ようこそ残飯食堂へ

黒宮海夢

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ようこそ残飯食堂へ

十一 さいごの料理

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 ところ変わって村沢は、また厨房にいた。村沢はシェフの格好をしてスマホをじっと睨んでいる。

読んでいたのは進藤治彦のブログだった。ああ、この店で食事をした後に俺が書いたブログだ。間違いない。確かに俺は最低な評価を下した。なるほど、全て合点がいった。だからこいつはあの日俺をまたこの店に呼び出して、料理を振る舞おうとしたのか。
シェフ村沢は傷ひとつない料理人の腕で白いキノコをまな板の上で、一口より小さく細切れに切っていた。だが俺はその光景に戦慄した。あれはただのキノコじゃない。素人には分からないだろうが、あれがドクツルダケという殺人キノコということが俺にはよく分かった。胃袋に治めればおよそ六時間から一日後には嘔吐、下痢の症状が現れ、その後は内臓の細胞が破壊、胃から出血し苦しんで死亡する。なんて奴だ。こいつは、この殺人料理で俺を殺そうと企んでいたんだ!

 テーブルにいる俺に、村沢は料理を差し出した。いや待てよ。俺はこの日は店に来ていないはずなのにおかしいじゃないか。俺は、ご丁寧にナプキンを胸にぶら下げて目の前の料理をフォークで突っついてる。そしてキノコの乗った料理を口に含んだ。食べるな、という頭の抵抗なんて届くわけもなくむしゃむしゃと呑気に咀嚼している。
やめろ俺!さっさとそれを吐き出すんだ!ああそうだ……たった今俺は、この殺人料理を食べている最中じゃないか。早く、早くこの夢から覚めて吐き出してしまわないと。
 ビクリと体が痙攣して、目の前には食べかけのオムライスがあった。ここはさっきまでいた残飯食堂だった。俺はともかく喉に指を突っ込んで料理を吐き出そうとした。
「おええ、おえ……っ」
床に雪崩のような吐瀉物が落ちたが構うもんか。
「ゲホ、かは」
吐き出したものの異臭と、喉の不快感と苛立ちで俺は獣のような言葉にならない声をあげた。それから村沢のクソ野郎を睨みつけた。
「お前……俺を殺そうとしたのか」
村沢は俺を前にして、目を逸らした。
「なんとか言えよ村沢!」
「そっちが交換してもいいって言ったんだろう!」
あろうことか村沢は俺よりも大きな声を上げ、テーブルをドンッと叩いた。何だこの殺人鬼が。

「それに、実際はあの料理は食べなかったじゃないか。アンタは店に来なかった。だから私は、わたしゃね……」
村沢はうっと喉を詰まらせ涙ぐんだ。
「あなたは先に殺したんです。私の料理人人生を。あれを食べるのは自分のはずだった。私の、私のための‘’さいごの料理‘’だった」
皺の入った目の下から涙が伝った。村沢は右手で拭った。あの時見た、料理人の腕そのままに綺麗な右手で。

俺は唇を動かせずにいた。さっき食べた料理は最高に美味しかった。毒が入ってるとは全く思えないほど、絶品だった。


  本当に素晴らしい料理人というのはね、お客さんの一人一人に合わせて料理をするもんです。


 これは、村沢シェフが前に雑誌のインタビューで言っていたセリフだった。それを読んだ高校生だった俺はいつかこの人の店に行きたいと夢見ていた。


俺はたくさんの料理を食べていく中で、どこか本当の美味しいものというのを見失っていたように思う。
「すみません、でした……」
腹の奥からその言葉が出た。仮にも殺されかけたというのに、自分でも不思議だ。村沢は意外だったのか見開いた目を俺に向けた。
「お客様、料理はまだ残っています」
「何……言って……るんだ?」
メイドの言葉に耳を疑った。一体こいつは今目の前で何を見ていたんだ。この料理には毒が入ってるんだぞ!
「村沢様、あちらはあなたの料理です。やはり交換は認められません」
「おいお前、いい加減にしたらどうなんだ。いくらなんでもあんまりだろう!こんなのただの虐待だ!」
あまりの理不尽にもう我慢ならず、声を荒げる。
「虐待?料理を冒涜した彼を庇うのですか?村沢様、ルールは変わりません。たとえ私が死のうとも、この店のルールは絶対なのです。さあ、今すぐその床に落ちた、この男が吐いた残飯まで完食するのです」
村沢は脂汗を大量に吹き出していた。そして急に、顔から一切の表情が消え失せると、彼はぼう……っと俺の横を通り過ぎて暗闇の奥へと歩いていった。
「村沢さん…… ?」
問いかけても反応せず歩く屍のように彼は消えていった。
 

✳︎
 残された俺は、たった一人。精神的にももう耐えられなかった。また空腹感が容赦なく襲ってくる。さっき少し口にした料理のおかげで、更に食欲は増してしまったようだ。
「水を……」
メイドは、コップに水を注いで俺に差し出した。もう何杯目かは分からない。胃袋が水でタポタポと音を鳴らしている。俺はそれでも横に置いてある給食からは目を逸らし続けた。給食というより虫風呂といった方が正しい。
 このシチューのことは覚えている。というより、さっきこれを見た時に久しぶりに思い出した。中学二年生の頃の給食だ。俺は本当に馬鹿だったんだ。  

 俺は当時クラスの男連中から、酷いむごい虐めを受けていた。毎日、
中でも一番嫌だったのが、給食の時の虐めだった。俺の給食には消しカス、歯磨き粉、埃や尿などさまざまな異物が混入された。だから俺は毎日給食の時は腹を空かせていた。
 「進藤くん。これ、食べて」
快活な声が聞こえて、俺は腕の中から頭を上げた。目の前に差し出されていたのは焼きそばパンだった。
松嶋光まつしまひかるは、黒い肩までのショートヘアーで、テニス部の女子だった。そのため、ほとんど日焼けした肌が、窓辺に寄ると光に当たって一層眩しく見えた。
「あいつらのことは気にしない方がいいよ」
そうやって一言、白い歯を見せながら彼女は去っていった。彼女の優しい言葉に、俺はどれだけ救われたか。久しぶりに学校で食べた焼きそばパンは、きちんと味がした。その日はあいつらも俺に何もしてこなかった。
 
 ああ、でも。今思ばこの件がきっかけだったのかもしれない。

 「これからは虐めないって約束する」
意外な言葉を言われたのはその翌日の昼休みの、男子トイレでだった。てっきりまた蹴られたり、つねられると思ってビクビクしていた俺は、疑うようにいじめっ子の津本の茶色いつむじを見つめた。奴ははっきりとごめんと言った。だけど後ろにいる、いじめっ子BとCーーこいつらの名前は曖昧で覚えていないーーは、にやにやといやらしい笑みを浮かべていた。俺は次のゲームが始まるんだとすぐに察知した。顔を上げた津本の、人間味のない、怪物が皮を被ったかのような恐ろしい無表情を見て、戦慄した。
「その代わり」津本が言った。
俺は吐き気を覚えた。他人という憎悪の塊が体にまとわりついてくる感覚に、身震いをした。

 同時に、もう二度とこれで自分が虐められることはないという汚い安堵感が芽生えた。その気色の悪さに蓋をして俺は奴らの言うことを聞いてしまった。
 俺は準備をした。三日後の給食のために。近くの野山に登ったり、ゴミ捨て場を漁ったり。しょうがない、しょうがない。自分の胸に何度も言い聞かせて。三日後の給食の時間、松嶋光の悲鳴が教室中に響き渡った。床に飛び散ったシチュー、蠢く生き物たち……。あれは、あの生き物は俺だ。そっくりじゃないか。その後、彼女の顔から二度と光が射すことはなかった。俺が奪い去った光。一週間して、彼女の姿は教室から消えた。俺は彼らから虐められることは無くなった。代わりに、俺は卒業まで彼らと過ごした。風呂上がりに見た自分の顔は、津本の顔に見えた。
「化け物……」
俺は呟いた。



名も知れぬメイドの女は、一言も喋らずに俺の顔をじっと見つめている。俺の中の化け物を見透かすかのように。もう何時間も食べていない。
「どうして、これが俺の残飯なんだ」
「あなたが食べるべき料理だったからです。あなたは、自分の給食に入れたものを彼女のと差し替えようとした」
「だけど俺は、辞めようとした!」
「しかし、彼らはあなたが辞めようとしたのを見て、我慢できずに無理矢理彼女のシチューと入れ替えたのです」
「どうしたらよかったんだよ。だって、仕方ないじゃないか!」
「あなたはそれを食べなくて済んだことにほっとしたのでは?」
「違う!あれはしょうがなかっただけだ……!」
「彼女は勇気を持ってあなたを助けたのに?」
俺は内臓を思い切り捻り潰されてるかのように、苦しかった。何も言い返せやしない。俺は一体、何度人生で逃げてきたのだろう。俺は一体、いくらほどの人生の残飯を残してきた?

「しかし、あなたは今それを食べれば、過去の残飯を全て完食することになり、救われます。さあ進藤様。人生の残飯を召し上がれ」

乾いた喉に、唾を流し込んだ。俺は、右手でスプーンをきつく握りしめた。胃酸が込み上げてくる。スプーンで虫風呂スープを掬い上げた。目を瞑って祈った。この地獄が一瞬で終わってくれるようにと。
最初の感触は思った通り、最低のものだった。ぐにゃりと頼りない、気持ちの悪い弾力が遅れてやってきた。脳みそは拒否反応を出し、乾嘔が沸いたものの負けじとスープに食らいつく。目尻から生理的な涙が滲む。臭い、苦い。ほとんど咀嚼をしないよう頑張って、頑張ってーー。

 「ありがとう。進藤くん」

え……?俺は顔を上げる。教室のひだまりの中で、松嶋光は歯を見せて笑っていた。
「松嶋さん。ごめん俺、酷いことを」
「さっき私を庇って……助けてくれたでしょ。お腹平気?保健室、行く?」
まさか俺は、あのシチューを。俺は自分のお腹を触った。あの虫たちがここにいると思うと嫌悪感が込み上げる。だけどそれだけじゃない。胸につかえていたものがとれた安堵感に、深く息を吐いた。
「うげー虫人間だ」
と津本らは、向かい側の端っこの席で愉快な笑い声を上げた。俺はそんなことよりも、彼女がまた笑ってくれたことの方が嬉しくて、つい微笑みが溢れた。
「私も、次はちゃんと助けるね。私は進藤くんの味方だよ」
彼女は日焼けした右手を差し出した。俺はくすぐったい気持ちになりながら、その手を握った。
「ごちそうさま」
俺は、気付かぬうちにそう口にしていた。目の前は教室ではなく、あの場所に戻っていた。シチューに入っていた皿は空になっている。
「お粗末様でした」
彼女は口にし、丁寧にお辞儀をした。何やら新しい風が自分の体内を吹き抜けていくような、そんな身軽さだった。こんな素晴らしい料理がこの世に存在したなんて!俺はこのまま店を出るのは、絶対に惜しいと思った。この店の謎も含め、料理のレシピも気になって仕方がない。この残飯食堂をもっと色々な人に知ってもらうべきだ!
「すみません。ここのシェフを呼んでもらえませんか?」
「いいえ、ここの店員は私一人です」
「それじゃあ、君がこの料理を?どうやって作ったんだ!?教えてくれ!教えてくれ!」
椅子から立ち上がり前のめりになって、問いかけた。彼女は何も答えず、すっと静かにカウンターの奥の方へ姿を消した。あそこに答えがある。俺はそう考えると、カウンターを登り跨いで、恐る恐る影の中を歩いた。両手を伸ばすと、赤いトランプの柄の扉があった。彼女はさっきからこの扉を出入りしていたに違いない。ということはこの奥に全ての秘密が隠されている。
  

 黄金色のドアノブを回す。しかし、押しても引いても扉はびくとも動かない。だがそう簡単には諦めがつかない。俺はふと右手の方に目を向けてみる。暗闇でよく見えないが、目を細めて見てみるとうっすら小瓶のようなものが見えた。瓶を持って間近でじくりと見つめてみると‘‘私を飲んで‘’と描かれている。今度こそ毒か…… ?とも懸念した。だけど俺の頭の中はかねてからの異常な体験のおかげか、狂った好奇心にもはや抗えなくなっていた。小瓶の蓋を開くと酸っぱいような苦いような、悪臭が鼻についた。俺は息を止めて瓶の中身を一気に飲み干した。生臭い後味が広がる。俺は咳き込んだがなんとか吐き出さずに済んだ。
 飲み終えた瞬間に不思議な事態は起こった。目の前の空間が歪んでいる。天井が果てしなく遠い。あり得ないことだったが、自分の体が小さくなっている。奇妙な幻覚に、さっそくあの変な液体を飲んだ後悔が湧いてきた。床に落ちていたフォークを見つけるまでは。フォークは今の俺が持って丁度手に馴染む大きさだった。つまり、このフォークは料理を食べる用のものじゃない。小さくなったことを想定されて作られている。だったらこれはもしかして、この扉の鍵なんじゃないか。
 
 俺は扉に静かに近づいてみる。よく見てみると小扉があって、端っこに鍵穴が一つ付いている。ただ、鍵穴の周りをぐるりと囲むように丸い皿の絵が描かれており、両サイドにフォークとナイフの絵も添えてあった。


 

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