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第三章 仔猫殿下と、はつ江ばあさん
仔猫殿下と、はつ江ばあさん・その一
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赤く染まった空。
大地に横たわる血の川。
奇っ怪な枝振りの木々が茂る暗い森。
ここは魔界。
魔のモノたちが住まう禁断の土地。
そんな魔界の一角には険しい岩山が聳え、その頂には白亜の城が築かれている。
その城のキッチンでは……。
「そうか……、はつ江は今日帰っちゃうのか……」
サバトラ模様の子猫が、耳を伏せた淋しそうな表情で、ピーマンの細切りとじゃこを和えていた。
彼の名は、シーマ十四世殿下。
フカフカだけど艶のある毛並みや、小さなピンクの鼻や、シマシマの尻尾などキュートな魅力満載のマジカルな子猫ちゃんだ。
「そうだぁね。でも、パスポートをもらったから、またいつでも遊びにこられるだぁよ! ね、ヤギさん!」
シーマの隣では、クラシカルなメイド服の老女が卵をかき混ぜていた。
彼女の名は、森山はつ江。
パーマのかかった短い白髪頭がチャーミングな、御歳米寿のはつらつ婆さんだ。
「ああ。あのフリーパスを使えば、いつでもこっちに遊びに来られるぞ」
はつ江の隣では、黒い服を着た見目麗しい青年が、人参と椎茸の入った吸い物の鍋を見守っていた。
彼はこの魔界を統べる、魔王。
赤銅の長髪と側頭部から生えた堅牢なツノが特徴的な、人見知りで引きこもり気味の魔王だ。
「まあ、今度は俺たちがはつ江の世界に行くのも、悪くないかもしれないがな」
魔王の言葉に、はつ江がニッコリと微笑んでうなずいた。
「それはいいだぁね! お菓子をうーんと用意しておくから、いつでも遊びにおいで!」
はつ江の言葉に、シーマの目が輝いた。
「そうか! なら、すぐに……、あ、でも仕事もあるし、早くても週末になっちゃうか……」
「いや、リッチーが『私は充分バカンスできたので、今度はお二人がどうぞ』って言ってたし、早ければ明後日くらいに遊びにいけるぞ」
「兄貴、本当か!?」
「本当、本当。まあ、俺は週末くらいに参加ってことに、なりそうだが……、よし。はつ江、人参に火が通ったぞ」
「ありがとうね! そんじゃあ、この卵を入れておくれ」
「ああ、分かった。じゃあ、盛り付けとか配膳は俺がするから、二人は先にダイニングに行っててくれ」
「ああ、ありがとうな! 兄貴」
「ヤギさんや、ありがとうね!」
二人はニッコリと笑って魔王にお礼を言うと、ダイニングに移動した。
ほどなくして、魔王が魔術で料理を移動させ、三人での最後の朝食がはじまった。
「そんじゃあ、いただきます!」
「いただきます!」
「いただきます……」
三人はいつものように、いただきますをし……
「……」
「……」
「……」
……いつものように、黙々と料理を口に運んだ。
「……それで、兄貴、リッチーはいつごろ帰って来るんだ?」
沈黙を打ち破ったのは、じゃこピーマンを飲み込んだシーマだった。
「……夕方になるとは聞いているが、詳しい時刻は分かったら連絡してくれるそうだ。今日は各所からの緊急な依頼もないし、それまで二人で、ゆっくりしているといい」
魔王はそう答えて、焼き鮭に箸を伸ばした。
「そうか、じゃあ、そうさてもらうよ。あと、モロコシたちにも連絡しとかないとな……」
シーマが呟くと、人参と椎茸のかき玉汁を飲んだはつ江が、ニッコリと笑ってうなずいた。
「そうだぁね、モロコシちゃんの学校が終わるころに、ご挨拶にいこうかね」
「ああ、そうしよう。あと、五郎左衛門と、ミミと……、バッタ屋さんの面々にも挨拶しておきたいけど……」
シーマが片耳をパタパタと動かすと、魔王がコクリとうなずいた。
「ああ。友あ……、いや、マダムは中々に神出鬼没だからな」
魔王の言葉に、シーマもコクリとうなずいた。
「どこかで、バッタリ会えればいいんだけど……」
「ああ。バッタ屋さんだけに、な」
シーマの呟きに、魔王がすかさず相槌を打った。
「……」
「……」
「……」
一同の間には、気まずい沈黙が訪れる。
そして……
「……だから! ボクまでダジャレに巻き込むなって、前にも言っただろ!? この、バカ兄貴!」
巻き込み事故にあったシーマは、耳を後ろに反らしながら、尻尾をバンと縦に大きく振り……
「す、すまない、シーマ。お兄ちゃん、朝ご飯の時間だから、いつもの流れなのかと思っちゃって……」
叱られた魔王は、しょんぼりとした表情で肩を落とし……
「わはははは! 今日も楽しく朝ご飯が食べられて、私ゃ幸せだぁよ!」
……はつ江は、カラカラと笑い出した。
そんないつものやり取りをこなすと、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力した。
「まったく、最終日の朝なんだから、もっと、こう、さぁ……」
脱力するシーマに向かって、はつ江はニッコリと笑いかけた。
「まあまあ、シマちゃんや。みんなで楽しくするにこしたことはないだぁよ。それに……」
はつ江はそこで言葉を止めると、テーブルに身を乗り出して、向かいに座るシーマをポフポフとなでた。
「……絶対に、また会えるんだからさ」
「あ、うん……、そう、だな……」
いつになく穏やかな表情のはつ江に、シーマは戸惑いながらもうなずいた。
かくして、仔猫殿下とはつ江ばあさんの長い一日が、今日も始まるのだった。
大地に横たわる血の川。
奇っ怪な枝振りの木々が茂る暗い森。
ここは魔界。
魔のモノたちが住まう禁断の土地。
そんな魔界の一角には険しい岩山が聳え、その頂には白亜の城が築かれている。
その城のキッチンでは……。
「そうか……、はつ江は今日帰っちゃうのか……」
サバトラ模様の子猫が、耳を伏せた淋しそうな表情で、ピーマンの細切りとじゃこを和えていた。
彼の名は、シーマ十四世殿下。
フカフカだけど艶のある毛並みや、小さなピンクの鼻や、シマシマの尻尾などキュートな魅力満載のマジカルな子猫ちゃんだ。
「そうだぁね。でも、パスポートをもらったから、またいつでも遊びにこられるだぁよ! ね、ヤギさん!」
シーマの隣では、クラシカルなメイド服の老女が卵をかき混ぜていた。
彼女の名は、森山はつ江。
パーマのかかった短い白髪頭がチャーミングな、御歳米寿のはつらつ婆さんだ。
「ああ。あのフリーパスを使えば、いつでもこっちに遊びに来られるぞ」
はつ江の隣では、黒い服を着た見目麗しい青年が、人参と椎茸の入った吸い物の鍋を見守っていた。
彼はこの魔界を統べる、魔王。
赤銅の長髪と側頭部から生えた堅牢なツノが特徴的な、人見知りで引きこもり気味の魔王だ。
「まあ、今度は俺たちがはつ江の世界に行くのも、悪くないかもしれないがな」
魔王の言葉に、はつ江がニッコリと微笑んでうなずいた。
「それはいいだぁね! お菓子をうーんと用意しておくから、いつでも遊びにおいで!」
はつ江の言葉に、シーマの目が輝いた。
「そうか! なら、すぐに……、あ、でも仕事もあるし、早くても週末になっちゃうか……」
「いや、リッチーが『私は充分バカンスできたので、今度はお二人がどうぞ』って言ってたし、早ければ明後日くらいに遊びにいけるぞ」
「兄貴、本当か!?」
「本当、本当。まあ、俺は週末くらいに参加ってことに、なりそうだが……、よし。はつ江、人参に火が通ったぞ」
「ありがとうね! そんじゃあ、この卵を入れておくれ」
「ああ、分かった。じゃあ、盛り付けとか配膳は俺がするから、二人は先にダイニングに行っててくれ」
「ああ、ありがとうな! 兄貴」
「ヤギさんや、ありがとうね!」
二人はニッコリと笑って魔王にお礼を言うと、ダイニングに移動した。
ほどなくして、魔王が魔術で料理を移動させ、三人での最後の朝食がはじまった。
「そんじゃあ、いただきます!」
「いただきます!」
「いただきます……」
三人はいつものように、いただきますをし……
「……」
「……」
「……」
……いつものように、黙々と料理を口に運んだ。
「……それで、兄貴、リッチーはいつごろ帰って来るんだ?」
沈黙を打ち破ったのは、じゃこピーマンを飲み込んだシーマだった。
「……夕方になるとは聞いているが、詳しい時刻は分かったら連絡してくれるそうだ。今日は各所からの緊急な依頼もないし、それまで二人で、ゆっくりしているといい」
魔王はそう答えて、焼き鮭に箸を伸ばした。
「そうか、じゃあ、そうさてもらうよ。あと、モロコシたちにも連絡しとかないとな……」
シーマが呟くと、人参と椎茸のかき玉汁を飲んだはつ江が、ニッコリと笑ってうなずいた。
「そうだぁね、モロコシちゃんの学校が終わるころに、ご挨拶にいこうかね」
「ああ、そうしよう。あと、五郎左衛門と、ミミと……、バッタ屋さんの面々にも挨拶しておきたいけど……」
シーマが片耳をパタパタと動かすと、魔王がコクリとうなずいた。
「ああ。友あ……、いや、マダムは中々に神出鬼没だからな」
魔王の言葉に、シーマもコクリとうなずいた。
「どこかで、バッタリ会えればいいんだけど……」
「ああ。バッタ屋さんだけに、な」
シーマの呟きに、魔王がすかさず相槌を打った。
「……」
「……」
「……」
一同の間には、気まずい沈黙が訪れる。
そして……
「……だから! ボクまでダジャレに巻き込むなって、前にも言っただろ!? この、バカ兄貴!」
巻き込み事故にあったシーマは、耳を後ろに反らしながら、尻尾をバンと縦に大きく振り……
「す、すまない、シーマ。お兄ちゃん、朝ご飯の時間だから、いつもの流れなのかと思っちゃって……」
叱られた魔王は、しょんぼりとした表情で肩を落とし……
「わはははは! 今日も楽しく朝ご飯が食べられて、私ゃ幸せだぁよ!」
……はつ江は、カラカラと笑い出した。
そんないつものやり取りをこなすと、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力した。
「まったく、最終日の朝なんだから、もっと、こう、さぁ……」
脱力するシーマに向かって、はつ江はニッコリと笑いかけた。
「まあまあ、シマちゃんや。みんなで楽しくするにこしたことはないだぁよ。それに……」
はつ江はそこで言葉を止めると、テーブルに身を乗り出して、向かいに座るシーマをポフポフとなでた。
「……絶対に、また会えるんだからさ」
「あ、うん……、そう、だな……」
いつになく穏やかな表情のはつ江に、シーマは戸惑いながらもうなずいた。
かくして、仔猫殿下とはつ江ばあさんの長い一日が、今日も始まるのだった。
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