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第一章 シマシマな日常

スッポリ

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 湿った空気の充満する石で組まれた地下の迷宮の中、巨大な岩がクナイで輪留めをされて通路を塞いでいる。
 その岩を忍び装束を着た柴犬、柴崎五郎左衛門が困惑した表情を浮かべながら、硬い肉球のつけいた手でタシタシと叩いている。

「うーむ、でござる」

 五郎左衛門がそう言って首を傾げると、黒いローブを身にまとったサバトラ模様の仔猫、シーマ十四世殿下が尻尾を体に巻き付けながら声をかけた。

「感嘆詞の後にも律儀にござるってつけるんだ……」

「いかにも!柴崎家は元々忍びの家系ゆえ、できる限り語尾に『ござる』をつけるのが慣わしなのでござる!」

 シーマが感心したように呟くと、五郎左衛門は得意げな表情を浮かべて、胸を叩きながら尻尾を振って答えた。シーマは若干気圧されながらも、そうか、と呟き、小さく咳払いをする。

「それはともかく、五郎左衛門、何か分かったか?」

 シーマが尋ねると、側に居たクラシカルなメイド服を着た老女、はつ江も五郎左衛門に向かって首を傾げた。

「ゴロちゃんや、そんなにポンポン叩いて、大丈夫なのかね?」

 二人の質問に五郎左衛門は尻尾の動きを止め、再び困惑した表情を浮かべた。

「それが、どうもこの岩は、中が空洞になっているようなのでござる。中身を確認した方が良いような気もするのでござるが……」

 柴崎の言葉を受けて、シーマはフンフンと鼻を動かした。

「うーん。火薬の臭いや、毒物の臭いはしないみたいだけど、どうしたものかな……」

「殿下ー!はつ江おばあちゃーん!五郎左衛門さーん!大丈夫だったー!?」

「三人とも!無事か!?」

 シーマが腕を組んで考え込んでいると、背後から三人を呼ぶ声と駆け寄る足音が響いてきた。三人が振り返ると、一つに結んだ赤銅色の長髪をして黒い服に白銀の鎧を身にまとった魔王が、フカフカの白いローブを着た茶トラの仔猫モロコシを抱えて走り寄ってきていた。

「無事でござるよ!」

「ああ!三人とも大丈夫だ!」

「ゴロちゃんのおかげで助かっただぁよ!」

 シーマとはつ江と五郎左衛門が振り返って返事をすると、三人の元にたどり着いた魔王とモロコシは安堵のため息を吐いた。

「よかったー!」

「まったくだ。でも、三人とも、あまり無茶はしないでくれ」

 はつ江がカラカラと笑いながら、悪かっただぁよ!、と答える横で、五郎左衛門が姿勢を正して挙手をした。

「魔王陛下!この岩を調べてみたところ、どうも張りぼてのようなのでござる!」

「張りぼて?」

 五郎左衛門の発言に魔王は眉をひそめると、岩の前に歩みを進めた。そして、モロコシを片手に抱えて、ポンポンと岩を叩くと、ふぅむ、とうなって首を傾げた。モロコシも魔王のまねをして、フカフカの手で岩をポフポフ叩いて、うーん、と小さく呟いて、眉間に浅く皺を寄せた。

「確かに、中は空洞のようだ……」

「そうみたいだねー」

 魔王とモロコシがそう呟くと、シーマが二人を見上げて不安げな表情で首を傾げる。

「兄貴、やっぱり中身を確認した方が良いんだよな?一応、危険物の臭いはしないみたいなんだけど……」

「そうだな……少し不安ではあるが、また何かアイテムが出てくる……かもしれないしな」

 魔王がモロコシの喉をなでながらゆっくりと頷くと、シーマもコクリと頷いた。

「だよな……ところで、いつまでモロコシを抱えてるんだ?」

 シーマが怪訝そうな表情で首を傾げると、魔王はハッとした表情を浮かべモロコシをなでる手を止めた。そして、モロコシをゆっくりと床に下ろすと、小さく咳払いをしてからペコリと頭を下げた。

「モロコシ君、すまなかった……」

「ううん。大丈夫だよー。魔王さまは背が高いから、抱っこしてもらえて楽しかったです!」

 モロコシが元気良く答えると、魔王は感無量といった表情を浮かべた。しかし、シーマからあきれ気味の表情で視線を向けられているのに気づくと、いじけた表情をして視線を反らした。

「……昔はシーマだって、抱っことか高い高いとかすると、キャッキャ言いながら喜んだのに……」

「何か言ったか!?このバカ兄貴!」

 拗ね気味に呟く魔王に対して、シーマが尻尾を縦に大きく振りながら声を荒げると、はつ江がニコニコとしながらシーマの頭をなでた。

「これこれ、兄弟げんかはやめておくれ。それで、ヤギさんや、この岩を割ってみるのかね?」

 はつ江が尋ねると、魔王は、そうだな、と呟いてから口を噤んだ。魔王が尻込みしていると、五郎左衛門も頬を掻きながら、眉を下げて困った表情を浮かべた。

「命に別状はなかったとはいえども、先ほどは肝が冷えたでござるからな……」

 しかし、大人達が困惑するのをよそにモロコシが興味津々といった表情で岩に近づき、フンフンと鼻を鳴らしながらのぞき込んだ。そして、しばらくは凜々しい表情を浮かべて岩を凝視していたが、段々とヒゲがムズムズと動き出し……

「えい!」

 フカフカの手を岩に向かって勢いよく突き出した。
 すると、モロコシの腕は岩の表面を破り、スッポリとはまってしまった。

「うわぁ!?」

 咄嗟にシーマがモロコシを岩から引き離し……

「あれまぁよ!」

 はつ江が慌てながら、シーマとモロコシをかき抱き……

「柴崎君!」
「合点承知でござる!」

 ……魔王と五郎左衛門は、それぞれ剣と四方手裏剣を構えた。

 五人が緊張するなか、モロコシの開けた穴から岩に亀裂が走った。亀裂はミシミシと音を立てながら長さを伸ばし、ついには、岩はパカリと真っ二つに割れてしまった。そして、シュウシュウと音を立てながら煙に変わり消えていく。
 煙が収まると、銀色の筒と古びた紙だけが床に落ちていた。

「……収まったみたいだな」

「そのようでござるな……」

 魔王が剣を鞘に収め、五郎左衛門は手裏剣を懐にしまって、二人して安堵のため息を吐く。

「二人とも、大丈夫だったかい?」

 はつ江もシーマとモロコシを腕から放すと、二人の頭をなでながら心配そうに首を傾げた。

「ああ、大丈夫だ」

「うん!大丈夫だったよー!」

 返事を聞いたはつ江は、ニッコリと微笑むと、そうかいそうかい、と二人の頭をフカフカとなでた。

「そんなら、良かっただぁよ!」

「そうだな……それよりも、モ・ロ・コ・シ!」

 シーマが尻尾を縦に大きく振って、アーモンド型の大きな青い目でキッと睨みつけると、モロコシは尻尾を体に巻き付けてビクッと震えた。

「不用意に触るなって、壁の出っ張りのときに言ったよな!?何かあったらどうするんだ!?」

「ごめんなさい殿下……つい……」

 シーマに叱られたモロコシは、ボタンのように丸い緑色の目を潤ませながら俯いた。

「まったく!血は出てないか!?」

「うん……」

「手に痛い所はないか!?」

「大丈夫……」

「頭が痛くなったり、お腹が痛くなったりしてないか!?」

「平気……」

 シーマが声を荒げながらもモロコシの心配をしていると、はつ江がニコニコとしながら再び二人の頭をなでた。

「ほらほら、シマちゃんや、モロコシちゃんが心配なのは分かるけど、そのくらいにしてやんなさい」

 はつ江がそう言うと、シーマは、ふん、と鼻を鳴らして尻尾を小さく縦に振ってから、モロコシの頭をポスポスと軽く叩いた。

「ともかく、大事がないなら良かったけど、今度から無茶なことする前にちゃんとボクに相談するんだぞ?」

 シーマが目を細めてからそう言うと、モロコシはフカフカの手で目を拭ってから顔を上げて、笑顔を見せた。

「うん!わかったよ!ありがとう殿下!」

 二人のやり取りを眺めて、はつ江はニッコリと笑って、うんうん、と二回頷いた。
 三人の様子を見ていた五郎左衛門は、再び眉を下げて困った表情を浮かべた。

「魔王陛下」

 シーマとモロコシのイザコザが落ち着いてホッとしていた魔王は、五郎左衛門に声をかけられるとビクリと身を震わせてから、咳払いをしていつもの無表情な顔をした。

「どうした?柴崎君」

「拙者も、モロコシ殿のように、勇猛果敢な行動に出た方が良いのでござろうか?」

 五郎左衛門が困り顔で小首を傾げると、魔王はフカフカの頬を両手でワシワシとなでてから、ふぅむ、と呟いた。

「確かに、柴崎君の体能力はこのメンバーの中でも飛び抜けているから、危険な場合は三人を安全な所に運ぶのに力を貸して欲しいが……罠関連に関しては、私に任せたもらった方がいいかな」

 魔王が答えると、五郎左衛門は背筋を正してから最敬礼をした。

「承知つかまつりましたでござる!……ときに、魔王陛下。何故、拙者のほっぺたをワシワシしたのでござるか?」

「そこは気にするな。さて……」

 不思議そうに首を傾げる五郎左衛門を尻目に、魔王は銀色の筒と紙切れに向かって歩みを進めた。そして、身をかがめて拾い上げると、筒と紙切れを交互に見比べた。筒は表面が曇り一つなく磨かれ、紙切れには色とりどりの枝をつけた木の絵が描かれている。
 魔王が、ふぅむ、と声を漏らしていると、背後からシーマとモロコシの手を引いたはつ江と、五郎左衛門が近づいてきた。

「ヤギさんや、それは何に使うもんなんだい?」

 はつ江が首を傾げると、魔王は目を伏せて小さく首を横に振った。

「まだ分からないな。でも、罠の中に隠されていたものだし、ひとまず持って行くとしよう」

「はいよ!」

 はつ江は元気良く返事をすると、シーマとモロコシの手を放し、ポシェットのファスナーを開いた。そして、銀色の筒と紙切れを順番に指さす。

「じゅげむじゅげむご……」

「はつ江、何故か分からないけど、その呪文はものすごく長くなりそうな気がするから、やめておいてくれ」

 シーマがヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力気味にそう言っているうちに、筒と紙切れは細長く引き伸ばされて、シュルシュルとポシェットに吸い込まれていった。はつ江は確かめるようにポシェットをポンポンと叩いてから、ファスナーを閉めた。そして、魔王を見上げるとニッコリと笑顔を向けた。

「さてさて、じゃあ先に進もうかね、ヤギさん」

「ああ、そうだな」

 魔王がそう言って頷くと、シーマ、モロコシ、五郎左衛門も表情を引き締めて頷いた。

「よし!じゃあ、行くとしようか!」
「うん!」
「合点承知でござる!」

 五人は示し合わせたように同時に頷くと、再び迷宮の奥へと歩みを進めた。
 一行は相変わらず魔王とシーマを先頭にして、その後ろをモロコシとはつ江が手を繋いで歩き、最後尾を五郎左衛門が警戒しながら歩くという隊列で進んでいった。長い一本道を警戒しながら進み、シーマが、疲れた、と弱音を吐きそうになった頃、一行の目の前には魔方陣の描かれた壁が現れた。魔王とシーマが脚を止めて辺りを見渡したが、一行が通ってきた通路以外の道は見当たらない。

「行き止まりみたいだな、兄貴」

「そうだな……ん?」 

 ヒゲを垂らして落胆気味に呟くシーマに相槌を打っていた魔王だが、不意に何かに気づき床に目を落とした。
 魔王の視線が向けられた床には、円形のくぼみができている。
 魔王はくぼみを凝視してから軽く頷くと、振り返りはつ江に声をかけた。

「はつ江、さっき落ちてきた金盥かなだらいを出してくれないか?」

「はいよ!」

 はつ江は朗らかに返事をしてポシェットのファスナーを開くと、ポシェットに手を入れて、たらいたらい、と呟いた。

「えーい!これかね?」

 そう言いながらはつ江がポシェットから手を引き抜くと、その手には金盥が握られていた。
 魔王は軽く頷いてからはつ江から金盥を受け取り、足下のくぼみにそっと置いた。

「うん。多分、これでいいはず……!?」

 魔王が安堵の表情を浮かべた途端、辺りには金管楽器の演奏がけたたましく鳴り響き、盥からはもうもうと白い煙が立ちのぼった。

「うわぁ!?」
「あれまぁよ!」
「わー!?」
「何事でござるか!?」

 一同が混乱していると、煙は段々と一カ所に集まっていき……



「てやんでぇ!べらぼうめ!」



 しわがれた大声を発した。

「なんか、急におこられたんですけど……」
「涙目になってる場合じゃないだろ!?この、バカ兄貴!」

 金管楽器の演奏をかき消すようにシーマが魔王を叱責している間にも、煙は徐々に人の形に変形していったのだった。
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