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ならば

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 垂野君に嫌みを言われて、何故か意識が遠くなってしまいましたが、葉河瀨さんの行動で意識がハッキリとしました。月見野様に声をかけられているのに、葉河瀨さんは動きを止める気配がありませでしたが……

「お取り込みのところ悪いのだけど、ちょっとよろしいかしら?」 

 どこからともなく烏ノ森マネージャーの一声によって、葉河瀨さんの動きが止まりりました。烏ノ森マネージャーは取り押さえられた垂野君を一瞥すると、葉河瀨さんに向かってにこやかに微笑みました。

「葉河瀨部長、弊社の社員達がご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません」

 の中には、私も入っていますよね、間違いなく。でも、確かに葉河瀨さんにはご迷惑をおかけしてしまっていますものね……
 軽く落ち込んでいると、葉河瀨さんが垂野君の頭上に構えていた足を道に下ろしました。
 良かった、冷静になってくださったみたいです。
 垂野君に苛立つ気持ちはよく分かりますが、葉河瀨さんの手を煩わせるわけにはいきませんからね……

 それに垂野君くらいなら、私が直接始末できるでしょうし。

 ……あれ?
 私、今何を考えて……

「達、という言い回しには違和感がありますが、飼い犬の躾くらいはしておいていただきたいですね」

 一瞬、再び意識が遠くなりましたが、葉河瀨さんの声に現実に引き戻されました。垂野君、すっかりワンちゃん扱いされてますね。確かに、以前からちょっと、チワワに似てるとは思っていましたが……

「……誰が……飼い犬で……すか」

 割とどうでも良い感想を抱いていると、垂野君が途切れ途切れになりながら葉河瀨さんに抗議の言葉を投げかけました。でも、眉間に深くしわを寄せた烏ノ森マネージャーに一瞥され、唇を噛みながら黙り込みました。
 確かに、あの表情で睨まれたら、何も言えなくなりますよね……

「京子、これは一体どういうことなのかな?」

「先ほど、垂野さんから、脅迫めいた言葉を頂いたあげくに、斬りかかられそうになりましたけれども?」

 垂野君に少し同情していると、悲しそうな表情の月見野様と、社交的な笑みを浮かべた日神さんが、烏ノ森マネージャーにそう問いかけました。
 それにしても、月見野様が烏ノ森マネージャーに親しそうな呼び名で声をかけていらっしゃいますが、どのようなご関係なのでしょうか?
 まさか、恋仲とか、以前恋仲だったとか……

「それは失礼いたしました。かねがね部下達の自主性を重んじていたのですが、時折彼のように自主性の意味を履き違え、自分の力量を見誤って勝手な行動に出る者もいるのですよ」

 無粋な詮索をしていると、烏ノ森マネージャーが笑顔で答えました。その言葉を受けて、垂野君が首を軽くひねって、烏ノ森マネージャーに恨めしそうな目を向けています。
 烏ノ森マネージャーに対して、あんな表情を向けられるなんて、ある意味大物ですよね、垂野君……

「烏ノ森マネージャー!なんてことをおっしゃるんですか!?僕は、まだ……」
「黙りなさい」

 垂野君の叫ぶような声は、いつもより低い烏ノ森マネージャーの声にかき消されました。これは、かなりご立腹な時の声ですね。
 目を伏せて黙り込んだ垂野君を一瞥すると、烏ノ森マネージャーは再び笑顔を月見野様に向けました。

「月見野部長。垂野にはよく言って聞かせておきますので、本日はこれまでにしていただけますか?」

「……もとより、彼があきらめてくれるのなら、こちらはこれ以上何かをする気はありませんでしたよ」

 月見野様はそう言うと、押さえ込んでいた垂野君を解放しました。垂野君はゆっくりと立ち上がり、服についていたほこりを払うと、葉河瀨さんを睨みつけました。対する葉河瀨さんは、無表情に垂野君を見下ろしています。

「垂野君、何をぼーっとしているのかしら?」

 二人の間に不穏な空気が漂いましたが、声をかけられた垂野君は悔しそうな表情を浮かべてから、烏ノ森マネージャーのもとに歩み寄りました。ここで、何か反論したら叱られるどころでは、すまないでしょうからね……

「本日は御社にこれ以上迷惑をかけないように、垂野にはよく言って聞かせます。しかし、明日以降に同じようなことをする社員が現れるかもしれませんので、お気をつけくださいね」

「ご丁寧にご忠告くださり、まことにありがとうございます」

 笑顔で脅迫めいたことをおっしゃる烏ノ森マネージャーに、日神さんが笑顔を返しました。
 それにしても、何故こんな全面戦争のようなことになっているのでしょうか?でも、この状況を見ると、午前中に聞いてしまった垂野君の「始末」という発言も、そのままの意味なんでしょうね。

 ならば、今日のお詣りは、確実に成功させましょう。

「……ところで、一条さん?」

「は、はい!」

 心の中で決意を新たにしていると、不意に烏ノ森マネージャーに声をかけられてしまいました。
 いえ、お客様の目の前で倒れたあげくに、病院での付き添いまでさせてしまったのですから、お叱りの言葉がくるのは、当たり前ですよね……

「体調の方は、どうだったの?」

「は、はい。ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません。軽い体調不良だったので、少し休んだら落ち着きました……」

 恐る恐る答えると、烏ノ森マネージャーは、そう、と短く呟きました。これは、この後に凄まじい勢いで、お叱りの言葉が来る気配がしますね……

「なら、明日は大事を取って休みなさい。くれぐれも、はしないでちょうだいね」

 邪推していましたが、烏ノ森マネージャーの口から出たのは、意外にもこちらを心配するような言葉でした。唖然としていると、烏ノ森マネージャーの目つきが鋭くなっていきます。

「あら?何か言いたげな顔をしているけど、何かしら?」

 はい!正直、烈火の如く叱られると思っておりましたので、面食らっております!
 
 ……などと、言えるはずもありませんよね。

「あ、い、いえ、何でもありません。ありがとうございました。お言葉に甘えて、明日はお休みを頂きます」

 しどろもどろになりながら頭を下げると、再び、そう、という素っ気ない返事が返ってきました。

「そうしてちょうだい。あと、葉河瀨部長?」

 声をかけられた葉河瀨さんは、軽く眉を動かし煩わしそうな表情を烏ノ森マネージャーに向けました。
 
「……何ですか?」

「お手を煩わせてしまい申し訳ないのですが、一条を駅まで送っていただけるかしら?本来なら、一条に何の関係もない葉河瀨部長にお願いすることではないと存じておりますが、生憎、私は垂野の件がございますので」

 烏ノ森マネージャーは笑顔でそう言うと、軽く首を傾げました。ただ、笑顔にどこか威圧感があるような気がしますね……

「別に、貴女に何か言われなくても、最初からそのつもりでしたよ。一条さんには、昨日手料理をご馳走になったり、非常にお世話になりましたので」

 対する葉河瀨さんも笑顔を浮かべていますが、どこか棘があるような気がします。この二人、折り合いがあまりよろしくないようですね……

「そうですか。では、お願いいたしますね。垂野君、帰るわよ」

 烏ノ森マネージャーはそう言うと、踵を返して歩き出しました。垂野君も、こちらを睨みつけてから、烏ノ森マネージャーの後を追っていきます。どうやら、このイザコザは一段落したみたいですね。
 二人の姿は段々と小さくなり、いつの間にか元に戻っていた人混みに紛れて見えなくなっていきました。二人の姿が完全に見えなくなると、月見野様が深いため息を吐きました。

「……とりあえず、今日のところはこれでおしまいみたいだね」

 月見野様はそう言うと、胸のポケットからハンカチを取り出して額を拭きました。

「あの……弊社の垂野が、大変ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした」

 理由はよく分からないですが、垂野君が皆さんに危害を加えようとしたことについて、頭を下げました。でも、危害を加えるどころか、命さえ狙っていたかもしれないことを考えると、頭が上げられません……

「いやいやいや、一条さんが謝ることではないですよ!どうか、頭を上げてください!」

「そうですね。飼い犬の不始末は飼い主の責任なので、別に一条さんが気にすることではないですよ」

 頭を下げたままでいると、慌てた様子の月見野様の声と、優しげな葉河瀨さんの声が耳に届きました。恐る恐る顔を上げると、月見野様は苦笑いを浮かべ、葉河瀨さんは薄く微笑んでいました。怒ってはいらっしゃらない様子ですが、吉田さんのこともありますし、素直に、そうですね、とは言えませんよね……
 返す言葉に困っていると、日神さんがこちらを見つめていることに気づきました。目を合わせると、社交的な笑みが返ってきました。

「一条さん、明日のお仕事はお休み、ということでよろしいですか?」

「あ……はい。烏ノ森にああ言われてしまったので、むしろ出社すると叱られてしまいますから……」

 問いに答えると、日神さんは笑顔のまま、そうですか、と呟きました。

「でしたら、今日の件も含めて、明日お話しを伺いたいのですけれども、よろしいですか?」

 日神さんはそう尋ねましたが、垂野君が現れる前よりは、威圧感がないように思えます。でも、先ほどの様子を見ると、この方は蟲を使役する技術者みたいですよね……
 できれば、蟲を使用した尋問は控えていただきたいというのが本音なのですが……そんな要望を言える立場ではないですよね……

「日神、お前まだそんなこと言うのか」

 回答に困っていると、葉河瀨さんが不服そうな表情で日神さんに声をかけました。

「まあ、今は色々と情報が欲しいところだからな」

「確かに、このわけの分からない状況の説明は欲しいところだが……一条さんを巻き込むなよ」

 葉河瀨さんはそう言ってくださいましたが、吉田さん達の件については、思い切り私が原因なんですよね……
 
「あ……あの、私なんかでよろしければ、明日伺おうと思いますが……」

 意を決して返事をすると、月見野様は困惑した表情を浮かべ、葉河瀨さんは軽く眉を動かしてから目を伏せ、日神さんは満足げに微笑みました。

「それは、まことにありがとうございます。では、私は午前中に外出があるため、午後からでもよろしいですか?」

「……はい。時間は、十五時でよろしいでしょうか?」

 時間を提案すると、日神さんは、かしこまりました、と言って微笑みました。

「では、お待ちしております。打ち合わせには、葉河瀨も同席させますので」

 えーと……葉河瀨さんも同席?
 いえ、私はそれで構わないのですが、葉河瀨さんはどうなのでしょうか……?
 意外な提案を受けて、戸惑いながら視線を送っていると、葉河瀨さんは困惑した表情のまま固まってしまっています。確かに、他のお仕事もあるでしょうし、ご迷惑ですよね……

「あ、あの。葉河瀨さんにご迷惑はおか……」
「いえ。まったく問題ありませんよ」

 ご迷惑はおかけできない、と言おうとしたところ、葉河瀨さんの言葉に遮られてしまいました。

「多少業務を抜けたとしても、部下達は問題無く行動できますから」

 葉河瀨さんがそう言うと、日神さんは笑顔をこちらに向けました。

「では、これで決定ですね。明日は、宜しくお願いいたします」

「は、はい。こちらこそ……」

 そう答えると、月見野様が苦笑いを浮かべました。

「ま、まあ。話がまとまったみたいで何よりなのですが、体調も悪いということなので、あまり無理はなさらないでくださいね?」

「は、はい。ありがとうございます」

 月見野様はそうおっしゃってくださいましたが、皆様にこれ以上ご迷惑がかけらないように、少しでもお力になれるようにしなくては……

 その後、皆様と一緒に駅まで向かい、いつもより早めに帰宅したのですが……
 
 気がついたら、時刻は0時半になっていました。いつの間にか眠ってしまっていたようですね……
 でも、今から準備を始めれば、お詣りの時間には充分間に合います。早く、支度をしなくては。
 
 眠い目を擦りながら、藁を編んでいくと、いつもよりも体が重い気がします。
 指も、なんだかいつもより思うように動かないような……
 連日、お詣りを続けていた副作用なのでしょうか?
 でも、たとえ副作用が出ていたとしても、今日のお詣りだけは成功させないと。
 それに、たとえ私の体に副作用が出たとしても、気にする方なんていないでしょうし……


「意中の人というのが貴女なら、何も問題はないでしょう?」


 ……何故、ここで葉河瀨さんの言葉を思い出すのでしょうか?
 そういえば、あの言葉の真意を聞きそびれてしまいましたね……
 明日、もしもお時間があったら、聞いてみることにしましょうか。

 支度を終えて、一枚歯の高下駄を履き、いつもの神社に向かいます。
 でも、なんだか少し足がもつれる気がします。
 それでも、なんとか転ばずにいつもの場所にたどり着きました。
 垂野君の名前を書いた人形を幹に添え、腹部に狙いを定めて釘を打ち込みます。
 そうすると、木槌には重い手応えを感じました。
 これなら、失敗した、ということにはならないでしょう。

 あの子には、いつも苛々させられているのですから、苦しめばいいんです。

 ……あれ?
 何か、大事な目的を忘れているような……
 いえ、そんなことないですよね。

 気に入らない相手を苦しめること以上の目的など、呪いには必要ないのですから。
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