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決別とはじまり

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 朝食を終えると、誠は洗い物をしにキッチンへ向かい、紗江子は着替えのためにいったん寝室に戻った。
 
 昨夜来ていたドレスに着替えると、紗江子はスマートフォンを手に取った。
 幸二からのメッセージは、一通も届いていない。
 念のため、SNSのアプリをチェックしても、結果は同じだった。

「本当に、私はいらなくなったのね……」

 深いため息とともに、そんな言葉がこぼれた。それでも諦めきれず、変化のない画面から、なかなか目が離せない。
 十分ほどそのままでいると、寝室のドアがノックされた。

「紅茶を淹れたので、着替えが終わったらリビングへどうぞ」

 聞こえてきたのは、誠の声だった。

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ、ではお待ちしていますね」

 ずっとここに居るわけにもいかない。そう思いながら、紗江子はスマートフォンをハンドバッグにしまい、寝室を後にした。

 リビングのドアをあけると、ソファーの前のテーブルにティーセットを並べていた誠が笑顔で振り返った。

「さあ、こちらへ……、あれ?」

 しかし、その表情は、ハンドバッグを手にした紗江子の姿を見て、すぐに訝しげなものになった。

「その格好、どこかへおでかけですか?」

 その質問に、紗江子も訝しげに眉をひそめた。

「おでかけ……、というか、そろそろ失礼しようかと」

「失礼……、ああ! そうですね、いったん着替えやその他の荷物を取りに、戻らないといけませんからね!」

「え……?」

 晴れやかな表情になる誠と対照的に、紗江子の表情は更に怪訝になっていく。

「あの……、何の話をしてるんですか?」

「え? だって、今日からここで、一緒に暮らすんですよね?」

 唐突すぎる言葉を受け、深いため息が口からこぼれた。

「なんで、そんな話になるんですか……」
 
「なんでって……」

 誠は笑顔でそう言うと、ゆっくりと近づいてきた。そして、身構える紗江子の頬に触れた。 

「……貴女が運命の人だからに、決まってるじゃないですか。昨日、言ったでしょう? もう離してあげませんよって」

「それは……」

 目の前にせまる整った顔に、鼓動が早まっていくのを感じる。
 
「幸二さん、でしたっけ? その人との婚約は、無かったことになったんでしょう?」

「そう、ですけど……」

「それとも、やっぱり婚約破棄はとりやめる、という連絡があったんですか?」

「……」

 誠の言葉に、返事ができなかった。
 酷いフラれかたをしたというのに、心のどこかでまだ幸二を諦めきれない。それでも、ハンドバッグの中のスマートフォンは、静かなままだ。

「……まあ、もしも今さら思い直していたとしても、貴女を傷つけるような愚かな人のところに、返すつもりはありませんけどね」

 そう言いながら、誠は親指の腹で唇をそっと撫でた。

「……っ」

 唇をなぞる指の感触に、思わずびくりと肩が跳ねる。指が往復するたびに昨日の情事が思い出され、自然と表情がとろけていく。その様子を見て、誠は笑みを深めた。

「ふふふ、やっぱり貴女は愛らしいですね」

「……! か、からかわないで、ください!」

「あははは、すみません。でも、からかったわけではないですよ」

 誠はそう言うと頬から手を離し、紗江子の手を取った。

「俺は貴女を傷つけたりしませんよ?」

「……」

「それに、失恋の痛手を癒やすには、新しい恋が一番だと聞きます」

「……」

「あと……、身体の相性も、悪くなかったと思いますが?」

「な、なんてことを言うんですか!?」

「あははは、冗談ですよ、冗談。でも、悪い話ではないと思いますよ?」

「そうかも、しれませんが……」

「……それとも、新しい恋の相手が俺では、嫌ですか?」

「そういう、わけでは……」

 別に誠が嫌だというわけではない。
 ただ、昨日から急激に色々なことが起こりすぎているため、少しゆっくり考えたい。

 紗江子が黙り込んでいると、誠の笑みが少しだけ悲しげなものに変わった。

「困らせてしまったみたいですね」

 その笑顔に、罪悪感がこみ上げてくる。

「すみません……、少し一人で考えたいんで、答えるまで時間をもらえますか?」

「ええ、かまいませんよ、俺はずっと待ってますから。ああ、そうだ、帰るというなら、渡しておきたいものがあるので、ちょっと待っていてください」

 誠はそう言うと、紗江子の手を離し、リビングを出ていった。それから少しして、小さな箱を手にして戻ってきた。中身は、昨日と二年前に紗江子が選んだあの香水だった。

「こちらをどうぞ」

 誠に香水を差し出され、紗江子はたじろいだ。

「え……、でも、こんな高価なものをいただくわけには……」

「いえ、いいんですよ。貴女にもう一度会うことができたら渡そうと、ずっと思っていましたから」

 そう言いながら、誠は紗江子の手に香水を握らせた。

「だから、受け取ってください、ね?」

「……分かりました。ありがとうございます」

 紗江子は軽く頭を下げて、香水をハンドバッグにしまった。それを見て、誠は満足げに微笑んだ。

「いえいえ。それでは、冷めてしまう前に、紅茶を飲みましょうか」

「そう、ですね……、いただきます」

 そうして、二人はティーセットの並べられたテーブルに向かった。
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