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恋敵の様子と読書会と異世界モノと第二巻とプールサイドとめまい

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  生徒達の帰った教室。

 まだ明るい窓の外。
 
 開け放たれた窓から入り込む、グラウンドの土の臭い。

 遠くから聞こえる、運動部の声。
 
 物騒なことをした翌日だというのに、いつもとまったく変わらない放課後だ。

 相馬の生き霊らしきモノを処理してから、一夜が明けた。
 内心、もしも死んでしまっていたらどうしようと、ほんの少しだけ不安になっていた。
 しかし、登校時にミナと私の少し先をフラフラと歩いているのを見かけた。
 だから、命に別状はなかったのだろう。
 まあ、それはそれで、厄介なことではあるが。
 また、言いがかりをつけに来られても面倒だからな……

「あ、そういえばさー、スバル、昨日相馬になにか嫌なこと言われなかった?」

 不意に、ミナの声が耳に入り、読んでいた本から顔を上げた。
 すると、机を挟んで向かいに座ったミナが、不安げな表情で首を傾げていた。
 折角、二人で「異世界に転生した私ですが親友のために今日もチート能力で暗殺稼業です」の第一巻と最新巻を読んでいたというのに、嫌なことを思い出してしまった。
 しかし、心配してくれたミナの気持ちを無下にはしたくない。
 それでも、過ぎたことについて、余計な心配をされるのも忍びないしな……

「……なぜ、そんなことを聞くんだ?」

 悩んだ結果、とても面倒くさい返しをしてしまった。
 これでは、なにかあったと言っているようなものだろ……

「うん、リコぺんがね、昨日スバルが相馬に怒鳴られてるところを見た、って言ってたから、心配になって」

 まさか、リコぺんさんに見られていたとは思わなかった。
 あのとき、相馬以外の人間の気配は、感じなかったと思ったが……
 リコぺんさんは、忍びの者かなにかなのだろうか?
 ……そんな疑問は、ひとまず置いておこう。
 今は、ミナを安心させなくては。

「ほんの少しだけ、言いがかりをつけられただけだよ」

「言いがかり?」

 ミナは私の言葉を繰り返しながら、首を傾げた。
 内容を教えて欲しい、ということなのだろうが、正直に言っていいものだろうか?
 悩んでいると、ミナの表情がますます不安げになっていった。
 ……正直に答えた方が、よさそうだな、これは。

「私が側にいると、ミナに迷惑がかかるから、一緒に行動しないで欲しい、という内容だったよ」

「なにそれ!? 相馬、そんなひどいこと言ったの!?」

「うわっ!?」

 私の答えを聞いた途端、ミナは机を叩きつけながら勢いよく立ち上がった。
 驚きのあまり、椅子から落ちるかと思った……
 呼吸と鼓動を落ち着かせていると、ミナはバツの悪そうな表情を浮かべた。

「ごめんね、スバル、驚かせちゃって」

「いや、大丈夫だ。こちらこそ、大げさに驚いてしまって、悪かったな」

 私も謝罪をすると、ミナは苦笑いを浮かべた。

「ううん、気にしないで! それにしても、相馬のヤツ、本当にろくなことしないなー」

「まあ、今日は何も言ってこなかったし、終わったことだから」

 不本意ながら、相馬にフォローを入れてやった。
 相馬が悪く思われようと知ったことではない。
 しかし、腹を立てたミナが相馬に抗議をして、そのせいで逆上した相馬になにかされたらと思うと、恐ろしくてしかたない。

「そっかー。うん、たしかに相馬、今日はものすごくぼんやりしてたし、スバルにちょっかい出さないなら、それでいいか」

 不安になっていると、ミナが相馬の様子を口にした。

「ぼんやりしていた?」

 何となく気になり問い返すと、ミナはコクリと頷いた。

「うん。なんていうか、生気がないっていうかんじ? 授業中も休み時間も、ぼーっとしてて、先生とか友達に話しかけられても、ああ、とか、そう、とかしか言わないんだ」

「……そうなのか」

「うん、そうなんだ」

 相槌を打つ前に変な間を作ってしまったが、ミナは気にした様子もなく頷いた。
 どうやら、怪しまれてはいないようだ。

 それにしても、生気がない、か。
 そもそも、生き霊は強い執着心が形になったようなモノらしいからな。
 それが赤い沼に飲み込まれ消えていったのだから、抜け殻のようになるのも当然か。
 まったく、ミナを怖がらせさえしなければ、こんなことにもならなかっただろうに。

「あ、そうだ。相馬のことは置いといて、『異世界に転生した私ですが親友のために今日もチート能力で暗殺稼業です』どうだった!? 面白い!?」

 相馬に同情していると、ミナは話題を変えて目を輝かせた。

「そうだな、まだ一巻の途中だが、読みやすい文体だし、ストーリーも軽快だから楽しく読めてるよ」

「ふふふ! そうでしょー!?」

 感想を伝えると、ミナは得意げな表情を浮かべた。
 ミナが喜んでいると、私も嬉しい。
 
 本のストーリーは至って王道なものだった。
 親友と二人で交通事故に巻き込まれた主人公が、別の世界に生まれ変わる。
 しかも、どういうわけか、暗殺に必要な能力がケタ外れに高い。
 その能力を買われて、国王の娘の護衛に抜擢される。
 しかし、姫の護衛とは表向きの仕事だった。
 実際は、姫の命を狙う大臣や他の有力者を先に暗殺する、というのが主な仕事だと王に告げられる。
 主人公は乗り気がしないと思いながらも、姫と顔合わせをする。
 すると、共に交通事故に巻き込まれた親友と、姫がうり二つだということが発覚する。
 姫は主人公のことを覚えていない。
 それでも、姫は主人公のことを護衛の者としてではなく、友人として扱う。
 主人公は戸惑いながらも、姫と友情を育んでいく。
 そして、主人公は、積極的に暗殺をこなしていくようになる。

 暗殺者という物騒な職業をテーマにしているが、標的がクズぞろいのためか読んでいて爽快感がある。
 それに、主人公と姫の友情も、見ていて微笑ましい。 
 それと、主人公に共感も覚える。
 私も親友のためならば、後ろ暗い仕事だって進んで引き受けられる。
 さすがに、ミナも私に似ていると言うだけのことはあるな。
 
 ……ん?
 
 いや、待てよ。
 ミナは私がしていることを知らないはずだ。
 なのに、なぜ主人公と私が似ていると思ったのだ?
 ……いや、きっと表紙のイラストが、どことなく私に似ていたから、そのことを言っていたのだろう。
 きっと、そうに違いない。

 頭の中で自問自答していると、ミナが軽く首を傾げた。

「そうだ、二巻も持ってきたけど、読む?」

 ……気がかりが全て解消したわけではないが、今はミナとの会話に専念しよう。 

「ありがとう。是非、二巻も貸してくれ」

 私が答えると、ミナは屈託のない笑顔を浮かべた。

「うん! じゃあ……はい、これ!」

 ミナはその言葉と共に、鞄からピンク色の紙袋を取り出した。
 受け取ると、可愛らしい見た目とは裏腹に重みを感じる。
 話の流れから、二巻であることは間違い無いのだろうが……

「スバル、どうしたの? 鳩が豆絞り被ったような顔になってるよ?」

 戸惑っていると、ミナが独創的な比喩表現と共に首を傾げた。
 ……現国の試験は、大丈夫だったのだろうか?
 いや、今はそんなことを気にしている場合ではないな。

「ああ、すまない。一巻よりも随分と重かったから、戸惑ってしまった」

「ふふふ! 二巻は怒濤の展開が続くから、特にページ数が多いんだよ! でも、面白いからスバルならすぐ読み終わると思うよ!」

「そうだったのか。それは、楽しみだ」

「うん! 楽しみにしててね!」

 私の言葉を聞いて、ミナは満足げに頷いた。
 しかし、その表情がどこか曇っているようも見える。
 なにか、あったのだろうか?

「ミナ、一体どうし……」



「この位重い物を振り回したら、私でも今日見た怖いのをやっつけられたのかな……」

「……またなのか」


 
 私の質問が終わる前に、ミナの口からなじみのある言葉がこぼれた。
 どうやら、またなにがしかの怪奇現象に遭遇したようだな。
 
 ……ん?

 

 
 
 そんな言葉が出るということは、まさか……

「ミナ、今の発言は一体……」

「そう! 聞いてよ、スバル! 今日プールの授業があったの! それで、自由時間があったから、リコぺんたちと、誰が一番長く潜ってられるかゲームしてたのね。そしたら、なんか首のあたりがわさわさしたから、目を開けたの。あ! それまではね、目を閉じてたんだ。それでね、目を開けて振り向いたら、グッてされてギャーってなったんだけど、ジタバタしてるうちに消えちゃってなんとかなったんだ。でも、水の中で慌てたから、鼻に水が入っちゃって、ツーンとしてつらくって。あ! あの水が入ったときに鼻が痛いのって、我慢するしかないんだって。それって、ちょっと悲しいよね……」

 私の言葉をかき消すように、ミナは遭遇した怪奇現象について、早口で説明してくれた。
 ひとまず、ミナのクラスでは水泳の授業があったことは分かった。
 しかし……


「ミナ、ちょっといいか?」

 私が話を止めると、ミナは意外そうな表情で首を傾げた。

「うん、どうしたの?」

「話の内容が、まったく頭に入らない。五・七・五・七・七でまとめろ」

「うん! 分かった! ちょっと待ってて!」
 

 相変わらずのやり取りをすると、ミナはすぐに口元に指を当てて黙り込んだ。
 すぐに対応してくれるのは結構だが、納得するのがいつもより早い気がする。
 しかも、心なしか目が泳いでいるようにも見える。
 それに、先ほどの、怖いモノをやっつける、という発言も気にかかる。
 ここは、まずミナの真意を聞いてから、諸々の行動に……


「水の中 溺れた者が 悲しげに 仲間を求め 強く手を引く」


 ……前言撤回。
 ミナが遭遇したモノの処理を最優先にしよう。
 
「つまり、水の中で手を掴まれて、一歩間違えれば溺れてたんだな?」
 
 私の質問に、ミナは小さく頷いた。

「うん。でも、その子も、水の中でずっと一人だったから、淋しかったんじゃないかな?」

「淋しいからなんて理由で、ミナを溺れさせられてたまるか!」

「きゃっ!?」

 思わず大声を上げてしまうと、ミナは小さく悲鳴を上げて身をすくめた。
 どうしよう、ミナを怖がらせてしまった……


「す、すまない! ミナ! ミナを危険な目に遭わせたと思ったら、ソイツに対して怒りが湧いてきたんだ。だから、決してミナのことを怒っていたり、ミナを怖がらせようと思ったりしたわけではなくてだな。むしろ、どちらかといえば、ミナを危険な目に遭わせたくないという一心でだな……」


「……っぷ、あはははは!」


 取り乱していると、ミナは突然笑い出した。

「な、なぜ、笑っている!?」

「あははは! だ、だって! 慌てるスバルが、可愛かったからつい!」

 本気で心配したというのに、ミナめ……

「スバルー、そんな、ムスッとした顔しないでよー」

「別に、ムスッとなんてしてない。頭をワシワシとなでるな」

「あははは、ごめんってば……あれ?」

 不意に、頭をなでる皆の手が止まった。

「どうした? ミナ」

 名残惜しさを感じながら尋ねると、ミナは首を傾げた。

「スバル、なんでムスッとしてるんだっけ? ごめんね、なにかひどいこと言っちゃってたかな……」

「それは、ほら、取り乱していたところをミナが笑ったから……でも、別に怒ってはいないからな」

 取り乱していた理由を省いて説明すると、ミナはバツの悪そうな表情を浮かべた。

「そっか、そうだった……笑っちゃってごめんね」

「いや、気にしなくていいよ。それに、本当に怒っていないから」

「うん、ありがとう、スバル」

 私の言葉を受けて、ミナは苦笑しながら頬を掻いた。
 ……気になることは確認できなかったか。
 しかし、ミナが恐怖を忘れられたなら、それで良しとしよう。
 あとは、ミナを危険にさらしたモノを処理して、この件はおしまいだ。

「すまない、ミナ、ちょっとお手洗いにいってくる」

「うん、分かった! いってらっしゃーい!」

 ベタベタな言い訳をしながら立ち上がると、ミナは屈託のない笑顔を浮かべた。
 
「あ、でも、淋しいから、早く戻ってきてね!」

「ああ、そうするよ」

 面倒なモノはさっさと片付けて、ミナとの読書に戻ることにしよう。

 それから、私は教室を出て、まずは職員室に向かった。
 担任に、忘れ物をした、という見え透いた言い訳をすると、プールのカギは簡単に手に入った。
 カギを受け取ってから、足早にプールへと向かった。
 幸いなことに、プールの周囲に生徒や教師の姿はなかった。
 よし、今のうちに全て済ませてしまおう。


 プールサイドに辿り着くと、塩素の臭いが鼻をついた。
 この臭いを嗅ぐと、なぜかセンチメンタルな気分になる。
 しかし、今は感傷に浸っている場合ではない。


 水の中
 溺れた者が
 悲しげに
 仲間を求め
 強く手を引く
  

 目を閉じてミナが詠んだ歌を唱える。
 
「……ゴボッ」

 すると、プールから不穏な音が響いた。
 ゆっくりと目を開け、水面を覗き込む。
 すると、そこには方々に広がった黒髪の青白い肌をしたモノが沈んでいた。
 指定のスクール水着を着ているから、この学校の女子生徒だったモノなのだろう。

「……ゴボッ」

 眺めていると、水の中のモノはこちらに顔を向け再び音を立てた。
 その表情はミナの詠んだとおり、どこか悲しげに見える。
 しかし……


「淋しいからって、ミナを連れていかれるわけにはいかないのだよ」


 そう吐き捨てると同時に、プールの水が赤黒く染まり、底が抜けた。

「ゴボッ……」

 ミナを連れていこうとしたモノは、淋しげな表情を浮かべながら、水底を目指して沈んでいく。
 
「そんな顔をするなよ。沈んだ先には、お前のようなモノが沢山いるはずだ。それなら、もう、淋しくないだろう?」

「……」

 私の問いかけに答えることなく、ミナを連れていこうとしたモノは赤黒い水に紛れて見えなくなった。
 そして、プールの水も段々と無色透明な状態へ戻っていく。
 さて、これでミナのところに帰ることがで……



「スバル……今のって、なんなの……?」




「……え?」



 突然聞こえた声に顔を向けると、ミナの姿が目に入った。

 いや、しかし、これだけ視界がグルグルと回っているのだから、幻覚の一種かもしれない。

 だとしたら、先ほど聞こえた声も、幻聴なのだろう。

 そうだ、きっとそうに違いない。
 
 ミナが、こんなところに、いるはずないのだから。


「スバル!?」


 しかし、幻にしては、声はハッキリと聞こえ


「スバル! しっかりして! スバル!」

 
 私を抱きとめる腕は、温かく柔らかく


「スバル!」


 目に映る顔は、大好きなミナの顔に違いなかった。
 ……これは、幻ではないのかもしれないな。

 
 それならば、こんなにミナに近づけてよかった。


 側にいられるのは、今日が最後なのだから。
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