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24. 失ったもの
しおりを挟むなんとなく覚えているのはとにかく“苦しかった”こと。
同時に“こんなにも辛い思いをしていたんだ”という気持ち。
“それ”は想像していたよりも酷くて、すぐに“死”の恐怖を感じた。
こんなにも分かりやすく削られていく命───どんな思いで毎日を過ごしていたの?
ずっとずっとこの辛さに耐えて恐怖と闘っていたのかと思ったら胸が痛んだ。
───そんな朧気な記憶だけを持って目が覚めた私は、びっくりするくらい豪華な部屋にいた。
「……?」
ガバッと起き上がって部屋の中を見回す。
とにかく広い部屋だった。
豪華な家具に高そうな絵画や花瓶。床にはふわふわしていそうな絨毯。
何より、このベッドの寝心地も最高。
───で、ここはどこ?
まず、最初にそう思った。
けれど、すぐに“自分”のことすらも分からず私は誰? と思った。
(なにこれ……何にも分からない……)
えーー? これは、どういうこと?
自分がどこの誰でここで何をしているのか思い出せない。
そんな軽いパニックに陥っていたら、部屋のドアが開いて男性が二人並んで入って来た。
なんだか深刻そうな顔で話している。
そして、そのうちの一人は起き上がっている“私”の姿を見るなり、ハッとしてベッドへと駆け寄って来た。
「───マーゴット!!」
マーゴット?
それが、私の名前?
分からない……
「良かった……目が覚めたんだな? 無事でよかった……!」
「……」
「どこか、苦しいとか痛いところはないか?」
ぼんやりした記憶の中では“苦しかった”けれど、今はそんなことはないので首を横に振る。
「そうか、本当に良かった……このまま、目を覚まさないのではないかと……! ナイジェル殿もまだ、目を覚ましていないがお前のおかげで大丈夫そうだ。安心するといい」
「……」
ナイジェル殿?
その名前に胸の奥が疼いた気がした。
けれど、“マーゴット”同様に誰のことかは分からない。
「……? マーゴット、どうした? どこか苦しいのか?」
「……」
さすがに私の反応が無さすぎて目の前の男性が不安そうな表情になる。
その人に手を握られたら、何だかあたたかい物が身体の中に流れ込んで来てすごく心地良かった。
「……マーゴット」
もう一人の男性も私のそばにやって来てそう呼んだ。
なので、“マーゴット”は間違いなく私の名前らしいことが分かる。
これ以上黙っているのも良くないので、私はようやく口を開いた。
「───ごめんなさい。何も覚えていないんです。“マーゴット”というのは私の名前で合っていますか?」
「なっ!?」
「なに……」
そう口にした瞬間の二人の男性の絶望した表情は、今も忘れられない。
何が何だか分からない私のために、二人の男性はゆっくり説明をしてくれた。
そしてやはり、私の名は“マーゴット”だった。
私はどうやら記憶を失っているらしい。
「君は私の娘、名前はマーゴットだ」
「娘……」
なるほど!
最初に心配そうに駆け寄って来たのは父親だったからなのね、と納得。
では、こちらの父親と同年代の男性は誰?
そう思って視線を向けると目が合った。
「私はマーゴットの義理の父にあたる」
「……義父、ですか?」
「君は……私の息子の妻……なのだ」
「……つ!」
私、まさかの人妻だった!?
更なる説明によると私は伯爵家の娘で嫁ぎ先はなんと公爵家だという。
「そ、そうでしたか……えっと、それでは私の“旦那様”はどこに?」
(……どうしてかしら?)
“旦那様”という響きに不思議な感覚がする。
なんだか呼び慣れていない、そんな気持ち───……
「……?」
そんな父親と義父の二人は私の質問に気まずそうに顔を見合わせた。
そこで私はピンッと来た。
「なるほど……わ、分かりました……!」
「え?」
「何をだ?」
気まずそうな表情を浮かべていた二人が今度は不思議そうな顔をする。
「私の夫は名ばかりの夫! 浮気をしていて愛人の元に入り浸っているのですね?」
「「は?」」
二人の声が綺麗にハモった。
「あ、もしかして愛人は一人ではない? もしや、旦那様は複数人の女性を囲っていやいや娶ったであろう妻の私を蔑ろにしていた? そして跡取りの子供も私とではなく、愛人との間に儲けた子供を養子にしようと企んで…………それで私はそんな生活が辛くて耐えられずに…………」
不思議なくらいスラスラと頭の中から言葉が出て来た。
これは……間違いない。
きっと遂に夫の浮気三昧に耐えられなくなった私は記憶を失っ……
「阿呆! 落ち着け、マーゴットーーーー!」
「は、はい!?」
父親が真っ赤な顔をして止めに入る。かなりお怒りだ。
「いいか? 今お前が垂れ流した妄想は、お前が昔から好きな物語の話だ! も・の・が・た・り!」
「も、物語?」
「そうだ。何故か知らんがお前は昔からドロドロした愛と陰謀が渦巻く物語が好きで……完結するまで実家ではこれでもかと読み耽っていた!」
「ええ!?」
どうやら違った。
私は耐え忍ぶ妻ではなかったらしい。
「……そんな趣味を隠し持っていたのか…………コホンッ、マーゴット。君は私の息子を助けてくれたのだ」
「……助ける?」
「そして、おそらくその代償で君は記憶を失ったに違いない」
「代償……?」
それは、先程の妄想とは別の意味でおどろおどろしい言葉に聞こえた。
「記憶を失くす前の君が話してくれたことによると、“代償”は下手をすれば命の危険にも関わるかもしれないとのことだったが……まさか、記憶を持っていかれるとは」
「……」
これはつまり、私が夫を助けるために、何かをしてその代償に記憶を失くした……ということ?
そう首を捻る私に二人はゆっくり事の説明をしてくれた。
間違えてしまったという求婚から、私が記憶を失うまで────
───────
───……
(幸い、夫は無事だったと聞いたわ)
義父は涙を流しながら何度も何度も私と父親に向かって頭を下げていた。
そして、これからの“私”をどうするか……を話し合った結果、記憶を失う前の私の気持ちを汲んでくれて、義父の紹介でこの治療施設でお世話になることが決まったわけだけど。
私は目の前に現れた男性を見ながら思った。
───この男性は私の“夫”だわ。
確か、名前は“ナイジェル”
私の心と身体がそう言っている。
(……それにめちゃくちゃ好みの顔だもの! 結婚……しちゃうの分かる!)
そんな“夫”は、長いこと伏せっていた影響なのか憔悴している様子が見て取れた。
病み上がりの身体でどうしてここに?
治療を受けるなら、こんな王都からも離れた小さな治療施設に来るはずがない身分の人のはず。
(……って、確か“私”は離縁届けにサインして置いてきたって話だったわよね?)
ということは、元夫になるの?
でも、義父や父親は、彼とはもう会うことはないだろうって言っていた。
元気になったのなら彼が“本当に好きな人”と結ばれることを私は願っていたからって。
なのに、なぜ?
そんなことを頭の中でぐるぐる考えていたら、夫? 元夫? が口を開く。
この短時間で状況を理解して受け入れたのか、彼の私を見るその目にはもう動揺はなかった。
そして、困ったことにその瞳を見ていたら胸がドキドキした。
「……突然、押しかけて申し訳ございません。自分の名前はナイジェル・フィルポットと言います」
丁寧にお辞儀をしながら彼は私に向かってそう自己紹介した後、顔を上げて言った。
「どうしてもあなたに会いたくて……ずっと探していて……今日ここに辿り着きました」
「……え! 探し……?」
やっぱり聞いていた話と違うじゃない! と、思った。
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