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28. 面白くもなんともない話

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「───ジョエル。顔が酷い。戻せ」
「……」
「あらあら、いいじゃない。既に相手は小物感漂っているし……ジョエルには威嚇させとけばいいのよ」

 パターソン伯爵家からの訪問連絡を受けた後、ジョエル様の様子がおかしい。
 明らかに変わった。
 無表情が崩れて誰が見ても怒っている。

 訪問連絡の手紙を見て侯爵様はため息を吐いた。

「訪問は断る───そう跳ね除けてやりたいが、この駆け落ち失敗息子がセアラ嬢がジョエルと婚約したことを今、知ったばかりとなると……」
「逆に何をされるか分からないわよねぇ」

 侯爵様の言葉を夫人が受け継ぐ。

「この駆け落ち坊やは昨日、偶然セアラさんと会っても罪の意識を感じることなくヘラヘラしていたのでしょう?」
「はい。悪びれている様子は全く無かったです」
「……バカ親とバカ息子の典型ね」

 夫人が呆れて肩を竦める。

「こういう人たちは訪問を断ってもね、執拗いのよ……本当に勘違いも甚だしい女々しい男っていうのは厄介ね」
「ああ、そうだろうな」
「どうして身勝手に捨てた側って“捨てられた相手がまだ自分のことを好きでいてくれる”……なんて甘い幻想が抱けるのかしら?  どんな純愛も粉々に砕けたに決まっているでしょ……」

 侯爵夫人は何か苦い経験でもあるのか、苦虫を噛み潰したような表情でそう吐き捨てた。

 そうして話し合いの結果。
 パターソン伯爵家……マイルズ様たちが、私に対していったいどんなお涙頂戴の“言い訳”をしてくるかだけ聞いてやろう……
 そう決めた私たちは、訪問を受け入れることにした。




 話し合いを終えて部屋に戻ろうとジョエル様と廊下を並んで歩く。
 すれ違う使用人たちがジョエル様の顔を見る度に小さな悲鳴を上げている。

「……ジョエル様、眉間の皺が凄いことになっていますよ?」
「……!」

 ジョエル様は眉間に手を当ててなんとか皺を伸ばそうとしている。

「えっと、顔をしかめるのを止めれば伸びるのではないでしょうか?」
「……それは難しい」

 即答だった。

「あの男たちの言い訳を聞く……」

 そんなジョエル様がポソッと語る。

「はい?」
「セアラは……思い出し、てまた傷付く」
「ジョエル様……」

 もしかして、話し合いは終えたのに、無表情のはずのジョエル様が明らかに不機嫌丸出しなのは、マイルズ様の訪問を受け入れて身勝手な言い訳を聞かされることで私が、色々と思い出してしまい、また傷付くと思っているから?

(優しい人……)

「……ジョエル様」
「!?」

 私はジョエル様の手をそっと取り優しく握りしめる。

「私は“今”が幸せなんです」

 ジョエル様の目が大きく見開く。

「結婚式で放置されたこと、あの時の私を嘲笑う声……忘れたわけではありません」
「……」
「ですが、あれがあったから私は今、こうしてここ……ジョエル様の隣にいます」

 ギュッ……

「あのまま、何も知らずにパターソン伯爵家に嫁入りしなくて良かった。そう思っているんです」
「……」
「私はギルモア侯爵家の皆さん……侯爵様、夫人──ジョエル様のことが好きだから」
「セア……ラ」

 ピクっとジョエル様の手が微かに震えた気がした。

「私はもう一度傷付くためにマイルズ様と会うのではなく、今の幸せを守るために会います」
「セアラの今の幸せ……」

 私は静かに微笑む。

「彼らのくだらない言い訳や言い分とやらを、ここで聞いておくのは悪くないと思います」
「……」
「あることないことでっちあげられて、私の知らない所でマイルズ様との婚約破棄無効とジョエル様との婚約無効を訴えられる方が困ります」

 もちろん、そうなったとしてもこっちは負けない。
 私とマイルズ様の婚約は破棄されていて、ジョエル様との婚約は正式に認められている。

(ただ……)

 もし、公にその件で騒いでしまうと次にあの人たちが黙っていない。
 私の実家───ワイアット伯爵家。
 必ずあの人たちがしゃしゃり出て来てもっと面倒な事態に発展してしまう。
 幸い、まだあの人たちは静かだ。

「お姉様や両親が動き出す前に───ここでまず先にマイルズ様たちを潰しておかないとダメなんです」
「セアラ……」

 ジョエル様が反対の手で優しく私の頭をポンポンと撫でてくれた。

「……」
「……」

(不思議……言葉はないのに安心する……)

 無口で、今はとても怖い表情なのに。
 私の心がとてもあたたかい。

「ジョエル様……」
「?」
「マイルズ様たちと会う時、こうして手をギュッとしてくれませんか?」

 ジョエル様がグッと息を呑む。

「馬車の時と逆です。今度は私が“苦手なもの”に挑むので」
「……助け合い?」
「はい!  それです!」
「……」

 ジョエル様は分かった、という言葉の代わりに力強く手を握り返してくれた。



─────



「───セアラ!  聞いてくれ……僕は、僕はすっかりシビル嬢に騙されていたんだ!」
「……」

 その日の午後。
 マイルズ様──パターソン伯爵家の人たちは時間通りにギルモア侯爵邸に現れた。

 そして、挨拶もそこそこ……
 《駆け落ち失敗坊やのお涙頂戴の茶番劇(命名  侯爵夫人)》がスタートした。

 ───騙されていた。

 お姉様との関係が壊れた今、絶対に出るであろう言葉が早速登場。
 私はチラッと侯爵夫人を見る。
 私と目が合った侯爵夫人は、呆れた目で首を横に振った。

(……マイルズ様。残念ね……あなた、失格ですって)

 どうせなら、この私があっと驚くような面白い言い訳を用意してくれないかしら?
 そう来たのねーーみたいなやつが聞きたいわ!

 パターソン伯爵一家が到着する前、夫人はそう言っていた。
 しかし、騙されていたんだ!  
 これは、あっと驚くどころか予想のど真ん中。

「セアラ……実は言えなかったけど、結婚式が迫るにつれて僕はずっと悩んでいたんだ」
「……」
「こんな僕で、本当に君を幸せに出来るのだろうか、と……」

 その言葉に私はカッと目を見開く。

(……すごい!  この失格男……さらにベッタベタな話を上乗せして来たわ!?)

 失格の失格……!
 マイルズ様は、どれだけ失格を重ねようというの?

「そんな悩める僕の相談に……シビル嬢は親身にのってくれていたんだ……」
「そ、そんな!  ……私に隠れて二人でこっそり!?」

(あ!  しまった!)

 マイルズ様には気持ちよく自分に酔った話をしてもらうため、
 ここはもっとショックを受けたフリで言葉を返すはずだったのに!

 名演技どころか棒読みになってしまった!
 侯爵様と侯爵夫人の私を見る目が……憐れんでいる!  
 しかもジョエル様まで無表情なのに“大丈夫か?”って心配して手を強く握って来ているんですけど!?

(私ってこんなに演技が下手だったのね……)

 地味にショックを受けた。
 だけど、悲劇のヒーロー気取りの自分に酔った失格の失格男、マイルズ様とその家族はそんな棒読みだった私の演技に気付かずさらに自分に酔いしれていく。

「セアラ、すまない。だって君は無邪気に僕との結婚を楽しみにしていたから」
「……」
「君も知っていたと思うが、シビル嬢はシビル嬢で自分の婚約に悩んでいた……」

 マイルズ様はそれがお前たちだぞ!  そう言いたそうな目でギルモア侯爵、夫人、ジョエル様の顔を見ながら言った。

「僕らは互いの悩みを話すようになり……それで……いつしか気持ちが……その」

 お姉様とマイルズ様の関係。
 二人の距離の縮め方も、何の意外性もないワンパターン話だった。
 あまりのつまらなさに侯爵夫人が欠伸を噛み殺している様子が見えた。

(欠伸……私もつられそう)

「でも、僕はシビル嬢の本性を知って目が覚めた!」

(おはよう……)

 私はこっそり目を擦る。

「そして昨日、君を連れ去った男がギルモア侯爵令息だと気付いて両親に慌てて問い詰めた!」

 間抜けな顔をしていたけれど、ジョエル様が誰なのかはきちんと思い至っていたらしい。

「そうしたら!  君はシビル嬢の代わりにギルモア侯爵令息と婚約したと言うじゃないか!」
「……」
「駄目だ、セアラ!  これではシビル嬢の二の舞!  君も不幸になる!」

 マイルズ様が訴えかけるかのように声を張り上げた。

「そうだ、ワイアット嬢。今回、マイルズのしたことは確かに酷く君を傷付けた。そのことは何度でも謝らせよう。だから……」
「そうよ!  でもマイルズも被害者なのよ!  分かってあげて?」

 ここで、それまで息子一人に語らせて黙りだったパターソン伯爵夫妻が参戦。

「……私はあなたが娘として嫁いで来てくれる日をとても楽しみにしていたのよ!」
「!」

 その言葉は!

 ───セアラ嬢がマイルズの心をしっかり掴めていなかったことが、今回の出来事のそもそもの原因なのではないかね?
 ───それもそうよねぇ……だから私は最初からこの結婚には反対だったのよ

 あの時、責任をなすりつけようとするこの夫妻は私にこう言っていた。

 ───母上も君が我が家に来るのをずっと楽しみにしているんだよ

 のらりくらりと私には適当なことを口にしていた元婚約者の男マイルズ様

「……」

(阿呆らしい………もう、いいかな?)

 結局、なんの面白みもなさそうな茶番劇にはもう飽きた。
 私はジョエル様と繋いでいる方の手にグッと力を込める。

 ギュッ……

 すると、ジョエル様が強く握り返してくれた。
 チラッと横目でその顔を見てみたけれど無表情のまま。
 それでもジョエル様の想いはきちんとこの手の温もりから伝わって来た。

 私は軽く深呼吸をしてから口を開く。
 もちろん笑顔は忘れない。

「────パターソン伯爵、夫人、そしてマイルズ様。こたびの騒動の経緯と皆様のお気持ち……よーーく分かりました!」

 三人がハッと顔を上げる。
 笑顔を浮かべている私を見て三人は明らかにホッとしている。

「マイルズ様のお話、伯爵様と夫人のそのお声を聞いて…………私、決めました」
「セアラ……!  分かってくれたんだね?」
「ワイアット嬢……!」
「分かってくれて良かったわ!」
「……」

 私はニコッと、とびっきりの顔で微笑むと三人に向かって告げる。

「───パターソン伯爵家、並びにマイルズ様個人宛への慰謝料の請求金額を…………大幅に上乗せしますね!」
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