仔猫殿下と、はつ江ばあさん

鯨井イルカ

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第二章 フカフカな日々

仔猫と、はつ江さん・その二

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 日の傾いた空。
 
 橙色に染まる入道雲。

 軒を連ねるレトロな木造建築。

 微かに漂う潮の香り。

 ここは海の近い大きな街。

 そんな街のとある通りを二人の少女が歩いていた。

「んー! 今日も楽しかったー!」

 そう言いながら、三つ編みを揺らして伸びをするのは、深川はつ江。
 天真爛漫、元気溌剌な十四歳の女学生だ。

「ふふふ。はっちゃん、また、工場長さん笑わせてたね」

 そう笑いながら、ふわりとした巻き毛の先を揺らすのは、村田ミツ。
 温柔敦厚、清楚可憐な同じく十四歳の女学生だ。

「あんなに厳しい工場長さんと仲良しになれるなんて、はっちゃんはすごいなぁ」

 ミツがそう言うと、はつ江はカラカラと笑いだした。

「わはははは! すごくなんてないよ! それに、皆怖がってるけど、工場長さんすごく優しいよ!」

「え? そうなの?」

 ミツが尋ねると、はつ江はコクリと頷いた。

「そうそう! この間なんて、工場の外で、ニコニコしながら猫ちゃんなでてたし」

「へー、そうなんだ。ちょっと、意外だな」

「そうだねー、工場の中ではいっつも、こーんな顔してるもんね」

 はつ江はそう言いながら、思い切り顔をしかめた。すると、ミツはぷっと吹き出した。

「あはははは! はっちゃん、すごく似てる!」

「わはははは! そっくりでしょ!?」

「うん、そっくり! ひょっとして、そのときに仲良くなったの?」

「うん! うちも最近猫ちゃんを飼いはじめたんですよ、って話をしたら仲良くなったんだ!」

「そうだったんだね」

「お話ししてみるとすごく楽しい人だから、今度行くとき……えーと、来週か、来週はみっちゃんも一緒にお話ししようよ!」

「来週……」

 ミツはそう呟くと、不意に淋しそうな表情を浮かべた。その表情を見て、はつ江は不安げに首を傾げた。

「みっちゃん、どうしたの?」

「あ、うん、ごめん。実はさ、来週から、田舎のおばあちゃんの家に行くかもしれないんだ」

 ミツの言葉に、はつ江は円らな目を大きく見開いた。それから、淋しそうに微笑んだ。

「そっか」

「……うん。この間、嶺南の伯父ちゃんの家が焼けちゃったから……、おばあちゃん、心配になったみたいで」

「そっか……」

「本当は、はっちゃんとお別れするのは、嫌なんだけどな……」

 いつの間にか、ミツの目には涙がにじんでいた。はつ江はその様子を見て、目をギュッとつぶった。それから、ニッコリと笑い、ミツの肩をポンポンと叩いた。

「わはははは! 大丈夫だよみっちゃん!」

 はつ江の大声に、ミツは肩をビクッと震わせた。

「きっと、すぐに帰ってこられるから!」

「そう、かな……?」

「そうそう! そんで、みっちゃんが帰ってきたら、二人でうーんとおしゃれして映画を観にいって、帰りにかき氷をいっぱい食べよう!」

 はつ江がおどけた調子でそう言うと、ミツはニコリと微笑んで目を拭った。

「あははは! はっちゃん、かき氷いっぱい食べたら、お腹壊しちゃうよ」

「あ、そうだった! えーと、じゃあ、大福にしよう!」

「うん、そうしよう! はっちゃん、喉に詰まらせないように気をつけてよ!」

「もー、みっちゃんてば、そんなことしないよ!」

 二人はそう言って笑い合いながら、夕焼けに染まった通りに長い影を伸ばして歩いていった。
 
 それから、はつ江はミツと別れて、自分の家へ帰った。

「ただいまー」

「にー!」

 はつ江が扉を開けるとともに、廊下の奥からサバトラ猫のしまが、尻尾を縦ながらトコトコと走りよった。それから、ピョインと玄関を降りて、はつ江の脚にくっついた。

「にー! にー!」

「あははは! もう、縞ちゃんってば、くすぐったいよ!」

 はつ江はそう笑いながら、縞を顔の高さまで抱え上げた。抱え上げられた縞は、不意に鳴くのをやめて、はつ江の顔をジッと見つめた。それから、鼻をフスフスと動かした。

「ん? 縞ちゃん、どうしたんだい?」

「んにー、にー!」

 はつ江が尋ねると、縞は手の中でジタバタと動きだした。

「わ!? 縞ちゃん、危ないよ!」

「んにっ!」

 慌てるはつ江の手から、縞はヌルリと逃げ出して、廊下に着地した。それから、縞はごろんと寝転がり、白くてフカフカのお腹をはつ江に見せた。
 その姿を見て、はつ江はニコリと笑った。

「……よーし! そういうことするなら、お腹をフカフカしちゃうぞー!」

 そう言うやいなや、はつ江は縞のお腹をフカフカとなでだした。



  ジリリリリリリリリ!
 

 突然鳴り響いたベルの音に、はつ江はぴょんと跳び起きた。辺りを見渡すと、ふわりとしたベッドの天蓋と、けたたましい音をたてる目覚まし時計が目に入った。
 はつ江は穏やかに微笑んで、目覚まし時計のベルを止めた。

「なんだか、また懐かしい夢を見てた気がするねぇ」

 はつ江はそう言うと、うーん、と声を漏らしながら伸びをした。すると、トントンとドアをノックする音が聞こえた。はつ江は天蓋を開いてベッドから降りると、ゆっくりと扉まで足を進めた。

「はいはい、どちら様ですかね」

 そう言いながら扉を開けると、襟と袖にフリルのついたシャツとバミューダパンツをはいたシーマが立っていた。
 シーマの姿を見たはつ江は、ニッコリと微笑んだ。

「シマちゃんや、おはよう!」

「ああ、おはよう、はつ江!」

「今日は、早起きさんだねぇ、シマちゃん」

「ああ、なんだか、さっきスッキリ目が覚めちゃったんだ」

 シーマはそう言うと、得意げな表情を浮かべた。

「だから、今日は朝ご飯の支度をお手伝いするぞ!」

「あれまぁよ! それは、助かるねぇ!」

 はつ江は大げさな仕草で喜ぶと、膝を屈めてシーマの頭をポフポフとなでた。

「ありがとうね、シマちゃん」

「ふ、ふん! 従業員に過重労働なんてさせたら、魔王一派の沽券に関わるからな!」

 シーマはそう言って、耳と尻尾をピンと立てながらそっぽを向いた。

「そうかいそうかい、そんじゃあ、今から着替えてくるから、台所で待ってておくれ」

「ああ! 分かった! じゃあ、キッチンで待ってるから、焦って転んだりするなよ!」

 シーマはそう言うと、耳と尻尾をピンと立てながらトコトコと去っていった。その後ろ姿を見たはつ江は、穏やかな微笑みを浮かべた。それから、うーん、と声を漏らしながら、屈めていた膝を伸ばした。

「さぁて、今日も一日がんばるだぁよ!」

 そう言って、はつ江は着替えのためにクローゼットへ向かった。
 
 そんなこんなで、本日も仔猫殿下と、はつ江ばあさんの一日が始まるのだった。
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