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3. 悪役にされた令息の不器用な優しさ
しおりを挟むどこに連れて行かれるのかと思えば、ディライト様が選んだ場所は外だった。
彼は庭園のベンチにそっと私を降ろした。
「あ、あの、ドゥラメンテ公爵令息様」
「あぁ、すまない。女性に勝手に触れた挙句、このような形で連れ出して申し訳なかった。だがあの場……」
「そ、そうではなくて!」
「!?」
ディライト様が私を連れ出した事を申し訳なさそうにするのがいたたまれず、私もついつい声が大きくなってしまった。
私の大声に表情は見えないけれどディライト様は面食らっているように見える。
「…………あの場から連れ出してくれて、あ、ありがとうございました」
「余計な事では無かったか?」
「……まさか! それから、上着もありがとうございます。お返ししま……」
「いいからまだ被っていろ」
頭に被せてくれていた上着を返そうとしたら何故か止められた。
「?」
「いいから、泣けるうちに泣いておけ。上着があればアーベント公爵令嬢が泣いていても俺からは見えない」
「え?」
「泣き顔! そういうのは見られたくないものなのだろう?」
「……!」
ディライト様はそう言って上着ごと私の頭を撫でてくれた。
言葉は少しぶっきらぼうなのに、その手付きがあまりにも優しかったので涙が……止まっていたはずの涙がどんどん溢れて来た。
「……っ……くっ……」
「……」
「好き……だったんです……大好きで……」
「うん」
ディライト様は泣き出した私の独り言にも相槌を打ってくれる。
「婚約者になれて……幸せで…………っ……8年も……」
「あぁ」
「一緒に頑張ろうねって…………だから、私…………勉強も……っ……」
「知ってる。いつも勉強していたな」
そう言って撫でてくれるその手が、その言葉が本当に優しくて。
どんどん涙が溢れて止まってくれない。
ずっとずっとジョーシン様の為に生きて来た8年間だった。
その8年間はさっきのあの瞬間に全てが壊れてしまった。
(これから先、私は何を目標にして生きて行けばいいの?)
そもそも───……
「…………」
「? アーベント公爵令嬢?」
急に私が静かになったからか、ディライト様がおそるおそる私の名前を呼ぶ。
「真実の愛ってなんなのよーーー!!」
「!? お、落ち着け! 落ち着いてくれ!」
今度は泣いていたはずの私が、叫び出したのでディライト様は大慌てで私を落ち着かせようとしてくれる。
でも、私としては叫ばずにはいられなかった。
私に抱いていた気持ちは“愛”じゃ無かった? 何それ! 酷すぎる。
「せめて……君への愛も本物だった……そう言って欲しかった……っ……」
それなら、辛いけどもっと好きな人が出来ただけ……そう思うことも出来たのに。
過去の想いも全て否定された事が……何より辛い。
「……真実の愛……か」
「ドゥラメンテ公爵令息様?」
ディライト様が何やら小さく呟いた。
「いや、俺もミンティナ……殿下に同じ事を言われたな、と思って」
「あ……」
そうだった。
ディライト様も私と同じ様に身勝手な理由で婚約破棄を言い渡されていたんだった……
(バカな私……辛いのは私だけでは無かったのに!)
「申し訳ございません!」
「? 何故、アーベント公爵令嬢が謝る?」
「……私だけが可哀想なのだと、不幸だと思って泣いてしまいました。ドゥラメンテ公爵令息様だって泣きたい気持ちのは──」
私がそこまで言いかけたら、また上着ごと頭を撫でられた。
「俺の事は気にしないで構わない。泣きたいだけ泣け。言いたい事も溜めずに言え。ここで聞いていてやるから」
「……」
(それだと、ディライト様の辛い気持ちはどうやって消化するの?)
そう思ったのだけど、私はまた涙が溢れて来て、子供みたいに……そう、ジョーシン様と婚約する前の自由で無邪気だった頃の子供の様に泣いてしまった。
ディライト様はそんな私を言葉通りずっと側で見守っていてくれて、話も聞いてくれながら何度も何度も頭を撫でてくれた。
「───落ち着いたか?」
たくさん泣いたら、ようやく心も少し落ち着いてきた。
「……はい。ありがとう、ございます…………って、あぁ!」
私はある事に気付いてサッと青ざめる。
「どうした?」
「う、上着が……」
「上着? 俺の貸したそれか?」
「…………はい」
ディライト様の言葉に甘えてすっかり忘れていたけれど、私は、ジョーシン様に頭からワインを掛けられている。そして更に上着を被ったままの状態でかなり泣きじゃくってしまった……
(この上着、絶対すごい事になっているわ!!)
「私、ワインを掛けられているんです……それに、な、涙まで……あ、洗って返します……あ、でも、綺麗になるのかしら? ……それとも弁償する方が……? ど、どうしましょう……」
動揺した私は、洗って返すべきなのか弁償すべきなのか分からなくなってオロオロした。
「……」
「あの……ドゥラメンテ公爵令息様?」
すると、何故か彼が黙ってしまったので、私はおそるおそる声をかける。
「あ、あぁ、すまない。ちょっと意外で」
「……意外、ですか?」
私が聞き返すとディライト様は少しバツの悪そうな顔をして言った。
「……てっきり、弁償してあげるからどれだけ汚しても構わないわよね! くらいの事は言うのかと……すまない。完全に偏見だった」
「い、いえ……最悪、弁償するしかないとも思いましたし……でも」
何でそんな偏見を?
と、問いかけそうになって気付いた。
(そう言えば、私、よく高飛車だとかお高くとまってるとか言われていたわ……!)
そんな私が例え自分の手で行うわけでは無かったとしても“洗って返す”なんて発想するとは思わないわよね……
(ジョーシン様の婚約者として……未来の王妃として、誰にも舐められないように)
そうやってずっと気を張りつめて来た結果がこれ。
「……」
……そう思うと、何だか悲しくなって来た。
本当に“私”って、何だったのかしら?
そんなプライドも真実の愛とやらの前では何の意味も無かったというのに。
「本当にすまない」
ハッと気付くとディライト様が頭を下げていた。
私はその様子に慌ててしまう。
「そ、そんな! あ、頭を上げてください!」
「だ、だが俺はよく知りもせず勝手に決め付けて……」
「……」
そんな事は慣れているから構わないのに。
ディライト様はきっと真面目な方なんだわ。
「いいのです。それが“私”でしたから」
「……アーベント公爵令嬢?」
私はここでずっと頭に被っていた上着を取る。
ちゃんとお礼を言うのにこのままでは失礼だもの。
「ドゥラメンテ公爵令息様、本当にありがとうございました。上着は洗ってみて駄目そうだったら弁償させていただきます」
「あ、あぁ……」
私が上着を取ったからか、ディライト様はハッと息を呑んだ。
肝心の表情はもっさり前髪のせいでよく分からないけれど多分驚いている。
「アーベント公爵令嬢……君は」
「は、はい、何か?」
上着を取ったからって驚きすぎじゃない?
そう思った時、彼はやや震える声で言った。
「き、君の素顔はそんな顔をしていたのか……」
───と。
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