6 / 26
第6話
しおりを挟むその日、旦那様(仮)が二枚のハンカチを持って私の部屋を訪ねて来た。
(あら? そのハンカチは……)
「アリス。君が壊滅的に不器用な事は、ここ数日でよく分かったつもりだった」
「……」
(壊滅的……)
「てっきり、あの全てを炭にした料理の腕前だけなのかと思っていたのだが……」
「……」
(さすがに全てを炭にはしていないわ……多分)
晴れて無事に、私達の婚姻誓約書は受理をされ、旦那様(予定)だったギルバート様は私の旦那様(仮)となった。
ついに私も人妻(仮)となったわけで。
「侍女が、この地域では新妻は夫となった人の為に、心を込めてハンカチに刺繍するんですよ、と教えてくれましたの」
「そうらしいな」
旦那様(仮)はうんうんと頷く。
「ですから、私も新妻(仮)としてここはやらねばと思いまして!」
「そうして完成したのが……これだな」
旦那様(仮)が私に向かって手元に持っていたハンカチを広げて見せてくれる。
そのハンカチへの刺繍は、私がどうにかこうにか新妻(仮)の務めとして頑張って仕上げた物で間違いない。
「そうですの。私の過去一番の最高傑作ですわ」
「!」
旦那様(仮)が一瞬、すごく驚いた顔をしたような気がしたのだけれど気の所為かしらね。
「最高傑作……だったのか。なるほど……なぁ、アリス。ちなみにこれは何を刺繍したんだ?」
「え?」
その言葉に私は驚く。
ショックを受けたから……ではなく、旦那様(仮)の目と頭が心配になったからだった。
「ま、まさか! 旦那様(仮)は、ご自分の家の家紋をご存知無いのですか……?」
「家紋!」
「ええ、家紋ですわ。ちょうど旦那様(仮)が今、手に取っておられる方のハンカチがそうですわね」
「これか……」
旦那様(仮)は、ハンカチを広げて「これが家紋……」と呟いている。
(そんなに、しげしげと眺めるほど珍しかったのかしら?)
どこからどう見ても家紋でしょう?
ちょっぴり、歪んでいるけれど!
でも、家紋入りの刺繍した物を贈る事が出来るのは、“妻”という存在のみなので、旦那様(仮)はこれまで家紋が刺繍されたハンカチを見る機会が無かっただけなのかもしれない。
(それなら仕方が無いわね)
「あー、コホンッ、アリス。その、なんだ……ありがとう」
「……! い、いえ……」
旦那様(仮)の手が私の頭に伸びて、優しく撫でられた。
「だがな……一枚目と比べて見ても……その……こちらの二枚目は……」
「え?」
「なぁ、アリス。これは……」
刺繍入りのハンカチは二枚贈っている。旦那様(仮)は、そのもう一枚を今度は見せて来た。
新妻が新婚の旦那様に刺繍して贈るハンカチ。
一つは家紋になる。もう一つは何でもいいと聞いたので思いつくままに刺した。
「もちろん! 見た通りの犬ですわ」
私は満面の笑みで答える。
こちらもちょっぴり歪んではいるけれど、なかなかの出来なのよ!
「ワン……」
「そう、可愛いワンコですけど……あ、旦那様(仮)は、もしかしてここに刺繍された犬の種類を聞いているんですの? さすがに刺繍された物では犬の種類までは判別が難しいですわよね」
「え? あ、いや……その……」
「?」
何をそんなに狼狽えているのか分からず、私は首を傾げる。
「旦那様(仮)……?」
「……」
「……」
「…………そ、そうだ! そうなんだ!! 何の犬なんだ? 私はあまり犬の種類には詳しくないんだ! ははは!」
「ふふふ、そうでしたのね」
私も笑って答えた。
(まぁ、私ももう一枚はどうしようかしらと思った時に、ふと浮かんだのが、あの結婚の話を進めていた時のしょげた犬の様だった旦那様(仮)だったから犬にしただけ……)
「犬……そうか、犬……だよな、これは、犬……(見えん!!)」
こうして、無事に刺繍の謎も解けた旦那様(仮)は、謎の呟きはあったもののスッキリされたようで私もホッとした。
「アリス」
「はい」
「……ありがとう。だが、そのこういった事は無理をしなくても構わない」
「無理……ですか?」
旦那様(仮)が、労わるような目で私を見る。
何故、そんな目を?
……はっ! 私はあくまでも“お飾りの妻”だからそこまでする必要は無い、と言いたいのかしら。
「その、まぁ……(不器用で苦手だと言うのなら怪我しないかとか)心配になるじゃないか……」
「心配……?」
(……なるほど! お飾りの妻のくせに出しゃばって、本当の妻になりたいと求めて来ないか心配しているのね!!)
ご安心を旦那様(仮)! そんな気さらさらありませんわ!!
「いえ、心配はご無用です。私はちゃんと(自分の立場というものを)弁えておりますので」
「弁えている……? ああ、自分の事は自分が一番分かっている……と言いたいのか。だが、あまりそうは見えないのだが……」
ちゃんと、出しゃばらずに“お飾り妻”としての役目を果たして見せます!
と、宣言しているつもりなのに、何故か旦那様(仮)の顔色は冴えない。
(そうは見えない? おかしいわね……どこで私は誤解させるような事をした?)
「とりあえず、今後はもう無理をするな」
そんな事を口にして真剣な目で私を見てくる旦那様(仮)を見ていたら、何故か突然、頭の中に王女様の存在が浮かんだ。
「王女様……」
「うん? 何か言ったか?」
「…………っ! い、いえ! 何でもありません!!」
私は慌てて首を横に振る。
(い、言えないし、聞けないわ! 王女様も旦那様(仮)に刺繍した物を贈っていたのかしら……なんて考えてしまった、だなんて!)
そうね。でも、きっと私と違って王女様はとても上手だったに違いな───
「そうか? だが、ありがとう。大事に使わせてもらうよ」
「え、あ、ありがとう……ございます」
自分で言うのも何だけど、どうでもいい存在のお飾りの妻が刺繍した物なのに使う気なの? と心の底から驚いた。
「だが、反面(からかわれそうなので)人に見せずに取っておきたい気持ちにもなってしまうな」
「そうですよね」
やっぱり嫌々なのね……
「その気持ちは分かります。なのでどうぞ、無理せず……(その辺に放置で構わなくてよ?)」
「分かってくれるのか?」
「ええ! 恥ずかしいという気持ちはとても」
「あぁ、そうだな(からかわれるのは恥ずかしい)」
(……んん?)
このお飾りの妻からのプレゼントのハンカチ達の扱いに困ってるはずの旦那様(仮)は、何故かほんのり頬を赤く染めて微笑んでいる。
(……んんん?)
こうして私達、新婚夫婦(仮)の会話はどこか噛み合っているような、いないようなままで今日も突き進んでいく。
(不思議……)
お飾りの妻であり、白い結婚のはずなのに、何故か居心地がよく、覚悟していたような冷遇扱いもされない。
旦那様(仮)にも、実家同様キッチン接近禁止命令を受けてしまったから、炭ご飯も焦げ焦げご飯も出て来ないので毎日のご飯も美味しい!
(思っていたのとは随分と違う結婚生活になった気がするわ……)
「……そうね、これは新しい……かも」
「アリス?」
「あ、いえ。そろそろお仕事を再開しようと思っただけですわ」
「仕事……」
(そう言えば、旦那様(仮)にまだ、何の仕事をしているか説明していなかった気がする)
「仕事……こんなにも壊滅的でとんでもない不器用なのに、いったいアリスは何の仕事をしているんだ……!?」
…………気のせいかしら。何だか物凄く失礼な言葉が聞こえた気がした。
82
お気に入りに追加
4,814
あなたにおすすめの小説
王子様、あなたの不貞を私は知っております
岡暁舟
恋愛
第一王子アンソニーの婚約者、正妻として名高い公爵令嬢のクレアは、アンソニーが自分のことをそこまで本気に愛していないことを知っている。彼が夢中になっているのは、同じ公爵令嬢だが、自分よりも大部下品なソーニャだった。
「私は知っております。王子様の不貞を……」
場合によっては離縁……様々な危険をはらんでいたが、クレアはなぜか余裕で?
本編終了しました。明日以降、続編を新たに書いていきます。
わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。
契約婚しますか?
翔王(とわ)
恋愛
クリスタ侯爵家の長女ミリアーヌの幼なじみで婚約者でもある彼、サイファ伯爵家の次男エドランには愛してる人がいるらしく彼女と結ばれて暮らしたいらしい。
ならば婿に来るか子爵だけど貰うか考えて頂こうじゃないか。
どちらを選んでも援助等はしませんけどね。
こっちも好きにさせて頂きます。
初投稿ですので読みにくいかもしれませんが、お手柔らかにお願いします(>人<;)
あなたの1番になりたかった
トモ
恋愛
姉の幼馴染のサムが大好きな、ルナは、小さい頃から、いつも後を着いて行った。
姉とサムは、ルナの5歳年上。
姉のメイジェーンは相手にはしてくれなかったけど、サムはいつも優しく頭を撫でてくれた。
その手がとても心地よくて、大好きだった。
15歳になったルナは、まだサムが好き。
気持ちを伝えると気合いを入れ、いざ告白しにいくとそこには…
殿下が私を愛していないことは知っていますから。
木山楽斗
恋愛
エリーフェ→エリーファ・アーカンス公爵令嬢は、王国の第一王子であるナーゼル・フォルヴァインに妻として迎え入れられた。
しかし、結婚してからというもの彼女は王城の一室に軟禁されていた。
夫であるナーゼル殿下は、私のことを愛していない。
危険な存在である竜を宿した私のことを彼は軟禁しており、会いに来ることもなかった。
「……いつも会いに来られなくてすまないな」
そのためそんな彼が初めて部屋を訪ねてきた時の発言に耳を疑うことになった。
彼はまるで私に会いに来るつもりがあったようなことを言ってきたからだ。
「いいえ、殿下が私を愛していないことは知っていますから」
そんなナーゼル様に対して私は思わず嫌味のような言葉を返してしまった。
すると彼は、何故か悲しそうな表情をしてくる。
その反応によって、私は益々訳がわからなくなっていた。彼は確かに私を軟禁して会いに来なかった。それなのにどうしてそんな反応をするのだろうか。
あなたを愛するつもりはない、と言われたので自由にしたら旦那様が嬉しそうです
あなはにす
恋愛
「あなたを愛するつもりはない」
伯爵令嬢のセリアは、結婚適齢期。家族から、縁談を次から次へと用意されるが、家族のメガネに合わず家族が破談にするような日々を送っている。そんな中で、ずっと続けているピアノ教室で、かつて慕ってくれていたノウェに出会う。ノウェはセリアの変化を感じ取ると、何か考えたようなそぶりをして去っていき、次の日には親から公爵位のノウェから縁談が入ったと言われる。縁談はとんとん拍子で決まるがノウェには「あなたを愛するつもりはない」と言われる。自分が認められる手段であった結婚がうまくいかない中でセリアは自由に過ごすようになっていく。ノウェはそれを喜んでいるようで……?
婚約を破棄したいと言うのなら、私は愛することをやめます
天宮有
恋愛
婚約者のザオードは「婚約を破棄したい」と言うと、私マリーがどんなことでもすると考えている。
家族も命令に従えとしか言わないから、私は愛することをやめて自由に生きることにした。
【完結】どうかその想いが実りますように
おもち。
恋愛
婚約者が私ではない別の女性を愛しているのは知っている。お互い恋愛感情はないけど信頼関係は築けていると思っていたのは私の独りよがりだったみたい。
学園では『愛し合う恋人の仲を引き裂くお飾りの婚約者』と陰で言われているのは分かってる。
いつまでも貴方を私に縛り付けていては可哀想だわ、だから私から貴方を解放します。
貴方のその想いが実りますように……
もう私には願う事しかできないから。
※ざまぁは薄味となっております。(当社比)もしかしたらざまぁですらないかもしれません。汗
お読みいただく際ご注意くださいませ。
※完結保証。全10話+番外編1話です。
※番外編2話追加しました。
※こちらの作品は「小説家になろう」、「カクヨム」にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる