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40. 王妃様は語る
しおりを挟む───ぐはぁっ!
王妃様に殴られた陛下はそんな間抜けな声を上げて吹き飛んだ。
(……えええええ!?)
───国王陛下が王妃殿下に殴られて吹き飛んだ。
その衝撃的な光景にどこか既視感を覚えつつ、誰もその場からは動けず、唖然呆然とした顔で吹き飛んでいく陛下を見ていた。
「───ひ、ひひうへ! ははうへーーーー!?」
だけど、エイダン様だけは、少し離れた向こうから真っ青な顔で叫び声を上げていた。
(自分と同じように父親が殴られて吹き飛んでいったら、さすがに叫びたくなるわよね……しかも殴ったのは母親……)
これまでの人生で初めて少しだけ私の中でエイダン様への同情の気持ちが生まれた。
だからと言ってここまでされた事を許しはしないけれど。
「──お、おうひ! きひゃま、このわたひに、な、なひをひた!」
陛下は、ムクリと起き上がると殴られた頬を手で抑えながら王妃様を睨む。
鼻からは鼻血が出ていて、目は涙目……
何もかもがつい先程、私に殴られたエイダン様の様子とそっくりだった。
おそらく周囲も同じことを思ったのか、どこからか失笑がもれ聞こえた。
「……何をした? 殴っただけですが?」
「ひょんなほほは、わかってふ! ひょうでははい! にゃへは!」
(やだ、言動までそっくり……)
「なぜだですって? え? もしかして、陛下は何も心当たりがないと仰る……?」
「ひょうへんは!」
「当然だ、ですって? ……まあ!」
間抜けな言葉しか発せない相手とのやり取りも既視感しかない。
笑ってはいけないと思うのに笑いが込み上げてくる。
(だけど、どうしてこうなったの? なぜ、王妃様は陛下を殴ったの?)
「───見事に吹き飛んだね。そして殴られた後の行動や言動もエイダンそっくりだ」
「えっと、シオン様?」
シオン様が呑気な声で私の横でそう口にする。
王妃様が陛下を殴ったことにはあまり驚いていない。
「どうかした?」
「……シオン様はこうなる事を予想していたのですか?」
私の質問にシオン様はうーんと顔をしかめた。
「予想……というか、殿下がフレイヤに手を強化してもらいたいと言った時に気付いた…………きっと父上を殴りたいんだろうなって」
そう口にしたシオン様の視線が王妃様に向かう。
陛下が半泣きで何かを叫んでいるけれど、王妃様は全部聞き流していた。
「……シオン様は最初から王妃様が自分の敵にはならないだろうと思っていたのですか?」
「半々かな。王妃殿下の考えは昔からあまり読めないから……でも」
シオン様は一旦そこで言葉を切る。
「でも……?」
「僕の留学するきっかけとなった件もあったし、それに……留学中、どこの国でも言われたんだ」
「何をですか?」
「王妃殿下によろしく伝えてくれって。どの国でも必ず名を上げられるのが、父上ではなく王妃殿下だったな、と今更ながらだけど思い出した」
「陛下ではなく王妃様……」
ああ、と思った。
それだけで色々見えてくるものがある。
「……もしかしたら、今回の僕への各国の承認も裏では王妃殿下が動いていたかもしれない」
「それは──かなり有り得そうな話ですね」
シオン様が留学中に作った人脈に加えて、王妃様の後ろ盾があるなら各国も安心して首を縦に振るだろう。
「でも、なぜ王妃様はシオン様の味方になったのでしょうか?」
実の息子も夫すらも見限って“側妃の子”であるシオン様を推す理由は……?
私がそんな疑問を口にした時だった。
陛下と王妃様の会話が聞こえて来る。
「───陛下? あなたがわたくしを婚約者に選んだ時のことを覚えていますか?」
「にゃひ?」
「わたくしを含めた残った数名の公爵令嬢……あなたは、その中からわたくしを選ぶ時に指をさしながらこう言いました」
明らかに覚えていなさそうな表情をする陛下に向かって王妃様は睨んだ。
皆、何が明かされるのかと静かにその行方を見守っている。
「────コレでいい」
王妃様の発したその言葉に誰もが息を呑んだ。
そして今、涙目で鼻血を流している陛下に対して冷たい目が向けられる。
(最っっ低! 信じられない!)
「陛下……いえ、当時の殿下に身分の低い令嬢の恋人がいることは既に周知の事実でした」
「……うっ」
「ですから、燃えるような愛にはならなくとも、互いに情を持ってこの国のための王と王妃になれたなら。わたくしたちはそう思い、全員あなたの婚約者候補として残っておりましたわ」
「……」
「それがまさか。そんな発言一つで選ばれるとは夢にも思いませんでした」
最初は思い出せずにポカンとしていた陛下も、ようやくその時のことを思い出したのか、どんどん顔色が悪くなっていく。
「……屈辱でした。ですが、選ばれた以上は辞退は許されませんでした」
「お、おうひ……」
「それでも、結婚すれば何かが変わるかも……そう期待したこともありましたが……結局あなたは」
───その先は言わなくても分かる。
陛下は無理やり、周囲の反対を押し切って恋人だった男爵令嬢のアーリャ妃を前例の無い“側妃”にした。
そして、アーリャ妃の懐妊───
「せめてまだ、側妃となられたアーリャ妃の事をあなたが守り、大切にしていれば、わたくしもここまであなたを見限ることは無かったでしょう。しかし、あなたは!」
その言葉に陛下が気まずそうに目を逸らす。
「ですから、わたくしは決めました」
「ひ、ひめた? な、なひをた!」
「王妃教育で、何度も何度も聞かされ続けた───……」
王妃様はまた少し微笑んだ。それは少し悲しげな笑み。
「───国のために生きること」
(……あ!)
王妃様の発したその言葉は、私も何度も繰り返し“王妃教育”で言われ続けたこと、だ。
「そうして次にわたくしは、国のためにならないこんなカスみたいな陛下を早々に玉座から引きずり下ろす為に必要な後継者について考えました。残念ながら同世代にこのカス陛下に代われる人物は居ませんでしたから」
「か、かふ!? ふ、ふはへるな! なんれ、わたひが、かふなんら!」
カス呼ばわりされた陛下が抗議の声を上げるけれど王妃様はマルっと無視をした。
「わたくしの産んだ息子エイダンとアーリャ妃の産んだシオン……残念ながらエイダンはあまりにもカス陛下と性格がよく似ていました。ですが、シオンは……」
そう言って王妃様はシオン様に視線を向ける。
「アーリャ妃の件もありましたからでしょう。まだ幼かったシオンの目には父親への憎しみと“いつかこんな国、変えてやる!”そんな気持ちが強く宿っているように感じました」
「……王妃殿下」
シオン様が、まさかそんな風に思われていたなんて、と驚いた様子で小さく呟いた。
「カスの陛下は魔力が弱いからと早々にシオンを見放しましたが、わたくしはそうは思わなかった」
「なっ!?」
「ですから外の世界を見せることにしたのです」
やっぱり、留学を勧めたのはシオン様の為だった───
王妃様は“国のために”シオン様を最初から後継者にしようと選んでいた……
「ちなみに、そこで這いつくばっているエイダンにもシオン同様、留学を進めたところ、嫌だの一点張り。むしろ何の為に他国へ行く必要があるのか? と聞かれました」
「は! ははうへ……そ、そへは!」
突然、話を振られたエイダン様が言い訳をしようとする。
王妃様はニコッと笑う。冷たい笑みだった。
「ええ、分かっていますよ、エイダン。あなたは、ただ勉強するのが嫌だっただけなのでしょう?」
「っ!」
図星を指されたエイダン様が気まずそうに目を逸らす。
「残念だこと。お前もシオンのように留学を選択し、この国の未来のためになるような意欲を少しでも見せていたならば───」
王妃様は一旦そこで言葉を切るとクスリと笑った。
「──まさか令嬢に殴られてそんな所で這いつくばる……なんて情けない事にはならなかったでしょうにね」
「は、ははうへ……」
エイダン様はその場にガクッと項垂れた。
「───……さて、陛下?」
項垂れたエイダン様を冷たく一瞥した王妃様は、再び陛下の方へと視線を向けた。
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