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32. 夫が失うもの

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「……」
「ナイジェル様!」

 夫は微笑んだまま答えてくれない。

「ナイジェル様!!  ちゃんと話してください!」

(代償が何かを聞くまでは絶対に頷かない!)

 私は自分から夫の背中に腕を回してギュッと抱きしめ返す。絶対に逃さないんだから!
 すると、さすがに夫も折れたのか私の耳元で小さな声で囁くように言った。

「───対価は自身の魔力だよ」
「魔力……?」

 そろそろと顔を上げると目が合った。
 そう口にした夫は穏やかな表情をしていた。

「魔力って……魔力が全部失くなってしまうということですか!?」
「……」

 もしそうなるとそれはこの先、貴族としてどれだけ生きづらくなることか。
 次期フィルポット公爵の座だって……

「いや。全部とは限らない」
「え?」
「その“力”を使うのに必要な分だけの魔力を失う。普通、魔力は使ったあとは休めば回復するけど、この力の場合は使った後にその分の魔力は元には戻らない」
「!」
「もちろん、回復魔法をかけても効かない」

 つまり、どれくらいの魔力を失うかはやってみないと分からない……

「そんな……」
「だから、使おうとする人は……まぁ、滅多にいないよね」

 それなのに、この人は私のために力を使いたいと言ってくれている。

「もしも、ごっそり魔力が失くなってしまったら、あなたの将来は……どうなるのですか?」
「え?  俺の将来?」
「貴族としても騎士としても……」

 夫はうーんと首を捻りながら言った。

「魔力が空っぽになってしまったら、さすがに公爵の座は継げないかな」
「!」
「父上はなんて言うかは分からないけど、周囲が煩いと思う」

 それは何となく想像がつく。

「でも騎士には魔力の有無は関係ないから───騎士として生きるにはそんなに変わらない。そもそも守護の力は攻撃魔法ではなく防御を強化するものだからさ」
「……」

 万が一、魔力を失っても完全に生きていく道を絶たれるわけではないことにはホッとした。
 それでも……

「だから、うん───マーゴットを公爵夫人にはさせてあげられないかもしれない」
「……え!?」
「このまま俺の手を取ってくれたら、公爵夫人になれるよっていうアピールは出来なくなるのが少し残念かな……」
「なっ!  何を言っているんですか!  公爵夫人?  そ、そんなの……そんなのものなくても私は───」
「え?」

(───っ!)

 夫のきょとんとした顔を見て、今、私が口走ろうとした言葉に自分自身でびっくりした。

 そんなものなくても私は────あなたといたいのに!

 公爵夫人になりたいわけじゃない。
 ただ、これからもそばで一緒にいられたら───……

「……マーゴット?」
「……」
「マーゴット……顔が……」
「……っ」

 私は恥ずかしくて顔を上げていられず、下を向いて夫の胸に顔を埋める。

(今は顔を見られたくない……)

「マーゴット」

 私の名前を呼んだ夫は背中に腕を回すと優しくポンポンと叩いた。
 そして、私の耳元に顔を寄せるとそっと囁いた。

「───好きだよ、マーゴット」
「!」

(ここでそんなことを言うなんて……やっぱり、夫はずるい夫だ!!)



 決心がつかず、私はしばらく夫に抱きついたままでいた。
 そこで、ふと思った。
 夫の持つ、私の記憶を戻せるかもしれない力ってどれほどの力なんだろう?
 封印されるくらいの“力”なんだから、空っぽにならなくても相当な魔力は削られると思う。

「ナイジェル様は……」
「うん?」
「魔力を失って次期、公爵になれなくなってもいいというのですか?」

 私がそう訊ねると彼は私の目を見て言う。その瞳には迷いなんて全く無かった。

「マーゴット、さっきは君を公爵夫人にさせてあげられないかもしれないとは言ったけど、俺自身は欲張りだから全部諦めるつもりはない」
「ナイジェル……様?」
「父上の後を継ぐことも、騎士としてもう一度剣を握ることも…………そして、マーゴットのことも」
「……」
「だから、俺を信じて?」
「~~~……!」

 私は答えの代わりにギュッとその身体を抱きしめ返した。




 夫の手を握りながら私はポソッと呟く。

「……記憶が戻ったら、“今”の私の記憶は消えてしまうのでしょうか?」
「え?」
「今日までの日々も忘れたくない……」
「マーゴット……」

 あなたが栽培セットをくれたこと、恥ずかしい思いをしながら愛と陰謀渦巻くドロドロ物語の本を買ってくれたこと。
 ───私が生きているだけで幸せだと言ってくれたこと。

 記憶を失くす前の私も夫のことは好きだった……そう信じている。
 多分、顔も好みで内心キャーキャー言っていたとも思う。
 何より、好きでなくちゃ、自分の命がどうなるかも分からないのに助けたりなんてしない。

(だから記憶が戻っても戻らなくても私の夫への気持ちは変わらない……)

「それは大丈夫だと思う」
「そう、ですか?  それならいいのですが…………って!」
「うん?」

 そう口にしながら、私は肝心の夫の“力”が何か聞いていないことに気付いた。

「一番大事なことを聞いていなかったです。私の記憶を戻せそうなナイジェル様の能力ってなんですか?」

 私がそう訊ねると夫は握っていた手にグッと力を込めた。
 すごくあたたかい何かが身体の中に流れてくるのを感じる。

(……これが、ナイジェル様の──力?)

「……マーゴット」
「は、はい」
「俺が授かった王家の特別な力は─────“再生”」
「……え?  さいせ……」

 夫はニコッと笑って言った。

「本来は国が滅びそうとか、そういう非常時に使われることを想定した力らしいよ。知らないけど」
「──え!  ちょっ……」
「国より俺はマーゴットの為に使うけどね」
「ナ、ナイジェ……」

 そう言って夫は私に顔を近付けると、そっと額にキスをした。

「なっ!」

 何をするのーー!
 そう言おうとした瞬間、私の全身があたたかい物に包まれる。
 それが、とても心地よかった。

(……あ、なんだか……眠く……)

 そして突然の眠気に襲われる。
 そんな私に夫が耳元で何かを言っている。
 私はどんどん意識が遠のく中、ぼんやりとその声を聞いていた。

「───マーゴット。俺は君の目が覚めたら……」
「……?」

(わた、しの目が……覚めた……ら?)

「あの日、俺と君との最後の会話だった、“呪いが解けたら一番にしたいこと”を実現させたいんだ……」

(……?  あの日……?  呪いが……解け、たら……した、い、こと……)

 それは何────?
 そう思ったところで私の意識はプツリと途切れた。

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