりその身なりかな」
「こんなに地味なのに?」
アイシスはスカートを両手で軽く広げ自分の服装を改めて見直す。
本人としてはこの服装で貴族だと思われるとは思っていないようだ。
「色使いは確かに地味だが、素材が見るからに高級品だ。見る人が見ればすぐに分かるぞ」
「素材……。確かにあまり気を使っていなかった部分だわ。ダメね、もう少し考えないと」
アイシスがこの服を購入したのは、普段から贔屓にしている店だった。その店の中で庶民に紛れるような地味な服を選んだつもりだったが、確かに素材は盲点だった。
その店で扱っている商品は基本的には上等な素材でできている衣服のため、次は店を選び直さないとダメだとアイシスは思った。
「どうして、庶民になりすまそうとするんだ?」
「周りに気を使わせないためよ。普通の人って相手が貴族だと、とたんに畏まってしまうでしょう?」
あなたは違うようだけど、とアイシスに対しても物怖じせずに話すリディをアイシスはちらりと横目で見る。
「『アイの実』は私の憩いの場なのよ。貴族である私が来店することで、そこの店員や他のお客さん達に余計な気をつかわせるのは本意ではないわ」
「そういえば、『様』をつけて呼ぶなと言っていたな。あの店員とは気安そうな仲に見えたが」
「えぇ、『アイの実』の存在を知ってからずっと通い詰めたの。あの子が親しくしてくれるようになるまでも結構な道のりだったわ」
アイシスが『アイの実』の存在を知ったのは数年前。持ち前の好奇心から市井の人々が普段どんなものを食べているか知りたくて、たまたま入った店だった。
しかし、アイシスはそこで食べたオムライスに衝撃をうけて、すぐさま虜になってしまった。
その後、アイシスは『アイの実』に通い始めるのだが、すこし経って店員や客がよそよそしく、居心地の悪い視線の浴びていることに気がついた。
アイシスの侍女であるケイファに相談したところ、貴族であるアイシスが庶民の店に行くことを奇異に見られているのだと教えてもらった。それからアイシスは他の客と似た雰囲気の服を着て見た目を寄せ、店員に親しくしてもらえるように、店に行った時には必ず一言二言注文などの形式上ではない雑談をすることを始めた。
そうしてアイシスはあの店に月日をかけて溶け込んでいったのだ。
「でも、服の素材のことを指摘されなかったということは、まだまだ私も気を使われているということね」
「そうマイナスに考えるものじゃないさ。彼女らが服の素材のことに気がついていなかった可能性だって十分にあるし、素材はともかく表面上はその格好だって十分あの店に溶け込んでいる。彼女たちはそれで十分だと思っていたんじゃないか?」
「そう……ね。そうだと嬉しいわ」
少しうつむいていたアイシスは、リディの言葉を聞いて顔をあげ、前を向き直した。
「この辺りで見かけたと思うのだけど」
細い道を抜けて、少し人通りのある通りに出たところでアイシスは周囲を見回し始めた。
アイシスは『カッコウのとまり木』という看板をこの辺りで見かけたはずだった。
「――ねぇ、あれじゃない?」
最初に見つけたのはリディたちと別の方向を見ていたニケだった。
ニケの指差す方向を見ると鳥が描かれた看板を掲げた建物が目に入る。
「そうそう、あれよ。間違ってなくてよかったわ」
普段通る道でも、その道にあるもの全てが記憶に残るわけではない。アイシスはこの街で宿など使わないし『カッコウのとまり木』はなんとなく認識していただけで、確証はなかったので、ほっと息をつく。
『カッコウのとまり木』という宿は周囲の建物より一回り大きい造りをしていて、建物は結構古そうだったが丁寧に清掃されているのか、汚らしさやみすぼらしさはなく、伝統すら感じさせる建物だった。
リディたちはこれから宿に入り、アイシスはこのまま帰宅するのでここでお別れのはずだったのだが――。
「あなたたち、明日は時間ある?こうしてあったのも何かの縁だし、よかったら街を案内するわよ」
「あーいや、すまない。明日から少し遠出をするんだ」
「イダンセに来たばかりなのに?どこに行くの?」
「えーっと……」
アイシスはリディが思っていたよりも、リディたちが気に入ったようで、リディが濁した返事を深堀りしてきた。
憲兵の詰所でポリムと話した、ダーロンとルナークの調査の件は伏せておきたかったのだが、とっさにごまかす言葉が浮かばずリディは言葉に詰まった。
「――ダーロンとルナークに行くんだよ」
「あ、ニケ!」
リディが言葉に詰まったのを街の名前を忘れたからだとでも思ったのか、ニケが先に答えてしまった。
(しまった、ニケに口止めをしていなかった)
リディがそう思ってももう遅い。あの場でポリムと話したことは機密にあたり、本来誰にも話してはいけないのだが、ポリムとリディは職務上そういう常識があっても、ニケにはまだそれはない。ニケにそのことを伝え忘れたリディのミスだった。
「ダーロンとルナーク……」
ニケの口から出た二つの村の名前をアイシスが繰り返す。
その表情はさっきまでの明るい雰囲気とは異なり、怒りと恐怖が入り混じったような表情でリディたちを見ていた。
「どこでその名前を聞いたの?なんであなたたちが知ってるの?そこに何をしにいくの!?」
アイシスはリディの返事など待たずに、声を大きくしながら掴みかからんばかりに乱暴に質問を投げつけた。
「ちょっ、ちょっと、ちょっと待った。なんで、どうした?!」
リディは慌ててアイシスの肩を抑えて落ち着かせようとするが、その視線は鋭さをもったままリディを射抜いている。
しかし、話をしないとアイシスが突然詰め寄る理由も分からない。
リディはなんとかアイシスを落ち着かせて、まずはちゃんと話をしようと持ちかけた。
目の前は宿だ。リディは先に宿にチェックインをして、部屋で話をすることを提案し、アイシスもそれを不承不承ながら了承し、話の続きを宿で行うことになった。
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