5 / 191
第一章 シマシマな日常
ジタバタ
しおりを挟む
赤い空の下の、石造りの壁に囲まれた街。
そこから少し離れた馬車道を二人の人影が息を切らしながら走っている。
「それで、状況はどうなってるのよ!?」
一人は手提げ金庫を持ち、硬そうな漆黒の毛並みと、目尻の上がった半月形をした金色の目と、右の先端に細い切れ込みが入った厚い大きな耳と、口元からこぼれる鋭い牙と、毛羽立った短い尻尾がダンディーな黒猫のマダム・クロ。
「へい!今他の奴らがなんとか取り押さえていやすが、逃げ出されるのも時間の問題かと!」
もう一人は、滑らかな焦げ茶色のウロコと、鼻の先から目頭までは黒く目尻から首筋までは白い線状の模様と、黒い円らな目と、指先が丸みをおびた細い指と、腰からスラリと伸びた長い尻尾がコケティッシュなカナヘビのチョロだった。
二人は、本日の市の目玉として連れて来たムラサキダンダラオオイナゴが暴れだした、という場所に急いでいた。
「おーい!ボクにも手伝わせてくれ!」
その後ろから、ツヤがあるけれどもフカフカの毛並みと、大きな薄い三角の耳と、アーモンド形の青い大きな目と、小さな体のわりに大きなフカフカの白い手と、シマシマの長い尻尾がプリティーなシーマ14世殿下が、耳を伏せながら急いで追いかけて来た。
シーマが追いつくと、クロは黒目を大きくして、真っ赤な口を開けた。
「殿下!?ごめんなさいね、ウチの若い衆がスットコドッコイなばっかりに、お手数をおかけしちゃって」
スットコドッコイという古風な罵り言葉に、チョロが悲しそうな顔をして、すみやせん、と小さな声で呟いた。シーマはチョロとクロの顔を交互に見てから、気まずそうに視線を空に向けた。
「あー。でも、ちゃんとチームで働いているだけでも、すごく立派なことだと思うぞ。どこかのバカ兄貴にも、見習って欲しいくらいだ」
シーマにフォローされて、チョロは目を輝かせた。
「殿下……身に余るお言葉でございやす!こうなれば御礼にアッシの尻尾を!」
「殿下が困るようなことをするんじゃないわよ!」
走りながら器用に尻尾を切り離そうとするチョロを、クロが叱りつけた。肩を落として尻尾を切り離すのを止めるチョロを横目に、クロが小さくため息を吐く。
「ごめんなさいね殿下。この子は良い子なんだけど、ちょっと短絡的なところがあるから」
耳をパタパタとさせながら、クロがシーマに苦笑いを向ける。シーマも尻尾の先を軽く動かして、苦笑いを返した。
「それよりもマダム、ムラサキダンダラオオイナゴというのは、アレのことか?」
シーマがフカフカとした指をさした先には、幌の破れた荷馬車が横倒しになっていた。そしてその近くに、体高はシーマの身長より少し高く、体長はシーマの身長の2倍半はあり、全身が紫色で、前翅と後脚に黒いダンダラ模様のあるイナゴが、シューシューと言う音を出しながら翅を広げてジタバタしていた。
「とてつもなく威嚇してるじゃないの!?アンタ達、一体何をしたのよ!?」
「すみやせん!ここに来るまでは、大人しく荷馬車に乗っていやしたが、急に暴れだしやした!」
イナゴは全ての脚に縄が括り付けられて、その縄を杭で地面に固定されてはいるが、杭はイナゴがジタバタするのにあわせて、グラグラと揺れている。
「想像していたよりも、ちょっと大きいな……」
イナゴの様子にシーマが耳を伏せて尻尾を内側に巻き身構えると、イナゴの陰から、2つの小さい影が現れた。
「親方ー!」
一つは、赤い目に白い毛並みで長い尻尾をした、クロとそろいの格好をしたハツカネズミ、
「親方ぁ!」
もう一つは、黒い目に茶色い毛並みで短い尾をした、同じくクロとそろいの格好をしたハツカネズミだった。二人は素早くクロの前に駆け寄る。
「忠一、忠二!マダムと呼んでちょうだいといつも言っているでしょ!それで、怪我はない?」
クロが尻尾を縦に大きく振ってから腕組みをして尋ねると、白いネズミの忠一が尻尾をクネクネと振りながら答えた。
「僕達は平気ー。でも、ウマはビックリして逃げたー」
その後に、茶色のネズミの忠二が尻尾をピコピコと動かして言葉を続ける。
「イナゴはチョロと兄ちゃんと一緒に繋いだぁ。でも、そろそろ逃げちゃうかもぉ」
忠二の言葉どおり、グラグラと揺れていた杭は、揺れ幅を段々と広げている。クロは小さくため息を吐いて手提げ金庫を足元に置くと、硬い肉球のついた両手に力を込め、鋭い三日月のような爪を出した。
「手荒なことはしたくなかったけど、仕方ないわね。殿下、アンタ達、ちょっと下がっていなさいな」
そう言うと、クロは耳を後ろにそらし、首筋から尻尾までの毛を逆立たせた。そして、忠一と忠二がチョロの肩に駆け上がったことを横目で確認すると、ジリジリとイナゴとの距離を詰めていった。
クロが今にも飛びかかろうとしたその時、イナゴの脚を繋いでいた杭も外れた。しかし、イナゴもクロに向かって飛びかかろうとしたのと同時に、頭上に魔法陣が現れて、取り囲むようにドーム状の光の檻が出来上がった。
驚いたクロが爪をしまって振り返ると、シーマが耳を伏せて尻尾を内側に巻いたまま、イナゴに向かって両手を伸ばしていた。
「ど、どうだボクに任せればこんなものだ」
シーマは相変わらず耳を伏せたままで、声も少しひっくり返っているが、必死に得意げな表情を作っている。
「殿下!?大丈夫ですか!?怖くなかったかしら?」
「べ、別に市井の安全を守るのはボクの任務だからな!こ、このくらいなんてことない!」
クロが慌てて駆け寄ると、シーマはひっくり返ったままの声でそう答えた。クロは目を細めると、硬い肉球のついた手で、シーマの頭をワシワシと撫でた。
「ありがとうございます、殿下。でも」
クロが視線をイナゴの方に戻すと、相変わらず翅を開いてシューシューと音を立てている。
「もうちょっと落ち着いてくれないと、対処のしようがないのよね。どうしようかしら……」
「そうだな……せめて暴れだした原因が分かれば、バカ兄貴にでも対処方法を聞けるかもしれないんだけど……」
シーマとクロが顎に手を当てて、耳をパタパタと動かしていると、遠くから元気のいい声が聞こえてきた。
「シマちゃんやー!大丈夫かーい!?」
「殿下ー。お手伝いに来たよー」
全員が声のする方を向くと、クラシカルなメイド服の裾をはためかせるはつ江と、フカフカの両手で飴の入った袋を大事そうに抱えるモロコシが、急ぎ足で向かって来ていた。
「二人とも!?広場で待ってろと言ったろ!?」
黒目を大きくして驚くシーマに、はつ江がカラカラと笑いかける。
「シマちゃん一人じゃ心配でよぉ!ところで、これがそのバッタかい?」
「はつ江おばあちゃん、違うよー。あれはイナゴさんだよー。食べるものがちょっと違うの」
「へー、そうなのかい!モロコシちゃんは物知りだねぇ!」
「うん!バッタさんとイナゴさんについてならまかせてー!」
威嚇を続けるイナゴをものともせずに、はつ江とモロコシが平然と会話を続けていると、シーマが尻尾を大きく縦に振った。
「なんでこの状況でそんなにのん気でいられるんだよ!?何しに来たんだ!?」
「あ、そうだった。殿下、ごめんなさい。ぼくもお手伝いするよ」
憤慨するシーマにモロコシがペコリと頭を下げた。それを見たクロが耳をパタパタさせながら、心配そうにモロコシの顔を覗き込む。
「モロコシちゃん。気持ちは嬉しいけど、相手はムラサキダンダラオオイナゴなのよ?」
「うん!大丈夫だよー!でも、ちょっと落ち着かせてほしいかな?」
首を傾げるモロコシに、シーマがため息を吐く。
「その方法が分からなくて、困ってるんだよ」
「うーんとね、ムラサキダンダラオオイナゴさんはプライドが高いから、ビックリしたり怖がったりすると、恥ずかしくなって大人しくなるよ」
のんびりと答えるモロコシに、チョロが律儀に挙手をして尋ねる。
「しかし、モロコシの坊ちゃん。アイツは、マダムですら捕まえるのに難儀した猛者でございやすぜ?簡単にビックリしやすでしょうか?」
「うーん、大きな音とかは出してみた?」
首を傾げるモロコシに、忠一と忠二がチョロの両肩から声をそろえて答える。
「やってみたー!」
「でも、ダメだったぁ!」
「そうなんだー……じゃあ、怖がるようなことを言ってみる、とかかな?」
再び首を傾げるモロコシに向かって、はつ江が笑いかける。
「どれどれ、じゃあ私がやってみようかね!」
はつ江の提案に、シーマが黒目を大きくして駆け寄り、フカフカとした両手で、シワと血管が目立つ小さな手を掴んだ。
「何を言ってるんだはつ江!?捕まえているとはいえ、かなり気が立っているんだぞ!?危ないことはやめてくれ!」
尻尾を左右に振りながら見つめるシーマの頭を軽く撫でて、はつ江はニッコリと笑った。
「大丈夫だぁよシマちゃん。気が立っているって言っても、シマちゃんの魔法で、檻の外には出られないようになってるんだろ?」
シーマは耳を伏せながら目をそらし、でも、と言って口ごもった。はつ江はニッコリとしながら、シーマの頭をポンポンと軽く叩いて言葉を続けた。
「なぁに、若い頃の苦労に比べたら、檻の中のデッカいイナゴくらい、大したこと無いだぁよ!だから、任せておくれ?」
「……くれぐれも無茶するなよ?」
上目遣いのシーマをワシワシと撫でると、はつ江は檻の前までズンズンと進んでいった。そして、ムラサキダンダラオオイナゴの目の前で立ち止まると、翅を広げシューシューと音を立てしきりに首を動かす様子を、真剣な表情でじっと見つめた。はつ江はしばらくの間そうしていたが、意を決したように息を大きく吸い込んだ。
「これ!良い子にしないと脚と翅をもいで甘辛く煮て食っちまうよ!」
はつ江が周囲に響き渡るほどの大声でそう言うと同時に、ムラサキダンダラオオイナゴは大きく跳ね上がり、檻の天井に体をぶつけた。ムラサキダンダラオオイナゴは、バランスを崩して胴体から着地すると、そのまま寝そべっていた。しばらくすると、ムラサキダンダラオオイナゴはゆっくりと体を起こして、広げていた翅を閉じた。心なしか、体の紫色が今までよりも赤みをおびているように見える。
「モロコシ、あれは成功したのか?」
シーマが尻尾を左右に揺らしながら、モロコシの袖を引いて聞くと、モロコシはコクリと頷いた。
「うん。恥ずかしがってるみたいだねー」
モロコシがのんびりと答えると、絶句していたバッタ屋さんの面々もようやく口を開いた。
「……ムラサキダンダラオオイナゴ相手に、食っちまう、っつー脅し文句を言える方は、初めて見やした」
「アタシもよ……しかも、調理方法が妙に具体的なところが恐ろしいわね……」
「ばーちゃん強ーい!」
「ばぁちゃん怖ぁい!」
騒然としているバッタ屋さんの面々を尻目に、シーマとモロコシがはつ江に駆け寄った。二人に気がつくと、はつ江はいつもの笑顔に戻って振り返った。
「シマちゃん、モロコシちゃん、こんな感じで良いのかい?」
「あ、ああ。これで大丈夫みたいだ。ところではつ江、ムラサキダンダラオオイナゴを食べるのか?」
「たしかに食用のイナゴさんもいるけど、ムラサキダンダラオオイナゴさんは毒があるから、食べちゃだめだよ?」
耳を伏せながら聞くシーマと、首を傾げて聞くモロコシに、はつ江はカラカラと笑った。
「さすがに食べないだぁよ!それよりモロコシちゃん、これからどうすれば良いんだい?」
「あ、うん。ムラサキダンダラオオイナゴさんに、暴れた理由を聞いてみるね」
モロコシの提案に、はつ江は目を丸くして驚いた。
「あれまぁよ!この世界の猫ちゃんはバッタの言葉が分かるのかい!?」
はつ江の様子に、シーマがフカフカの頬を掻きながら、尻尾を左右に動かして答えた。
「いや、ボクには全く分からないから、多分モロコシの特技なんだろうな」
ほー、と感心した声を出すはつ江と、不安げな表情のシーマをよそに、モロコシはムラサキダンダラオオイナゴに向かって、首を傾げたり頷いたりを繰り返している。
その様子をバッタ屋さんの面々と、馬車道の傍の林に隠れた頭巾を被った不穏な人影が心配そうに見つめていた。
そこから少し離れた馬車道を二人の人影が息を切らしながら走っている。
「それで、状況はどうなってるのよ!?」
一人は手提げ金庫を持ち、硬そうな漆黒の毛並みと、目尻の上がった半月形をした金色の目と、右の先端に細い切れ込みが入った厚い大きな耳と、口元からこぼれる鋭い牙と、毛羽立った短い尻尾がダンディーな黒猫のマダム・クロ。
「へい!今他の奴らがなんとか取り押さえていやすが、逃げ出されるのも時間の問題かと!」
もう一人は、滑らかな焦げ茶色のウロコと、鼻の先から目頭までは黒く目尻から首筋までは白い線状の模様と、黒い円らな目と、指先が丸みをおびた細い指と、腰からスラリと伸びた長い尻尾がコケティッシュなカナヘビのチョロだった。
二人は、本日の市の目玉として連れて来たムラサキダンダラオオイナゴが暴れだした、という場所に急いでいた。
「おーい!ボクにも手伝わせてくれ!」
その後ろから、ツヤがあるけれどもフカフカの毛並みと、大きな薄い三角の耳と、アーモンド形の青い大きな目と、小さな体のわりに大きなフカフカの白い手と、シマシマの長い尻尾がプリティーなシーマ14世殿下が、耳を伏せながら急いで追いかけて来た。
シーマが追いつくと、クロは黒目を大きくして、真っ赤な口を開けた。
「殿下!?ごめんなさいね、ウチの若い衆がスットコドッコイなばっかりに、お手数をおかけしちゃって」
スットコドッコイという古風な罵り言葉に、チョロが悲しそうな顔をして、すみやせん、と小さな声で呟いた。シーマはチョロとクロの顔を交互に見てから、気まずそうに視線を空に向けた。
「あー。でも、ちゃんとチームで働いているだけでも、すごく立派なことだと思うぞ。どこかのバカ兄貴にも、見習って欲しいくらいだ」
シーマにフォローされて、チョロは目を輝かせた。
「殿下……身に余るお言葉でございやす!こうなれば御礼にアッシの尻尾を!」
「殿下が困るようなことをするんじゃないわよ!」
走りながら器用に尻尾を切り離そうとするチョロを、クロが叱りつけた。肩を落として尻尾を切り離すのを止めるチョロを横目に、クロが小さくため息を吐く。
「ごめんなさいね殿下。この子は良い子なんだけど、ちょっと短絡的なところがあるから」
耳をパタパタとさせながら、クロがシーマに苦笑いを向ける。シーマも尻尾の先を軽く動かして、苦笑いを返した。
「それよりもマダム、ムラサキダンダラオオイナゴというのは、アレのことか?」
シーマがフカフカとした指をさした先には、幌の破れた荷馬車が横倒しになっていた。そしてその近くに、体高はシーマの身長より少し高く、体長はシーマの身長の2倍半はあり、全身が紫色で、前翅と後脚に黒いダンダラ模様のあるイナゴが、シューシューと言う音を出しながら翅を広げてジタバタしていた。
「とてつもなく威嚇してるじゃないの!?アンタ達、一体何をしたのよ!?」
「すみやせん!ここに来るまでは、大人しく荷馬車に乗っていやしたが、急に暴れだしやした!」
イナゴは全ての脚に縄が括り付けられて、その縄を杭で地面に固定されてはいるが、杭はイナゴがジタバタするのにあわせて、グラグラと揺れている。
「想像していたよりも、ちょっと大きいな……」
イナゴの様子にシーマが耳を伏せて尻尾を内側に巻き身構えると、イナゴの陰から、2つの小さい影が現れた。
「親方ー!」
一つは、赤い目に白い毛並みで長い尻尾をした、クロとそろいの格好をしたハツカネズミ、
「親方ぁ!」
もう一つは、黒い目に茶色い毛並みで短い尾をした、同じくクロとそろいの格好をしたハツカネズミだった。二人は素早くクロの前に駆け寄る。
「忠一、忠二!マダムと呼んでちょうだいといつも言っているでしょ!それで、怪我はない?」
クロが尻尾を縦に大きく振ってから腕組みをして尋ねると、白いネズミの忠一が尻尾をクネクネと振りながら答えた。
「僕達は平気ー。でも、ウマはビックリして逃げたー」
その後に、茶色のネズミの忠二が尻尾をピコピコと動かして言葉を続ける。
「イナゴはチョロと兄ちゃんと一緒に繋いだぁ。でも、そろそろ逃げちゃうかもぉ」
忠二の言葉どおり、グラグラと揺れていた杭は、揺れ幅を段々と広げている。クロは小さくため息を吐いて手提げ金庫を足元に置くと、硬い肉球のついた両手に力を込め、鋭い三日月のような爪を出した。
「手荒なことはしたくなかったけど、仕方ないわね。殿下、アンタ達、ちょっと下がっていなさいな」
そう言うと、クロは耳を後ろにそらし、首筋から尻尾までの毛を逆立たせた。そして、忠一と忠二がチョロの肩に駆け上がったことを横目で確認すると、ジリジリとイナゴとの距離を詰めていった。
クロが今にも飛びかかろうとしたその時、イナゴの脚を繋いでいた杭も外れた。しかし、イナゴもクロに向かって飛びかかろうとしたのと同時に、頭上に魔法陣が現れて、取り囲むようにドーム状の光の檻が出来上がった。
驚いたクロが爪をしまって振り返ると、シーマが耳を伏せて尻尾を内側に巻いたまま、イナゴに向かって両手を伸ばしていた。
「ど、どうだボクに任せればこんなものだ」
シーマは相変わらず耳を伏せたままで、声も少しひっくり返っているが、必死に得意げな表情を作っている。
「殿下!?大丈夫ですか!?怖くなかったかしら?」
「べ、別に市井の安全を守るのはボクの任務だからな!こ、このくらいなんてことない!」
クロが慌てて駆け寄ると、シーマはひっくり返ったままの声でそう答えた。クロは目を細めると、硬い肉球のついた手で、シーマの頭をワシワシと撫でた。
「ありがとうございます、殿下。でも」
クロが視線をイナゴの方に戻すと、相変わらず翅を開いてシューシューと音を立てている。
「もうちょっと落ち着いてくれないと、対処のしようがないのよね。どうしようかしら……」
「そうだな……せめて暴れだした原因が分かれば、バカ兄貴にでも対処方法を聞けるかもしれないんだけど……」
シーマとクロが顎に手を当てて、耳をパタパタと動かしていると、遠くから元気のいい声が聞こえてきた。
「シマちゃんやー!大丈夫かーい!?」
「殿下ー。お手伝いに来たよー」
全員が声のする方を向くと、クラシカルなメイド服の裾をはためかせるはつ江と、フカフカの両手で飴の入った袋を大事そうに抱えるモロコシが、急ぎ足で向かって来ていた。
「二人とも!?広場で待ってろと言ったろ!?」
黒目を大きくして驚くシーマに、はつ江がカラカラと笑いかける。
「シマちゃん一人じゃ心配でよぉ!ところで、これがそのバッタかい?」
「はつ江おばあちゃん、違うよー。あれはイナゴさんだよー。食べるものがちょっと違うの」
「へー、そうなのかい!モロコシちゃんは物知りだねぇ!」
「うん!バッタさんとイナゴさんについてならまかせてー!」
威嚇を続けるイナゴをものともせずに、はつ江とモロコシが平然と会話を続けていると、シーマが尻尾を大きく縦に振った。
「なんでこの状況でそんなにのん気でいられるんだよ!?何しに来たんだ!?」
「あ、そうだった。殿下、ごめんなさい。ぼくもお手伝いするよ」
憤慨するシーマにモロコシがペコリと頭を下げた。それを見たクロが耳をパタパタさせながら、心配そうにモロコシの顔を覗き込む。
「モロコシちゃん。気持ちは嬉しいけど、相手はムラサキダンダラオオイナゴなのよ?」
「うん!大丈夫だよー!でも、ちょっと落ち着かせてほしいかな?」
首を傾げるモロコシに、シーマがため息を吐く。
「その方法が分からなくて、困ってるんだよ」
「うーんとね、ムラサキダンダラオオイナゴさんはプライドが高いから、ビックリしたり怖がったりすると、恥ずかしくなって大人しくなるよ」
のんびりと答えるモロコシに、チョロが律儀に挙手をして尋ねる。
「しかし、モロコシの坊ちゃん。アイツは、マダムですら捕まえるのに難儀した猛者でございやすぜ?簡単にビックリしやすでしょうか?」
「うーん、大きな音とかは出してみた?」
首を傾げるモロコシに、忠一と忠二がチョロの両肩から声をそろえて答える。
「やってみたー!」
「でも、ダメだったぁ!」
「そうなんだー……じゃあ、怖がるようなことを言ってみる、とかかな?」
再び首を傾げるモロコシに向かって、はつ江が笑いかける。
「どれどれ、じゃあ私がやってみようかね!」
はつ江の提案に、シーマが黒目を大きくして駆け寄り、フカフカとした両手で、シワと血管が目立つ小さな手を掴んだ。
「何を言ってるんだはつ江!?捕まえているとはいえ、かなり気が立っているんだぞ!?危ないことはやめてくれ!」
尻尾を左右に振りながら見つめるシーマの頭を軽く撫でて、はつ江はニッコリと笑った。
「大丈夫だぁよシマちゃん。気が立っているって言っても、シマちゃんの魔法で、檻の外には出られないようになってるんだろ?」
シーマは耳を伏せながら目をそらし、でも、と言って口ごもった。はつ江はニッコリとしながら、シーマの頭をポンポンと軽く叩いて言葉を続けた。
「なぁに、若い頃の苦労に比べたら、檻の中のデッカいイナゴくらい、大したこと無いだぁよ!だから、任せておくれ?」
「……くれぐれも無茶するなよ?」
上目遣いのシーマをワシワシと撫でると、はつ江は檻の前までズンズンと進んでいった。そして、ムラサキダンダラオオイナゴの目の前で立ち止まると、翅を広げシューシューと音を立てしきりに首を動かす様子を、真剣な表情でじっと見つめた。はつ江はしばらくの間そうしていたが、意を決したように息を大きく吸い込んだ。
「これ!良い子にしないと脚と翅をもいで甘辛く煮て食っちまうよ!」
はつ江が周囲に響き渡るほどの大声でそう言うと同時に、ムラサキダンダラオオイナゴは大きく跳ね上がり、檻の天井に体をぶつけた。ムラサキダンダラオオイナゴは、バランスを崩して胴体から着地すると、そのまま寝そべっていた。しばらくすると、ムラサキダンダラオオイナゴはゆっくりと体を起こして、広げていた翅を閉じた。心なしか、体の紫色が今までよりも赤みをおびているように見える。
「モロコシ、あれは成功したのか?」
シーマが尻尾を左右に揺らしながら、モロコシの袖を引いて聞くと、モロコシはコクリと頷いた。
「うん。恥ずかしがってるみたいだねー」
モロコシがのんびりと答えると、絶句していたバッタ屋さんの面々もようやく口を開いた。
「……ムラサキダンダラオオイナゴ相手に、食っちまう、っつー脅し文句を言える方は、初めて見やした」
「アタシもよ……しかも、調理方法が妙に具体的なところが恐ろしいわね……」
「ばーちゃん強ーい!」
「ばぁちゃん怖ぁい!」
騒然としているバッタ屋さんの面々を尻目に、シーマとモロコシがはつ江に駆け寄った。二人に気がつくと、はつ江はいつもの笑顔に戻って振り返った。
「シマちゃん、モロコシちゃん、こんな感じで良いのかい?」
「あ、ああ。これで大丈夫みたいだ。ところではつ江、ムラサキダンダラオオイナゴを食べるのか?」
「たしかに食用のイナゴさんもいるけど、ムラサキダンダラオオイナゴさんは毒があるから、食べちゃだめだよ?」
耳を伏せながら聞くシーマと、首を傾げて聞くモロコシに、はつ江はカラカラと笑った。
「さすがに食べないだぁよ!それよりモロコシちゃん、これからどうすれば良いんだい?」
「あ、うん。ムラサキダンダラオオイナゴさんに、暴れた理由を聞いてみるね」
モロコシの提案に、はつ江は目を丸くして驚いた。
「あれまぁよ!この世界の猫ちゃんはバッタの言葉が分かるのかい!?」
はつ江の様子に、シーマがフカフカの頬を掻きながら、尻尾を左右に動かして答えた。
「いや、ボクには全く分からないから、多分モロコシの特技なんだろうな」
ほー、と感心した声を出すはつ江と、不安げな表情のシーマをよそに、モロコシはムラサキダンダラオオイナゴに向かって、首を傾げたり頷いたりを繰り返している。
その様子をバッタ屋さんの面々と、馬車道の傍の林に隠れた頭巾を被った不穏な人影が心配そうに見つめていた。
0
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
Re:Monster(リモンスター)――怪物転生鬼――
金斬 児狐
ファンタジー
ある日、優秀だけど肝心な所が抜けている主人公は同僚と飲みに行った。酔っぱらった同僚を仕方無く家に運び、自分は飲みたらない酒を買い求めに行ったその帰り道、街灯の下に静かに佇む妹的存在兼ストーカーな少女と出逢い、そして、満月の夜に主人公は殺される事となった。どうしようもないバッド・エンドだ。
しかしこの話はそこから始まりを告げる。殺された主人公がなんと、ゴブリンに転生してしまったのだ。普通ならパニックになる所だろうがしかし切り替えが非常に早い主人公はそれでも生きていく事を決意。そして何故か持ち越してしまった能力と知識を駆使し、弱肉強食な世界で力強く生きていくのであった。
しかし彼はまだ知らない。全てはとある存在によって監視されているという事を……。
◆ ◆ ◆
今回は召喚から転生モノに挑戦。普通とはちょっと違った物語を目指します。主人公の能力は基本チート性能ですが、前作程では無いと思われます。
あと日記帳風? で気楽に書かせてもらうので、説明不足な所も多々あるでしょうが納得して下さい。
不定期更新、更新遅進です。
話数は少ないですが、その割には文量が多いので暇なら読んでやって下さい。
※ダイジェ禁止に伴いなろうでは本編を削除し、外伝を掲載しています。
―異質― 邂逅の編/日本国の〝隊〟、その異世界を巡る叙事詩――《第一部完結》
EPIC
SF
日本国の混成1個中隊、そして超常的存在。異世界へ――
とある別の歴史を歩んだ世界。
その世界の日本には、日本軍とも自衛隊とも似て非なる、〝日本国隊〟という名の有事組織が存在した。
第二次世界大戦以降も幾度もの戦いを潜り抜けて来た〝日本国隊〟は、異質な未知の世界を新たな戦いの場とする事になる――
日本国陸隊の有事官、――〝制刻 自由(ぜいこく じゆう)〟。
歪で醜く禍々しい容姿と、常識外れの身体能力、そしてスタンスを持つ、隊員として非常に異質な存在である彼。
そんな隊員である制刻は、陸隊の行う大規模な演習に参加中であったが、その最中に取った一時的な休眠の途中で、不可解な空間へと導かれる。そして、そこで会った作業服と白衣姿の謎の人物からこう告げられた。
「異なる世界から我々の世界に、殴り込みを掛けようとしている奴らがいる。先手を打ちその世界に踏み込み、この企みを潰せ」――と。
そして再び目を覚ました時、制刻は――そして制刻の所属する普通科小隊を始めとする、各職種混成の約一個中隊は。剣と魔法が力の象徴とされ、モンスターが跋扈する未知の世界へと降り立っていた――。
制刻を始めとする異質な隊員等。
そして問題部隊、〝第54普通科連隊〟を始めとする各部隊。
元居た世界の常識が通用しないその異世界を、それを越える常識外れな存在が、掻き乱し始める。
〇案内と注意
1) このお話には、オリジナル及び架空設定を多数含みます。
2) 部隊規模(始めは中隊規模)での転移物となります。
3) チャプター3くらいまでは単一事件をいくつか描き、チャプター4くらいから単一事件を混ぜつつ、一つの大筋にだんだん乗っていく流れになっています。
4) 主人公を始めとする一部隊員キャラクターが、超常的な行動を取ります。ぶっ飛んでます。かなりなんでも有りです。
5) 小説家になろう、カクヨムにてすでに投稿済のものになりますが、そちらより一話当たり分量を多くして話数を減らす整理のし直しを行っています。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
とあるおっさんのVRMMO活動記
椎名ほわほわ
ファンタジー
VRMMORPGが普及した世界。
念のため申し上げますが戦闘も生産もあります。
戦闘は生々しい表現も含みます。
のんびりする時もあるし、えぐい戦闘もあります。
また一話一話が3000文字ぐらいの日記帳ぐらいの分量であり
一人の冒険者の一日の活動記録を覗く、ぐらいの感覚が
お好みではない場合は読まれないほうがよろしいと思われます。
また、このお話の舞台となっているVRMMOはクリアする事や
無双する事が目的ではなく、冒険し生きていくもう1つの人生が
テーマとなっているVRMMOですので、極端に戦闘続きという
事もございません。
また、転生物やデスゲームなどに変化することもございませんので、そのようなお話がお好みの方は読まれないほうが良いと思われます。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
スライムからパンを作ろう!〜そのパンは全てポーションだけど、絶品!!〜
櫛田こころ
ファンタジー
僕は、諏方賢斗(すわ けんと)十九歳。
パンの製造員を目指す専門学生……だったんだけど。
車に轢かれそうになった猫ちゃんを助けようとしたら、あっさり事故死。でも、その猫ちゃんが神様の御使と言うことで……復活は出来ないけど、僕を異世界に転生させることは可能だと提案されたので、もちろん承諾。
ただ、ひとつ神様にお願いされたのは……その世界の、回復アイテムを開発してほしいとのこと。パンやお菓子以外だと家庭レベルの調理技術しかない僕で、なんとか出来るのだろうか心配になったが……転生した世界で出会ったスライムのお陰で、それは実現出来ることに!!
相棒のスライムは、パン製造の出来るレアスライム!
けど、出来たパンはすべて回復などを実現出来るポーションだった!!
パン職人が夢だった青年の異世界のんびりスローライフが始まる!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる