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side マルク

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  ラグズベルク伯爵家から屋敷に戻り、部屋に入る前に僕は思わず兄上に声をかけていた。

「兄上!」
「何だい?」
「前も聞きましたが、そ、その……兄上は、セラフィーネとの婚約は本気、なのですよね?」

  僕の言葉に兄は数回パチパチと目を瞬かせた後、どこか寂しそうな笑みを浮かべて言った。

「当たり前だろう?  ……僕にとってはこれが最初で最後のチャンスなんだから」

  その言葉と表情を見て僕は、
  やっぱり、そうだったんだ……そんな思いを抱いた。





  セラフィーネと僕の婚約は、お互いの祖父達の遺言によるものだった。
  僕が10歳、セラフィーネが8歳の時に初めての顔合わせがあった。
  その時の僕の感情としては、
  この子が将来の結婚相手としてずっと側にいる事になる子かぁ……
  くらいで、特別な感情を抱く事も無かった。
  隣にいた兄は僕とは違った感情を彼女に抱いていたようだけど、その時の僕はもちろんそんな事に気付く事もなく……
  むしろ、初対面であんな暴言を吐いた兄の事がよく分からずにいた。


  その後も定期的に“婚約者”としてセラフィーネとの時間は続いたが、愛情や恋情よりも友人若しくは同士としての感情の方が強かった。
  それでも、このままぼんやりとセラフィーネと結婚する事になるんだよなぁ、と考えていた頃、“彼女”に出会った。


「エルミナ・フレアーズです」

  肩までのフワフワのストロベリーブロンドの髪を靡かせ、微笑む彼女。
  僕はその可憐さに一目で心を奪われた。

  先日の聖女認定の儀式で“聖女”と認められた彼女、エルミナは、今日からお城に滞在する事になり、その護衛騎士の1人に何故か僕が選ばれた。

  実家の爵位は兄が継ぎ、セラフィーネの伯爵家に婿入りが決まっていた僕だけど、幼い頃から騎士に憧れ、騎士団に入団していた。
  まさかそんな栄誉が与えられるなんて思ってもみなかった。

「マ、マルク・クレシャスです」
「マルク様?  よろしくお願いしますね」

  フワリと花のように笑うエルミナに、ますます僕の顔が赤くなる。

「マルクで構いません、エルミナ様。僕が貴女をお守りします」
「まぁ、ありがとうございます。それでは私の事もエルミナ、と呼んでくださいね」

  おかしい。心臓がドキドキ止まらない。
  この感情は何なんだろう?
  もっと、エルミナの声が聞きたい、笑顔が見たい────触れたい!

  そう思った時、以前聞いた兄上の言葉が頭の中に流れた。

『お前はセラフィーネに会っても、彼女の笑顔が見たい、とかもっと声が聞きたいとか、抱き締めたいとか思わないんだろ?  それは恋じゃない』

  確か、兄上に『セラフィーネの事をどう思ってる?』と聞かれて『可愛いと思ってます』と答えた後の言葉だったか。


  ──あぁ、そうか。
  これが兄上の言っていた“恋”という感情。
  婚約者であるセラフィーネには一切向けた事の無い感情だった。



  こうして僕はあっさりと目の前の聖女・エルミナに恋に落ちていた。
  そして、これは僕にとっての“運命の恋”なのだと確信を持って言えた。



  エルミナを愛してしまったから、セラフィーネとの結婚は出来ない。
  そう告げた僕に、父上は激怒した。
  当たり前だ。セラフィーネとは10年も婚約していたし、祖父達の遺言の事もある。
  はい、そうですか。では済まない出来事だ。

  だけど、僕はセラフィーネを愛していない。
  それは、セラフィーネも同じだ。僕を見るセラフィーネの瞳にそういった感情は一切感じられない。
  むしろ、セラフィーネがいつも感情の瞳を揺らしていたのはー……

「ラグズベルク伯爵家に、なんて伝えろと言うのだ!!」
「それでも無理なんです。聖女を……エルミナを愛しているのに、セラフィーネとの結婚は出来ません!」

  父と僕の攻防はいつまでたっても平行線だった。


  ──そんな時、


「なら、セラフィーネは僕が貰うよ」


  攻防を続ける父上と僕の間に入ったのはそんな兄上の言葉だった。

「レグラス!?  お前何を言って!?」
「兄上!?」
「最適な提案でしょ?  、僕に婚約者はいないし、マルクはセラフィーネとの婚約を解消したい。でも、両家には祖父達の遺言がある。なら、僕とセラフィーネが結ばれればいい」

  その顔は、さぁ、どこか問題でも?  と言っているみたいだった。

「兄……上?」
「どうかした?  マルク」
「まさか、兄上は……こうなる日をずっと待ってたとか言いませんよね……?」
「……」

  兄上はハッキリと答えなかった。
  だけど、僕がセラフィーネ以外の女性と恋に落ちるよう願っていた事はきっと確かだ。
  だって、自分がエルミナに恋に落ちてから気付いてしまった。
  兄上がいつも遠くからセラフィーネに向けていた視線の意味を。

「伯爵家との話し合いの席には、僕も同席させて貰うよ」

  兄上はそこはキッパリと言い切った。
  あぁ、これはきっと僕が婚約破棄を申し出た後に、兄上は無理やりでもセラフィーネを引き止める気だ。そう思った。


  (セラフィーネ!!  すまない!!  僕に兄上は止められない!!)


  僕は10年婚約していた婚約者に心の底から謝る事しか出来なかった。


  ちゃんと聞いたことは無い。無いけれど兄上のセラフィーネへの気持ちは間違いないだろう。
  もしかしたら兄上は、ほんのかすかな希望を抱いて、この日を何年も何年も待ち続けていたのかもしれない。

   ──そう。少し前に兄上は自身の婚約を解消している。
  僕がセラフィーネと婚約した後、兄上にも当然、婚約話はたくさん舞い込んだ。
  だけど、兄上は頑なに拒否を続けていた。
  どんな令嬢を紹介されても首を縦に振る事は無かった。

  だけど成人した後、さすがに兄上も逃げてばかりではいられなくなったのだろう。侯爵家の嫡男としての務めを果たせと、なかば強引に押されるかのように紹介された令嬢と婚約する事になった。
  人前でもその婚約者の前でも、そんな素振りは一切見せなかったけど、僕には兄上が乗り気でないのはすぐに分かった。
  それに、あの頃の兄上の笑顔は笑ってるようで全く笑えていなかった。

  そして、何があったのか。
  兄上とその婚約者の婚約は、ある日解消となった。
  破棄ではなく、婚約解消となった事からも話し合いは円満に終わったそうだ。
  解消理由も相手方の都合だと簡単に聞いたけど詳しくは知らない。

  そんな兄上はその後は誰に何を言われても婚約者を置いていない。
  それはきっと、セラフィーネの事を忘れられなかったから。
  僕達が結婚するまでは諦めきれなかったんだと今なら分かる。


  では、セラフィーネは?
  セラフィーネが兄上の事を避けているのは薄々だけど感じていた。
  初対面の暴言の事もあるし、嫌いなのかな?
  そう思ったけど、いつだってセラフィーネは何故か兄上の事を気にしていた。
  口にしなくても見ていれば態度で分かる。
  夜会やパーティーに出れば必ず兄上の姿を探していたし、姿を見かけた時は何度も何度も目で追っていた。

  セラフィーネの兄上に向けていたあの視線と感情は何なのだろう?
  あれは本当に嫌いな人に向ける感情なのだろうか?

  僕には分からない。
  
  セラフィーネはどんな決断を下すのだろう。
  僕が引き起こした婚約破棄のせいで、2人の今後が気になって仕方無かった。



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