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お人形のお城
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青空のした、リツは荒々しい川音を聞きながら対峙したあやかしを呆然と眺めていた。今のところ殺気は感じないが、鋭い牙と爪や刃の通りにくそうな肌にはやはり脅威を感じる。
鰐という大きなトカゲのような生き物がいることは文献で読んだことがあったし、実物を見てみたいと思ったこともった。それでも事が退治とあれば、まだ鮫のほうがマシだったかもしれない。
そんなことを考えていると、セツが苦笑を浮かべた。
「えーと、私はセツともうします。そして、こちらが妻のリツと部下のメイです」
「どうも」
「ど、どうも」
メイとともに力なく頭を下げると、鰐も微笑んで頭をさげた。
「これはご丁寧にどうも。ワタクシは、ここから遥か西にある砂の国で祀られていた一族の娘、民たちからはソシエと呼ばれておりましたわ」
「遥か西の国、ですか」
「ええ、ええ。セツ様たちが天竺と呼ぶ場所よりもずっと西でしてよ」
「なるほど。では、なぜこの国にいらしたのですか?」
「ワタクシたちを祀る民たちも少なくなり一族の仕事も減ったので、見聞を広めようと海を渡り諸国を旅しておりましたの。そんななか、運悪く鮫を刺激してしまい尻尾を齧られて難儀していました」
鮫のほうもやっぱり関わってくるのか。などとぼんやり考えていると、赤黒い目がキラキラと輝きながら遠くを見つめた。
「それをあの方が助けてくださり……」
「なるほど。それで、恋に落ちたというわけですか」
「そんなセツ様、恋だなんて」
岩のような鱗が並ぶ頬がうっすらと紅に色づき、丸太のような尻尾がバシバシと地面を打つ。照れているだろうことは目に見えて分かった。
「ワタクシはただ、あの方のご恩に少しでも報いたくて。でも、なかなか忙しいようで、お時間をとっていただけなくて」
川辺に切なげなため息が響いた。忙しいのが理由ではないとは思ったが、ここで余計なことを口にしてイザコザをおこすことは避けたい。
「あ、あの、ソシエ、さん」
緊張と脱力が入り混じるなんともいえない空気のなか、メイがおずおずと手を挙げた。
「あら、なんですの? メイ様」
「はい、えっと、に……、武光殿には、どうやって恩返しするつもり、なん、ですか?」
「ええ、ええ。それは……あら?」
不意にソシエが首をかしげた。
「メイ様。あなた武光様の弟君でしたのね」
「えっ!? なん、で、分かったん、です、か?」
「ええ、ええ。ワタクシたちは祀られるものですからね。目を覗き込めば大凡のことは分かりますのよ」
そう言うやいなや、赤黒い目が悲しげに細められた。
「あのお城のものたちのせいで、今までおつらい思いをされていましたのね」
「い、いえ。もう、昔のこと、ですし」
「だからと言って、許していいことではありませんわ。あの方も、お城のものたちにはメイ様と同じ思いを抱いておりましたもの」
「兄様が、僕と、同じ?」
「ええ、ええ。おっしゃる通りですわ。血の繋がった子供である弟君を捨てるようなまねをしておきながら、自分には血を遺せと口喧しく迫る」
哀れみを帯びた声が徐々に怒気を含んだものに変わっていく。そして。
「そんな者たちはいっそのこと滅びてしまえばいい、と」
凄まじい威圧感とともに赤黒い目が見開かれた。
「ですから、その望みを叶えてご恩に報いろうと思っておりますの」
「……僕も兄様も、そんなことまでは望んでいません」
「ええ、ええ。あの方の弟君ならそうおっしゃるでしょうとも。でも、無理をなさらなくてよろしいんですのよ」
「無理などしていません!」
メイがいつになく声を荒らげ足を踏み鳴らす。しかし、ソシエは気にすることなく穏やかに微笑んだ。
「あらあら。ワタクシは、メイ様と事を構えるつもりはありませんよ」
リツも短刀に手をかけ身構えたが、目の前にいる相手から殺気は微塵も感じない。そんなおり、セツがにこやかな表情で手を打ち鳴らした。
「こらこらメイ、ちょっと落ち着いて。ソシエ殿、貴女が思うほどあの城のものたちは弱くはないですよ。まさか、お一人で乗り込むつもりではありませんよね?」
愛想笑いを浮かべた目と、一瞬だけ視線があった。何を言わんとしているのかは明白だ。
「ええ、ええ。もちろんですわ」
しとやかな声を聞き流しながら、目を閉じて意識を集中する。すると、微かなどよめきのようなものを感じた。
「ワタクシね、以前友人からお人形の作りかたを教わりましたの」
「へえ、それは結構ですね。それが今回の恩返しになにか関係があるのですか?」
「ええ、ええ。おっしゃるとおりですわ。あの方の周りによろしくないものが沢山いるのなら」
どよめきは急激にこちらに近づいてくる。
ゴボゴボという水音を伴いながら。
「──二人とも! すぐに淵から離れてください!!」
「了解っ!」
「え? は、はいっ!」
リツの叫びとともに、セツとメイも淵のそばから飛び退く。それとほぼ同時に水面からバシャリと音を立てて刀を手にした人のようなものが数体飛び出し、三人がいた場所に刃を突き立てた。
「──このように。新しく作った良いお人形さんと交換してしまえばいいと」
ソシエが微笑みながら指し示すなかには、先ほど大量の鼻血を流していたメイの父親に似たものもある。
「やれやれ、ソシエ殿の気持ちも分からなくはないけどね。大量の人間に危害を加えるなんて宣言されたら、退治人として見逃せないか」
笑顔を消したセツが刀に手をかける。
荒事になることは覚悟してきたはず。
それなのに。
どうか、最期くらいは真名で。
昨夜感じた不安が鮮明に蘇り消えてくれない。
「……」
リツは震える手を軽く打ち短刀を構えた。
鰐という大きなトカゲのような生き物がいることは文献で読んだことがあったし、実物を見てみたいと思ったこともった。それでも事が退治とあれば、まだ鮫のほうがマシだったかもしれない。
そんなことを考えていると、セツが苦笑を浮かべた。
「えーと、私はセツともうします。そして、こちらが妻のリツと部下のメイです」
「どうも」
「ど、どうも」
メイとともに力なく頭を下げると、鰐も微笑んで頭をさげた。
「これはご丁寧にどうも。ワタクシは、ここから遥か西にある砂の国で祀られていた一族の娘、民たちからはソシエと呼ばれておりましたわ」
「遥か西の国、ですか」
「ええ、ええ。セツ様たちが天竺と呼ぶ場所よりもずっと西でしてよ」
「なるほど。では、なぜこの国にいらしたのですか?」
「ワタクシたちを祀る民たちも少なくなり一族の仕事も減ったので、見聞を広めようと海を渡り諸国を旅しておりましたの。そんななか、運悪く鮫を刺激してしまい尻尾を齧られて難儀していました」
鮫のほうもやっぱり関わってくるのか。などとぼんやり考えていると、赤黒い目がキラキラと輝きながら遠くを見つめた。
「それをあの方が助けてくださり……」
「なるほど。それで、恋に落ちたというわけですか」
「そんなセツ様、恋だなんて」
岩のような鱗が並ぶ頬がうっすらと紅に色づき、丸太のような尻尾がバシバシと地面を打つ。照れているだろうことは目に見えて分かった。
「ワタクシはただ、あの方のご恩に少しでも報いたくて。でも、なかなか忙しいようで、お時間をとっていただけなくて」
川辺に切なげなため息が響いた。忙しいのが理由ではないとは思ったが、ここで余計なことを口にしてイザコザをおこすことは避けたい。
「あ、あの、ソシエ、さん」
緊張と脱力が入り混じるなんともいえない空気のなか、メイがおずおずと手を挙げた。
「あら、なんですの? メイ様」
「はい、えっと、に……、武光殿には、どうやって恩返しするつもり、なん、ですか?」
「ええ、ええ。それは……あら?」
不意にソシエが首をかしげた。
「メイ様。あなた武光様の弟君でしたのね」
「えっ!? なん、で、分かったん、です、か?」
「ええ、ええ。ワタクシたちは祀られるものですからね。目を覗き込めば大凡のことは分かりますのよ」
そう言うやいなや、赤黒い目が悲しげに細められた。
「あのお城のものたちのせいで、今までおつらい思いをされていましたのね」
「い、いえ。もう、昔のこと、ですし」
「だからと言って、許していいことではありませんわ。あの方も、お城のものたちにはメイ様と同じ思いを抱いておりましたもの」
「兄様が、僕と、同じ?」
「ええ、ええ。おっしゃる通りですわ。血の繋がった子供である弟君を捨てるようなまねをしておきながら、自分には血を遺せと口喧しく迫る」
哀れみを帯びた声が徐々に怒気を含んだものに変わっていく。そして。
「そんな者たちはいっそのこと滅びてしまえばいい、と」
凄まじい威圧感とともに赤黒い目が見開かれた。
「ですから、その望みを叶えてご恩に報いろうと思っておりますの」
「……僕も兄様も、そんなことまでは望んでいません」
「ええ、ええ。あの方の弟君ならそうおっしゃるでしょうとも。でも、無理をなさらなくてよろしいんですのよ」
「無理などしていません!」
メイがいつになく声を荒らげ足を踏み鳴らす。しかし、ソシエは気にすることなく穏やかに微笑んだ。
「あらあら。ワタクシは、メイ様と事を構えるつもりはありませんよ」
リツも短刀に手をかけ身構えたが、目の前にいる相手から殺気は微塵も感じない。そんなおり、セツがにこやかな表情で手を打ち鳴らした。
「こらこらメイ、ちょっと落ち着いて。ソシエ殿、貴女が思うほどあの城のものたちは弱くはないですよ。まさか、お一人で乗り込むつもりではありませんよね?」
愛想笑いを浮かべた目と、一瞬だけ視線があった。何を言わんとしているのかは明白だ。
「ええ、ええ。もちろんですわ」
しとやかな声を聞き流しながら、目を閉じて意識を集中する。すると、微かなどよめきのようなものを感じた。
「ワタクシね、以前友人からお人形の作りかたを教わりましたの」
「へえ、それは結構ですね。それが今回の恩返しになにか関係があるのですか?」
「ええ、ええ。おっしゃるとおりですわ。あの方の周りによろしくないものが沢山いるのなら」
どよめきは急激にこちらに近づいてくる。
ゴボゴボという水音を伴いながら。
「──二人とも! すぐに淵から離れてください!!」
「了解っ!」
「え? は、はいっ!」
リツの叫びとともに、セツとメイも淵のそばから飛び退く。それとほぼ同時に水面からバシャリと音を立てて刀を手にした人のようなものが数体飛び出し、三人がいた場所に刃を突き立てた。
「──このように。新しく作った良いお人形さんと交換してしまえばいいと」
ソシエが微笑みながら指し示すなかには、先ほど大量の鼻血を流していたメイの父親に似たものもある。
「やれやれ、ソシエ殿の気持ちも分からなくはないけどね。大量の人間に危害を加えるなんて宣言されたら、退治人として見逃せないか」
笑顔を消したセツが刀に手をかける。
荒事になることは覚悟してきたはず。
それなのに。
どうか、最期くらいは真名で。
昨夜感じた不安が鮮明に蘇り消えてくれない。
「……」
リツは震える手を軽く打ち短刀を構えた。
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