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20. パーティーへ

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(ま……間違えた?)

 抱きしめた温もりから伝わってくる───ジョエル様が完全に固まっている!
 名前を呼ぶことすら“段階が必要”とか言っていたジョエル様。
 ご所望の“ギュッ”はこっちではなかったのかもしれない。

「……」

 私はチラッと見送りの使用人たちに視線を向ける。

 ───私、間違えましたよね?

 ───いいえ、正解です。問題ございません!
 ───(未来の)夫婦円満の秘訣には必要なことでございます!

(えーー?)

 そんな視線が戻って来た。
 夫婦円満の秘訣……?  知らなかったわ。
 嫁の心得といい私の知らないことが何だか多すぎる。

「……」

 つまり、あのままマイルズ様と無事に結婚式を挙げて彼と夫婦となっていたなら、夫婦円満の為に彼と人前でこのようなことを……?

(ん~…………何だかしっくり来ない)

 想像してみたけれど、何か違う。
 そんな気持ちになった。

 まだほんの数日なのに……
 マイルズ様の顔が霞んでしまうくらいには新しい婚約者ジョエル様の存在感が私の中で強すぎる。

(とりあえず間違えたものは仕方がない)

 小っ恥ずかしさは消えないけれど、今はこのまま突き進むべし!
 私はおそるおそるジョエル様に訊ねる。

「ジョ……ジョエル様?  えっと、こ、これで馬車……乗れますか?」
「…………乗る」

(お!)

 石化は解けたようで、さらに子供みたいな可愛い返事をしたジョエル様。
 そっと私から身体を離すとズンズンと勢いよく馬車へと向かっていく。

(おおお!)

 私はその後を慌てて小走りで追いかけた。
 入口前でピタリと足を止めるジョエル様。
 追いついた私は、ジョエル様を呼ぶ。

「───ジョエル様」
「……」

 ジョエル様は無言で私に手を差し出した。

(先に乗れ……ね?)

 そう理解した私はその手を取ってまず、自分が馬車に乗り込む。
 そして、ハラハラドキドキしながらジョエル様の動きを見つめる。

「……」

 その後、ガチガチに固まってはいたけれど、先程よりはなんとか見られる整った表情でジョエル様は馬車に乗り込んで来た。

(良かった……!)

 そうして、馬車はようやく無事に公爵邸に向けて出発した。




「……」
「……」

 安定の沈黙の馬車の中──私は思う。

(出かけるのに毎回これでは大変よね?)

 ジョエル様は、もう一つの苦手なピーマンは頑なに食べようとしない。
 面白いくらい食べようとしない。
 けれど、生きていくうえで絶対に避けては通れない“馬車”とは、こうやって時間はかかるものの頑張って向き合おうとしている。
 そうでなかったら、今頃ジョエル様は完全に屋敷から出ない人──引きこもり生活万歳だったことだろう。

(……婚約者だったお姉様に全く会いに来ないはずだわ)

 向こうからの訪問がないこと、プレゼントの類が贈られないこと───
 薄情!  冷酷!  
 あの散々な言われようの裏にはこんな事情があったなんて。

「……幻滅、したか?」
「え?」

 それまで無言だったジョエル様に突然そう聞かれたので、慌てて彼の顔を見る。

「幻滅ですか?」
「ああ……」

 少し青白いジョエル様。
 表情そのものは変わらなかったけど、瞳はどこか遠くを見ている気がした。

「……昔、縁談相手に“馬車が苦手”だと素直に話したことがある」
「え!  そうだったのですか?」
「ああ。色んなところに出かけたい……そう言っていたから、これは言わねばと思った」 
「それで正直にお話を?」
「……」

 ジョエル様は頷く。
 ……その先は聞かなくても分かる気がする。

「───ダサい、何をいい歳した男が女々しいこと言っている、がっかり───と、鼻で笑われた」
「なっ!」

 誰にだって苦手なものの一つや二つあってもおかしくないのに!
 私は、そのどこの誰かも知らない見ず知らずの令嬢に向かって、その人が苦手とするものを投げつけてやりたい気持ちになった。

(虫くらいならいけるわよ!)

「げ、幻滅なんてしません!」
「……!」
「む、むしろ、あんなに顔が崩れるほど苦手なのに……!」
「顔……?」
「出来ることなら避けて生きていきたいでしょうに!  私はこうして向き合っているジョエル様のことを尊敬します!!」

 グイグイ迫る勢いでそう言った私。
 ジョエル様の目が僅かに開く。

「尊、敬……?」
「はい!」

 だって、そもそも馬車が苦手になるなんて───それ相応の理由……何かがあったに違いない。

(いや、ジョエル様の場合は斜め上の理由な可能性も捨てきれないけれど!!)

 理由がなんであれジョエル様が、頑張っていることだけは確かだ。

「ですから、頑張るジョエル様に必要なら、私はギュッでもチュッでも何でも───」
「……チュッ?」

 ジョエル様が眉間に皺を寄せながら聞き返す。

(ん?)

「え……?  あっ」

 私は慌てて自分の口許を押さえる。
 勢い任せに余計なことまで言ってしまった。
 チュッって!

 これは早々に訂正を───

「セアラ……」
「…………はい」
「チュッとは、あのチュッ!  ……か?」
「……え、ええ。まあ、ハイ」

 私は頬を赤らめて頷きながら考える。

(“あの”って?  チュッ!  にはそんなに色々種類があるの……?)

 ……私たちは婚約者ですし?
 お望みとあらば、頬にチュッくらいなら、きょ、許容範囲です、けど?
 ……こ、ここここ婚約者ですから!

 大事なことは二回言い聞かせ、口から手を離し改めてジョエル様の目を見た。

(……え!  な、に?)

 ドキッ!
 ジョエル様はこれまでにないくらい真面目な瞳で私を見つめていた。

(む、胸がドキドキ、する……)

 今のジョエル様は正装姿で正直かっこいいこともあり、胸がかなりバクバク鳴ってしまう。

(───っっ!  とんでもない視覚の暴力!!!!)

 こんなの直視出来ない!
 そう思ってジョエル様から顔を逸らそうとした。

「───セアラ」
「え……?」

 名前を呼ばれたと同時にジョエル様の手が真っ直ぐ私の頬に向かって伸びて来た。
 そして、そのまま頬を撫でられる。

(────!?)

「セアラ……」
「ジョ……」

 頬を撫でていたジョエル様の親指がそっと私の唇に触れた。
 そして、ジョエル様の顔がそっと近付いて───……

 ────ガタンッ

「……!」
「っっ!!」

 馬車が止まった。
 何かあったのかと思った私は、バクバクバクバク破裂しそうな胸をどうにか抑えながらジョエル様に声をかける。

「……え、えっと、ジョエル……様。馬車が……止まりまし、た?」

 事故?  脱輪?
 大丈夫かしら────……

「───着いた」
「え?」

 今なんて?
 私が目をパチパチと瞬かせていると、ジョエル様はもう一度淡々と私に言った。

「着いた」
「…………ど、どちらに?」
「エドゥアルトの屋敷。コックス公爵家」
「……」

 コックス公爵家───つまり、目的地。
 え?  まだ馬車は出発してそれほど時間が経っていないような?

「も、もう?  ち、近くないですか!?」
「……?  近所だ」
「き……!?」

(そんなに近かったのーー!?)

 色々と言いたいことはあったけれど、この時ばかりは地理を把握していなかった私に問題有りと判断しその色々は堪えた。


────


 公爵邸に着いた私とジョエル様が連れ立って会場に入ると、一斉に視線が向けられた。

(ひぃっ!?)

 ──おい、来たぞ!  ギルモア侯爵令息だ!
 ──婚約者に逃げられたんだろう?
 ──よく堂々と顔を出せるな……
 ──逃げた令嬢のことなんて気にしていないんじゃない?

(やっぱり噂になっている───)

 みんなの視線は、真っ先にジョエル様の方へと向かっていた。
 けれどすぐにその横の私の存在が彼らの目に入る。

 ──隣の令嬢は?
 ──婚約者には逃げられたんじゃ?
 ──ん?  あれってワイアット伯爵令嬢の妹の方じゃ……

 そしてあっという間に私がどこの誰かも判明する。

 ──“あの”結婚式で逃げられた……?
 ──そうそう。ポツンと惨めだったやつ
 ──しっ!  そんな言い方は可哀想よ?

 当然、結婚式のことも広まっている様子。
 続けて彼らが気になるのは……

 ──しかし、何であの二人が?
 ──ギルモア侯爵令息からすれば、逃げた婚約者の妹だろ?
 ──もしかして、捨てられた者同士で慰め合うことにした?

 私たちが今こうして共にいること。
 未婚の私をギルモア侯爵邸に迎え入れるために、侯爵夫妻は新しい婚約の手続きは手早く済ませてくれた。
 でも、まだ世間にはそこまでの話は広まっていない。

(捨てられた者同士……)

 やっぱりこの言葉が飛び交うのね。
 そう思いながら隣のジョエル様を見上げる。

「!」

 ───無!
 こんなにも、ヒソヒソクスクスされているというのに!
 ジョエル様は、顔色一つ変えていない。
 でも、その目線はちゃんとクスクスしている人たちの顔を見ている。
 しかも、その眼光がとても鋭い……

 ふと甦るあの言葉……

 ……言いたい奴には言わせておけばいい
 ……安心しろ。とやかく言う奴がいたら……

 ────消す

(ひっ!?)

 まさか、消す、の?  
 本当に消すためにクスクスしている人たちの顔を今、脳裏に焼き付けているの!?

「ジョエル様……」
「ん?」
「あの───」

 さすがに、本当にったりしませんよね?
 そう言いかけた時だった。

「───おい、ジョエル!  今日は僕のせっかくの誕生日パーティーなんだから、僕より目立つとはどういう了見だ!」
「……」
「めでたい日なんだぞ?  どうせなら、その死んだも同然な表情筋を生き返らせて少しは楽しそうにしたらどうなんだ?」

(……!  この声は───)

 その声につられて私は振り返る。
 やっぱり!
 私は息を呑んだ。

 なんだか妙に癖のある発言をしながら現れたこの方。
 この方こそ、言葉通り、本日のパーティーの主役。

 どうやら、ジョエル様の“友人”らしい、エドゥアルト・コックス公爵令息────

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