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第31話 胸がキュンとしました
しおりを挟む───ああ、大変! エミール殿下が殴られてしまうわ!
そう思ったのだけど────……
「んぐっ、ぐはぁっ……!」
(…………え? この声は)
変な呻き声を上げて綺麗な弧を描いて吹き飛んで行ったのは、どこからどう見ても聞いてもダーヴィット様、その人だった。
ドサッと音を立ててそのままダーヴィット様は床に沈んだ。
「……」
「……え? 僕? 反射的に手が出た、けど今、殴った?」
ダーヴィット様の攻撃をかわして、そこにエミール殿下の渾身の拳が綺麗に決まっていた。
そして、殴った方の殿下は……
「ダーヴィット……え? 飛んで行った……? この間は飛ばなかったのに?」
そんなことを口にしながら、吹き飛んで床に沈んだダーヴィット様と自分の拳を交互に見比べてはオロオロしている。
(大変! 殴ったエミール殿下自身が驚いているわ!)
しばらく、うーん? と首を捻っていたエミール殿下は顔を上げると、私の方に顔を向けてパッと笑顔を浮かべた。
───キュン!
その笑顔に私の胸が盛大にときめく。
「フィ、フィオ、フィオナ! 見た? ダーヴィットが僕の拳で飛んで行ったよ!」
「は、はい! 見ました……」
私がコクコクと頷くとエミール殿下が嬉しそうにニコッと笑う。
───キュン!
またしても、その笑顔に私の胸がときめく。
ドキドキしすぎて動けずにいたら、一目散に私の元に走って近付いてきたエミール殿下がそっと腕を伸ばして私を抱きしめた。
───ビビビッ!
(…………ひえ? い、今……ビビビッ!? ま、まさか!)
その瞬間、いつものピリッではなくもっと大きな衝撃が私の身体に走った気がした。
同じ衝撃を殿下は感じたのか感じなかったのか、特にそのことについては触れないまま、ギュッと私を抱き込む。
(もう! さっきから、ずっと胸がドキドキしっ放しなのに!)
こんなに密着したら私のドキドキが殿下に伝わってしまいそう。そう思うだけで、ますます恥ずかしくなる。
「フィ、フィオナは大丈夫? 怪我はない?」
「あ、ありません! 殿下が……エミール殿下が……」
「うん?」
守ってくれたから───……
(きっと、お祖母様の愛読書のヒロインのお姫様もいつも守られる度にこんな気持ちになっていたのね?)
こんなの世の全乙女が胸キュンするはずだわ、と、私は思った。
「……エミール殿下」
「ん?」
「頂いた手紙では、ご自分の身体のことをペラペラだなんて嘆いていましたが……」
「あ、うん。そうなんだよ! 予定では今頃ムッキムキになっているはずだったんだ! なのに、見てよ? 未だにどこもムキムキしていないんだよ」
不満そうな顔でそう口にする殿下のそんな姿が、おかしくもあり、可愛くもあり……
思わず笑ってしまった。
「……え? どうして笑うの?」
「だって……ふふ」
殿下は私が笑い出したことにどこか納得いっていない様子で、少し不貞腐れてしまっていた。
そんなちょっと可愛い殿下に向かって私は言う。
「───エミール殿下が、その……とてもかっこよくて」
「え? ペラペラだよ?」
エミール殿下の驚いた目と私の目がバチッと合う。私はニコッと微笑んだ。
「ペラペラなんて気になりません! とっても、とってもかっこよかったです」
「かっ……!」
ボンッ!
そんな音がしそうなほど、殿下の顔がどんどん真っ赤になっていく。
つられて私の頬も更に熱を持ってしまう。
───ピリッ
そんな再び電流の走る私の身体を殿下は更に抱きしめながら言った。
「フィフィフィフィフィオナも、かかかかかか可愛いよ!」
「え!? か、可愛い……ですか?」
「ああ!」
その言葉に私の頬は更に更に熱を持つ。
(可愛い孫! 可愛い娘! そんな言葉はお祖父さまやお父様……これまで家族からたくさん言われてきたはずなのに)
どうしてかしら? 殿下からの“可愛い”はすごく特別に聞こえる。
家族ではない人からの言葉だから?
よく分からないけれどとても嬉しい。そして、少し恥ずかしい……
「とってもとっても可愛い。でも、不思議なんだけど、何だかかっこよくもあるんだ」
「……ふふ、なんですか、それ」
「うん、なんでだろう?」
自分で口にしながら首を傾げるエミール殿下。
私たちは顔を見合せてふふふと笑い合う。
そうして笑い合った後、もう一度ギュッと抱きしめられた。
(温かい……ずっとこうしていたいわ───)
そう思って、エミール殿下から与えられる温もりにうっとりしていたら……
「───フィオナーーーー! 大丈夫か!?」
「お、お祖父様!」
クワッとお祖父様が厳ついお顔を更に厳つくして駆け寄って来た。
「安心しろ! お招きした令嬢たちに怪我はない。今はリアが付き添って───ん?」
令嬢たちに怪我はないと伝えてくれた後、抱きしめ合っている私と殿下の姿を見て盛大に顔をしかめた。
「むっ!!」
「あ、お、お祖父様! こ、これはっ!」
「え? おじいさん──?」
殿下がびっくりして後ろを振り返る。そしてお祖父様の顔を見ると、ひゅっと息を呑んで小さく叫んだ。
「り、理想の……ムッキムキ!!」
「え!」
(そ、そっち!?)
大抵こういう時は、皆、厳つくて怖い顔のお祖父様の表情に目が行きがち(そして脅える)なのに、何故か殿下の目はお祖父様の筋肉に目が行っている。そして爛々と輝いている。
「むっ?」
「その辺の小者なら、片手で簡単にひねり潰せそうな筋肉……ああ、足まですごい……僕の理想の塊だ……」
(り、理想の塊!?)
エミール殿下の目指すムッキムキの最終形態はどうやらお祖父様くらいのムッキムキらしい。
そんな殿下の筋肉万歳発言に、最初は顔をしかめていたお祖父様も気を良くしたのか、どこか誇らしげに笑った。
そして私の方を見ながら言う。
「───フィオナ! 合格だ!」
「ご、合格……?」
「そこの軟弱な浮気小僧とは大違いの見る目のある素晴らしい漢ではないか!」
「み、見る目……」
意味が分からず私は首を傾げる。
「彼が鍛えても鍛えてもペラッペラだと嘆いていたムッキムキを目指す漢なのだろう?」
「お、お祖父様? そ、そうなのですけど、彼はこの国の王……」
──王子様ですよ?
そう言いたかったのに私の言葉はバッサリ遮られた。
「身分など関係ない! 筋肉を愛するものに悪い奴はいないからな! フィオナを見初めただけでも素晴らしいのに、ここまで筋肉を愛しているとは!」
「き、筋肉を……愛する……」
「ああ、実にいい目をした漢ではないか! 将来が楽しみだ!」
「え、えっと……」
お祖父様のこの態度は不敬罪にはならないわよね? と、私は内心でオロオロした。
そういえば、不敬罪といえば殿下に殴りかかったダーヴィット様。
これって不敬罪に問えるのでは?
激昂していたとはいえ、自分で新たな罪を増やしてしまうなんて。
(それにしてもダーヴィット様はずっと静かね……?)
こんなことになったのは私のせいだ、と、あんなにも吠えていたのに……
殿下に殴り飛ばされて床に落ちてから反応がない気がする。
「……」
私はようやくここでダーヴィット様の様子が気になり、殿下の腕の中からそっと倒れている彼の方へと目を向けた。
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