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6. とっくにバレていた

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  マルク様との婚約破棄、そして、何故かレグラス様からの婚約打診という頭を抱えたくなる1日を終えた翌日、私は変わらずお店に働きに出ていた。

  お父様には、「レグラス様からの申し出があった事だし、素直に話を受けて働くのはもう辞めた方が……」と渋られたけど冗談じゃない。
  私は侯爵夫人になるより、ここでの自由が欲しいのよ!

  などと考えていたら、もうそろそろお昼の時間。

  ──来るの?  来るのかしら??
  レグラス様は、セラ=セラフィーネだと気付いていないはずだから、何食わぬ顔でこの店にやって来るのかしら?

  落ち着かなくてソワソワしてしまう。
  そんな私の様子を見て、女将さんや常連客さん達が笑いを堪えている。


  待って!!
  お願いだから誤解しないで!
  決してレグラス様を待ってるわけじゃないの!
  むしろ、来ないでいてくれた方が嬉しい──……


  そう心の中で叫んだと同時にカランコロンとドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませー……」
「セラさん、こんにちは」

  ニコニコと爽やかに微笑みながら立っていたのは……えぇ、紛れもなくレグラス様その人だった。

   昨日はあんなどす黒い笑みで、私に婚約を迫ったくせに今日のその爽やかな笑顔は何なのよぉ!!
  と、心の中で文句を言わせてもらった。

「今日のおすすめは何ですか?」
「えっと……」

  周囲がニヤニヤとした空気で私達を見守っている。
  止めて!  本当に止めて!  その空気はいたたまれない!

「セラさん、今日は何だか顔色悪いけど大丈夫?」

  レグラス様が心配そうな顔を私に向ける。

「え?  そうですか?  ちょっと寝不足でして……」
「それはダメだよ。ゆっくり休んで」
「え、えぇ、そうですね……」

  いやいやいや。
  レグラス様?  私が寝不足なのはあなたのせいなんですけど!?
  そう言いたいのに言えないのが悔しい。








「お待たせしました、本日のおすすめ海鮮丼です」
「ありがとう、今日も美味しそうだ」
「!」

  そう言って微笑むレグラス様は、昨日の私……セラフィーネと接していた人と同じ人にはやっぱり思えない。
  そして、今日も美味しそうに食べている。

「……」
「…………さん!」
「……」
「セラさん!!」
「……はっ!  はい!?」

  い、いけない。ボーとしていたわ。
  レグラス様に呼ばれて、思わずハッとする。

「大丈夫?  やはりどこか具合が悪いんじゃ?」
「い、いえ!  大丈夫ですから!  お気になさらず!」
「そう?  無理は良くないよ」
「え、えぇ、ありがとうございます」

  お前のせいだっつーの!
  そんな前世の言葉が今にも口から出そうになり私は必死に堪える。
  いけない、いけない。
  令嬢としても人としても終わってしまう。

「ところで、セラさん」
「はい?」
「セラさんは……誰か好きな男性とかいるんですか?  その、例えばこのお店のお客さんとか……」
「……は?」

  突然の質問に目を丸くする。
  周りの「おぉぉぉ!遂に来たァーー」と騒いでる声も気にならないほどびっくりだ。

「い、いませんが?」
「そうですか、それは良かった」

  レグラス様は、ホッと安心したように笑った。

  いやいやいや?
  それは良かったって……何です?  その質問は。
  あなた、分かってますか?  あなたは昨日、かなり強引にセラフィーネに婚約を迫ってるんですよ?  
  なのに!
  何故、セラの恋愛事情を気にしちゃってんのよ!?

  本当にレグラス様が何を考えてるのか分からない。

  私の憤りが伝わったのか、レグラス様は私の顔を見て小さく笑った。
  そして、私に近付きそっと耳元で囁いた。

「──好きな人もいないのなら、昨日の話は前向きに考えて欲しいな。良い返事を待ってるよ────セラフィーネ」

「んなっ!?」

  私が小さく悲鳴をあげるも、レグラス様は素知らぬ振りをして言った。

「それではまた来ますね、セラさん。今日もありがとう」

  カランコロン~

  そう言って彼は会計を済ませ店から出て行った。


「ウォォ!  意味深だったな!」
「何か耳元で囁いてなかったか?」

  などと盛り上がる外野の声も全く耳に入らず、私の頭の中はレグラス様の言葉でいっぱいだった。

  ──セラフィーネって言った!  セラの格好をした私に!!

  それは、つまり……
  正体がバレていたぁぁ!?


  私はその場に膝から崩れ落ちた。








  そして翌日、私はまた眠れない夜を過ごしたまま店に行く。  

  ……レグラス様は今日も店に来るのだろうか?

  まさかまさかと思っていたけれど。
  レグラス様は、セラが、セラフィーネだと気付いていた。
  知ってて通って来ていた……

「何なのよォ!!」

  もー、何考えてるの?  あの人!!

  とにかく私は怒りが収まらなかった。





「うーん、想像以上に熱烈な歓迎っぷりだね」

  お昼時になり、腹立たしい程、今日も呑気な顔をして現れたレグラス様を入口で捕まえて無理矢理外に引っ張っていった。

  皆が騒めいていた気がするけど、知りません!


「……いつからです?」
「うん?」
「いつから、セラが私だと気付いていたのですか?」

  私が詰め寄っても、レグラス様は涼しい顔のまま。
  何て腹立たしいの!

「ははは、最初からだよ」
「え?」
「最初からセラフィーネ、君があそこで働き始めたと知って訪ねたんだから」
「な、な、な!」

  動揺する私の頬にそっと手を触れ、レグラス様は微笑んだ。
  ……っ!  間近でその顔はやめて!  心臓がヤバいです!

「うーん、そうだね。君のその瞳の色……その色を変えない限り、どんな変装をしても君は僕を騙す事は出来ないかな。君の瞳はとてもキレイだから」
「……え?」

  よく意味が分からず固まっていると、レグラス様は私の頬から手を離し、意地悪く微笑んで言った。

「ほらほら、いいのかな?  セラさん。そろそろ戻らないと皆がまた騒ぎ出しちゃうよ?」
「……っ!  レグラス様のせいでしょう!?」
「今日のおすすめは何ですか?  セラさん」
「……知りませんっ!!」
「ははは」

  もう何なの。
  私は気付いたらずっとこの人に振り回されている。
  思わず「レグラス様は私の事が嫌いなのでは?」と聞いてしまいたくなる。
  だけど、聞きたくない。
  そこで「嫌いだよ」なんて言われてしまったら、私は……


「セラフィーネ」


  店の入口に差し掛かり扉を開けようとした時、名前を呼ばれたので振り返ると、レグラス様が先程までとは違う真面目な顔をしていた。

「君が望むならここでの仕事は結婚後も続けて構わない。他にも希望や望みがあるのなら可能な限り叶えると約束する。だから、君も真剣に僕との事を考えてくれないか?」
「……え?」

  そう口にするレグラス様の顔も声も真剣で、私は目を逸らす事が出来ない。

「セラフィーネ、僕は……」


  ガチャリ


  レグラス様が何かを言いかけた、まさにその瞬間、扉が開いたので思わず「ひっ!」と小さく悲鳴を上げてしまった。

「おや、そこに居たのかい?  どこまで行ったのかと思って呼びに行く所だったよ」

  女将さんが苦笑しながら姿を現した。

「す、すみません!  今、戻ります!!」

  私とレグラス様は慌てて中に戻った。

  そして、いつものように私のおすすめを平らげ、その後は何事も無かったかのようにレグラス様は帰って行った。



  ──あんな真面目な顔をして、何を言いかけてたのだろう?
  初めて見た表情だった。
  

  それに、初めから私だと知っていたなんて。
  そもそも、私が働きに出る事もどこで知ったというの。


「…………レグラス様の事がよく分からないわ」

 
  こうしてよくよく考えると、私はレグラス様の事をあまり知らない。
  あの初対面の時の様子や、その後の態度で私の事が嫌いなのだろうと思い、そのせいで私もレグラス様に苦手意識を持ってしまっていたから。

  可能な限り彼を避け続けてきたから、性格さえもちゃんと分かっていなかったのだと思い知らされた。
  えっと、確かゲームでは腹黒設定だったっけ……?
  ……っポイわね。
  妙にしっくりきた。

  


  約束の期日まであと数日。
  いい加減、彼との事を真剣に考えなければいけない。

  ……レグラス様は、食堂での仕事を続けても良いと言ってくれた。その他の希望も。
  実際、結婚した後にそれが可能かどうかは置いておいても、私を苛めたり、虐げるつもりは無い事だけは何となく感じ取れた。

  あんな真面目な顔でそんな事を言うものだから、
  ──私の事、嫌っていたのではなかったの?  私の勘違いだった?
  そんな疑問がぐるぐると頭の中を巡ってしまう。

  食堂で働く“セラ”の前で見せてくれる笑顔。
  弟の婚約者だったセラフィーネに向けていた不快そうな顔。

  どちらが本当のレグラス様なのだろう?  いや、両方ともレグラス様なのだけど!

  もしもレグラス様が、これからもセラフィーネに対してもセラに向けていたような態度で接してくれるなら……私だって……それなら私だって……

  …………信じてみてもいいのかな?

  私がいい。そう言っていた言葉の意味。
  さっき見せてくれた真剣な表情とその言葉。
  そして、もしかしたら私は嫌われているわけでは無いのかもしれないって事。

「…………」

  そんな事を思ってしまった時点で、すでに自分の中で信じてみたいという気持ちの方が強く出ている事に気付いてしまって、結局その日も眠れない夜を過ごす事になった。


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