【完結】身代わり令嬢は役目を終えたはずですが？ ～あなたが選ぶのは私ではありません～

10. 婚約するらしい

❇❇❇❇


「……っ！」

　目が覚めてハッと飛び起きた。
　キョロキョロと部屋の中を見回すとまだ薄暗い。
　随分と早く目が覚めてしまったらしい。

「あ……そっか、夢」

　そして、ジュリエッタを演じていた三ヶ月間の夢を見ていたのだと気付く。

「……初めて外に殿下を連れ出した時の夢だったわね」 

　手を繋がれたり、顔に触れられたり……とにかく恥ずかしくてドキドキさせられた。
　でも、あれが殿下が手術への前向きになるきっかけにはなれたようで……ちゃんと意味はあった。

　そして、あれからは外への散歩も毎日の日課になった。

「最初は私の腕を掴んで怖々と歩いていたのに───」

　気付いたら腕ではなく手を握って散歩するようになっていた。
　自分の両手をじっと見つめる。

「手……また、荒れてきたわね」

　ジュリエッタの身代わりが終了し、専属侍女となる時にクリームは取り上げられた。
　と、いうか全て“私”が持っていた荷物は取り上げられた。

（古代語の本も……）

　せっかくお借りしたけれど、もう私があの本を読むことはない。
　ジュリエッタに言って返却してもらわなくては。
　そこまで徹底しないと、目が見えていて私と接していたクリフさんや他の使用人たちに、ジュリエッタがおかしいと怪しまれてしまう。

「ま、この眼鏡じゃ顔もよく分からないし髪も染めてるし……喋れないし……私がジュリエッタだったなんて気付かれる要素は何もないけれど」

（でも、寂しい。早く慣れないと）

　せっかく無事にジュリエッタではなく本当の自分、リネットに戻れたのに。
　この薄暗い部屋のように私の気分はいつまで経っても晴れなかった。


────


「……」
「あぁ、遅いわよリネット、さっさと朝の支度を整えなさい」
「……」

　変な時間に目が覚めてしまったものの二度寝するわけにもいかず、少しだけ早めにジュリエッタの部屋に行くと、すでに彼女は起きていた。
　慌てて朝の支度にとりかかる。

（ジュリエッタは起きる時間が気まぐれなのよね）

　早すぎても遅すぎても結局怒られる。

「今朝は殿下と朝食を共にするのだから、しっかり整えてちょうだい」
「……」 
「そうね、ドレスはいきなり派手……にするとさすがに怪しまれちゃうから、髪だけ巻いてちょうだい」
　  
　私は承知しましたの意で静かに頭を下げる。

「あー、やだやだ。すっごい地味なドレスだわ。どこかの誰かが地味な装いを三ヶ月もしちゃったせいで私も合わせないといけないなんて……！  こんなの私の魅力が半減じゃない！」
「……」 
「試験の時の話は聞いたけど、採用された後はもう普段の私の格好でよかったじゃない！  全く……！」

　お世話係の採用が決まって王宮に向かう時にドレスの件で揉めた時のことまで持ち出して怒っている。
　もう普段のジュリエッタの服装でいいでしょ、という要求を私は突っぱねた。

「せっかく目が見えるようになったのだから三ヶ月間、殿下のお世話をしてきたジュリエッタはこんなに美しいのよってアピールしたいのに！」
「……」 
「相変らず無言だし、そのすました態度。本当に腹が立つわ───あぁぁ、もう、なによこれ下手くそ！  髪一つまともに巻けないわけ？  無能！」 
「……」

　ジュリエッタの罵倒はその後も延々と続いた。




　最初にその話を聞いたのは、離宮に務める使用人たちの噂話だった。

「──聞いた？  レジナルド殿下が婚約するって話」

（──え？）

　洗い場に洗濯物を取りに行ったら中でそんな会話をしているのが聞こえて来た。
　思わず入口の前で立ち止まる。

（殿下が婚約……？）

「聞いた、聞いた！  殿下が目の手術を受けると口にした辺りから、クリフ様がこっそり動いていたらしいわよ」
「あー、つまりお相手は……」
「それはそうでしょう？  だって仲睦まじい様子で過ごしていたじゃない」

（───！）

「殿下のお世話係ってようするに花嫁候補と同じだもの」
「ジュリエッタさん……あ、ジュリエッタ様？  上手くやったわよねぇ」 
「でも、殿下が手術を受ける気になったのが彼女のおかげなのは本当だしね」

（……そっか）
　 
　そういうことなら、私はちゃんとお役目を果たせたのね、と思った。
　殿下のお世話係として働き、元気付けて手術を受けさせて……叔父に言われた誘惑？  は、結局よく分からなかったけれど、花嫁候補となれるように気に入られるというお役目。

（大丈夫……大丈夫）

　まだ、少し胸が痛むけれど時間が経てばきっと忘れられる。
　私は必死に自分にそう言い聞かせた。




✣


　───その頃、レジナルド殿下と朝食を共にすることになったジュリエッタは。


「おはようございます、殿下」
「ああ、おはよう」

　挨拶をすると殿下が優しく微笑み返してくれた。
　ジュリエッタは内心でよしっとほくそ笑む。

（入れ替わりを疑われている様子は感じない、そして私に向けるこの笑顔……バッチリね！）

　ピアノを弾いて欲しいと言われた時はびっくりした。 
　でも、ピアノで良かったと思った。
　他の楽器はてんでダメだけどピアノだけは唯一習い続けていたので自信がある。
　殿下が当たり前の様子でピアノを弾いて欲しいと口にしたから、まさかあのリネットが？  と思って本人に確認するとかなりの頻度で弾いていたらしい。

（伯母の曲？  そんなのよく知らないわ）  

　また弾いて欲しいと言われる前に、リネットに確認しておかなくちゃ。




「……」
「……」

　そうして朝食の時間がスタートした。
　けれど、殿下はずっと無言。挨拶以降、全く喋ってくれない。

「……何だか変な感じだな」  

　と思ったら喋りだした。

「変？  とは？」
「うん。君とこうして向かい合って食事をすることがだよ」
「あ、そう……ですわね」

　あー、そういうことね？ 
　目が見えていない殿下とリネットがこうして食事をとることはなかったはずだものね。
　つまり、殿下は私を前にして緊張して無口になっていたのね？
　やっぱりこれはいい感じだわ、と再び内心でほくそ笑む。

（これは、プロポーズされる時も近いんじゃないかしら？）

「……うーん、見えていない時は美味しいと思えたが、いざ見えるようになると躊躇いを覚えるのは何故だろう……」

　殿下はご自分の皿に乗っている人参のグラッセを見ながらそう唸った。
　よく分からないけど、そんなに嫌いなら無理して食べなくてもいいじゃない？
　たかが人参の一欠片程度だし。そう思った私は口を開く。

「そんなにお嫌いなら無理して食べなくてもいいと思いますわ」
「……え？」
「え？」

　殿下が不思議そうな顔で私を見て来たので、私も不思議そうに見つめ返す。
　何か変なこと言ったかしら？
　別に普通のこと……よね？

　せっかく口を開いてくれたのに、その後の殿下はまた無口になってしまった。

（……なんだったの？）

　でも、食事の後にまた、ピアノを弾いて欲しいと所望されたので喜んで弾くことにした。
　リネットが弾いていたという伯母の曲が今は分からないので、今日は私の得意な超絶技巧を含んだ曲を披露することにした。

（ふふ、凄いでしょう？  リネットにはこんな曲を弾くのは無理なはずよ！）

　弾き終えた私に向かって殿下は感心したように言った。

「これまで弾いてくれたのは、優しい曲ばかりだったから分からなかったよ。君はそんなに上手かったんだな」
「ふふ……ありがとうございます。こちらに来てから以前よりかなり上達出来ましたの」

（やっぱり！  リネットの実力程度じゃ易しい難易度の曲が、精一杯だったようね！）

「そうか、それはよかった」
　 
　私が微笑みながらそう口にすると、殿下も微笑み返してくれた。