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第一章 シマシマな日常

仔猫と、はつ江さん・その一

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  青く晴れた空。

 眩しく降り注ぐ日差し。

 軒を連ねるレトロな木造建築。

 ここは海の近い大きな街。

 そんな街の一角のとある家の中。茶の間で、一人の少女が朝食をとっていた。

 三つ編みにした黒髪。

 色白の肌。

 華奢な体つき。

 セーラー服の上着を着てもんぺをはいた彼女の名は深川ふかがわ はつ江。
 天真爛漫、元気溌剌な十四歳の女学生だ。

 はつ江は茶碗に入った雑炊を飲み干すように平らげた。それから、茶碗と箸をちゃぶ台に置き、胸の辺りで手を合わせて、ニコリと笑った。

「ごちそうさまでした!」

 はつ江がそう言うと、ちゃぶ台を挟んで向かいに座った母親が、コクリと頷いた。

「はい、お粗末様でした。あら? はつ江、イワシが随分と残っているわよ」

 母親がそう言って目を向けた先には、越前焼の皿があった。その皿の上には、頭と尻尾近くの身が多めに残されたイワシの丸焼きが載っている。
 母親に指摘されて、はつ江は苦笑を浮かべながら頭を掻いた。

「ああ、えーと、それは……」

 はつ江が言葉を濁していると、茶の間の外からトコトコと足音が聞こえた。それから、茶の間と廊下を仕切る襖をカリカリと掻く音が響いた。その音を聞くと、母親は小さくため息を吐いた。はつ江は母親にペコリと頭を下げてから立ち上がり、襖へ足を進めた。
 

「にー!」


 
 はつ江が襖を開くと、一匹の仔猫が茶の間へ飛び込んできた。

 少し毛羽立ったフカフカの毛並み。

 ピンと立った大きな耳。

 空色をした大きな目。

 ピンク色の小さな鼻。

 口元とお腹と足先が白いサバトラ模様。

 仔猫の名はしま
 はつ江の愛猫だ。

 縞は茶の間に入るなり、はつ江の脚に頭をこすりつけながらまとわりついた。

「はいはい、縞ちゃんおはよう。今、ご飯をあげるからね」

「にー! にー!」

 はつ江が声をかけると、縞は目を細めながら返事をするように鳴いた。その様子を見て、母親が再びため息を吐いた。

「まったく、育ち盛りだっていうのに、猫にご飯を分けるなんて」

 母親が小言を言うと、はつ江は苦笑しながら部屋の隅に置いてあるふちの欠けた小皿を手に取った。

「まあまあ、私そんなにお腹空いてないから」

 はつ江は母親を宥めながら、ふちの欠けた小皿にイワシの頭と尻尾を移した。すると、母親は更にため息を吐いた。

「たしかに、昔から食が細い方だったけど、この猫が来てから特に酷いじゃない。本当に、犬なら番犬にもなったかもしれないのに」

 母親は更に小言を続けた。しかし、縞はそんな小言に気づくはずもなく、美味しそうにイワシにかじりついていた。はつ江は苦笑を浮かべながら、縞の頭をそっと撫でた。

「ほ、ほら、猫だってネズミをとってくれるし!」

「お父さんの工場があった頃ならともかく、今はネズミに囓られるほどの物もないのに。それに、この猫、この間外でネズミに追いかけられて、にーにー鳴きながら逃げてたわよ」

 母親の呆れたような言葉に、はつ江は乾いた笑いを浮かべた。

「あ、あははー、で、でも、練習すればきっとネズミも取れるようになるから! ね、縞ちゃん!」

 はつ江が声をかけると、縞はイワシの皿から顔を上げた。

「に!」

 そして、返事をするように短く鳴くと、再びイワシにかじりついた。

「ほら、縞のやつもこう言ってることでごぜぇますし、大目に見てくだせぇお代官様」

 はつ江がおどけると、母親は苦笑を浮かべながらまたしてもため息を吐いた。

「まったく、しょうがないわね。まあ、家に置いておくのは良いけど、今度から私の分を分けるから、はつ江はちゃんとお魚も食べなさいよ」

 母親の言葉を聞くと、はつ江は嬉しそうに微笑んだ。そして、母親に向かって大げさにひれ伏した。

「ははー! ありがとうごぜぇやす、お代官様!」

「……はつ江、いい加減にそのお代官様っていうのはやめなさい」

「へい! 分かりやしたお代官様!」

「はつ江! 何が、分かりやした、なの!? 何も分かっていないじゃない!」

 おどけ続けるはつ江を母親が叱りつけた。イワシを食べ終わった縞は、そんな二人のやり取りをキョトンとした表情で眺めていた。
 朝食が終わると、はつ江は自分の食器を台所に下げてから、玄関に向かった。すると、その後を縞がトコトコとついていく。はつ江が靴をはこうとすると、縞が脚にまとわりついた。

「にー、にー」

「これこれ、危ないよ縞ちゃん」

 はつ江は苦笑しながら、縞を抱え上げた。すると、縞は不服そうに耳を後ろに反らして、尻尾をパタパタと振った。

「にー」

「うん、私も縞ちゃんと一緒にいたいけど、これから学校だからね。帰ってきたら、一緒に遊ぼう」

「にー……」

 はつ江が声をかけると、縞は心なしか淋しそうに鳴いた。はつ江は苦笑しながら縞を見つめていたが、不意にハッとした表情を浮かべた。それから、縞を廊下に降ろし、肩に提げた鞄をゴソゴソと探った。

「そうそう、昨日お裁縫の時間に、ちょっと布があまったから……あ、あったあった!」

 はつ江はそう言うと、鞄から小さな塊を取り出した。
 それは、端切れを縫い合わせて作った、小さなネズミのぬいぐるみだった。
 縞はぬいぐるみに気づくと、黒目を大きくして目を輝かせた。

「ににー!」

 耳と尻尾をピンと立てて鳴く縞を見て、はつ江はニッコリと微笑んだ。

「うんうん、私が帰ってくるまで、そのネズミさんと遊んでるといいよ」

 はつ江はそう言いながら、膝を屈めて縞にぬいぐるみを差し出した。すると、縞はぬいぐるみをカプリと咥えた。

「んに、んに、んに、んに!」

 そして、嬉しそうに声を漏らしながら、尻尾を立てて廊下の奥にトコトコと走っていった。はつ江は、縞の後ろ姿を見ると、満足げに、うんうん、と頷いた。

「そんじゃあ、行ってきまーす!」

「気をつけて行ってくるのよー」

 はつ江の言葉に、母親の声が返ってくる。はつ江は、ニッコリと笑うと扉を開けて外に出た。

 それから、はつ江は青空の下元気良く歩みを進め、通っている女学校へ辿り着いた。そして、はつ江は教室に入り、上機嫌に自分の席についた。すると、隣の席に座った毛先がクルンと巻いたショートカットの少女が微笑みながら、はつ江に声をかけた。

「はっちゃん、おはよう」

 はつ江に声をかけた女性生徒の名は、村田 ミツ。はつ江ととても仲の良い友人だった。

「うん! みっちゃん、おはよう!」

 はつ江も、笑顔で元気良くミツに挨拶を返した。

「みっちゃん、今日の一限目はなんだっけ?」

「えーとね、国語だよ。その後は、体育と、手旗信号」

「ふんふん、工場はお昼からだったよね?」

「うん、そうだよー。お弁当は、一緒に食べようね」

「うん! もちろんだよ!」

 二人が本日の予定について話していると、教室の扉がガラっと音を立てて開いた。そして、どことなく不自然な髪型で、丸眼鏡をかけた年配の男性教師が出席簿を手に教室に入ってきた。すると、生徒達はお喋りを止めて、姿勢を正した。教師が教壇につくと、日直の生徒が姿勢を正したまま席から立ち上がった。

「起立! 礼!」

「教頭先生、おはようございます!」

 生徒達は号令に合わせ、教頭に挨拶をして礼をする。

「うむ。おはよう、諸君」

「着席!」

 教頭が軽く頷いて挨拶を返すと、生徒達は再び日直の号令を受けて席についた。教頭は再び頷くと、手にしていた出席簿を開いた。

「では、出席をとる……ん?」

 出席を取ろうとした教頭だったが、何かに気づいたように声を漏らした。そして、ミツに顔を向けて、忌ま忌ましげな表情を浮かべた。

「なんだ、村田、お前まだそのスズメの巣みたいな頭をなおしてないのか?」

 教頭はそう言いながら、ミツを睨みつけた。すると、ミツは緊張した面持ちで、肩を震わせた。

「あ、あの、先生、でも、この髪は生まれつきなので……」

「本当か? そんなことを言って、贅沢をして髪いじりをしているんじゃないのか?」

「い、いえ、あの、本当に違います……」

「なら、なぜそんなに動揺しているんだ? 本当は、生まれつきなどではないから、動揺しているんだろう?」

「……」

 教頭がしつこく尋ねると、ミツは顔を赤くして俯いてしまった。はつ江は、そんなミツに心配そうな目を向けた。それから、意を決した表情を浮かべて、教頭に顔を向け挙手をした。

「はい! 教頭先生! 質問があります!」

「なんだ? 深川」

 教頭が煩わしそうに声をかけると、はつ江は姿勢を正して立ち上がった。

「教頭先生、スズメの巣がダメなら、カラスの巣はどうなのでしょうか?」

「は? カラスだと?」

 教頭が問い返すと、はつ江はニッコリと笑った。

「はい! 先日、教頭先生がカツラをカラスに盗まれ、慌てていたところを見ましたので! スズメの巣がダメなら、カラスの巣材になるような教頭先生のカツラもダメなのではないかと心配になりました!」

 はつ江が元気良く答えると、生徒達は一斉にプッと吹き出した。それからすぐに、クスクスという笑い声が教室中に響く。教頭は顔を赤くしながら、肩を震わせた。


「深川! 村田! 二人とも廊下に立っていろ!」


 そして、はつ江とミツを叱りつけた。

「はーい!」

「は、はい!」

 はつ江とミツは返事をすると、トコトコと教室を出て行った。
 それから二人は、教室から漏れる授業の声を聞きながら、二人並んで廊下の窓を眺めていた。
 青い空には、白い入道雲が浮かんでいる。

「夏だねー、みっちゃん」

「そうだねー、はっちゃん」

「かき氷食べに行きたいねー」

「そうだねー。でも、今はそんな贅沢できないからねー」

「そうだねー」

「そういえばハッちゃん。この間拾った猫ちゃんは元気?」

「縞ちゃん? うん! すっごく元気だよ! でも、ちょっとご飯が足りないかも……」

「そっかー……」

「あーあ、早く大人になって、縞ちゃんがお腹いっぱいご飯を食べられて、みっちゃんが髪のことで怒られなくて、夏にかき氷を食べにいけるような世の中にしたいなー」

「うん、そうだねー」

 二人はのんびりとした口調で、そんな会話をしていた。



  ジリリリリリリリリ!!



 すると、突然、けたたましいベルの音が辺りに鳴り響いた。
 はつ江は驚きのあまり、ぴょんと跳び上がった。はつ江が胸を押さえながら辺りを見渡すと、学校の廊下も、窓の外の青空と入道雲も、ミツの姿も消えていた。その代わり、フワリとしたベッドの天蓋と、フリルのついた枕の側で音を立てる目覚まし時計が目に入った。
 はつ江は穏やかに微笑むと、そっと目覚まし時計のベルの音を止めた。

「なんだか、すごく懐かしい夢を見てた気がするねぇ」

 はつ江はそう呟くと、うーん、と声を漏らしながら伸びをした。

「さてと、今日もシマちゃん達に、お腹いっぱいご飯を食べさせてあげないとねぇ!」

 はつ江はニッコリ笑ってそう言うと、元気良くベッドから飛び降りた。そして、着替えのメイド服を取りにクローゼットへ足を運んだ。

 こうして、また、シーマ十四世殿下達とはつ江ばあさんの一日が始まるのだった。
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