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応接室にて☆
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都内某所に本社を構える株式会社おみせやさんの応接室にて、人事課長の山口慧は微笑みを浮かべながら革張りのソファーに座っていた。慧の隣の席には、管理部長の信田かずらが腰掛け、神妙な面持ちで正面を見据えている。
二人の視線の先には、製品開発部部長の葉河瀨明が眠たげな表情で、ソファーに座っていた。
「葉河瀨。昼休み中に呼び出して悪かったわね」
かずらが声をかけると、葉河瀨は、いえ、と小さく返事をして、大きな欠伸をした。そして、目の前のテーブルに置かれたコーヒーに手を伸ばすと、スーツの胸ポケットからスティックシュガーを三本取り出した。
「休憩なら、時間をずらして取らせていただきますので、お気遣いなく」
葉河瀨がコーヒーに砂糖を入れながら答えると、かずらは、そう、と短く返事をした。すると、その隣で慧が浮かべていた笑みを更に深めた。
「それで、ハカセ。今回はどうして呼び出されたか、予想はついてるなりか?」
慧がおどけた口調で尋ねると、葉河瀨は再び大きな欠伸をしてから、寝癖のついた後頭部を掻いた。
「まあ、いくつか心当たりはありますが……製品開発部の執務室に、勝手にシャワールームを造っちゃった件についてかと」
葉河瀨が抑揚のない口調で答えると、かずらが目を見開いた。
「葉河瀨!一体いつの間にそんな物造ったのよ!?」
「大体、半年前ですね。口頭で、ではありますが社長の許可は取っていますし、山口課長も時折使いに来ていたんですが、そういえば信田部長には話してなかったかなと思いまして」
葉河瀨の言葉に、かずらは鋭い視線を慧に向けた。すると、慧はギクリとした表情を浮かべてから、顔を背けてわざとらしく口笛を吹いた。かずらは慧を肘で軽く小突いてから深いため息を吐いた。そして、射貫くような視線を葉河瀨に送った。
「……その件についても、詳しく話を聞きたいところだけど、今回は違うわ」
「では、何のことでしょうか?」
しかし、葉河瀨はかずらの視線など意に介することなく、眠たげな表情のまま軽く首を傾げた。その様子を見た慧は、クツクツと笑いながら葉河瀨に目を向けた。
「へぇ、こんな状況にまでなって、まだしらを切るとはなぁ」
そして、先ほどまでのおどけた口調とは打って変わって、恐ろしげな低い声で葉河瀨に声をかけた。
「葉河瀨もなかなか、純情じゃない……っか!?」
ドスの利いた声で葉河瀨を挑発していた慧だったが、かずらが鳩尾に肘を打ち込むと息を詰まらせて言葉を止めた。
「いちいち、葉河瀨を挑発しない!話が進まなくなるでしょ!」
かずらが叱りつけると、慧はしょげた表情を浮かべて、ちぇー、と呟いた。かずらは慧を一瞥すると、咳払いをして再び葉河瀨を見つめた。
「悪かったわね、葉河瀨。それで、本題だけど……」
そこまで口にすると、かずらは言葉を止めて息を吸い込んだ。
「……葉河瀨から見て、慧達に呪いをかけたのは一条さんだということは、間違い無いのね?」
かずらの質問に、葉河瀨は軽く眉を顰めた。しかし、すぐさま眠たげな表情に戻るとコーヒーを一口飲んだ。
「……なぜ、そのような聞き方をするのですか?」
「いいから、答えなさい」
葉河瀨は無表情に問い返したが、かずらは決して目を反らさずに淡々とした口調で回答を促した。
しばらくの間二人は無言で見つめ合っていたが、不意に葉河瀨がコーヒーを一口飲み、小さなため息を漏らした。
「……少なくとも、早川、山口課長、吉田の件に関わっているのは間違い無さそうですね」
葉河瀨はそう答えると、コーヒーを一気に飲み干した。
「ありゃ?割と素直に答えるなりね」
葉河瀨の答えを聞いた慧は、意外そうな表情で声を漏らした。
「アタシはてっきり、一条さんがそんなことするはずありません、とか言うのかと思ったなりよ」
そして、葉河瀨の声を真似ながら、率直な感想を口にした。すると、葉河瀨は不服そうな表情を浮かべながら、からになったコーヒーカップをテーブルに置いた。
「人の声を真似ないで下さい」
葉河瀨は抑揚のない口調でそう言うと、スーツのポケットからハンドタオルを取り出して口元を拭いた。かずらはその様子を見ると、慧を肘で軽く小突いてから口を開いた。
「認めてくれるなら、話は早いわ。それで、慧達を呪ったのは、やっぱり真木花の指示なの?」
「いえ、多分それはないですね」
「じゃあ、他にどんな理由があると思うの?」
かずらに矢継ぎ早に問われると、葉河瀨は視線を反らして唇を固く結んだ。葉河瀨の表情を見たかずらは、軽く目を伏せてから小さくため息を吐いた。
「葉河瀨、真木花と全面対決になってしまった今、その他の厄介ごとはできる限り早めに対処したいの。この状況で、更に呪いをかけられた人間が増えたら困るでしょ?」
そして、語気をやや和らげると、諭すように問いかけた。それでも、葉河瀨は口を噤んだままでいる。
「それに、このまま呪いが続いたりしたら、一条さんにだって負担がかかるの。だから、知っていることがあったら、どんな小さなことでも教えてちょうだい?」
かずらが更に言葉を続けると、葉河瀨は微かに唇を動かした。
「……山口課長達を呪った理由は、今日の打ち合わせで本人が教えてくれると思います。それに、少なくとも今日は、うちの社員が呪われている、ということはないはずです」
葉河瀨の言葉に、かずらと慧はほぼ同時に眉を動かした。
「葉河瀨、それはどういうこと?」
「葉河瀨、一体どういうことだ?」
二人から声を合わせて問いかけられた葉河瀨は、軽く目を伏せて小さくため息を吐いた。
「……昨日、真木花の社員から襲撃を受けた際に、一条さんも居合わせていました。そのとき、彼女はその社員を心底憎らしそうに睨んでましたから」
「……今日呪いがかかっているとしたら、その社員だと言いたいの?」
かずらの質問に、葉河瀨は無言で頷いた。そして、眼鏡の位置をなおし、ソファーの背もたれに身を預けながらため息を吐いた。
「俺としても聞き捨てならない発言があったので、少し痛めつけておきました。それで、彼女の気が済んでくれていれば良いのですが、ダメかもしれませんね。そう短くない期間、煩わされていた様子だったので」
葉河瀨はそこで一旦言葉を止めると、足を組んでどこか遠い目をした。
「アイツの頭蓋骨を粉砕でもできていれば、確実に彼女の気は済んだんでしょうけどね。しかし、その前に止められてしまったので、少し後悔しています」
素っ気なく言い放たれた葉河瀨の言葉を受け、かずらは困惑した表情を浮かべ、慧は半ば呆れたような表情で頬を掻いた。
「お前も、大概ぶっ壊れてるよな」
「ええ、よく言われます」
慧の言葉に、葉河瀨は欠伸混じりになりながら答えた。
かずらは二人のやりとりにチラリと視線を送ると、すぐに目を伏せて口元に手を当てた。
「でも、まずいわね……仮に、五夜目も済んでしまっているのなら、対処が相当大変なことになるわ」
「……だな。しかも、動機に私怨も混じりはじめてんだろ……これなら、真木花の連中をまとめてどうにかする方が、まだ楽かもな」
かずらと慧が深刻な顔をして呟くと、葉河瀨が眉を軽く動かした。
「……丑の刻参りをやめるよう説得すれば良い、ということではないのですか?」
微かに不安げな声で葉河瀨が問いかけると、慧が脚に肘をついて頬杖をついた。
「まあ、説得を聞き入れる耳を持ってくれてりゃ、それで良いだろうよ……葉河瀨、お前、能って観たことあるか?」
慧が投げやりな口調で尋ねると、葉河瀨は訝しげな表情をしながらも小さく頷いた。
「幼い頃に、一度だけ」
「演目は?」
慧が更に問いかけると、葉河瀨は口元に手を当てて眉を顰めた。
「あまり興味がなかったので、記憶が曖昧な部分もありますが……覚えている部分から推測すると、多分、『鉄輪』だったんでしょうね」
葉河瀨が答えると、慧は、そうか、と呟いて、深いため息を吐いた。すると、かずらが慧をチラリと見てから、葉河瀨に目を向けた。
「なら、話が早いわね。葉河瀨、そもそも丑の刻参りって言うのはね……対象を傷つけるために行うんじゃなくて、対象を傷つける力を得るために行うものなのよ」
「『鉄輪』でも、そんなくだりがあったろ?」
かずらの言葉に慧が続くと、葉河瀨は唇をきつく結んで目を伏せた。
「普段は呪いに縁のないような奴が行ったとしても、それなりの力が得られるんだけど……一夜で相手に危害を加えられるようになる子が五夜目まで続けていたとしたら……既にいわゆる生成くらいの状態にはなっているかもしれないわね」
説明を続けるかずらの隣で、慧が苦々しい表情を浮かべて頷いた。
「……だろうな。そうなると、周囲がどんなに説得しても、耳を貸さずに七夜目まで完遂しちまう可能性が高いか」
慧が吐き捨てるようにそう言うと、葉河瀨が結んでいた口をゆっくりと開いた。
「……もしも、七夜目まで完遂したら、一条さんはどうなってしまうのですか?」
葉河瀨が不安げな表情で尋ねると、かずらは悲しげに目を伏せた。一方の慧は、かずらに向かって心配そうに視線を送ってから、険しい表情を葉河瀨に向けた。
「……どうなるって、葉河瀨、『鉄輪』の内容知ってるなら大体分かるよな?」
慧が問いかけても葉河瀨は返答することなく、再び目を伏せ苦々しい表情で唇を結んだ。その様子を見て、慧は顔を伏せて深いため息を吐いた。そして、すぐに顔をあげると、再び険しい表情を葉河瀨に向けた。
「……鬼に成るに決まってんだろ」
慧がそう言い放つと、応接室の中は静まり返った。
三人はしばらくの間そのまま黙り込んでいたが、不意にバタバタという足音が会議室に近づいて来た。足音に気づいた三人が顔を向けると、応接室の扉が勢いよく開いた。
そこに立っていたのは、営業部第三課主任の早川健と、管理部職員であり彼の婚約者の三輪摩耶だった。
「ありゃ?ご両人、そんなに息を切らしてどうしたなりか……あ★仲良くするのは良いけど、職場でそういうことは控えて欲しいな……りっ!?」
慧はおどけた口調で二人を茶化したが、瞬時にかずらから肘打ちを食らい、鳩尾をさすりながらうずくまった。
「悪かったわね、二人とも。それで、早川。そんなに慌てて何があったの?」
かずらが尋ねると、乱れた呼吸を整える早川に代わりに摩耶が口を開いた。
「は、はい!さっき、早川さんが急いで戻って来て、とにかく部長か課長に話がしたい、って言い出しまして……」
うずくまる慧を気にすることなく摩耶が答えると、早川は大きく深呼吸をした。そして、かずらと慧に青ざめた表情を向けて、口を開く。
「ひ……日神課長が……元カノ……に、襲撃されてます!助けて下さい!」
「……は?」
早川がそう叫ぶと、かずらは困惑した表情を浮かべ……
「なにそれ、超・面白そう」
「なにそれ、超・面白そうなり★」
葉河瀨と慧は声を併せて、茶化すような言葉を口にした。
「あ……その、えーと……たしかに面白そうな言い回しになっちゃったっすけど……かなりの緊急事態で……」
そんな葉河瀨と慧の反応に、早川は困惑した表情を浮かべ言葉に詰まり……
「二人とも!今は面白がってる場合じゃないでしょ!?」
「お二人とも!今は面白がってる場合じゃないですよね!?」
かずらと摩耶は声を揃えて二人を叱りつけた。
叱られた葉河瀨と慧がしょげた表情で、はーい、と返事をしたのを横目で確認すると、かずらは早川に向かって首を傾げた。
「ともかく、早川、事情をもう少し分かりやすく説明してくれるかしら?」
「あ……はい。そうっすね」
かずらに尋ねられた早川は、やや落ち着きを取り戻した様子で返事をした。
かくして、早川による状況の説明がはじまるのだった。
二人の視線の先には、製品開発部部長の葉河瀨明が眠たげな表情で、ソファーに座っていた。
「葉河瀨。昼休み中に呼び出して悪かったわね」
かずらが声をかけると、葉河瀨は、いえ、と小さく返事をして、大きな欠伸をした。そして、目の前のテーブルに置かれたコーヒーに手を伸ばすと、スーツの胸ポケットからスティックシュガーを三本取り出した。
「休憩なら、時間をずらして取らせていただきますので、お気遣いなく」
葉河瀨がコーヒーに砂糖を入れながら答えると、かずらは、そう、と短く返事をした。すると、その隣で慧が浮かべていた笑みを更に深めた。
「それで、ハカセ。今回はどうして呼び出されたか、予想はついてるなりか?」
慧がおどけた口調で尋ねると、葉河瀨は再び大きな欠伸をしてから、寝癖のついた後頭部を掻いた。
「まあ、いくつか心当たりはありますが……製品開発部の執務室に、勝手にシャワールームを造っちゃった件についてかと」
葉河瀨が抑揚のない口調で答えると、かずらが目を見開いた。
「葉河瀨!一体いつの間にそんな物造ったのよ!?」
「大体、半年前ですね。口頭で、ではありますが社長の許可は取っていますし、山口課長も時折使いに来ていたんですが、そういえば信田部長には話してなかったかなと思いまして」
葉河瀨の言葉に、かずらは鋭い視線を慧に向けた。すると、慧はギクリとした表情を浮かべてから、顔を背けてわざとらしく口笛を吹いた。かずらは慧を肘で軽く小突いてから深いため息を吐いた。そして、射貫くような視線を葉河瀨に送った。
「……その件についても、詳しく話を聞きたいところだけど、今回は違うわ」
「では、何のことでしょうか?」
しかし、葉河瀨はかずらの視線など意に介することなく、眠たげな表情のまま軽く首を傾げた。その様子を見た慧は、クツクツと笑いながら葉河瀨に目を向けた。
「へぇ、こんな状況にまでなって、まだしらを切るとはなぁ」
そして、先ほどまでのおどけた口調とは打って変わって、恐ろしげな低い声で葉河瀨に声をかけた。
「葉河瀨もなかなか、純情じゃない……っか!?」
ドスの利いた声で葉河瀨を挑発していた慧だったが、かずらが鳩尾に肘を打ち込むと息を詰まらせて言葉を止めた。
「いちいち、葉河瀨を挑発しない!話が進まなくなるでしょ!」
かずらが叱りつけると、慧はしょげた表情を浮かべて、ちぇー、と呟いた。かずらは慧を一瞥すると、咳払いをして再び葉河瀨を見つめた。
「悪かったわね、葉河瀨。それで、本題だけど……」
そこまで口にすると、かずらは言葉を止めて息を吸い込んだ。
「……葉河瀨から見て、慧達に呪いをかけたのは一条さんだということは、間違い無いのね?」
かずらの質問に、葉河瀨は軽く眉を顰めた。しかし、すぐさま眠たげな表情に戻るとコーヒーを一口飲んだ。
「……なぜ、そのような聞き方をするのですか?」
「いいから、答えなさい」
葉河瀨は無表情に問い返したが、かずらは決して目を反らさずに淡々とした口調で回答を促した。
しばらくの間二人は無言で見つめ合っていたが、不意に葉河瀨がコーヒーを一口飲み、小さなため息を漏らした。
「……少なくとも、早川、山口課長、吉田の件に関わっているのは間違い無さそうですね」
葉河瀨はそう答えると、コーヒーを一気に飲み干した。
「ありゃ?割と素直に答えるなりね」
葉河瀨の答えを聞いた慧は、意外そうな表情で声を漏らした。
「アタシはてっきり、一条さんがそんなことするはずありません、とか言うのかと思ったなりよ」
そして、葉河瀨の声を真似ながら、率直な感想を口にした。すると、葉河瀨は不服そうな表情を浮かべながら、からになったコーヒーカップをテーブルに置いた。
「人の声を真似ないで下さい」
葉河瀨は抑揚のない口調でそう言うと、スーツのポケットからハンドタオルを取り出して口元を拭いた。かずらはその様子を見ると、慧を肘で軽く小突いてから口を開いた。
「認めてくれるなら、話は早いわ。それで、慧達を呪ったのは、やっぱり真木花の指示なの?」
「いえ、多分それはないですね」
「じゃあ、他にどんな理由があると思うの?」
かずらに矢継ぎ早に問われると、葉河瀨は視線を反らして唇を固く結んだ。葉河瀨の表情を見たかずらは、軽く目を伏せてから小さくため息を吐いた。
「葉河瀨、真木花と全面対決になってしまった今、その他の厄介ごとはできる限り早めに対処したいの。この状況で、更に呪いをかけられた人間が増えたら困るでしょ?」
そして、語気をやや和らげると、諭すように問いかけた。それでも、葉河瀨は口を噤んだままでいる。
「それに、このまま呪いが続いたりしたら、一条さんにだって負担がかかるの。だから、知っていることがあったら、どんな小さなことでも教えてちょうだい?」
かずらが更に言葉を続けると、葉河瀨は微かに唇を動かした。
「……山口課長達を呪った理由は、今日の打ち合わせで本人が教えてくれると思います。それに、少なくとも今日は、うちの社員が呪われている、ということはないはずです」
葉河瀨の言葉に、かずらと慧はほぼ同時に眉を動かした。
「葉河瀨、それはどういうこと?」
「葉河瀨、一体どういうことだ?」
二人から声を合わせて問いかけられた葉河瀨は、軽く目を伏せて小さくため息を吐いた。
「……昨日、真木花の社員から襲撃を受けた際に、一条さんも居合わせていました。そのとき、彼女はその社員を心底憎らしそうに睨んでましたから」
「……今日呪いがかかっているとしたら、その社員だと言いたいの?」
かずらの質問に、葉河瀨は無言で頷いた。そして、眼鏡の位置をなおし、ソファーの背もたれに身を預けながらため息を吐いた。
「俺としても聞き捨てならない発言があったので、少し痛めつけておきました。それで、彼女の気が済んでくれていれば良いのですが、ダメかもしれませんね。そう短くない期間、煩わされていた様子だったので」
葉河瀨はそこで一旦言葉を止めると、足を組んでどこか遠い目をした。
「アイツの頭蓋骨を粉砕でもできていれば、確実に彼女の気は済んだんでしょうけどね。しかし、その前に止められてしまったので、少し後悔しています」
素っ気なく言い放たれた葉河瀨の言葉を受け、かずらは困惑した表情を浮かべ、慧は半ば呆れたような表情で頬を掻いた。
「お前も、大概ぶっ壊れてるよな」
「ええ、よく言われます」
慧の言葉に、葉河瀨は欠伸混じりになりながら答えた。
かずらは二人のやりとりにチラリと視線を送ると、すぐに目を伏せて口元に手を当てた。
「でも、まずいわね……仮に、五夜目も済んでしまっているのなら、対処が相当大変なことになるわ」
「……だな。しかも、動機に私怨も混じりはじめてんだろ……これなら、真木花の連中をまとめてどうにかする方が、まだ楽かもな」
かずらと慧が深刻な顔をして呟くと、葉河瀨が眉を軽く動かした。
「……丑の刻参りをやめるよう説得すれば良い、ということではないのですか?」
微かに不安げな声で葉河瀨が問いかけると、慧が脚に肘をついて頬杖をついた。
「まあ、説得を聞き入れる耳を持ってくれてりゃ、それで良いだろうよ……葉河瀨、お前、能って観たことあるか?」
慧が投げやりな口調で尋ねると、葉河瀨は訝しげな表情をしながらも小さく頷いた。
「幼い頃に、一度だけ」
「演目は?」
慧が更に問いかけると、葉河瀨は口元に手を当てて眉を顰めた。
「あまり興味がなかったので、記憶が曖昧な部分もありますが……覚えている部分から推測すると、多分、『鉄輪』だったんでしょうね」
葉河瀨が答えると、慧は、そうか、と呟いて、深いため息を吐いた。すると、かずらが慧をチラリと見てから、葉河瀨に目を向けた。
「なら、話が早いわね。葉河瀨、そもそも丑の刻参りって言うのはね……対象を傷つけるために行うんじゃなくて、対象を傷つける力を得るために行うものなのよ」
「『鉄輪』でも、そんなくだりがあったろ?」
かずらの言葉に慧が続くと、葉河瀨は唇をきつく結んで目を伏せた。
「普段は呪いに縁のないような奴が行ったとしても、それなりの力が得られるんだけど……一夜で相手に危害を加えられるようになる子が五夜目まで続けていたとしたら……既にいわゆる生成くらいの状態にはなっているかもしれないわね」
説明を続けるかずらの隣で、慧が苦々しい表情を浮かべて頷いた。
「……だろうな。そうなると、周囲がどんなに説得しても、耳を貸さずに七夜目まで完遂しちまう可能性が高いか」
慧が吐き捨てるようにそう言うと、葉河瀨が結んでいた口をゆっくりと開いた。
「……もしも、七夜目まで完遂したら、一条さんはどうなってしまうのですか?」
葉河瀨が不安げな表情で尋ねると、かずらは悲しげに目を伏せた。一方の慧は、かずらに向かって心配そうに視線を送ってから、険しい表情を葉河瀨に向けた。
「……どうなるって、葉河瀨、『鉄輪』の内容知ってるなら大体分かるよな?」
慧が問いかけても葉河瀨は返答することなく、再び目を伏せ苦々しい表情で唇を結んだ。その様子を見て、慧は顔を伏せて深いため息を吐いた。そして、すぐに顔をあげると、再び険しい表情を葉河瀨に向けた。
「……鬼に成るに決まってんだろ」
慧がそう言い放つと、応接室の中は静まり返った。
三人はしばらくの間そのまま黙り込んでいたが、不意にバタバタという足音が会議室に近づいて来た。足音に気づいた三人が顔を向けると、応接室の扉が勢いよく開いた。
そこに立っていたのは、営業部第三課主任の早川健と、管理部職員であり彼の婚約者の三輪摩耶だった。
「ありゃ?ご両人、そんなに息を切らしてどうしたなりか……あ★仲良くするのは良いけど、職場でそういうことは控えて欲しいな……りっ!?」
慧はおどけた口調で二人を茶化したが、瞬時にかずらから肘打ちを食らい、鳩尾をさすりながらうずくまった。
「悪かったわね、二人とも。それで、早川。そんなに慌てて何があったの?」
かずらが尋ねると、乱れた呼吸を整える早川に代わりに摩耶が口を開いた。
「は、はい!さっき、早川さんが急いで戻って来て、とにかく部長か課長に話がしたい、って言い出しまして……」
うずくまる慧を気にすることなく摩耶が答えると、早川は大きく深呼吸をした。そして、かずらと慧に青ざめた表情を向けて、口を開く。
「ひ……日神課長が……元カノ……に、襲撃されてます!助けて下さい!」
「……は?」
早川がそう叫ぶと、かずらは困惑した表情を浮かべ……
「なにそれ、超・面白そう」
「なにそれ、超・面白そうなり★」
葉河瀨と慧は声を併せて、茶化すような言葉を口にした。
「あ……その、えーと……たしかに面白そうな言い回しになっちゃったっすけど……かなりの緊急事態で……」
そんな葉河瀨と慧の反応に、早川は困惑した表情を浮かべ言葉に詰まり……
「二人とも!今は面白がってる場合じゃないでしょ!?」
「お二人とも!今は面白がってる場合じゃないですよね!?」
かずらと摩耶は声を揃えて二人を叱りつけた。
叱られた葉河瀨と慧がしょげた表情で、はーい、と返事をしたのを横目で確認すると、かずらは早川に向かって首を傾げた。
「ともかく、早川、事情をもう少し分かりやすく説明してくれるかしら?」
「あ……はい。そうっすね」
かずらに尋ねられた早川は、やや落ち着きを取り戻した様子で返事をした。
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釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
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