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茶の間にて☆

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 晩秋の早朝。都内某所にある、黒塀に囲まれた古い作りの家屋の中で。株式会社おみせやさんの人事課長、山口慧が寝ぼけ眼で台所の入り口に立っていた。
「繭子ー。お腹すいたなりー」
 慧はそう言いながら明るい色の長い髪が方々に広がった頭を左手で掻き、右手ではだけた藍色の寝間着の胸元を直す。すると、踏み台に乗って玉子焼きを作る、縞模様の浴衣に割烹着を着た少女が、高い位置で結ばれた髪の毛を揺らしながら振り返った。
「もう少しかかります故、師匠は茶の間にてお待ちくだされ!」
「ふぁーい」
 慧はあくび混じりに返事をしながら、寝癖頭を掻きつつ茶の間へと向かった。ミシミシと鳴る廊下を寝ぼけ眼で歩く慧だったが、不意に何かの視線を感じ歩みを止めた。しかし、辺りを見渡してみても、何の姿も見えない。気のせいか、と呟くと慧は何事も無かったように再び歩みを進めた。
 旧型のブラウン管テレビが置かれた八畳の茶の間で、こたつに潜り込みながら慧がくつろいでいると、襖が静かに開かれた。そこには、朝食の乗った盆を脇に置き、三つ指をついて頭を下げる繭子の姿があった。
「師匠、お待たせいたしました」
「気にしなく良いなりよ★それよりも、そんなに堅苦しくしなくて良いって毎度毎度言ってるのに」
 笑顔で手招きをする慧に向かって、繭子は軽く頭を下げてから、親しき仲にも礼儀ありです、と応えて盆を手に立ち上がった。そして、こたつまで歩みを進めると、テキパキと食事を配膳していく。
「今日の朝ご飯も、美味しそうなりね★」
 卵焼きを眺めながらそう言う慧に向かって、繭子は軽く頭を下げた。
「まことにありがたきお言葉……然れども、おだてたところで、ご飯に桜でんぶを大量に乗せるのは許可しませぬよ?」
 桜でんぶの入った小鉢をこたつに乗せながら繭子が釘を刺すと、慧はぎくりとした表情を浮かべる。
「う……なんでバレたなりか?」
「師匠の考えることくらい、お見通しです!」
 ピシャリと言い放つ繭子に向かって、慧はションボリとした表情を浮かべながら小首を傾げた。
「どうしても駄目なりか?」
「な・り・ま・せ・ぬ!」
 頑として首を縦に振らない繭子に対して、慧は肩をすぼめて、はーい、と小さく返事をした。繭子は小さくため息を吐くと、慧の向かいに座り姿勢を正した。
「師匠、ふてくされないでくだされ。おやつ時には、餡団子を作ります故」
 繭子の言葉に、慧はこたつから身を乗り出して目を輝かせた。
「本当なりか!?」
「真にございます故、今は何卒ご辛抱なさってくだされ」
 繭子が応えると、慧は両手を挙げて、やったぁ、と喜んでから、胸の前で手を合わせた。
「それでは、いただきます★」
「どうぞ、お召し上がりください」
 その後、二人は黙々と食事をしていたが、不意に繭子が慧に向かって声をかけた。
「ときに師匠、義理兄上あにうえの腰は、大丈夫でありましょうか?」
「……ひがみんの腰?多分、軽いギックリ腰みたいだから、病院で処方された湿布を貼って安静にしていれば大丈夫なりよ」
 慧は頬張っていた小魚の甘露煮を飲み込むと、湯飲みの茶を飲んで深く息を吐いてから答えた。繭子は、そうですか、と呟いて、小松菜の煮浸しを一口食べてから湯飲みの茶を飲んだ。
「しっかし、たまよちゃんから涙声で電話がかかってきたときは、焦ったなりねー」
 慧は鷹揚な口調でそう言うと、卵焼きに箸を入れた。
「仰る通りでありますね。義理兄上は、案外ドジっ子な所があります故」
 繭子はため息まじりにそう言うと、少量の桜でんぶをかけた白飯を口に運んだ。時同じくして、山口邸から徒歩で十数分離れた距離にあるマンションの一室にて、株式会社おみせやさん営業部第三課課長の日神正義が、盛大なくしゃみをして再び腰を痛めていたが、二人は気づくことなく食事を続けた。
「……師匠も、お気をつけなさってくださりませ」
 不安げな表情で卵焼きを口に運ぶ繭子に対して、慧はニッコリとした笑顔を向けた。
「アタシなら、大丈夫なりよ★なんたって、ピッチピチな永遠の十四歳だからねん★」
「人が真剣に心配しているのに、茶化さないでくだされ!」
 繭子が憤慨して頬を膨らませると、慧はケラケラと笑った。
「メンゴメンゴ★」
「まったく師匠はいつもそうやって茶化して……昨日も、人様の逢瀬にちょっかいを出されてましたし……」
 繭子の口から出た、逢瀬、という語に、慧は魚の甘露煮を喉に詰まらせかけ、慌てて湯飲みの茶を飲み干した。
「……繭子、もうちょっと言いようを考えた方が良いなりよ……」
「……?承知つかまつりました」
 キョトンとした表情を浮かべながらも繭子が頷くと、慧はうんうんと二回頷いてから小松菜の煮浸しに箸を伸ばした。
「ときに師匠、昨日ちょっかいをかけていた方は、おみせやさんの方なのでありますか?」
 魚の甘露煮に箸を伸ばしながら、繭子が首を傾げると、慧はコクリと頷いた。
「そうなりよー。男子の方は、ハカセって言って……ほら、去年の誕生日に社長から、クチナガチョッキリのラジコン貰ったでしょ?あれ作った人」
「なんと!!小生としたことが、そのような恩人にお礼の一言も申し上げなかったとは……」
 落ち込んだ表情で肩を落とす繭子に、慧が優しく微笑みかける。
「今度会ったときに、お礼を言えば大丈夫なりよ。で、もう一人の女の子は、近々ウチに転職することになって、見事アタシの部下になる予定の姫っちなり★」
「……お仕事の方が人手不足なことは存じあげておりますが、人様の進路を勝手に決定するのはどうかと」
 繭子が脱力しながらそう言って茶を一口飲むと、慧は不敵な笑みを浮かべた。
「ふっふっふ。アタシは狙いを定めた相手は、必ず口説き落とすなりよ★」
「……その台詞は、万年懸想なさっている部長との関係を成就なさってから、仰ってくださりませ」
「な!?かずらのことは、今関係ないだろ!?」
 珍しく赤面して取り乱した慧だったが、繭子に冷めた視線を送られると、コホンと咳払いをしてから白飯を掻き込んだ。
「……まあでも、アタシが口説き落とす前に、ハカセが個人的に口説き落としてくれれば、話が早そうなんだけどねん★」
「師匠、破廉恥な言い方は良くありませんぞ」
 ピシャリと言い放つ繭子に向かって、慧は再びションボリとした表情を浮かべた。
「だってー、心を許した相手からの説得なら、聞いてくれやすいだろうしー……そうだ!ここは一つ、アタシがハカセに化けて……」
「人様の恋路を邪魔してはなりませぬ!」
 繭子に叱られて、慧は三度ションボリとした表情を浮かべる。繭子は目を伏せながら、まったくもう、と呟きながらトンボの模様が描かれた、陶器の汁椀を手にした。その瞬間、慧の目つきが鋭くなった。
「繭子」
 不意にいつもより低い声で名前を呼ばれ、繭子は目を上げて慧の表情を見つめた。
「……如何なさりましたか?師匠」
 緊張した面持ちで繭子が問いかけると、慧は鋭い目つきのまま息を深く吸いこみ……
「そっちの味噌汁の方が、具が多そうだからアタシのと交換して欲しいなり★」
 ニッコリと笑顔を浮かべて、おどけた口調でそう言い放った。途端に、繭子がため息を吐きながら脱力する。
「全くもって同じだと存じあげるのですが?」
「ちーがーうーなりー!絶対そっちの方が多いなりー!折角のカボチャの味噌汁なんだから、具が多い方が良いなりー!」
 繭子が力なく反論すると、慧は頬を膨らませながら腕をバタバタと動かした。
「あーもう!承知つかまつりましたから!大人しくしてくだされ!」
 繭子が叱りつけながらも汁椀を差し出すと、慧は満足げに微笑んでそれを受け取った。
「そうそう、それで良いなりよ★それと、繭子」
「まったく、まだ何か不服なのでありますか?」
 あきれ顔で問いかける繭子に向かって、慧は汁椀を胸の辺りで抱えニヤリとした含みのある笑みを浮かべた。
「ちょっと座布団を被って、伏せてなさい」
「え……師匠?」
「いいから、早く!」
 緊迫した声に従って繭子が座布団を被って畳に伏せると同時に、慧が手にしていた陶器の汁椀がパンと音を立てて四散した。
「師匠!?今のは一体……!?」
 繭子が慌てて跳び起きると、額に小さな陶片が突き刺さった慧が、味噌汁にまみれて微笑んでいた。
「繭子、怪我は無かったなりか?」
「小生のことより!師匠の額が……!?」
 慌てふためく繭子にたいして、慧は穏やかに微笑みながら、どうどう、と口にした。
「浅く刺さった位だから、平気なりよ★」
 そう言う慧の耳元に、ふふふ、という女性の笑い声が、微かに響いた。その声に、慧が顔をしかめて小さく舌打ちをする。
「師匠……まことに申し訳ございませぬ……」
 舌打ちが自分に向けられたものだと勘違いした繭子が、目に涙を浮かべて深々と頭を下げた。途端に、慧は慌てて首をブンブンと振った。
「違うなりよ!繭子は何も悪くないなり!!」
「然れども……小生がもっと……早く異変に気づいていれば……」
 繭子はしゃくりあげながらそう言って、目を擦った。慧は困惑した顔で頭を掻くと、ゆっくりと立ち上がった。そして、畳に散らばった陶片を踏まないように注意しながら繭子に歩み寄り、身をかがめて顔をのぞき込んだ。
「不穏な気配をいち早く察知する方法はまだ教えてなかったから、これは全面的にアタシの落ち度なりよ★だから、気にしないで、ね?」
 頭を撫でながら慧が優しく声をかけると、繭子は涙を拭いながら無言で頷いた。慧は満足げに頷くと、勢いよく身を起こした。
「よろしい!では、繭子隊員。このウルトラミラクルエデュケーショナルな課長を治療するため、救急箱を持ってくること!」
「……承知つかまつりました!」
 まだ涙が止まりきらない繭子だったが、勢いよく立ち上がり慧に向かって最敬礼で頭を下げた。
 慧は繭子が茶の間を出て行くのを見送ると、満足げな笑みを浮かべて頷いた。
「繭子は素直な良い子なりねー……それにしても」
 そして、そう言いながら腕を組むと、畳に散らばる陶片をギロリと睨みつけた。
「八百八狸の総大将やってた奴に直接喧嘩売るとは、教育的指導が必要な輩がいるみたいだな」
 慧はしばしの間クツクツと楽しげに笑っていたが、繭子が陶片を踏んでしまったら危ないと思い、身をかがめて畳の上を片付け始めた。
 
 電源の落とされた旧型のブラウン管テレビの画面に、その姿を楽しげに眺める丹色の人影が映っていたが、慧が気づいたかどうかは定かではない。
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