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35. 修羅場?

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  ───ぐはぁっ!
  私に殴られたエイダン様はそんな間抜けな声を上げて吹き飛んだ。

  (……弱っ)

  さすがに顔を殴るのに“強化”し過ぎると大惨事になってしまう思ってこれでもかなり手加減をした。
  それでも吹き飛んでしまうくらいエイダン様は打たれ弱かった。

  ───王太子がかつて婚約者だった令嬢に殴られて吹き飛んだ。

  その衝撃的な光景に陛下を始めとした誰もが声を出せずに唖然呆然とした顔で見ているだけだった。

「フ、フレイヤ!  き、きひゃま!  このわたひに、な、なひをすふ!」

  エイダン様は、ムクリと起き上がると殴られた頬を手で抑えながら私を睨む。
  鼻からは鼻血が出ていて、目は涙目だった。

「───えぇと、大変、失礼しました。虫がおりましたので退治しなくては……と思いましたの」
「む、むひだほ!?」

  私はエイダン様に向かってクスリと笑う。

  (ええ、虫よ?  なんて親子そっくりなのかしらね?)

「ええ、そうなのです。とっても腹の立つ虫でしたわ」
「はりゃのたふむひ!?」
「───っ!」
  
  私のその言葉を聞いてガタンッと椅子から崩れ落ちそうになったのは国王陛下だった。
  チラッと横目で視線を向けると、どうやら、あの日の床と壁を思い出したのか顔色が更に悪くなっていた。

  (一国の王とも思えない情けない姿ね……)

  とりあえず、陛下は後。まずはエイダン様が先。

「ねぇ、エイダン様?  もう一度聞かせて貰えません?」
「……にゃ、にゃひをだ?」

  私はコツコツと靴を鳴らして、にっこり微笑んで吹き飛んだエイダン様の元にゆっくりと近付く。
  エイダン様は明らかに怯えた目で私を見ている。

「だって、私の耳がおかしくなってしまったのかもしれないのです」
「……ひっ!」

  コツコツ……
  
「先程、何故か、あなたの“正妃になれ”という信じられない言葉が聞こえた気がしまして……」
「フ、フレ……」

  コツ

  エイダン様の目の前に辿り着いた私は笑みを深める。

「おかしな話でしょう?  ───だってまさか、今更そんな言葉……あなたが口にするはずありませんわよね?」
「……ひ、ひっ」
「国のためとか聞こえましたけど……どの口がそれを言ったのでしょう?」
「ひっっひっ……」

  エイダン様は完全に私に怯えているのか変な悲鳴しか出せていない。
  その時だった。

「……きゃぁぁぁぁあ!  な、何をしているんですかぁ!」
「!」

  聞き覚えのある悲鳴が扉付近から聞こえて来た。
  
  (この声は……ベリンダ嬢?)

  慌てて振り返ると思った通り、ベリンダ嬢が部屋の入口で顔を真っ青にして叫んでいた。

  (……やっと登場ね)

  私たちがここに突入する時刻に合わせてベリンダ嬢もここに来るように、と彼女の元に人を遣わせていた。
  エイダン様との間に何があったかは知らないけれど、ベリンダ嬢もここで一緒にご退場願わないといけない人だ。

  (なかなか来ないからどうしようかと思ったわ)

「エ……エイダン殿下がすごい顔になってます!  人間の顔じゃない……ひ、酷いです!  いったい、だ、誰がこんな事をしたんですか!?」

  そんな悲鳴を上げたベリンダ嬢はエイダンはの元へと駆け寄った。
  今、人間の顔じゃないとか言わなかったかしら?

「殿下!  大丈夫ですか!?  誰があなたにこんな酷いことを……」
「……」
「許せません!  王太子殿下に暴力を奮うなんて!  犯人は捕まえて拷問が必要です!」
「……」
「──殿下?  どうしました?」

  憤慨していたベリンダ嬢は、エイダン様の様子がおかしいとようやく感じたらしい。
  不思議そうにこてんと首を傾げる。

「先日から様子が変ですよ?  急にお部屋にこもってしまわれたり……そうですよ!  どうして私の声にも応えてくれなかったのですか?」
「……」
「それで、今日は突然呼ばれたので、ここに来てみたら、誰かに殴られたような顔……これはいったい?」
「……」
「ねぇ、でーんか?」

  ベリンダ嬢が可愛らしく微笑んでそっとエイダン様に触れようとした時だった。

「わ、わたひにさわふな!  こ、この……うわひおんなひゃ!」
「え……きゃっ!?」

  エイダン様はキッとベリンダ嬢に向けて睨むと、近付いた彼女の手を払い除けて突き飛ばした。
  その勢いでベリンダ嬢は尻もちをついた。

  (あら?)

  ──私に触るな!  こ、この浮気女が!
 
  エイダン様の口から、ベリンダ嬢に対して“浮気女”という言葉が出るなんて!
  これは本当にどこかで彼女の本性を知ったみたいだわ。
  エイダン様が居てもいなくても、予定では私たちがこの場で暴露する予定だったけれど、これなら色々と手っ取り早そう。

「やっぱりエイダンの引きこもりの理由は女狐だったみたいだね」
「シ、シオン様!」

  そう言って後ろから私を抱きしめて、そっと私の右手を取ったのはシオン様。

「すごい間抜けに吹き飛んで行ったね?  また虫がいた?」
「は……はい」

  すごい体勢なので内心で動揺してしまう。
  シオン様はなぜ、こんな密着を!?

「エイダンを殴りたくなる気持ちは分かったけど、フレイヤの美しい手が穢れてしまったなぁ」
「シシシシオン様!?」

  チュッとシオン様は私の右手にキスをする。

  (……あ)

  エイダン様を殴った後に残っていた痛みが引いていく。
  シオン様自身はきっと治療しているつもりは無いのだと思う。でも、私の手は完全にシオン様の力で癒されていた。

「フレイヤ、かっこよかったよ」
「っ!」
  シオン様がそっと私の耳元で囁く。

「シオン様……」
「今、こうして僕の腕の中にいるフレイヤはとっても可愛いけどね」
「か、からかわないで下さい!  もう!」
「からかってないよ?」

  ははは、と笑ったその時だった。

「な、何をするんですか!  エイダン殿下!」
「うるはい!  このふひだらなうわひもの!」
「な……!」

  エイダン様とベリンダ嬢の醜い争いが始まった。

「ふ、ふしだらな浮気者って、…………な、何の話ですか……まさか殿下がそんな酷い言葉を私に向けるなんて……!」

  ベリンダ嬢はショックを受けた表情で目をうるうるさせてエイダン殿下を見つめる。
  だけど、それは残念ながら今のエイダン様には全く効果が無かった。
  ひたすらベリンダ嬢の事を睨んでいる。
  
「な、何で……」

  呆然とするベリンダ嬢。エイダン様の突然の心変わりに頭がついていけていない様子。

  (ベリンダ嬢を正妃にしないと宣言したのはこれが理由だった……)

  それは賢明な判断だったとは思うけれど、それならやっぱり私を正妃にすればいい!  そう安直に考えるところが、エイダン様は全く人の気持ちを考える事が出来ていない。

「わたひは、シオンとはなひていたのをひいた!」
「……え」

  エイダン様のその言葉でベリンダ嬢の顔色が変わる。

「───あぁ、そうか。エイダンは僕と女狐の会話を聞いていたのか」
「シオン様?」
「それでショックで引きこもっていた、と、なるほど」

  シオン様はようやく腑に落ちたよ、そう言った。

「話していたのを聞いたって、そ、それだけで私を疑うんですか?  エイダン殿下、私を信じてくださいっ!」
「……」

  ベリンダ嬢が必死に訴えるけれどエイダン様は答えない。
  でも、少し不思議だわ……と思う。
  あんなにベリンダ嬢に惚れていたエイダン様だから、話を聞いたくらいではそう簡単には浮気なんて信じないと思ったのだけど……どうして今回は信じたのかしら?

  私のその疑問はベリンダ嬢も同じだったらしい。
  彼女はハッとして私を見た。そして、目に涙をいっぱい溜めて叫んだ。

「そうだわ──分かったわ。これは……いいえ!  これも、全てフレイヤ様の陰謀なのですね!?」

 
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