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16. ご乱心!?
しおりを挟む(これまでで一番、真っ赤になった気が、する……!)
あまりにもびっくりしてゴシゴシしていた私の手が止まる。
「ジョエル様……だ、大丈夫です、か?」
「……お」
真っ赤なジョエル様が、じっと私の目を見つめて何か言いかけた時だった。
「騒がしいわね? ───これはいったい何事?」
「ん? ジョエルを中心に皆びしょ濡れじゃないか」
「あらあら……」
パタパタと向こうから揃ってやって来たのは侯爵夫妻。
「これは……」
私たちの様子を見た侯爵様の目がギラッと輝き、眉をひそめた。
「お前たち───この悪天候を見てはしゃいだ結果がそれか?」
(はしゃ……!?)
侯爵様のその言葉に使用人たちが慌てて否定する。
「ち、違います、旦那様!」
「我々は……!」
「───いや、分かった。お前たちの気持ちはよーく分かる。だから、みなまで言うな。言わなくていい」
侯爵様は使用人たちの言葉を制止すると全部分かっているかのような顔で頷いた。
(えーー…………侯爵様、絶対に分かってないような気がするんだけど!?)
まさか本気でいい歳した面々が嵐に浮かれてはしゃいで遊んでいたと……思って、いる?
本気? 冗談? 無理……読めない!
「しかし、ジョエルも凄い濡れているな───ん? それに顔が赤い?」
「ね? ほら、だから言ったでしょう? ジョエルがついに人並みの体温を手に入れたって」
すかさず侯爵夫人が補足する。
侯爵様が目を見張り、感慨深そうに息子の名を呼ぶ。
「……ジョエル!」
その横の侯爵様も夫人も嬉しそうだけれど、その感動は後にしてもらおう。
とりあえず今は濡れているジョエル様たちをこのままにしておくわけにはいかない。
(特にジョエル様の熱の上がり方はちょっと異常よ!)
「あの! 失礼ながら申し上げます。とりあえず今はジョエル様を始め、濡れている皆さんの着替えを先にしませんか?」
「セアラさん? あ、そうね、失礼したわ───さあ、湯の準備を!」
夫人のパンッと手を叩く音と声かけで皆がバタバタと動き始めた。
「ジョエル様、ジョエル様も行きましょう。熱いのか寒いのかよく分からないその身体をとにかく早く休めて───」
「……」
私がそう言いかけたら、ぐいっと手を取られた。
「え? ジョエル様……?」
「……」
ジョエル様は真っ赤な顔のまま、口をパクパクさせている。
なにか今すぐ私に何か伝えたい重要なことがあるみたい。
「どうされました? やはり具合が?」
ジョエル様は真っ赤な顔で首を横に振る。
(…………なんて説得力のない否定!)
「セ……セアラ……」
「はい?」
「!」
私が名前を呼ばれたので返事をすると、ジョエル様の顔がさらに赤みを帯びた気がした。
(手もかなり熱い……)
「……こ、これからは、セアラ嬢ではなく……」
「私?」
何の話かと首を傾げて次の言葉を待つ。
そして、少し待った結果。
ジョエル様はギュッと手を強く握って口を開いた。
「き、き、君を“セアラ”と呼びたい!!」
「え!?」
「セ、セアラ嬢ではなく、セ、セアラ……と」
「……」
(今!? なぜ今そんな話に!?)
びっくりした私は無言でジョエル様の顔を見つめてしまう。
顔が真っ赤であること以外はいつものジョエル様に見える。
けれど、これは──
(まさか……雨に濡れたことで、ご、ご乱心あそばされた!?)
心配になった私は、慌てて侯爵夫妻に視線を送る。
───あ、あなた方の息子、ジョエル様がご乱心中です!
どうか、伝わって!
───面白いからそのままでOKよ!
───大丈夫だ! 風呂にでも浸かれば目を覚ますだろう!
(……呑気!)
伝わったはずなのに返答が求めたものと違う!
「……だ、駄目だろうか?」
「え?」
ジョエル様の声が少し震えている。
「やはり……まだ早い、か?」
「え!?」
「やはり……もっと段階を、踏んで……から、か」
(え、えええぇえ!?)
私は慌ててジョエル様の手を握り返す。
直感的に今を逃したら、セアラ嬢からセアラ呼びとなるまで、最低でもあと一年くらいかかりそう!
(……なんだか嫌!)
「いえ! どうぞ! 今すぐセアラと呼んでくださって構いません!」
「……!」
ジョエル様の目が少しだけ見開いた。
「早……くない、のか?」
「問題ありません!」
私はどんっと胸を叩く。
「そう、か…………セア、ラ」
「はい!」
「セ……アラ」
「はい!」
「セア……ラ」
「はい!」
ジョエル様は何度も何度も確かめるように私の名前を呼ぶ。
「セアラ……」
「!」
だけど、最後に呼ばれた名前だけは───
まるで宝物か何かに呼びかけるみたいに大事そうに呼ばれたせいで、私の胸がドキッと大きく跳ねた。
───
ビュォォォオ~~
ガタガタガタッ
「───しかし、すごい雨だな」
「これでは道の復旧作業も時間がかかりそうね?」
ジョエル様がお風呂に浸かって目を覚ましている間、私は侯爵夫妻に事の次第を説明していた。
「我々はまだ迂回出来るからいいが、道が塞がれた箇所に住む者たちは大変だろうな」
「ええ。そのせいで前にも進めず、戻ることも出来ない馬車が数台いるのでしょう?」
(土砂に巻き込まれるのは幸運に避けれたとしても、抜け出せないのであればその後も大変ね……)
私は二人の会話を聞きながらそう思っていた。
「そうだな。そしてそのことでセアラ嬢。君に確認したいことがある」
「はい?」
侯爵様は私に家紋の描かれた紙を見せて来た。
「この模様……これは!」
少し歪なスケッチだけど特徴は捉えているので分かる。
この家紋、すごく見覚えがある。
私、私が嫁ぐはずだった───……
(パターソン伯爵家の家紋!)
「……その反応。やはりそうか」
「パターソン伯爵家のものだと思います。これは?」
私が訊ねると侯爵様は軽く息を吐いた。
「土砂災害で道が塞がれ立ち往生している馬車たちの中の家紋の一つだ」
「え!」
「あいにく今日はこんな天気だが、昨日は道の復旧作業を行っていたからな」
「なるほど……」
被害状況を調べるために確認出来たものを記していたらしい。
(つまり……)
土砂災害が起きた日は、私の結婚式の日。
あの日、土砂崩れが起きた頃、この家紋のついた馬車を使うパターソン伯爵夫妻は式場にいた。
そうなると、他にこの家紋のついた馬車を動かせるのは一人だけ。
「この馬車に乗っているのは、お姉様とマイルズ様の可能性が高いということですね?」
侯爵様が静かに頷く。
「二人は、あの道を……」
と、いうことは。
やっぱりお姉様は、おじい様とおばあ様を頼るつもりだった?
でも、道を抜ける前に土砂崩れで道が塞がれ立ち往生────……
「二人とも想像以上に近くにいたのですね……?」
「ホホホ、これは駆け落ち大失敗ね!」
侯爵夫人がとても嬉しそうに笑う。
「そうですね。今はまだ助けられないでしょうし、ちょっとアレですけど、こうして見つかってしまいましたし……」
悪いことって出来ないものなのね、と感心しながらそう口にしたら侯爵夫人が首を横に振る。
「違うわ。セアラさん。私が言う駆け落ち大失敗はそういう意味ではないわ」
「はい?」
私が目をパチパチさせていると侯爵夫人は、今度は愉快そうに笑った。
「いいこと? あの日、結婚式当日なんて日に花嫁の姉と新郎は駆け落ちすることを計画したのよ?」
「はい」
「そんな愚かな計画を立てていることがもう既に二人の頭の中がお花畑の証拠」
「!」
ぐふっ
侯爵夫人の言い方に思わず吹き出してしまった。
(言い方ーー!)
「でもね? お花畑で居られるうちはいいのよ。お互いのことが素敵に見えて、自分たちは許されない恋をした……こうするしか方法はなかった……そんな自分たちの置かれた境遇にどっぷり酔えるから」
「……」
自分に酔っている……
そうかもしれない。
「そのまま、目的地に辿り着けていればおそらく問題はなかったでしょうね。でも……」
「二人は今、土砂災害に巻き込まれておそらく動けずに立ち往生……閉じ込められて、います……」
「そうよ!」
パンッと侯爵夫人が元気よく手を叩く。
「セアラさん。そんな経験したことのないだろうパニック必至の状態に置かれた人間って、どうなると思うかしら? もちろん、そんな災害への備えなんてしていないわ」
「!」
私はハッとした。
この先どうなるか分からない不安。
おそらく持っている荷物だってさほど多くはない。
そんな中、特にお姉様なら───……
「本性……が出ます?」
「そういうこと。ジョエルくらい無口で無表情で表情筋が死んでいれば、こんなことになっても普段と大して変わらないだろうから、問題はないでしょうけど。でも、彼らは違うでしょう?」
「え!」
例えに出されたジョエル様が散々な言われようだったけれど、侯爵夫人の言う通りだと思った。
(マイルズ様は“なんとかなるよ”とか言ってヘラヘラしていそうな気もするけれど……)
そんな状況でヘラヘラされたら、あまりにも頼りなさ過ぎて不安しか生まれない。
(それ、私も嫌だわ……)
そして───……
きっとお姉様はそんな極限状態に置かれて大人しくしたままなんて耐えられないと思う。
口を開けば不満と文句がたくさん飛び出すに違いない。
「そんな愛を試されるような状況下で、二人が出発時と変わらぬ愛を貫けていたなら……そうね、その時は多少なら、慰謝料を減額してあげてもいいかもしれないわね!」
「試される……愛」
「───まあ、脳内お花畑には無理でしょうけれども!」
(同感です……)
ホホホホと侯爵夫人は笑って切り捨てていた。
「……」
何であれ、こうして二人の居場所の有力な情報が手に入った。
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