殿下の嫌がらせ

白玉しらす

文字の大きさ
上 下
2 / 4

ふたつ目の焼菓子

しおりを挟む
「その、本当に俺でいいのか?」
 気まずい沈黙のまま客室に案内され、二人で部屋に入るとイアンさんが聞いてきた。
「他に誰かいる訳でもありませんから」
 もう恥ずかし過ぎて、素っ気なくそれだけ言うと、私は部屋の中を確認した。
 そのまま部屋を出ようとしたら、腕を掴まれた。
「どこに行くんだ?」
「泊まりの用意を部屋から持って来ようと思って。明日も仕事なんで、着替えとか色々」
「俺もついていく」
「官舎には入れませんよ。女性専用なので」
「しかし、君から目を離す訳にはいかない」
「今もどこもおかしくないし、直ぐによだれを垂らしながら彷徨い歩いたりしませんよ」
 それだけ言うと、私は逃げるように部屋を後にした。


「うわああああ!」
 と叫びたかったけど、何とか我慢して走るように部屋に向かう。
 何、媚薬って。
 あれか、ロマンス小説によく出てくるあれか。
『身体が……熱い……』
『大丈夫だ。ほら力を抜いて。これは治療のようなものだから、私に任せて』
『ああんっ……』
 とか言うあれか。
 え?イアンさんと私が?やだ、そんな、嬉しい。いや、恥ずかしい。いやいや、なんだこれ。ちょっと混乱して訳が分からない。

 そう、私はイアンさんが好きだった。
 そうなりたい相手はいないと言いながら、バレないように殿下の側に控えるイアンさんに焦点を合わせていた。
 男社会で生きる私は、舐められないために常に事務的な対応を心がけてきた。
 ついたあだ名は、氷のシェリル。もう感情の表し方も忘れてしまった。
 だからイアンさんに対しても、好きになって貰えるような可愛らしい態度が取れる訳もなく、たまに殿下の執務室で顔を見ると、かっこいいなあと目の端に捉えて満足する程度の、恋とも呼べないような淡い想いを抱いていた。
 それなのに、何?どう言う状況?
 一緒の部屋でお泊りって。
 混乱しつつ着替えや化粧品をカバンに詰めながら、しっかりと一番状態のいいパンツを選んでいる自分がいて、恥ずかしさからどうにかなってしまいそうだった。


 そして現在、私は一人で大きなベッドに横たわっていた。
 イアンさんは部屋の隅に置かれたソファーに姿勢正しく座っている。
 私がソファーで寝るのでイアンさんはベッドで寝てくださいと申し出たけど、一日や二日寝なくても大丈夫だと、爽やかな笑顔で断られてしまった。
 そうかありがとうと言われてベッドを使われても、複雑な心境になっただろうから、そこは素直に受け入れておいた。
 ふかふかで寝心地最高の布団に潜っていても、私の心臓はドキドキと煩かった。
 もし『身体が……熱い……』的状況になったとしたら、イアンさんとそう言うことになってしまうんだろうか。
 ええと、お風呂では念入りに身体を洗った。歯もいつも以上にしっかり磨いた。パンツも勝負パンツだし、今から寝ると言うのにパンツとおそろいのブラジャーもつけている。残念なのは、寝間着が少々くたびれていることぐらいか。
 ……だめだ。魔法薬の効果も出ていないのに、完全にそう言うことをする想定になってしまっている。
 落ち着こう。まずは落ち着こう。大きく息を吸って、ゆっくり深呼吸。

「大丈夫か?」
 布団の中ですーはー深呼吸を繰り返していたら、イアンさんが心配そうに聞いてきた。急に息を荒げだしたから心配したんだろう。
「眠る前の深呼吸です」
「そうか……」
 心配そうに私を見つめるイアンさんと見つめ合っている内、自分の気持ちを伝えなくてはと言う思いが強まっていった。
 もしイアンさんとそう言うことになってしまうのなら、最初から好きだったと伝えておきたい。
 身体を重ねたから好きになったのではなく、ずっと好きだったと言っておきたい。
 そう、私はイアンさんが好き。大好き。愛してる。
「イアンさん、私……」
 私はベッドの上で身体を起こすと、イアンさんに向かって……



 気がつくと、私はベッドに横たわっていた。窓の外はうっすらと明るくなっていて、鳥のさえずりが聞こえる。
 何が起きた?
 なんだか急にイアンさんへの想いが爆発して、口からこぼれそうになっていた所までは覚えている。
 その後どうなった?私は何を言った?
 訳が分からず寝返りをうつと、隣に黒い頭が見えた。
 変な声が出そうになるのを必死に我慢して、そろりと布団を捲ると、しっかりと筋肉がついた大きな背中が見えた。
 筋肉が見えると言うことは、つまり裸だ。
 横を向いていて顔は見えないけど、直前の状況を考えれば、これはイアンさんなんだろう。
 イアンさんが裸のまま隣で眠っている。ついでに私も裸だった。

 だから、何が起きた?
 再び寝返りをうち天井を見上げる。
「うっ……」
 何か、どろりとした物が足の付け根に付着している。いやもう、完全に事後であることは分かった。
 何だか気怠いと言うか、足の付け根の辺りに違和感があると言うか。いや、違和感どころかどろりとした物があるけども。
 でも、私には全く記憶がない。
 ソフトなロマンス小説だと、そう言うシーンはざっくりカットされて、チュンチュンと鳥が鳴いたりするけど、我が身に降りかかると恐怖以外の何物でもなかった。

 しばらく呆然としてから、よろよろとベッドから這い出て、シャワーを浴びに行った。
 いつまでも足の間にイアンさんが出したであろうアレと言うかソレと言うか、とにかく付けておく訳にはいかない。
「はー……」
 熱いシャワーを浴びると、少しだけ冷静になれた。
 つまり、私は魔法薬の効果で発情してしまい、イアンさんに慰められ、記憶も失った。そう言うことなんだろう。
 気になるのは、媚薬の効果はどの程度だったのかと言うことだ。
 何ヶ所かキスマークもついているし、中にも出されている所を見ると、熱い夜を過ごしたんだろう。
 願わくは、顔を踏みつけて足をお舐めと言ったり、イエスイエスカモンカモンと言ったり、しゅごいっ♡しゅごいのぉっ♡と言ったり、そんなことは無いことを祈る。
 ……記憶が無いって怖い。

 そっと浴室から出ると、イアンさんはまだ眠っていた。よっぽど疲れるようなことをしたんだろうか。
 これから私はどうしたらいいんだろう。どんな顔でイアンさんと向き合い、何を言えばいいんだろう。
 じっとイアンさんの寝顔を見つめながら、最適解を探していた私は、気がつくと自分の荷物を抱えていた。
 イアンさんはまだ眠っている。
 このまま私がいなくなれば、昨日のことは夢だったと思ってくれないだろうか。
 よし、そうだ。無理があるのは重々承知だけど、夢で押し通そう。
 そして私はそっと客室から抜け出し、イアンさんから逃げ出した。


 自室に戻りいつものように支度をして、出勤して仕事に取り掛かれば、昨日や今朝の出来事なんて無かったかのように過ごすことができた。
 昨日殿下に承認された、都市計画変更素案を変更案にまとめ直すのに忙しいし、まとめ終わったら各部署へ通達したり折衝したり、やる事は山のようにある。
「シェリル君、殿下がお呼びだよ」
 それなのに、夜になっても仕事を続けていると、室長に声をかけられた。
「終業時間は過ぎています」
「仕事ではなく、個人的に用事があるそうだ。仕事は終わりにして、早く行きなさい」
「個人的な用事なら、断る権利があるはずです」
「相手が殿下じゃなければね」
 身分の差が恨めしい。
「……今日はこれで失礼します」
「ついでに、この書類にサインを貰ってきてよ」
 渡された紙を見ると、備品購入申請書だった。
「ついでにしては、結構な物を申請しますね」
「個人的な用事の内容によっては、いけるんじゃないかと思ってね。ファイトだよ、シェリル君」
 室長も殿下の個人的な用事なんて、碌でも無いことだと思っているんだろう。
 就業時間外なのでと突き返そうかと思ったけど、私も欲しい物だったので、黙って受け取っておいた。


「失礼いたします」
 ノックの後の返事を受けて、殿下の執務室に入る。
 素早く側についている騎士を確認すると、イアンさんではなくほっとした。イアンさんだったら逃げ帰っているところだ。
「こんな時間に呼び出して、悪いね」 
「そうですね」
 殿下は私の返事を気にすることなく、ソファーに座るよう促した。
「それで、昨日はどうだった?」
「特に何も」
「じゃあ避妊薬返して」
「……」
「子供ができちゃうようなことはしたんだ」
 楽しそうに笑う殿下にイラッとした。
「あの、殿下。やはりわざと……」
「まあ、イアンから昨日のことは聞き出してあるんだけどね。私も情熱的なシェリルを見てみたかったなあ」
 体温が一気に上がり、嫌な汗が出る。
「なんの、ことでしょうか」
 情熱的って、イエスイエスカモンカモン的なことだろうか。イアンさんは何を殿下に言ったんだ。
「何を知ったかは言わないでおくけど、朝になったらシェリルが姿を消していたって、イアンが落ち込んでいたよ」
「落ち込む?」
 なぜイアンさんが落ち込むのか、よく分からない。
「それで、しょんぼりするイアンを慰めるために、焼菓子を振る舞ったんだけど……」
 焼菓子……なんだか凄く嫌な予感がする。
「うっかり、魔法薬入りのお菓子を食べさせちゃったんだよね」
「絶対わざとですよね」
「人間誰しもミスをするものだよ」
「わざとですよね」
「人生にはまさかってことが起きるものなんだよ」
 殿下はあくまでも、しらばっくれるつもりだ。
「それで、イアンには昨日の客室でシェリルを待つように言ってあるから、今すぐ行ってあげてよ」
「私が、ですか?」
「他の人に相手をさせてもいいの?」
 そんなの嫌に決まっている。だけど、それを殿下に言う訳にはいかない。
「はい、じゃあこれ避妊薬ね」
 ことりとテーブルに小瓶を置き、殿下は楽しそうに笑った。
 まだ何も言っていないのに、全てお見通しのようでしゃくに触る。
「早くいかないと、よだれを垂らしながら相手を探して彷徨い歩いちゃうかもしれないよ。それじゃあがんばって」
 殿下はそう言うと、素敵な笑顔を浮かべて手を振ってきた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

椅子になった小隊長

白玉しらす
恋愛
ヘンテコな魔術師三人組に、ヘンテコな魔法をかけられてしまった小隊長を助けるべく、食堂兼酒場の看板娘リディアは奮闘する。 好きな人のために、初めてなのに頑張る女の子のお話。 ムーンライトノベルズでも投稿しています。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

優しい紳士はもう牙を隠さない

なかな悠桃
恋愛
密かに想いを寄せていた同僚の先輩にある出来事がきっかけで襲われてしまうヒロインの話です。

独身皇帝は秘書を独占して溺愛したい

狭山雪菜
恋愛
ナンシー・ヤンは、ヤン侯爵家の令嬢で、行き遅れとして皇帝の専属秘書官として働いていた。 ある時、秘書長に独身の皇帝の花嫁候補を作るようにと言われ、直接令嬢と話すために舞踏会へと出ると、何故か皇帝の怒りを買ってしまい…? この作品は、「小説家になろう」にも掲載しております。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

【完結】私は義兄に嫌われている

春野オカリナ
恋愛
 私が5才の時に彼はやって来た。  十歳の義兄、アーネストはクラウディア公爵家の跡継ぎになるべく引き取られた子供。  黒曜石の髪にルビーの瞳の強力な魔力持ちの麗しい男の子。  でも、両親の前では猫を被っていて私の事は「出来損ないの公爵令嬢」と馬鹿にする。  意地悪ばかりする義兄に私は嫌われている。

処理中です...