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左遷かと思ったら結婚していました

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 とある古い時代の、とある国の、とある地方。
 板張りの部屋の中、白い装束を身に纏った男女が向かい合って座っていた。

「えーと、君が所属していたのは本部第一班で間違いないんだよね?」

 男が怪訝そうな顔をしながら問いかける。

「はい、それは間違いありません」

 女も怪訝そうな顔をしながら答える。 

「そう、だよね。それで、退治人名はリツなんでしょ?」

「はい、それも間違いありません」

「だよね」

 問答の末、二人は怪訝な顔のままうなずきあった。

 そして……


「なら、やっぱり私の妻ということで間違いないはずじゃないかな?」

「ですから、そこがなにかの間違いなのではないでしょうか?」


 ……怪訝な顔のまま同時に首を傾げた。


 ことの発端は一月ほど前に遡る。

※※※


 この世界には人を襲うあやかしが跋扈し、その脅威から人々を守る退治人が存在している。リツも女性としては珍しく退治人を生業として、結社「青雲あおくも」に所属している一人だった。

 ある夜、リツは婚約者である上司や他の退治人とともに、都を騒がしているあやかしの退治に向かった。しかし、あと一歩で仕留められるというところまで追い込んだ矢先に、油断した上司が反撃を受けてしまった。当然、退治は失敗に終わった。

 深手は負わなかったものの、都の第一線で活動している退治人としての矜恃を傷つけられたと感じたのだろう。上司は「とっさに庇わなかったお前のせいだ」と任務失敗の責任を押しつけ、「お前のような出来損ないは、部下としても妻としても必要ない」と左遷および婚約の解消を言い渡してきた。

 結果として、リツは都を拠点とする本部第一班から左遷され、鄙びた場所にある第七支部第一班へ向かうことになった。しかし、婚約については家どうしの約束事を簡単に反故にするわけにはいかないということで、妹がそれを引き継いだ。

 もとより権謀術策が渦巻く本部に居心地の悪さも感じていた。そのうえ、親の決めた婚約者にも、上司としての恩は感じていたが、恋情にまつわる未練はない。そのため、特に不服を申し立てることもなく左遷と婚約破棄に応じた。

 ただ一つ、妹への気がかりだけを残して。


※※※

 そうして、リツはそこそこの旅路を経て第七支部第一班の詰所へたどり着いた。
 門の前には愛想のいい少年が待っていて、要件を告げると笑顔で責任者の執務室の前まで案内された。
 
「失礼いたします。本日からこちらでお世話になるリツと申します」

「ああ話は聞いているよ、長旅お疲れさま。入っておいで」

「失礼いたします」

 穏やかな声に促されて入った部屋の中には、文机を前に白い退治人装束を着た青年が座っていた。

 端正な顔立ちに浮かぶどこか軽薄な印象を受ける笑み。装束から仄かに漂う白檀の香り。

 数々の女性と浮名を流した古い歌物語の主人公は、きっとこんな風貌だったのだろう。そう考えていると笑みは苦笑いへ変わった。

「狐狸の類が化けているわけじゃないから、そんなに睨まなくても平気だよ」

「あ……、申し訳ございません。睨んでいたつもりはないのですが、目があまりよくないもので」
 
 深々と頭を下げると、軽い笑い声が耳に届いた。

「やっぱりか。君の評判は色々と聞いていたから、そんな気はしていたよ」

「……」

 その評判がどんなものかは問いただす気にもならなかった。本部に居た頃もことあるごとに目つきの鋭さを、恐ろしい、だの、気味が悪い、だのと言われてきた。心ない同僚からだけではなく両親や、婚約者だったはずの上司からも。妹は鋭さが美しいと言ってくれていたが、そんな感想を抱く者はそうそういないはずだ。

「お見苦しいところをお目に掛けてしまい、まことに申し訳ございませんでした」

 今まで何度となく繰り返し言葉が、つかえることなく口から滑り出ていく。たとえ謝罪をしたとしても、例によって例のごとく目つきの鋭さを責められるのだろう。心の内で深いため息がこぼれる。

「別に見苦しいなんて思っていないよ」

 しかし、返ってきたのは意外な言葉だった。

「……え?」

「なに驚いているのさ? ともかく、顔を上げなよ」

「あ、はい。かしこまりました」

 促されるまま顔を上げると、笑みを浮かべた顔が軽くうなずいた。

「うん。やっぱり、いい目をしているね。鋭くて美しい」

 相変わらず表情や声には軽薄な印象を受ける。それでも、敵意や害意のようなものは感じられない。

「……私などにはもったいないお言葉です」

「ふふ、謙遜することなんてないのに。ただ、視力が弱いのを放っておくわけにもいかないから、あとで薬を渡すよ」

「ありがとうございます」

「いえいえ。さて」

 本部にいたときよりも、多少は過ごしやすいのかもしれない。そう考えていると、長い睫毛に縁取られた眼が文机に視線を落とした。

「それじゃ本題に入ろうか。君の退治人名はリツということだけど……、真名は花埜はなのの しらべということで間違いないかな」

 穏やかな声が鷹揚に問いかける。
 退治人として生きる者、特に女性は、呪いやら様々な厄介ごとを避けるために、家族の他には本名を隠して生きることが習わしとなっている。

「はい。間違いありません」

「そうか。うん、いい名前だね」

 例外として、所属する組織の長には本名を知らせる決まりがある。

「お褒めいただき恐縮です」

「ふふ、だからそんなに謙遜しないでいいってば。ちなみに、もう知っているとは思うけれど私の退治人名はセツ。この第七支部第一班の班長……といっても班は一つしか無いんだけれどね、ともかくここの長だよ」

「はい、存じ上げております。改めて本日からよろしくお願いいたします」

「うん、よろしくね。それで私の真名は化野あだしのの 雪也ゆきなり、気軽に名で呼んでくれてかまわないからね」

「かしこまりま……、は?」
  
 しかし、組織の長の本名を知る決まりはない。

「え? 何をそんなに驚いているの?」

 目の前の顔から笑みが消え、訝しさと戸惑いが入り交じった表情が浮かぶ。

「驚くもなにも……、みだりに目上の方の真名を知ることは禁忌のはず……」

「あ、うん。たしかに、普通はそうだよね。でもさ……」

 ただ一つ、例外があるとすれば……


「私たち、夫婦になるんだから別に問題ないよね?」

「なんでそんな話になっているんですか?」


 ……組織の長が家族、つまるところ結婚相手になる場合だ。

「え?」

「は?」

 そんなこんなで、二人して目を点にしながら首をかしげあう状況に至っている。

※※※

「えーと……一度、状況を確認しようか」

「はい、そう、ですね」

 戸惑いながら提案するセツに向かって、リツが軽くうなずく。

「関係者各位からは結婚について本人に伝えて、了承も得ているって連絡を受けているんだけど」

「関係者各位から……」

「うん、そうだよ。それで、しらべはなんて言われてこの第七支部まで来たの?」

「なんと言われたか、ですか」

 真名を呼ばれることに戸惑いを感じながらも、異動と婚約破棄を言い渡された日のことを思い出す。元婚約者兼上司からは、感情的な言葉しか投げかけられていない。しかし、その後に結社の長に呼び出され至極苦々しい声で今後の身の振り方について命を受けた。

「まず長からは……、班長から罷免された以上、第一班にお前を残すわけにはいかない」
 
「ふんふん、それで?」

「生憎、本部にはお前を引き取りたいといっている班はない」

「なるほど、なるほど」

「だが、第七支部の責任者が人を欲しがっている。お前と歳も近いし、今までほど折り合いが悪くなることはないだろう。だから、すぐにでもそちらに向かえ。と」

「ああ、そうか」

 不意に、セツが額を抑えてうな垂れた。

「あの親父め、大事な部分をはしょってくれて……、それで、しらべはとくに反論もなく従ったんだね」
 
「はい。長からの命令ですので」

「まあ、そういう反応になるよね……」

 力ない声に深いため息がまじる。

「ちなみに、そちらのご家族はどんな反応だったの?」

「はい、ものすごく複雑な表情で『二度とこの家には戻ってくるな』と。言われたときは、任務に失敗するような不出来な子は必要無いという意味だと思ったのですが……」

 話を聞いているうちに、それだけではないということはさすがに理解できた。

「うん。多分『嫁ぎ先で幸せになってこい』って意味も含んでいると思うよ……」

「ですよね……。妹からは涙ながらに『どうか幸せにね』と言われましたし……」

「そう言われたのなら、その時点で気づこうよ……」

「本当にそうですね……」

 部屋の中に、二人分のため息が響く。その後、二人はしばらくの間黙り込んだ。

「ともかく改めて説明すると……、私としては退治人としてだけではなく、妻としてもしらべにここに居てほしいんだけど……、どうかな?」

 沈黙を破ったのは、力ないセツの問いだった。

「そう、ですね。私にも異論はありませんが……」

 今さら退治人以外の生き方ができるはずもない。婚約も既に破棄されている。申し出を断る必要はなにもないはずだ。それでも、一つだけ気にかかることがある。

「なぜ、私を選んでくださったのですか?」

 本部の中には、書類作業を請け負う同じ年頃の娘も少数ながらいたはずだ。その誰もが、自分よりも愛想がよかったと記憶している。退治人の補充枠は自分でも構わないが、妻はそういった中から別途選んだほうが適切ではないのかと、リツはおぼろげに考えた。
 
「うーん。まあ、本部でも指折りの実力者だから前々から気になってた、っていうのもあるし……」

「そんな、滅相もないです」

「いやいや、本当に班長の寄合いで必ず話題が出るくらいなんだって。本部第一班のライ班長だっていつも誇らしげにしてたんだから」

「……」

 聞き覚えのある名前に、胸の奥がほんの少しだけちりちりと痛んだ。
 婚約者としての未練はたしかに無い。しかし、短くない期間死線を共に超えてきた絆はあったはずだ。少なくとも、リツはそう信じていた。


 それなのに……

「まあ、しらべに惹かれた理由は色々あるけれど一番は、めちゃくちゃ目つきが鋭い一匹狼的な子が自分にだけ懐く、っていう状況にものすごくそそられる性癖だからかな」

 ……という、感傷的な思いはヘラヘラとした笑みと声によって打ち砕かれた。


「……そんなろくでもない理由で、伴侶を選ばないでください」

「ろくでもないだって!? いいかい、しらべ、よく聞くんだ! 性癖っていうのはこのどうしようもない世に生きていくうえで、何よりも大切なんだ! たとえば……」

「分かりましたから、部下兼妻の前で日の高いうちから猥談を始めようとなさらないでください」

 冷ややかな視線を送ると、セツは小さく咳払いをした。

「まあ、ともかく、だ。しらべのことはかなり気に入っているから、私の事は上司としても夫としてもどんどん頼ってくれていいからね」

「……」

 穏やかな声と笑顔からは、いつの間にか軽薄な印象が消えている。先ほど感じた微かな痛みもいつの間にか消えていた。

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」

「うん。そうしてくれると私も嬉しいよ。ただ、今夜は仕事があるからまずは上司として頼ってもらうことになるのが、残念なところではあるんだけどね。来たばかりで申し訳ないんだけれど、大丈夫そう?」

「はい。日暮れまで身体を休ませていただければ、問題無く出られます」

「それは何よりだ。なんたって、今日はライ班長の弔い合戦だからね」

「かしこまりまし……え?」

 突然の言葉に、リツの表情は凍り付いた。
 しかし、セツは相変わらず微笑みを浮かべ続けている。

「ああ、そうか。連絡が来たとき、まだしらべは旅路の途中だったね。本部第一班は君が抜けたあとの任務で、一人残らず潰され・・・・・・・・たんだ」

「……」

 目の前の笑みから、既に軽薄さは微塵も感じない。
 その代わり、言いようのない冷たさが漂っていた。
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