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第十一話
しおりを挟む「シルベスト殿下は何だったのかしら……」
殿下が帰られた後、私は部屋で一人呟く。
「それにまだ“義姉さん”と呼んでくれるなんて……」
苦笑するしかない。
未来の義弟になるはずだったシルベスト殿下。どうやら自分で思っていたよりも、私は彼に懐かれていたのかもしれない。
「兄上を信じて……か」
シルベスト殿下はエミリオ様の事で何か知っている事でもあるのかしら?
期待するのはやめよう、そう思ったのに。
そんな事を言われてしまったら心が揺らいでしまう。
「私はまだ心のどこかでエミリオ様を信じたいと思っているのね……」
心は揺らぎ自分自身の心の整理がつかないまま、離宮での生活が始まった。
思っていた以上にかなり至れり尽くせりで全く人質の扱いとは思えない。
───だけど。
そんな自分の恵まれた境遇に驚きながらも穏やかに過ごしていたその日。
“彼女”はやって来た。
「また、面会?」
入口で対応したメイドが少し困った顔をして私の元にやって来た。
「はい……」
「どなた? また、シルベスト殿下? それとも……」
(エミリオ様?)
そんな事あるはずないのに愚かな私はほんのり期待してしまった。
でも……
この日、面会を求めて来たのはイラスラー帝国の王女、アラミラ様だった。
「……アラミラ様?」
「お久しぶりですわね、シャロン様」
私は動揺が隠せなかった。
(どうして今になって……)
そこでハッと思い出す。
私は離宮に移ってからメイド達の噂話を耳にしていた。
───イラスラー帝国のアラミラ王女がエミリオ様を慕っている。
しかも、それは昔から有名な話らしい。
シャロン様の後釜はアラミラ王女かもしれない────
(まさか……)
「思っていたよりも元気そうですのね」
「…………」
テーブルの向こう側に座ったアラミラ様。顔はどこか嬉しそうに微笑んでいる。
そう言われてもなんて答えたらいいのか分からない。
そもそも、アラミラ様がここにいる理由も分からないし、この方はどこまで事情を知っているのか。
私が警戒の色を見せるとアラミラ様はクスリと笑った。
「あぁ、わたくしが、ランドゥーニ王国にいるのを不思議に思っていらっしゃるのかしら?」
「……」
(当然でしょう?)
そう思いながら私は手元のお茶をグビっと飲み干した。
「ねぇ、シャロン様。レヴィアタンがランドゥーニを裏切る事、エミリオ殿下は、以前から予想されていたのではないかしら?」
(……え?)
カップを置いた私はハッと顔を上げる。
アラミラ様は何を言っているの? エミリオ様が知っていた?
そんな事あるはずがな──……
「だからかしらね、エミリオ殿下は以前から頻繁に我が国を訪ねて来てくださっていたのよ」
「え……?」
ようやく声を発した私に、アラミラ様はふふっと笑う。
それはまるで勝ち誇ったような微笑み。
「シャロン様との婚約は昔から決められていて仕方の無い事だから今更取り消せないのだと、常々嘆いておりましたわ」
「!」
アラミラ様が頬杖をつきなからそう言った。
(今更……取り消せない? 嘆いていた?)
エミリオ様はこの奇襲が起きる前から私との婚約を破棄にしたかった?
だから最近はあまり私と顔を合わせなくなっていた?
イラスラー帝国にも頻繁に行っている……そんな話だった?
(違う違う違う……!)
そう思いたいのに! 強く否定出来ないのは……
「わたくし、その度に殿下をお慰めしていたのよ。ふふ、聡明な貴女にはこの意味が分かるでしょう?」
アラミラ様は微笑みながらそう言った。
「……」
慰め……その言葉に旨がドキッとする。
“あの日”の夜を思い出した。
もしかして、あの日に私としたような事をアラミラ様とも───?
私の中に黒い気持ちが生まれる。
「貴女の祖国が奇襲を仕掛けてくれて、わたくしは感謝していますのよ。今日はそのお礼が言いたくて参りましたの」
そう言って今度は嬉しそうな表情を見せるアラミラ様。
彼女は身を乗り出して顔を寄せると私の耳元でそっと囁いた。
「……ふふふ、彼は貴女ではなくわたくしを選んだのよ。さようなら、裏切りの国の王女様」
「!」
そう言って妖しいく微笑んだアラミラ王女の紅い瞳が私の心に深く突き刺さる。
一方的に言いたい事だけを告げる事が出来て満足したのか、アラミラ様はご機嫌な様子で離宮を去って行った。
「ふふ、あはは! あの顔最高よ! 本当にバカな王女様……あっさり騙されちゃって。これで、エミリオ殿下は私のもの……ふふ、ふふふ……」
去っていくアラミラ様がそんな事を呟いていたなんて、もちろん私は知らない。
(何も言い返せなかった……)
言いたい事だけ言わせて、ただ黙って見送る事しか出来ずにその場で呆然とするだけの私。
自分が情けなかった。
「……エミリオ様……あなたはいつからアラミラ様と……」
あれは、アラミラ様の新たな婚約者は自分なのだという宣言にほかならない。
エミリオ様は今後、アラミラ様と結婚する……そういうこと。
だけど、ショックなのはそこじゃない。
二人が以前から関係を持っていたという部分……
ずっと私を裏切っていたの……?
祖国の奇襲をちょうどいい理由にしてアラミラ様と結ばれる為に私を捨てただけだったの……?
(エミリオ様……あなたはあの日、私にどんな気持ちで触れていたの……?)
私が望んだから仕方なく?
ただの欲の捌け口だった?
「…………気持ち悪い」
急に吐き気がこみ上げてきた。
エミリオ様を大好きだった気持ち。
シルベスト殿下の言葉を聞いてもう一度、信じたいと思った気持ち。
二人で笑いあって過ごした幸せだった時間───
(全部幻想だったのね……)
今まで過ごしたエミリオ様との全ての思い出が私の中で粉々に砕け散っていく。
最後に私の心の中に残った物。
───それは“絶望”だった。
「え? 食事をいらない、ですか?」
「ええ、食欲がないの」
食事を持ってきたメイドが困った声を上げる。
申し訳ないと思いながらも私はそれを断った。
「ですが、その前もほとんど召し上がっていなくて……」
「……そうだったかしら? 覚えてないわ」
「お、覚えてない、ですか……?」
だって、何を食べても味がしないんだもの。
動くのも何かを考えるのも嫌。億劫でしかない。
このままだと、栄養失調になるだろうと分かっていても、何も食べたくないし何の気力もわかなかった。
(私、何していたんだろう? そして大バカだわ)
勝手に好きになって勝手に夢を見て……裏切られて。
それでも……まだ、彼を……エミリオ様を好きだと思うなんて。
ベッドにもたれながら小さく呟く。
「どうしてなのかしらね……私が愛した人たちは皆、私を裏切るの……」
大好きだった家族も大好きだった婚約者も。
皆、皆、私を裏切った。
だけど、裏切られたと分かっているのに、そんな皆のことを嫌いになれない自分がもっともっと嫌になった。
「エミリオ殿下が面会を求めている?」
「はい。こっそりいらしていて。今も入口で……」
「そう。お断りしてくれる?」
私はキッパリと言った。
「え? お断り……? で、ですが……」
「いいから! 会いたくないの!」
「…………ひっ! わ、分かりました! つ、伝えて参ります……」
少し声を荒らげたら、メイドはどこか怯えた様子で離宮の入口で待っているらしいエミリオ様の方へと走っていく。
(……そんなに?)
軽く睨んだだけのつもりだったのに。
そんなに怯えさせてしまった……?
それからも、何度かエミリオ様の訪問があったけれど私はずっとずっと拒否をし続けた。
だってエミリオ様の顔を見たら自分がどうなってしまうのか、考えるのが怖かったから。
───その日はいつも以上に体調が悪かった。
胸はムカムカするし吐き気もするし……それに何だか熱っぽい気もする。
「薬……ですか?」
「ええ、あったら……で、構わないのだけど」
「…………承知しました。お薬ですね? ただいまご用意いたします」
「ありがとう」
その日はかなり辛かったので、今日の当番のメイドにお願いしたらメイドはすぐに薬を取りに向かってくれた。
私は、ありがたいわ……と思いながらその後ろ姿を見送った。
まさか、薬ではないものを持って戻ってくるなんて夢にも思わずに────
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