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31. 愛の重い旦那様
しおりを挟む「おい、ユリウス! 待ってくれ。お前が気にするのはそこなのか!?」
「当然です!」
「いやいや、もっと他にあるだろ!?」
「いいえ、ありません!」
「お前……」
旦那様に対して殿下の突っ込みが入るけれど、旦那様はこれだけは絶対に譲らないという顔をしていた。
けれど旦那様のその疑問は、他の人も同じように思っていたようで、一斉に皆の視線がお兄様へと注がれる。
「……ひっ!?」
さすがにこれには、ここまで表情をあまり崩さなかったお兄様も声が裏返ってしまい間抜けな声を上げていた。
「だ、旦那様? その話は後でも……」
「いや。駄目だ、ルチア。これはとってもとってもとっても大事な事なんだ。後にはしておけない!」
「え?」
なんでそんなに? 三回も念押しされてしまったわ……
私が目を丸くして驚いていると、旦那様は私の腰に腕を回してそっと抱き寄せながら言った。
「いくらルチアにとってその男が顔や名前を覚えてもいられないくらいのちっぽけな存在だとしても! ……俺にとってはルチアの美しさを見抜いていたという点だけで、その男はとんでもなく危険なライバルなんだ!」
「ラ、ライバル、ですか?」
「そうだ!」
旦那様がギュッと私を抱きしめる。
「いいか? 今、そいつが目の前に現れでもしてみろ。俺は全力でそいつを倒さねばならない!」
「た、倒す?」
「ああ! その男が例えどこかの国の王子でも!」
後ろから王太子殿下の「それだけはやめてくれ! 国際問題になるだろーー!?」という悲痛な声が聞こえたけれど、旦那様はまるっと無視をした。
「誰であろうとルチアは絶対に譲らない!」
「で、ですが! 私はもう、あなたの……ユリウス様の妻ですよ?」
なんて物騒な事を言い出したの……!
それに気のせい? 旦那様の目が据わっている……
「……それでもだ! いいか、ルチア。これは絶対に負けられない戦いなんだ!」
「ま、負けられない戦い……ですか」
旦那様の圧? 情熱? が凄すぎて私はたじろぐ。
「それに、婚約の話だって気になるじゃないか」
「あ……」
それは確かに気になるかもしれない。
「俺はほんの一時であってもルチアの婚約者だった期間がある男がこの世に存在する事が許せなそうにない」
「え!」
これはこの先の平穏のためにもハッキリさせなくては、と思った。
「お兄様……どうなのですか? 何か知っていますか?」
「カイリ殿!」
私達は抱きしめ合ったまま、お兄様へと視線を向ける。
ここまでの会話の勢いに面食らっていたお兄様は、変な汗を流しながら口を開いた。
「え、えっと……ル、ルチアへの求婚はあった……と聞いています。その辺は父上の方が詳しいと思うけれど、今は……」
お兄様が困った様子でチラッとお父様に視線を向ける。
確かに、詳しく聞こうにも今は無理ね……と思った。
だって、お父様は今、完全に魂がどこかに行ってしまっているもの。
「ただ、リデルが……どうやら父上に何か言ったようで、婚約話が進展する事は無かったと……」
「……そうか、それならいい。では、その男は今どこでどうしている……!? まさか今もどこかでルチアを狙っているのか!?」
「ぐぇっ!?!?」
私から離れた旦那様が、お兄様の両肩を掴んでガクガクと前後に揺らしながら詰め寄る。
旦那様の顔はとてつもなく真剣で、詰め寄られて揺らされているお兄様は目を回していた。
「ケホッ…………ゴホッゴホッ……あ、あなたは、本当にルチアの事が……好きなんですね」
「ああ! どこの誰よりも大好きだ!」
間髪入れずにそう答えてくれる旦那様に私の胸がキュンとした。
と、同時に愛されている実感がジワジワと湧いてきて胸に広がっていく。
お兄様はそんな旦那様の様子に度肝を抜かれた様子だったけれど、とても小さな小さな声で「ルチアは今、幸せなんだな」と呟いていた。
「……そ、そいつはルチアへの求婚をした後、色よい返事を貰えなかった事に落ち込んだまま隣国へ渡っています」
「隣国?」
「はい、なので彼は今、この国にはいません」
「留学か?」
「いえ、家の事情だと言っていました。もともと母親が隣国出身だったようで、何でも国が荒れたから戻らないといけなくなったとかなんとか……」
──今は、この国にいない……?
それを聞いてふと思った。
お姉様が“王太子妃”になる事にかなりこだわった理由の一つに、この失恋が関係しているのかも、と。
……だって、王太子妃の事なら他国にも話が届くわ。
この国の王太子妃に選ばれたのが、リデル・スティスラド伯爵令嬢だと。
かつて貴方が選ばなかった私よ!
そんな見せつけてやる気持ちもあったのかもしれない。
「ん? ……気のせいか? どこかで聞いた話のような……だが、そうか。隣国にいるのか……いや、待て。すると、いつかは帰って来る……? その時が、勝負の時なのか?」
「い、いえ、向こうで親の跡を継ぐのでおそらくこの国には帰って来れないと言っていました」
「そうなのか?」
「な、なので、心配する必要も戦う必要もどこにも無いかと……思われます」
「そ、そそそうか!」
旦那様がとても嬉しそうに頷いた。声も上擦っている。
けれど、すぐにハッとしてどこか渋る様子を見せ始めた。
表情の起伏が激しいわ!
「安心はした…………だが、複雑だ」
「複雑ですか?」
「ああ。ルチアがこんなにも可愛くて綺麗で美しい事は、一番に俺が気付きたかった!」
「だ、旦那様?」
また、ちょっぴりヤキモチを妬いているのかと思うと嬉しくなった。
なので私の頬も緩む。
「それから、子供の頃のルチアを見た事がある事が純粋に羨ましい!」
「旦那様……」
「だが! これからますます美しくなるルチアの姿を一番傍で見られるのは……俺だ!」
……ギュッ
そう言って強く抱きしめられる。
旦那様の愛がたくさん伝わって来てとても幸せ……と思ったので、私もそっと抱きしめ返す。
「ありがとうございます。私、旦那様にもっともっと好きになってもらえるよう頑張ります!」
「これ以上だと?」
「はい!」
私が笑顔で答えたら、旦那様も笑顔を返してくれる。
「……あぁ、ルチア……君は本当に可愛いな」
そう口にする旦那様の顔が近付いてきて、チュッと額にキスをされる。
恥ずかしくて照れくさいけど、嬉しい。そんなキス。
「……」
「……」
「ルチア……」
そのまま無言でお互い見つめ合うと、もう一度、旦那様の顔が近付いて来て───
「ユ・リ・ウ・スーー! 家でやれと言っただろう!?」
「……あ!」
殿下の声に、私達は慌てて離れる。
「それから! お前、さっきの伯爵令息の話を聞いて何か思いあたる事は無いのか!?」
「……? 何の話でしょう……? どこかで聞いたような話とは思いましたが?」
「そうか…………まぁ、知らない方が幸せって事もあるからな…………何でこいつは天使が絡むとポンコツになるのか……」
「「??」」
殿下はどこか遠い目をしながらそう呟いた。
私達は顔を見合わせながら首を傾げる。
「……コホンッ。ところで……私はさっきから口の中が、ジャリジャリなんだが」
「……はぁ、そうですか。それは大変そうですね?」
「お・ま・え! いったい誰のせいだと思っているんだ! それに、今日は私のためのパーティーだった……のに……私の花嫁どころではなくなった……じゃないか……」
殿下がシュンっと沈んで肩を落としていく。
それには私と旦那様も申し訳なくなってお互い顔を見合わせる。
「だ、大丈夫ですよ……こ、これからです。俺のようにきっとある日突然、殿下の目の前に……」
「…………本当にそう思うか?」
「うっ! …………スティスラド伯爵令嬢がきちんと処罰されれば……きっと……」
旦那様が殿下を慰めながらチラッとお姉様の方を見る。
そんなお姉様は、相変わらず生気が抜けて絶望した表情のまま。
いつも私を陥れ続けたお姉様は、もうどこにもいなくなったような気がした。
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