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16. やって来たお姉様
しおりを挟む──お姉様がここに……来る?
そんな事が書かれていたその手紙は私に大きな衝撃を与えた。
「ルチア、元気が無いね?」
「……え?」
その日の夜、帰宅した旦那様を出迎えたら真っ先にそう言われてしまった。
お姉様の訪問の事を言わなくては……とグルグル悩んでしまっていたから顔に出ていたのかもしれない。
私としてはいつもと変わらない風を装ったつもりだったのに……
「何で分かるかって? 毎日毎日ルチアの顔を見ているんだから普通の事だろう?」
「そう……なのですか?」
「……他の人は知らないけど、少なくとも俺は可愛い妻が悲しんでいるのに無理して笑顔を見せている事に気付かなかった……そんな間抜けな情けない夫にはなりたくない」
「旦那様……」
その優しさに胸がじんとする。
私は本当に本当に大切にされている。
「だから、ルチア…………おいで?」
「あ……」
旦那様が腕を広げてくれたので、私はその胸に思いっきり飛び込んだ。
そうすれば、必ず旦那様はギュッと背中に腕を回して優しく抱き締め返してくれる事を私は知っている。
私、この胸と腕の中が温かくて大好きなの。
「ルチア……」
「……旦那様」
だから、お願い……お姉様……
私から旦那様を……ユリウス様は取らないで───
しばらく廊下で盛大に抱きしめ合っていた私達は、トーマスさんに、
「使用人達が出歯亀していて仕事にならんので続きは部屋に行ってやってくだされ」
と言われてしまい、お互いに照れながらいそいそと部屋に移動した。
そこで、ようやく心が落ち着いた私は旦那様にお姉様の訪問について伝える。
「待ってくれ! あの、お……ん、リデル嬢が訪問してくる!?」
「……お父様からの手紙にそう書かれていました。金を貸すようにと私が旦那様を説得出来なかったから」
「だからって、あのおん……リデル嬢を寄越すのは違うだろう……?」
旦那様が頭を抱えている。
「本当に何を考えているんだ」
「迷惑をかけてごめんなさい……」
私が謝ると、旦那様はそっと私の肩に腕を回して抱き寄せた。
「何度も言っている。ルチアのせいじゃない」
「……旦那様」
旦那様はお姉様が来ると聞いてどんな気持ちなのかしら?
本当に結婚相手として望んでいた相手はお姉様だもの。
やっぱり複雑よね?
それでも、嫌なの。旦那様をお姉様には渡したくない!
「お願いです、旦那様……」
「ルチア?」
勝手な言い分だと分かっている。それでも……
「お姉様に会っても……わ、私を見てください!」
「え?」
「……お姉様ではなく、私だけを見ていて欲しいのです……!」
私はそう言って腕を伸ばして自分から旦那様に抱きつく。
「ル、ルチア!?」
「……ユリウス様の妻は誰がなんと言っても私です! お姉様ではなく、もう私、なんです」
「ルチア……」
「間違った求婚でも望まれない花嫁でも……私が……つ、妻ですから!」
「ルチア!」
旦那様が強く強く私を抱きしめ返す。そのまま私の頭を撫でながら旦那様は言った。
「俺の花嫁はルチアだ。俺の可愛い妻は君だけだよ、ルチア」
「……!」
「それは、リデル嬢に会っても変わらない。約束する! だから、そんな顔しないでくれ」
「旦那様……」
今までの男性は皆、お姉様、お姉様……私がいてもお姉様の事ばかりだった。
でも、旦那様だけは違うと信じたい。この温もりと優しさが嘘ではないのだと……
そう思いながら、私は必死に旦那様にしがみついていた。
❋❋❋❋
出来る事ならキャンセルされる事を願ったけれど、お姉様は本当の本当にやって来た。
旦那様に嘘の名前で自己紹介をしておいて、どうしたらこんな平気な顔をしてやって来れるのか……
私にはお姉様という人が何を考えているのか本当によく分からない。
「ふふ、久しぶりねぇ、ルチア」
「……ご無沙汰しています」
お姉様は笑顔だった。何がそんなに嬉しいのか、ずっとニタニタ笑っていて正直、不気味。
「思っていたよりも元気そうねぇ……良かったわぁ」
(訳:てっきりゲッソリやつれてると思ったのに……残念)
「ルチアが居なくなって、我が家はとっても寂しくなってしまったのよ」
(訳:いつ出戻ってくるのかとっても楽しみにしていたのに)
「だからこそ、たまには連絡が欲しかったわぁー……」
(訳:何で戻ってこないのよ)
お姉様はお得意の優しい姉のフリをした発言をしているけれど、私には本音が伝わって来る。
やっぱりお姉様は、私が「望んでいた花嫁はお前じゃない」と言われて泣いて帰って来る事を望んでいた……それを楽しみに待っていた……酷い。
「……お姉様、旦那様はとてもお忙しい方なので要件は手短にお願いします」
私のその言葉にお姉様の眉がピクリと反応する。
「……“旦那様”……ですって? それってもしかしてユリウス様の事かしら?」
「そうです、だってユリウス様は私の旦那様ですから」
「……へ、へぇ、旦那様……」
お姉様は美しい顔を少しだけ引き攣らせながら旦那様の方に視線を向けるけど、旦那様はここまで、私達のやり取りを黙って聞いているだけだった。
そして、お姉様はここで誰もが見惚れる美しい微笑みを浮かべながら口を開いた。
「ふふ、お久しぶりでございますわ、ユリウス様。そして、申し訳ございません。まずはユリウス様にお詫びをしないといけない事がありますの……私は」
「スティスラド伯爵令嬢」
お姉様の言葉を遮る旦那様の声は、今まで聞いた事が無いほど冷たい声で私の方が驚いた。
旦那様は私に初めて会った時や人間違いだと判明した時でさえ、こんなに冷たい声を出した事は無かったのに。
「俺は君に感謝しているよ」
「……か、感謝……ですの? わ、私に?」
お姉様、ギリギリ笑顔は保っているけれど、思っていた反応と違って多分内心酷く焦っている。
「ああ。初めて挨拶をした日、君がうっかり、名前をルチアと言い間違えた事で、こうして可愛い花嫁を迎える事が出来たからね」
「か、可愛い花嫁……!」
「そうだ。もちろん、ここにいる可愛いルチアの事だ」
旦那様はそう言って私の腰に腕を回して抱き寄せた。
「か、可愛い……ルチア……!」
「ああ、とっても可愛いじゃないか。ルチアの事は可愛い妹だと君も思っているのだろう? 思っているからこそルチアが嫁に行ってしまって寂しかった……と先程、口にした……違うのか?」
「……っ! そ、そうです……わね」
お姉様がこんな風に声を震わせるなんて……
と、私は内心で驚いていたけれど、そこはやっぱりお姉様。すぐに気持ちを立て直す。
今度は誰もが母性本能をくすぐられそうな程、か弱い女性の表情を浮かべた。
「……で、ですが、ユリウス様……ルチアは確かに私にとって可愛い妹……なのですけど」
「ですけど、何だ?」
「いえ…………ほ、本当は姉としてこんな事は言いたくないのですけど……実は、ルチアは……」
そこでお姉様はウルウルと目に涙を浮かべつつ、一旦、意味深に言葉を切る。
そして軽く深呼吸をするとチラッと私を見た。
「ごめんなさいね、ルチア。私はもうあなたを庇ってあげられないわ」
「……お姉様?」
庇う? 何の話?
「あなたがそれで幸せなら……そう思っていたけれど……こんなのやっぱり良くないわ!」
(訳:ルチアが幸せになるなんて冗談じゃないわ!)
私が怪訝そうな表情をしたのを見たお姉様は、目に涙をうかべたまま声を張り上げた。
「ユリウス様! 聞いてください! ……実はルチアは……あなたの横にいるその妹は…………とっても卑怯な子なのです!」
──と。
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