6 / 30
6. 近付く距離と不穏な足音
しおりを挟む「アリーチェ。その、本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫です……のでお構いなく……」
エドワード様のせいで砕けていた腰もどうにか落ち着いたので、椅子から滑り落ちた際の痛みを堪えて、どうにか立ち上がる。
恥ずかしいうえに、完全にヨロヨロだ。
「そ、それではエドワード様、今日はこれで失礼しますね」
「あ、アリーチェ! 待って」
エドワード様が手を伸ばし私の腕を掴んだ。
「どうしました?」
「アリーチェ、少し屈んで俺の方に顔を寄せてくれる?」
「?」
言われた通りに屈んで、エドワード様の方へと顔を寄せた。すると──
──チュッ
「ひゃっ!?」
私が小さな悲鳴をあげて慌てて頬を抑えながら離れる。
(い、今……ほ、頬にキス……された!?)
動揺する私を見たエドワード様は優しく笑った。
「……思っていたより可愛い反応だ」
「い、いきなり、な、な、何をするんですか!」
私が真っ赤になって叫ぶとエドワード様は「本当に可愛いね」と言って笑う。
これは、私をからかっているのでは?
なんて思ってしまったけれど、エドワード様はすぐに真面目な顔付きになると言った。
「アリーチェ。記憶を失くす前の俺は、君にとって良い婚約者ではなかったかもしれない。いや、なかったんだろう」
「……!」
「でも、俺は君を大切にしたいんだ」
「エドワード……様?」
エドワード様のその真剣な顔と真っ直ぐな瞳から目を逸らせない。
そして、胸のドキドキが止まらない……!
「どうか、今はそれだけは覚えておいてくれると嬉しい」
「……」
顔を真っ赤にした私は、言葉が発せずコクコクと頷く事しか出来なかった。
「アリーチェ嬢」
「伯爵様?」
エドワード様の部屋を出た所で伯爵様と鉢合わせた。
まだ、顔が赤いかもしれないのに!
と、内心焦る。
「今日もありがとう。エドワードがとても喜んでいるよ」
顔の赤さについては追求されなかったのでホッとした。
「いえ、そんな」
私は首を横に振る。
お礼を言われてしまったけれど、私は大袈裟な事はしていない。
ただ会って話をしているだけ……
「エドワードは君が帰った後もね、私達に自分自身の事ではなくアリーチェ嬢の事ばかり聞いてくるんだ」
「え?」
「……全く、自分の事を思い出す気があるんだか無いんだか……」
伯爵様はそう言って肩を竦めた。
「……本当は記憶を失くしたエドワードなんて見捨てて婚約を考え直しても不思議では無かったのに……ありがとう」
続いて今度は頭まで下げられてしまった。
「は、伯爵様! 顔を顔を上げて下さい! 私に頭など下げないで下さい」
「だが……」
「私は、自分が好きでエドワード様の傍にいるのです。だから……」
「これまでアリーチェ嬢と過ごした記憶は失っているのに? それでも?」
伯爵様の言葉に私は曖昧に微笑む事しか出来ない。
確かに子供の頃の記憶を共有出来ないのは寂しいという気持ちはある。
でも、婚約者となってからの日々を思うと……忘れてくれて良かった……なんて思ってしまう自分がいるから。
(何か理由があって態度が変わってしまったのなら、その理由を思い出して欲しくない)
記憶を失くす前のエドワード様に“好きな人”がいたのかもしれないなら尚更。
そう思ってしまう私は酷い女なのかしら?
「失った記憶は私が覚えているから構わないのです。もし、エドワード様が今後、記憶を取り戻す事が無くてもここから新しい関係を築いていく事は出来ますから」
「アリーチェ嬢……」
私が微笑みながらそう口にすると、伯爵様は何度も何度もありがとうと言っていた。
*****
「ねぇ、アリーチェ。どこまでなら許される?」
「はい? どこまで、とは??」
複雑な気持ちを抱えながらも、伯爵家に通う事はやめない。やめたくない。
少しでもエドワード様の傍にいたいから。
記憶に関してはさっぱりな様子だけど、エドワード様が負った身体の傷も癒えてきた頃、彼は突然、おかしな事を言い出した。
「……え?」
エドワード様は私への距離を一歩縮めると、にっこり笑って言った。
「アリーチェへと近づける距離だよ」
そう言って私の髪をひと房手に取ると、そこにキスを落とした。
「っっっ!」
(本当に本当にこの人はエドワード様なの!?)
こんな事は、今まで一度だってされた事がない……
心臓が破裂しそうよ!
「君にどこまでなら近付いても許されるのだろうか? 俺は毎日毎日そんな事ばかり考えている」
「え?」
「俺達は婚約者同士なのだから、そんな事を気にする必要は無いのも分かっている。それでも……」
エドワード様からは笑顔が消えて、どこか瞳が不安で揺れている。
「アリーチェの事を忘れてしまった薄情な俺なんかが君に触れる資格なんて無いんじゃないかと思うと……怖いんだ」
「エ、エドワード様……」
「君に嫌われるのだけは……嫌なんだ」
「~~!」
なんて事を口するの、この人は!
堪らなくなった私は、エドワード様を抱き締める。
エドワード様の身体は少し震えていた。
「嫌いになんてなりません」
「アリーチェ?」
「記憶があっても無くても、エドワード様はエドワード様です。私はエドワード様の事が……好きですよ?」
だってあれだけ素っ気なくされても好きな気持ちは消えなかったんだから。
別人のようでもエドワード様はエドワード様。
今のエドワード様にはドキドキさせられてばかりだけれど。
「アリーチェ……ありがとう」
エドワード様が優しく私を抱き締め返してくれた。
(このまま……ずっとあなたとこうしていられたらいいのに)
───だけど、その願いは程なくして打ち砕かれる事になる。
「え? 今、何て?」
その日も、すでに毎日の日課となりつつある伯爵家へと訪問し、いつものようにエドワード様と過ごしていた時だった。
「うん……ケルニウス侯爵家から先触れが届いていてね……ぜひ、お見舞いに伺わせて貰いたいと言ってるんだよ」
「ケルニウス侯爵家……」
それは、エドワード様の元にあった手紙の送り主。
私の心臓がドクリと嫌な音を立てる。
「手紙の件もあったから、父上達にも話しはしておいたけれど、まぁ、相手は侯爵家だしね。断る理由もないという事で……今日の午後、訪ねて来る事になっている」
「そう……なんですね」
私の声が震える。
エドワード様の事故に関しては世間に隠している話では無いので知っている人は知っている。なので、お見舞いに来るのも不思議な話では無い。
記憶喪失に関しては伏せているそうだけど。
「記憶喪失の件は……」
「あまり、言い触らしたい事では無いからね。事故の後遺症であまり喋れない事にしておこうかと思ってる」
そこまで言ったエドワード様が私の手をギュッと握ってくる。
「……アリーチェ。一緒にいてくれる?」
「え? 私が同席するのは……先方も嫌がるのでは?」
「……向こうが拒否した場合は仕方ないけど、そうでなければ……いて欲しい」
「エドワード様……」
握られていた手にさらに力が込められる。
(どこかエドワード様の様子がおかしい気がする)
そんな私の視線に気付いたエドワード様が苦笑した。
「……実はさ、何だか少し頭痛がするんだ」
「!!」
それは、まさか記憶が?
「でも、心配しないで? 大丈夫だから」
「ですが……」
「アリーチェがいてくれたら……大丈夫」
「……エドワード様」
そう言ってエドワード様はそっと私を抱き寄せた。
──そして、その日の午後。
ケルニウス侯爵家の“その人”は伯爵家を訪ねて来た──
34
お気に入りに追加
4,259
あなたにおすすめの小説
「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
多産を見込まれて嫁いだ辺境伯家でしたが旦那様が閨に来ません。どうしたらいいのでしょう?
あとさん♪
恋愛
「俺の愛は、期待しないでくれ」
結婚式当日の晩、つまり初夜に、旦那様は私にそう言いました。
それはそれは苦渋に満ち満ちたお顔で。そして呆然とする私を残して、部屋を出て行った旦那様は、私が寝た後に私の上に伸し掛かって来まして。
不器用な年上旦那さまと割と飄々とした年下妻のじれじれラブ(を、目指しました)
※序盤、主人公が大切にされていない表現が続きます。ご気分を害された場合、速やかにブラウザバックして下さい。ご自分のメンタルはご自分で守って下さい。
※小説家になろうにも掲載しております
愛する貴方の愛する彼女の愛する人から愛されています
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「ユスティーナ様、ごめんなさい。今日はレナードとお茶をしたい気分だからお借りしますね」
先に彼とお茶の約束していたのは私なのに……。
「ジュディットがどうしても二人きりが良いと聞かなくてな」「すまない」貴方はそう言って、婚約者の私ではなく、何時も彼女を優先させる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
公爵令嬢のユスティーナには愛する婚約者の第二王子であるレナードがいる。
だがレナードには、恋慕する女性がいた。その女性は侯爵令嬢のジュディット。絶世の美女と呼ばれている彼女は、彼の兄である王太子のヴォルフラムの婚約者だった。
そんなジュディットは、事ある事にレナードの元を訪れてはユスティーナとレナードとの仲を邪魔してくる。だがレナードは彼女を諌めるどころか、彼女を庇い彼女を何時も優先させる。例えユスティーナがレナードと先に約束をしていたとしても、ジュディットが一言言えば彼は彼女の言いなりだ。だがそんなジュディットは、実は自分の婚約者のヴォルフラムにぞっこんだった。だがしかし、ヴォルフラムはジュディットに全く関心がないようで、相手にされていない。どうやらヴォルフラムにも別に想う女性がいるようで……。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
あなたの事は記憶に御座いません
cyaru
恋愛
この婚約に意味ってあるんだろうか。
ロペ公爵家のグラシアナはいつも考えていた。
婚約者の王太子クリスティアンは幼馴染のオルタ侯爵家の令嬢イメルダを側に侍らせどちらが婚約者なのかよく判らない状況。
そんなある日、グラシアナはイメルダのちょっとした悪戯で負傷してしまう。
グラシアナは「このチャンス!貰った!」と・・・記憶喪失を装い逃げ切りを図る事にした。
のだが…王太子クリスティアンの様子がおかしい。
目覚め、記憶がないグラシアナに「こうなったのも全て私の責任だ。君の生涯、どんな時も私が隣で君を支え、いかなる声にも盾になると誓う」なんて言い出す。
そりゃ、元をただせば貴方がちゃんとしないからですけどね??
記憶喪失を貫き、距離を取って逃げ切りを図ろうとするのだが何故かクリスティアンが今までに見せた事のない態度で纏わりついてくるのだった・・・。
★↑例の如く恐ろしく省略してます。
★ニャンの日present♡ 5月18日投稿開始、完結は5月22日22時22分
★今回久しぶりの5日間という長丁場の為、ご理解お願いします(なんの?)
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません。
旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。
バナナマヨネーズ
恋愛
とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。
しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。
最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。
わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。
旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。
当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。
とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。
それから十年。
なるほど、とうとうその時が来たのね。
大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。
一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。
全36話
この度、変態騎士の妻になりました
cyaru
恋愛
結婚間近の婚約者に大通りのカフェ婚約を破棄されてしまったエトランゼ。
そんな彼女の前に跪いて愛を乞うたのは王太子が【ド変態騎士】と呼ぶ国一番の騎士だった。
※話の都合上、少々いえ、かなり変態を感じさせる描写があります。
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
王子妃だった記憶はもう消えました。
cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。
元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。
実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。
記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。
記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。
記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。
★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日)
●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので)
●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。
敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。
●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる