上 下
160 / 191
第三章 仔猫殿下と、はつ江ばあさん

仔猫殿下と、はつ江ばあさん・その一

しおりを挟む
 赤く染まった空。

 大地に横たわる血の川。

 奇っ怪な枝振りの木々が茂る暗い森。

 
 ここは魔界。
 魔のモノたちが住まう禁断の土地。


 そんな魔界の一角には険しい岩山が聳え、その頂には白亜の城が築かれている。

 その城のキッチンでは……。

「そうか……、はつ江は今日帰っちゃうのか……」

 サバトラ模様の子猫が、耳を伏せた淋しそうな表情で、ピーマンの細切りとじゃこを和えていた。

 彼の名は、シーマ十四世殿下。

 フカフカだけど艶のある毛並みや、小さなピンクの鼻や、シマシマの尻尾などキュートな魅力満載のマジカルな子猫ちゃんだ。

「そうだぁね。でも、パスポートをもらったから、またいつでも遊びにこられるだぁよ! ね、ヤギさん!」

 シーマの隣では、クラシカルなメイド服の老女が卵をかき混ぜていた。

 彼女の名は、森山はつ江。

 パーマのかかった短い白髪頭がチャーミングな、御歳米寿のはつらつ婆さんだ。

「ああ。あのフリーパスを使えば、いつでもこっちに遊びに来られるぞ」

 はつ江の隣では、黒い服を着た見目麗しい青年が、人参と椎茸の入った吸い物の鍋を見守っていた。

 彼はこの魔界を統べる、魔王。

 赤銅の長髪と側頭部から生えた堅牢なツノが特徴的な、人見知りで引きこもり気味の魔王だ。

「まあ、今度は俺たちがはつ江の世界に行くのも、悪くないかもしれないがな」

 魔王の言葉に、はつ江がニッコリと微笑んでうなずいた。

「それはいいだぁね! お菓子をうーんと用意しておくから、いつでも遊びにおいで!」

 はつ江の言葉に、シーマの目が輝いた。

「そうか! なら、すぐに……、あ、でも仕事もあるし、早くても週末になっちゃうか……」

「いや、リッチーが『私は充分バカンスできたので、今度はお二人がどうぞ』って言ってたし、早ければ明後日くらいに遊びにいけるぞ」

「兄貴、本当か!?」

「本当、本当。まあ、俺は週末くらいに参加ってことに、なりそうだが……、よし。はつ江、人参に火が通ったぞ」

「ありがとうね! そんじゃあ、この卵を入れておくれ」

「ああ、分かった。じゃあ、盛り付けとか配膳は俺がするから、二人は先にダイニングに行っててくれ」

「ああ、ありがとうな! 兄貴」

「ヤギさんや、ありがとうね!」

 二人はニッコリと笑って魔王にお礼を言うと、ダイニングに移動した。


 ほどなくして、魔王が魔術で料理を移動させ、三人での最後の朝食がはじまった。

「そんじゃあ、いただきます!」

「いただきます!」

「いただきます……」

 三人はいつものように、いただきますをし……

「……」
「……」
「……」


 ……いつものように、黙々と料理を口に運んだ。

「……それで、兄貴、リッチーはいつごろ帰って来るんだ?」

 沈黙を打ち破ったのは、じゃこピーマンを飲み込んだシーマだった。

「……夕方になるとは聞いているが、詳しい時刻は分かったら連絡してくれるそうだ。今日は各所からの緊急な依頼もないし、それまで二人で、ゆっくりしているといい」

 魔王はそう答えて、焼き鮭に箸を伸ばした。

「そうか、じゃあ、そうさてもらうよ。あと、モロコシたちにも連絡しとかないとな……」

 シーマが呟くと、人参と椎茸のかき玉汁を飲んだはつ江が、ニッコリと笑ってうなずいた。

「そうだぁね、モロコシちゃんの学校が終わるころに、ご挨拶にいこうかね」

「ああ、そうしよう。あと、五郎左衛門と、ミミと……、バッタ屋さんの面々にも挨拶しておきたいけど……」

 シーマが片耳をパタパタと動かすと、魔王がコクリとうなずいた。

「ああ。友あ……、いや、マダムは中々に神出鬼没だからな」

 魔王の言葉に、シーマもコクリとうなずいた。
 

「どこかで、バッタリ会えればいいんだけど……」

「ああ。バッタ屋さんだけに、な」

 シーマの呟きに、魔王がすかさず相槌を打った。

「……」
「……」
「……」

 一同の間には、気まずい沈黙が訪れる。

 そして……

「……だから! ボクまでダジャレに巻き込むなって、前にも言っただろ!? この、バカ兄貴!」

 巻き込み事故にあったシーマは、耳を後ろに反らしながら、尻尾をバンと縦に大きく振り……

「す、すまない、シーマ。お兄ちゃん、朝ご飯の時間だから、いつもの流れなのかと思っちゃって……」

 叱られた魔王は、しょんぼりとした表情で肩を落とし……

「わはははは! 今日も楽しく朝ご飯が食べられて、私ゃ幸せだぁよ!」

 ……はつ江は、カラカラと笑い出した。

 そんないつものやり取りをこなすと、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力した。

「まったく、最終日の朝なんだから、もっと、こう、さぁ……」

 脱力するシーマに向かって、はつ江はニッコリと笑いかけた。

「まあまあ、シマちゃんや。みんなで楽しくするにこしたことはないだぁよ。それに……」

 はつ江はそこで言葉を止めると、テーブルに身を乗り出して、向かいに座るシーマをポフポフとなでた。
 
「……絶対に、また会えるんだからさ」

「あ、うん……、そう、だな……」

 いつになく穏やかな表情のはつ江に、シーマは戸惑いながらもうなずいた。

 かくして、仔猫殿下とはつ江ばあさんの長い一日が、今日も始まるのだった。
 





 
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

別に要りませんけど?

ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」 そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。 「……別に要りませんけど?」 ※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。 ※なろうでも掲載中

転生令嬢は現状を語る。

みなせ
ファンタジー
目が覚めたら悪役令嬢でした。 よくある話だけど、 私の話を聞いてほしい。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、マリアは片田舎で遠いため、会ったことはなかった。でもある時、マリアは、妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは、結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

強制力がなくなった世界に残されたものは

りりん
ファンタジー
一人の令嬢が処刑によってこの世を去った 令嬢を虐げていた者達、処刑に狂喜乱舞した者達、そして最愛の娘であったはずの令嬢を冷たく切り捨てた家族達 世界の強制力が解けたその瞬間、その世界はどうなるのか その世界を狂わせたものは

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...