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本編
十三日目
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「おじさま、少しいいですか?」
一晩中魔王封印の術式を眺めていた私は、術式に気になる点を見つけたため、おじさまに相談することにした。
「どうかしたかい?」
「これは魔王封印の術式だと思うんですが、ここの所が気になって」
術式を書き起こした古い紙を差し出すと、おじさまは驚いていた。
「こんな古い物、よく見つけたね」
「前々代の勇者の研究日誌に挟まっていました」
「大事な資料を私物に挟み込むなんて、困った人だ」
仮眠室の資料が大切にされているかは疑問だけど、前々代がぞんざいに扱っていたのは確かだ。
「それで、ニナ君はどこが気になるのかな?」
「術式を発動させると、まずここに魔力が流れ込んで、今まで蓄えられた魔力が解放されますよね。通常であれば術者の魔力と合わせて次の記述に向かいますが、魔力の流れに指定がないので、逆流する可能性もあると思うんです」
おじさまはしばらく考え込んだ後、口を開いた。
「術式を発動させようと思ったら、術者の魔力は一方向にしか向かわないはずだ。解放された魔力だけ逆流する事は無いはずだよ」
「やっぱり、そうですよね……」
何度も頭の中で術式を発動させている内に気になっただけで、通常であれば問題にならない事も分かっている。
「すみません。変な事を言って」
「いや、確かに可能性が無いわけではない。ニナ君、副団長からの仕事が終わったら、こちらの改良をお願いするよ」
おじさまは笑顔で紙を返してきた。
「あの、私はいつまでここにいていいんでしょうか」
方向付けするだけだから、そんなに難しい事では無いと思うけど、部外者の私がいつまでもここに留まっていていいんだろうか。
「ああ、ちょうど今朝これが届いたから渡そうと思っていたんだよ。はい、おめでとう」
おじさまは机の上から書類を取り上げると私に手渡した。
受け取った紙を見ると、私が通う学校の修了証書だった。
「なぜおじさまがこれを?」
「ニナ君がいつまでも修了出来ないでいるのはおかしいからね。私の名前で問い合わせたらこれが送られてきたよ」
楽しそうに笑うおじさまを見ると、ただ問い合わせただけだとは思えなかった。
「いつまでも腕輪を認めないなら、学校の認可を取り消してしまおうと思っていたんだけど、意外と対応が早かったね」
おじさまはそう言うと真面目な顔に戻り、もう一枚紙を差し出してきた。
「ニナ君程の実力なら、いずれここに来ると思っていたんだけど、待っているだけではいけなかったようだ」
差し出された紙は、魔術師団の入団を認める辞令書だった。
「これからもここで働いてくれないかな?」
私は信じられない気持ちで辞令書を受け取った。
「いいんですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます。……良かった、これからどうやって暮らしていけばいいか本当に不安だったんです。娼館で働く事も考えていたくらいです」
おじさまの優しい微笑みに、私はすっかり浮かれて余計なことを言ってしまった。
「……ニナ君、娼館で働く意味、分かっているのかな?」
「はい、友人から色々と聞いていますから」
おじさまはこめかみを押さえながら大きくため息をつくと、机から立ち上がり私の隣に立った。
「娼婦の友達を悪いとは言わないけど、もう少し常識と人を頼る事を覚えた方がいい」
おじさまは私をひょいっと持ち上げると、ソファーに寝かせた。
「娼館で働くなんて事を考える前に、私や誰かに相談すべきじゃないかな?なぜそれをしなかった?」
おじさまは笑顔だけど、目が笑っていない。
「あの、これ以上迷惑はかけられないな、と思って」
「ニナ君は私に相談するより、好きでもない男に組み敷かれる方がいいらしい」
おじさまは私にのしかかり、顔を近づけた。
「君は娼館で働く事がどんな事か、本当の意味では分かっていない」
「おじ、さま?」
「こんな事をされても、平気なのかな?」
おじさまは私の首元に軽く口づけをすると、様子をうかがうように私を見下ろし、再び顔を近づけてきた。
おじさまの事は嫌いではない。
それでも、嫌悪感から鳥肌が立った。
「へ、平気じゃ……」
「団長!大変です!」
私の言葉の途中で勢いよく扉が開き、ケニスさんが入ってきた。
「ルーファスさんからの緊急の知ら……ふっざけんなよ、おっさん!何してんだ!」
ケニスさんはおじさまの首元を掴むと、私から引き剥がした。
「ケニス君、うんざりするぐらいいいタイミングだね。ところで、同意の元だったらどうするつもりだい?」
おじさまの言葉にケニスさんは私の方を向き、その鬼気迫る顔に、私は急いで顔を横に振った。
「違うじゃねえか。いい加減にしろ!」
「ケニス君が思っているのとはちょっと違うんだけど、まあいい。ニナ君、お説教はまたにしよう」
ねじり上げるケニスさんを気にする事なく、おじさまは続ける。
「緊急の知らせなんだろう?何があった?」
ケニスさんはおじさまの言葉に手を離し、持っていた紙を差し出した。
「魔力が暴走して、その中心に勇者が閉じ込められたそうです」
私とおじさまは驚き、顔を見合わせた。
「魔法を使う時は魔力の流れを意識して、とにかく集中する。初歩の初歩なんだけどねえ」
おじさまは受け取った手紙を読みながら呆れたように呟いた。
「あの、オスカーはどうなっちゃうんですか?」
「前例が無いから何とも言えない。ただ、核を得た魔力が向かう先は一つだ」
おじさまはそれだけ言うと、紙にペンを走らせた。
「まさか、人が魔物になるなんてあり得るんですか?」
ショックで何も言えない私の代わりに、ケニスさんが口を開く。
「どうだろうね。何しろ前例が無いから、何が起こるか分からない。ルーファス君は手紙を預けた後、魔王城に引き返している。ぎりぎりまで様子を見ると書いてあったけど、彼なら討つべきだと判断したら討ち取るだろう」
「そんな……」
「暴走したのは昨日の昼過ぎか。ルーファス君自身の限界もあるから、もう間に合わないかもしれない」
おじさまは書き上げた紙をケニスさんに押し付けると、ケニスさんを扉の方に向けて背中を押した。
「これから私は魔王城に向かう。ケニス君はその紙を持って副団長の所に走ってくれ。最悪の事態を想定して、魔術師団と騎士団を魔王城に向かわせる」
ケニスさんは一瞬振り返ったものの、何も言わず直ぐに走り出した。
「ニナ君、オスカー君を助ける気はあるかい?」
「あります」
「例え命の危険があっても?」
「オスカーが助かるなら、私はどうなってもいいです」
おじさまに聞かれて私は即答する。
オスカーにされた事とか、私の気持ちとかどうでも良い。
今すぐにでもオスカーの所に行って、助けられるものなら助けたかった。
「今から転移魔法を使う」
「転移魔法?そんなの可能なんですか?」
それこそお伽噺にしか出てこない、夢のまた夢の魔法だ。
「完成はしているけど成功はしていない。まだ検証段階で試した事がないからね。まずはここで命をかけて貰わないといけない」
おじさまはそう言うと、腕輪を掴み、魔法を発動させた。
「転移が成功しても、私は魔力切れで使い物にならないだろう。だからニナ君にオスカー君を救って貰いたい」
色とりどりの魔法陣が次から次へと出現して、組み合わさってより複雑な魔法陣となる。
凄まじい魔力の放出に、おじさまを中心に風が巻き起こっている。
「魔力が暴走していると言うことは、恐らくメレディスの術式は発動したままだ。オスカー君を核にして、周囲の魔力を集め続けているんだろう。魔力の消費にはオスカー君が魔法を使うのが一番だけど、メレディスの術式が起動したままでは別の魔法を発動させる事が出来ない」
「そんな、どうしたら……」
絶望的な状況に、私は頭が真っ白になる。
「半日以上経っているからね、メレディスの術式を起動し直すだけでは魔力が消費しきれないだろう。オスカー君を助け出すためには、メレディスの術式を発動したまま、術式を書き加えて余剰魔力を消費するしかない」
おじさまの言葉に、私はメレディスの術式を思い浮かべる。
魔力の流れに方向付けをすれば、魔力は次の記述へと流れるように進んで行くだろう。
元々の術式が終わるより先に、余剰魔力を消費するための記述を書き加えなければならない。
「私に、出来るでしょうか」
魔力の流れよりも早く書き込まないとエラーを起こして何が起こるか分からない。
「ここでも、命をかけて貰わないといけないだろうね」
「命をかけなきゃいけないのは、おじさまも一緒ですよね」
「ああ、かけるならニナ君しかいない」
おじさまは真剣な顔で私を見つめた。
私の頭の中では、新しい術式の構築が既に始まっている。
おじさまは私を信じてくれている。
私も、私を信じるしかない。
「必ず、オスカーを助けます」
私は自分に言い聞かせる様に言い切った。
「では、魔法陣の中に。出来るだけしっかり私にしがみついてくれ。一応言っておくけど、もう手遅れの可能性もある。その覚悟も、しておきなさい」
ルーファスさんに討ち取られているかもしれないし、魔物になってしまっているかもしれない。
それでも、私は行かないといけない。
「お願いします」
私はおじさまにしがみつき、オスカーの無事を祈りながら術式を考え続ける。
「行くよ」
おじさまの言葉と共に私の視界は歪み、そして消えた。
視界が戻る前に、おじさまの身体が崩れ落ちるのを感じ、私は必死で受け止めようとした。
鍛え抜かれたおじさまを受け止められるはずもなく、私はおじさまと一緒に崩れ落ちた。
「おじさま!大丈夫ですか?」
「団長?それにニナ?一体どこから」
声のした方を向くと、驚いた顔をしたルーファスさんがいた。
まだ少し視界がぼやけているけど、ちゃんと見えている。
「オスカー!」
ルーファスさんの向こうに、光る渦の中で力なく立つオスカーがいた。
「ニナ君……早く……行きな、さい」
おじさまは苦しげに呟くと意識を失った。
「ルーファスさん、おじさまをお願いします!」
脈があるのを確認すると、おじさまをそっと寝かしてオスカーの元に走った。
「危ない、ニナ!」
ルーファスさんが止めるのを無視して、オスカーの前に立つと、私は大きく息を吸った。
「ニ、ナ?」
渦の中で、オスカーが顔を上げて私を見つめた。
良かった、まだ魔物にはなっていない。
「オスカー、絶対助けるから」
私は腕輪を掴み、人の腕輪に術式を書き込む魔法を発動させた。
腕輪の術式は魔王封印の術式を元に作られているから、これで書き換えられるはずだ。
そう、信じるしかない。
「なぜ、ここに?」
私は意を決して渦の中に手を入れて、オスカーの手を握った。
渦巻く魔力は私も取り込み、言葉では言い表せないような圧迫感を私に与える。
「オスカー、会いたかった」
オスカーの顔を見たら、今までぐるぐる考えてきた事なんてすっ飛んで、その言葉しか出なかった。
そして、私は術式の書き換えを始めた。
「ニナ、何を……」
オスカーの言葉は耳を通り抜け、私はひたすら術式を書き換える。
魔力の流れに方向付けをすると、私達を取り巻く渦の動きは落ち着き、術式に流れ始めた。
術式を保持する為の魔法が発動し、次ら次へと魔法陣が出現する。
それでも、私達を捕らえる魔力は無くならない。
やはり、消費しないとこの中からは出られないんだろう。
私は余剰魔力を消費する為の記述を必死で書き込み続けた。
私が新たに書き込んだ部分まで魔力が流れてしまったら、その先はあっという間だ。
早く、早く。
魔法陣から光の玉が上がり、そのまま天井をすり抜けると、外からドンと大きな音が聞こえた。
ついに、新たに書き加えた部分まで魔力が流れてしまった。
早くしないと追いつかれてしまう。
もっと早く。
次々に魔法陣から光の玉が立ち上り、ドンドンと大きな音を響かせた。
魔力はまだまだ無くならない。
私は必死で術式を書き込む。
キーンと耳鳴りがして、何も聞こえない。
頭はガンガンと痛み、視界もぼやけて来た。
外界と遮断されたような感覚がした後、すぐ近くから子供の笑い声が聞こえた。
術式を書き込む私を遠くに感じ、笑い声に意識を向けると、子供時代のオスカーと私が見えた。
いつしか私は子供に戻っていて、オスカーに笑いかけていた。
私が笑うとオスカーが笑うから、オスカーの笑顔が見たくて私は笑い続けた。
オスカーの笑顔が好きだった。
それさえあれば何もいらなかった。
「ニナ!ニナ!」
大人になったオスカーが泣きそうな顔をしている。
「オスカー……」
私を抱きかかえるオスカーの手は震えていた。
もう、魔力の塊は見えない。
私は、成功したんだろうか。
「ニナ……」
私は手を伸ばして、泣きそうなオスカーの顔に触れた。
「オスカーには、笑っていて欲しい。笑っているオスカーが、大好き」
オスカーが何か言ったけど、私の耳に入る事無く、私はそのまま意識を失った。
一晩中魔王封印の術式を眺めていた私は、術式に気になる点を見つけたため、おじさまに相談することにした。
「どうかしたかい?」
「これは魔王封印の術式だと思うんですが、ここの所が気になって」
術式を書き起こした古い紙を差し出すと、おじさまは驚いていた。
「こんな古い物、よく見つけたね」
「前々代の勇者の研究日誌に挟まっていました」
「大事な資料を私物に挟み込むなんて、困った人だ」
仮眠室の資料が大切にされているかは疑問だけど、前々代がぞんざいに扱っていたのは確かだ。
「それで、ニナ君はどこが気になるのかな?」
「術式を発動させると、まずここに魔力が流れ込んで、今まで蓄えられた魔力が解放されますよね。通常であれば術者の魔力と合わせて次の記述に向かいますが、魔力の流れに指定がないので、逆流する可能性もあると思うんです」
おじさまはしばらく考え込んだ後、口を開いた。
「術式を発動させようと思ったら、術者の魔力は一方向にしか向かわないはずだ。解放された魔力だけ逆流する事は無いはずだよ」
「やっぱり、そうですよね……」
何度も頭の中で術式を発動させている内に気になっただけで、通常であれば問題にならない事も分かっている。
「すみません。変な事を言って」
「いや、確かに可能性が無いわけではない。ニナ君、副団長からの仕事が終わったら、こちらの改良をお願いするよ」
おじさまは笑顔で紙を返してきた。
「あの、私はいつまでここにいていいんでしょうか」
方向付けするだけだから、そんなに難しい事では無いと思うけど、部外者の私がいつまでもここに留まっていていいんだろうか。
「ああ、ちょうど今朝これが届いたから渡そうと思っていたんだよ。はい、おめでとう」
おじさまは机の上から書類を取り上げると私に手渡した。
受け取った紙を見ると、私が通う学校の修了証書だった。
「なぜおじさまがこれを?」
「ニナ君がいつまでも修了出来ないでいるのはおかしいからね。私の名前で問い合わせたらこれが送られてきたよ」
楽しそうに笑うおじさまを見ると、ただ問い合わせただけだとは思えなかった。
「いつまでも腕輪を認めないなら、学校の認可を取り消してしまおうと思っていたんだけど、意外と対応が早かったね」
おじさまはそう言うと真面目な顔に戻り、もう一枚紙を差し出してきた。
「ニナ君程の実力なら、いずれここに来ると思っていたんだけど、待っているだけではいけなかったようだ」
差し出された紙は、魔術師団の入団を認める辞令書だった。
「これからもここで働いてくれないかな?」
私は信じられない気持ちで辞令書を受け取った。
「いいんですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます。……良かった、これからどうやって暮らしていけばいいか本当に不安だったんです。娼館で働く事も考えていたくらいです」
おじさまの優しい微笑みに、私はすっかり浮かれて余計なことを言ってしまった。
「……ニナ君、娼館で働く意味、分かっているのかな?」
「はい、友人から色々と聞いていますから」
おじさまはこめかみを押さえながら大きくため息をつくと、机から立ち上がり私の隣に立った。
「娼婦の友達を悪いとは言わないけど、もう少し常識と人を頼る事を覚えた方がいい」
おじさまは私をひょいっと持ち上げると、ソファーに寝かせた。
「娼館で働くなんて事を考える前に、私や誰かに相談すべきじゃないかな?なぜそれをしなかった?」
おじさまは笑顔だけど、目が笑っていない。
「あの、これ以上迷惑はかけられないな、と思って」
「ニナ君は私に相談するより、好きでもない男に組み敷かれる方がいいらしい」
おじさまは私にのしかかり、顔を近づけた。
「君は娼館で働く事がどんな事か、本当の意味では分かっていない」
「おじ、さま?」
「こんな事をされても、平気なのかな?」
おじさまは私の首元に軽く口づけをすると、様子をうかがうように私を見下ろし、再び顔を近づけてきた。
おじさまの事は嫌いではない。
それでも、嫌悪感から鳥肌が立った。
「へ、平気じゃ……」
「団長!大変です!」
私の言葉の途中で勢いよく扉が開き、ケニスさんが入ってきた。
「ルーファスさんからの緊急の知ら……ふっざけんなよ、おっさん!何してんだ!」
ケニスさんはおじさまの首元を掴むと、私から引き剥がした。
「ケニス君、うんざりするぐらいいいタイミングだね。ところで、同意の元だったらどうするつもりだい?」
おじさまの言葉にケニスさんは私の方を向き、その鬼気迫る顔に、私は急いで顔を横に振った。
「違うじゃねえか。いい加減にしろ!」
「ケニス君が思っているのとはちょっと違うんだけど、まあいい。ニナ君、お説教はまたにしよう」
ねじり上げるケニスさんを気にする事なく、おじさまは続ける。
「緊急の知らせなんだろう?何があった?」
ケニスさんはおじさまの言葉に手を離し、持っていた紙を差し出した。
「魔力が暴走して、その中心に勇者が閉じ込められたそうです」
私とおじさまは驚き、顔を見合わせた。
「魔法を使う時は魔力の流れを意識して、とにかく集中する。初歩の初歩なんだけどねえ」
おじさまは受け取った手紙を読みながら呆れたように呟いた。
「あの、オスカーはどうなっちゃうんですか?」
「前例が無いから何とも言えない。ただ、核を得た魔力が向かう先は一つだ」
おじさまはそれだけ言うと、紙にペンを走らせた。
「まさか、人が魔物になるなんてあり得るんですか?」
ショックで何も言えない私の代わりに、ケニスさんが口を開く。
「どうだろうね。何しろ前例が無いから、何が起こるか分からない。ルーファス君は手紙を預けた後、魔王城に引き返している。ぎりぎりまで様子を見ると書いてあったけど、彼なら討つべきだと判断したら討ち取るだろう」
「そんな……」
「暴走したのは昨日の昼過ぎか。ルーファス君自身の限界もあるから、もう間に合わないかもしれない」
おじさまは書き上げた紙をケニスさんに押し付けると、ケニスさんを扉の方に向けて背中を押した。
「これから私は魔王城に向かう。ケニス君はその紙を持って副団長の所に走ってくれ。最悪の事態を想定して、魔術師団と騎士団を魔王城に向かわせる」
ケニスさんは一瞬振り返ったものの、何も言わず直ぐに走り出した。
「ニナ君、オスカー君を助ける気はあるかい?」
「あります」
「例え命の危険があっても?」
「オスカーが助かるなら、私はどうなってもいいです」
おじさまに聞かれて私は即答する。
オスカーにされた事とか、私の気持ちとかどうでも良い。
今すぐにでもオスカーの所に行って、助けられるものなら助けたかった。
「今から転移魔法を使う」
「転移魔法?そんなの可能なんですか?」
それこそお伽噺にしか出てこない、夢のまた夢の魔法だ。
「完成はしているけど成功はしていない。まだ検証段階で試した事がないからね。まずはここで命をかけて貰わないといけない」
おじさまはそう言うと、腕輪を掴み、魔法を発動させた。
「転移が成功しても、私は魔力切れで使い物にならないだろう。だからニナ君にオスカー君を救って貰いたい」
色とりどりの魔法陣が次から次へと出現して、組み合わさってより複雑な魔法陣となる。
凄まじい魔力の放出に、おじさまを中心に風が巻き起こっている。
「魔力が暴走していると言うことは、恐らくメレディスの術式は発動したままだ。オスカー君を核にして、周囲の魔力を集め続けているんだろう。魔力の消費にはオスカー君が魔法を使うのが一番だけど、メレディスの術式が起動したままでは別の魔法を発動させる事が出来ない」
「そんな、どうしたら……」
絶望的な状況に、私は頭が真っ白になる。
「半日以上経っているからね、メレディスの術式を起動し直すだけでは魔力が消費しきれないだろう。オスカー君を助け出すためには、メレディスの術式を発動したまま、術式を書き加えて余剰魔力を消費するしかない」
おじさまの言葉に、私はメレディスの術式を思い浮かべる。
魔力の流れに方向付けをすれば、魔力は次の記述へと流れるように進んで行くだろう。
元々の術式が終わるより先に、余剰魔力を消費するための記述を書き加えなければならない。
「私に、出来るでしょうか」
魔力の流れよりも早く書き込まないとエラーを起こして何が起こるか分からない。
「ここでも、命をかけて貰わないといけないだろうね」
「命をかけなきゃいけないのは、おじさまも一緒ですよね」
「ああ、かけるならニナ君しかいない」
おじさまは真剣な顔で私を見つめた。
私の頭の中では、新しい術式の構築が既に始まっている。
おじさまは私を信じてくれている。
私も、私を信じるしかない。
「必ず、オスカーを助けます」
私は自分に言い聞かせる様に言い切った。
「では、魔法陣の中に。出来るだけしっかり私にしがみついてくれ。一応言っておくけど、もう手遅れの可能性もある。その覚悟も、しておきなさい」
ルーファスさんに討ち取られているかもしれないし、魔物になってしまっているかもしれない。
それでも、私は行かないといけない。
「お願いします」
私はおじさまにしがみつき、オスカーの無事を祈りながら術式を考え続ける。
「行くよ」
おじさまの言葉と共に私の視界は歪み、そして消えた。
視界が戻る前に、おじさまの身体が崩れ落ちるのを感じ、私は必死で受け止めようとした。
鍛え抜かれたおじさまを受け止められるはずもなく、私はおじさまと一緒に崩れ落ちた。
「おじさま!大丈夫ですか?」
「団長?それにニナ?一体どこから」
声のした方を向くと、驚いた顔をしたルーファスさんがいた。
まだ少し視界がぼやけているけど、ちゃんと見えている。
「オスカー!」
ルーファスさんの向こうに、光る渦の中で力なく立つオスカーがいた。
「ニナ君……早く……行きな、さい」
おじさまは苦しげに呟くと意識を失った。
「ルーファスさん、おじさまをお願いします!」
脈があるのを確認すると、おじさまをそっと寝かしてオスカーの元に走った。
「危ない、ニナ!」
ルーファスさんが止めるのを無視して、オスカーの前に立つと、私は大きく息を吸った。
「ニ、ナ?」
渦の中で、オスカーが顔を上げて私を見つめた。
良かった、まだ魔物にはなっていない。
「オスカー、絶対助けるから」
私は腕輪を掴み、人の腕輪に術式を書き込む魔法を発動させた。
腕輪の術式は魔王封印の術式を元に作られているから、これで書き換えられるはずだ。
そう、信じるしかない。
「なぜ、ここに?」
私は意を決して渦の中に手を入れて、オスカーの手を握った。
渦巻く魔力は私も取り込み、言葉では言い表せないような圧迫感を私に与える。
「オスカー、会いたかった」
オスカーの顔を見たら、今までぐるぐる考えてきた事なんてすっ飛んで、その言葉しか出なかった。
そして、私は術式の書き換えを始めた。
「ニナ、何を……」
オスカーの言葉は耳を通り抜け、私はひたすら術式を書き換える。
魔力の流れに方向付けをすると、私達を取り巻く渦の動きは落ち着き、術式に流れ始めた。
術式を保持する為の魔法が発動し、次ら次へと魔法陣が出現する。
それでも、私達を捕らえる魔力は無くならない。
やはり、消費しないとこの中からは出られないんだろう。
私は余剰魔力を消費する為の記述を必死で書き込み続けた。
私が新たに書き込んだ部分まで魔力が流れてしまったら、その先はあっという間だ。
早く、早く。
魔法陣から光の玉が上がり、そのまま天井をすり抜けると、外からドンと大きな音が聞こえた。
ついに、新たに書き加えた部分まで魔力が流れてしまった。
早くしないと追いつかれてしまう。
もっと早く。
次々に魔法陣から光の玉が立ち上り、ドンドンと大きな音を響かせた。
魔力はまだまだ無くならない。
私は必死で術式を書き込む。
キーンと耳鳴りがして、何も聞こえない。
頭はガンガンと痛み、視界もぼやけて来た。
外界と遮断されたような感覚がした後、すぐ近くから子供の笑い声が聞こえた。
術式を書き込む私を遠くに感じ、笑い声に意識を向けると、子供時代のオスカーと私が見えた。
いつしか私は子供に戻っていて、オスカーに笑いかけていた。
私が笑うとオスカーが笑うから、オスカーの笑顔が見たくて私は笑い続けた。
オスカーの笑顔が好きだった。
それさえあれば何もいらなかった。
「ニナ!ニナ!」
大人になったオスカーが泣きそうな顔をしている。
「オスカー……」
私を抱きかかえるオスカーの手は震えていた。
もう、魔力の塊は見えない。
私は、成功したんだろうか。
「ニナ……」
私は手を伸ばして、泣きそうなオスカーの顔に触れた。
「オスカーには、笑っていて欲しい。笑っているオスカーが、大好き」
オスカーが何か言ったけど、私の耳に入る事無く、私はそのまま意識を失った。
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