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第三部:第三十六章 ラーソルバールという存在

(二)灰色の悪魔③

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「敵将、 灰色の悪魔モンセントは我が軍が討ち取ったよ!」
 殿部隊に聞こえるように、ジャハネートは声を張り上げた。これが伝播すれば、敵軍も動揺して少しは時間が稼げるはず。小さく吐息すると、ジャハネートはラーソルバールを見詰めた。
 そのラーソルバールは呆然とした様子のまま、転がっていた首を兜ごとジャハネートに手渡すと、ふらふらとおぼつかない足取りで、モンセントの馬へと近寄る。
 そのまま手綱を受け取ると、鐙に足をかけて馬に跨った。この状態でもさほど意識せずにそれが出来たのは、騎士学校で繰り返された乗馬訓練で、一連の動作が身体に染み付いていたおかげだろう。
「さあ、行くよ。振り落とされるんじゃないよ」
 ラーソルバールが鞍に腰を下ろしたのを確認すると、ジャハネートは彼女を先に行かせようと馬の尻を平手で思い切り叩いた。
 ラーソルバールの馬が走り出したのを確認すると、自身も直後に馬の腹を蹴る。
 馬体を併せるように走らせ寄り添うジャハネートに、今更のように疑問が沸いた。
「ジャハネート様はどうしてこちらに?」
「どうもこうもないよ、アンタんトコの筋肉馬鹿が殿の指揮放り投げて一騎打ちしてたもんだからね……。馬鹿を怒鳴りつけて戻ろうと思ったら、今度は灰色の鎧が見えてね、よく見りゃそんな危険な奴と逃げながら一騎打ちしてる馬鹿がいたもんだ……」
 苦笑いしながら、呆れたように肩をすくめて見せる。
「あはは……」
 冗談を交えたような言葉で、ラーソルバールの心に掛かっていたもやが少しだけ晴れた気がして、手の震えも落ち着いてきた。
「団長も団長なら部下も部下だよ。あんた自分の立場ってものが分かっているのかい?」
「新卒の下級士官ですが……?」
 ラーソルバールは即答した。が、その答えに、ジャハネートは深いため息をつく。
「そう思っているのは、アンタと、そこの馬鹿上司だけだよ」
「バ……」
 馬鹿と言われてギリューネクは腹が立ったが、さすがに個人的な接点も無く階級が遥か上の騎士団長相手に口答えは出来なかった。
「アンタは、今や国にとって欠かせない人物なんだよ。王太子殿下の婚約者候補に選ばれたのだって、アンタを繋ぎとめておきたいという、陛下や大臣達の思惑も多分に含んでいるんだろうからね!」
「それは……」
「簡単に戦場で命を落とされたら困るんだよ!」
 ラーソルバールとしては言い返す事もできないが、ギリューネクの居る場でそれを言うのはどうなのか。ちらりと自らの隊長の様子を横目で見ると、驚いて内容が理解できないという顔をしている。
 王太子の婚約者候補であることは極秘事項だが、ひょっとすると彼との確執を知っていて、あえて教えたのか。ジャハネートならばやりかねないと考えれば、その優しさに頭が下がる思いだった。

 ラーソルバール達が砦の門に近付いた頃、先程と同じように防壁に設置された鐘が大きく鳴らされた。今度は五度。
「ああ、シジャードが上手くやったみたいだね」
 敵軍後方から上がる黒煙は輸送部隊襲撃成功の合図。それを見て取った砦が、殿部隊に完全撤退を知らせるための音だった。
「これで敵軍が退いてくれれば、我が国の勝利だね」
 肩の荷が下りた、と言わんばかりにジャハネートが大きく息を吐いた。
「すんなりと、停戦、戦後収拾といってくれるといいのですが……」
「まあ、悪くない結果に落ち着くんじゃないかね?」
 三人は門を抜けて砦に入り、ようやく安堵できる状態になった。
 ふと目をやった防壁の階段脇に、数名のヴァストール兵が倒れて死んでいるのが見えた。野戦で怪我をして死んだようには見えない姿に、疑問が沸く。
「この者達は?」
 近くに居た騎士を捕まえ、ジャハネートが尋ねた。
「味方の撤退に際し、砦の門を開閉を阻害しようとした者達です。即時対応のため、処分致しました!」
「ああ、内通者かい……」
 ジャハネートは冷たく言い放った。
 だが決して人名を軽んじて言った言葉ではない。
 野戦に出た第二、第八騎士団のように緊張感のある場では、僅かな動きも危険に変わる。決断しきれずに砦に戻った者達も居るだろう。だが、砦の中は隙をついて一斉に反旗を翻せば何とかなる、と考えたのかもしれない。
 内通の可能性大として砦の牢に入れられた者達が生き残り、可能性が炙り出されず、離反を決行した者達が死ぬ。彼らも炙り出してやった方が良かったのか。
「不条理だねぇ」
 ジャハネートは天を仰ぎ、ひとりごちた。
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