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遊び場

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 美術館を出た後、すぐに家に帰る気になれなくて、公園のベンチに一人座って、噴水を眺めている。今まではどうにかして、方々の問題を丸く収めたいと思っていたけど、今回ばかりは難しいのかな……少なくとも、会社同士の付き合いは解消していく方向で進めそうなのは、不幸中の幸いかな。
 ただ、京子については、どうすれば良かったのか、四半世紀と少し経った今でも、正解が全く分からない。
 思わずため息を吐いていると、コートのポケットにしまった携帯電話が震えていることに気がついた。確認をしてみると、一条さんからのメールを受信していた。明日のことについて、確認のメールかな?えーと、内容は……

 月見野様
 お世話になっております。一条です。
 明日のランニングについて、確認したいことが一点ございます。
 明日の昼食についてですが、私の方で、簡単なお弁当を用意しようと考えております。
 もしも、よろしければ、月見野様の分も作ろうと考えておりますが、ご迷惑ではございませんでしょうか?
 以上、お忙しいところ恐れ入りますが、ご確認のほど、よろしくお願いいたします。

 ……一条さんの気分転換になれば、と思って誘ってみたけど、逆に気を使わせちゃったかな?うーん、でも、無下に断るのも失礼だよね……
 考えてみれば、誰かが作ってくれたご飯をいただくのも本当に久しぶりだし、お言葉に甘えてしまおうかな。
 えーと、ご迷惑でなければ、是非……
「つきみーん。メール書き終わったー?」
「申し訳ございません。あと、もう少しだけかかりそ……わっ!?」
 聞き慣れた声に対して、とても自然に返事をしてしまったけど、ここが休日の公園だということを思い出して、声を出して驚いてしまった。携帯電話から顔を上げてみると、長い髪の毛を一本の三つ編みに結って、茶色い薄手のコートを着た女の子が、黄色い子供用のリュックサックを背負って小首を傾げながら立っていた。いや、女の子というのは、不適切かもしれないかな。見かけによらず、弊社の代表取締役社長なんだから。
「失礼いたしました川瀬社長。こんな所でお会いするなんて、奇遇ですね」
 メールの作成を中断して頭を下げると、川瀬社長は屈託の無い笑みを浮かべた。
「そうだね!つきみんは、何しにきたの?」
「えーと……知人と美術館を見に行っていたんですよ」
 少し答え辛い質問だったから言葉を濁してしまったけど、川瀬社長は深く追求することも無く、そうなんだー、と言いながら、僕の隣に腰掛けた。
「川瀬社長も美術館ですか?」
「違うよー。私はこれから、部長と一緒に動物園に行くんだー。でも、部長が迷子になっちゃったの!」
 川瀬社長は僕の質問に答えると、頬を膨らませて不服そうな表情を浮かべた。
 でも、川瀬社長が部長と呼ぶのは、管理部の信田部長だけだから……多分、迷子になったのは川瀬社長の方なんじゃないかな……信田部長が迷子になるとは、あんまり考えられないからね。しかも、動物園はこの噴水からかなり離れている場所にあるし……
「休日に人を引っ張り出しておいて、随分な言い方ではございませんか?社長」
 背後から聞こえた冷ややかな声に振り返ると、白いコートを羽織った女性が、声に違わない冷ややかな表情を浮かべて立っていた。高い位置できっちりとまとめられた髪と、フレームの細い眼鏡……間違いなく、弊社管理部の信田部長だね。
「あー!部長!どこに行ってたの!?探すの大変だったんだからね!」
 川瀬社長はそう言いながらベンチから飛び降りて、軽快な足取りで信田部長に駆け寄ると、白いコートの裾の辺りにぎゅっとしがみついた。
「それは、こちらの台詞です」
 信田部長はため息まじりにそう言うと、川瀬社長の頭をポンポンと撫でた。
「月見野君。休日に騒がせてしまって、申し訳なかったわね」
「いえいえ。知人と色々あって少し落ち込んでいたので、川瀬社長に会えて気分が紛れましたよ」
 苦笑しながら答えると、川瀬社長は、えっへん!、と言いながら胸を張った。そして、軽くため息を吐いた信田部長に、額を指ではじかれる。額をおさえて大袈裟にうずくまる川瀬社長を気にもとめずに、信田部長は悲しそうな表情をこちらに向けた。
「……彼女の件、月見野君に任せきりで申し訳ないわね」
 信田部長は、知人が京子のことだとすぐに分かったようだ。
 僕が入社してからずっと管理部の部長をしているから、こちらに何があったのかもご存知だしね……
「いえ、お気になさらないで下さい。幸いなことに、昨日の打ち合わせで、彼女の所との取引は終了していく方向で話がまとまりましたから」
 苦笑しながら答えると、信田部長は、そう、と小さく呟いてから言葉を続けた。
「他の取引先については、アイツが色々と動き回って対応していたけど、彼女についてはそうやって対応するわけにもいかないからね……」
 信田部長はそう言って、赤みを帯びたアイラインの引かれた切長の目を伏せた。信田部長がアイツと言ったのは、山口課長のことだろう。
 先の不況の煽りを受けて取引が激減したときに、当時の上司に追い込まれた日神君が、あまり褒められた手じゃない手段を使って、複数の取引を獲得したということがあった。信田部長と山口課長も、当初から何かしら違和感を覚えていたようだけど、日神君も上手く立ち回ってしまっていたから、中々確信をもてず対応が全て後手に回ってしまっていた。
 最終的に取引先には、詳細な方法までは教えてもらえなかったけど、川瀬社長の命を受けた山口課長が話をつけて、後ろめたい取引は無かったことになった。でも、京子については、僕が話をつけるから強行的な手段は取らないで欲しいと、川瀬社長にお願いしていた。
「……取引さえなくなるのならば、会社に損害が出る恐れもなくなるから。必要以上の関与はしない」
 不意にかけられた落ち着いた声に目を落とすと、いつの間にか立ち上がっていた川瀬社長が、大人びた表情をしながらこちらの顔を見上げていた。重要な会議などで見せる表情だけど、何度見ても、いつもの無邪気な表情とのギャップに驚かされるんだよね。戸惑っていると、川瀬社長は穏やかな微笑みを浮かべた。
「だから、家族は大切にしてあげてね」
「……そうですね」
 川瀬社長の言葉に、思わず苦笑が混じってしまった。
 僕にとって、京子はずっと大切な人だ。でも、彼女はきっと……
「ところで社長。そろそろ、動物園の方に向かわないと、閉園時間までに全て見て回るのが厳しくなってしまうかと」
 昔のことを考えて、暗くなってしまいそうになったところ、信田部長の声に現実に引き戻された。
 そう言えば、お二人は動物園に行く予定だったんだっけ。
「お二人とも、お時間を割かせてしまって、申し訳ありませんでした」
 苦笑しながら頭を下げると、信田部長は笑顔で、いいえ、と言いながら首を横にふった。
「月見野君が謝ることじゃないわ。もとはといえば、どこかの代表取締役社長が、いい歳して迷子になるのがいけないんだから」
「迷子になったのは部長の方だもん!それに、千歳以上年上の部長に、いい歳なんて言われたくないもん!」
 川瀬社長はそう言うと、不服そうな顔で頬を膨らませた。でも、年齢のことを言われた部長に鋭い視線を向けられて、怯えた表情を浮かべながら僕に駆け寄って、脚にしがみついてきた。うん、冗談を交えたとしても、年齢のことを引き合いに出すと、話がこじれるみたいだね。
「つきみーん!部長がいじめるー!」
「変な言いがかりをつけない!月見野君が困ってるでしょ!」
 信田部長はそう言うと、僕の脚にしがみついて泣き顔を浮かべていた川瀬社長の首根っこを掴んで、ヒョイと引き離した。信田部長って、見かけによらず力があるね。
「度々申し訳ないわね、月見野君」
「いえいえ、お二人のやり取りを見ていると、なんだか和みますから」
 そう答えると、信田部長の隣で、川瀬社長が再び、えっへん!、と言いながら胸を張った。
「社員の気持ちを和ませるのも、社長の職務だからね!職務権限規程にも書いてあるんだから!」
「……いつ、規程をいじったんですか」
 信田部長は眉間に手を当てて、嘆かわしそうな表情を浮かべて、盛大なため息を吐いた。
「ま、まあ、ご自分の職務だけなら、良いじゃないですか」
 フォローをいれてみると、川瀬社長は目を輝かせてこちらの顔を見上げた。
「そうだよ!他の部の職務を変えるときは、ちゃんとみんなに相談してるんだから!この間も、営業部第三課の職務に、社長の釣りに関するお手伝い、って入れようとしたけど、ひがみんに叱られたから、ちゃんと思いとどまったよ!」
 ……日神君、よくやってくれた。これは、来週出社したときに、ちゃんとお礼しないといけないね。
「当たり前のことで威張らない!」
 心の中で部下の健闘を称えていると、再び信田部長の指が川瀬社長の額をはじいた。川瀬社長は涙目になって、額をさすりながら僕の顔を見上げてきた。
「つきみーん。部長がいじめるから、つきみんも一緒に動物園行かない?会社のための一大プロジェクトにも関わってくるし」
 社長の言葉の後半に、背筋が凍り付きそうになった。信田部長の表情も確認してみると、あからさまに緊張した面持ちになっている。今期の社長の思いつきシリーズは、今第三課のみんなが対応している新製品で終わりだと思ってたけど、甘かったかな。
「えーと、差し支えなければ、どのようなプロジェクトなのか、お伺いしたいのですが……」
 恐る恐る聞いてみると、川瀬社長は胸を張りながら、ふふん、と鼻をならした。
「最近、部長のところが忙しそうだから、スカウトに行きます!」
 川瀬社長は胸を張ったままそう言い放った。
 えーと……動物園に、スカウト?
「……ご参考までにお伺いしたいのですが、何をスカウトするおつもりなのですか?」
 怪訝そうな表情で尋ねる信田部長に、川瀬社長は得意げな表情を向けた。
「アミメニシキヘビだよ!なんかね、この間新聞の片隅に、経営分析の手が足りなくなったらニシキヘビに任せよう、っていうような広告が載ってたんだ!」
 ……そう言えば、そんな感じの広告は載っていた気がするけど、それって確かニシキヘビの名前を冠したプログラム言語だったような気がするかな。
「……お気持ちは非常にありがたいのですが、今回は遠慮させていただきます」
 勘違いに気づいた信田部長は、力なくそう言って川瀬社長の頭をポンポンと撫でた。
「えー?なんで、なんでー?」
「そもそも、その広告に載っていたのは……いえ、今の季節だと、執務室をニシキヘビが適切に活動できる温度に保つのが、大変だからです」
「そっかー。それなら、駄目だねー」
 信田部長は説明が面倒になったのか、社長の夢を壊さないためなのか、脱力しながらファンシーな説明をした。川瀬社長は、シュンとした表情を浮かべながらも、信田部長の説明に納得して下さった様子だ。
「じゃあ、普通に楽しんでこよう!二人とも、モタモタしていると、置いてっちゃうよ!」
 川瀬社長は気を取り直してそう言うと、動物園とは逆方向に向かって一目散に走り出した。
「待ちなさい!また迷子になる気!?」
 その後ろ姿を、慌てた信田部長が追いかける。
 予定以上に賑やかな休日になってしまいそうだけど、一人で居るよりはずっと楽しいかな。
 一条さんのメールに返信をしてから、お二人を追いかけないとね。
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