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第二話
帰ってきた少女1
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神沢勇はベットの上で寝返りをうった。
そこはエンジェル・プロレスの女子寮である。
三年目の勇は、ようやく、一人部屋になっていたが、今のエンジェル・プロレスの経営状態を反映してか、四畳半一間の粗末な部屋に寝起きしていた。
もう夜中の12時を回っているのに、なかなか寝つかれなかった。
無理もない。
まだ、あの試合から一週間ほどしか経っていない。
あの時の興奮と歓喜がまだ、まざまざと彼女の身体に残っていたからだ。
それに、身体中の筋肉が悲鳴を上げ、青痣となっている打ちみの跡は、いまだにズキズキと痛んで勇の睡眠を妨げていた。
結局、試合はノーコンテスト、つまり、無効試合となっていた。
レフリーの制止を振り切って、あの後さらに、フロント、若手たちを巻き込んで大乱闘に発展してしまったのだから仕方ないとも言えた。
むしろ、軽い処分で済んだくらいだ。
勇が本当に落ち込んだのは一ヶ月にも渡る出場停止処分を申し渡された時だった。
練習中毒の勇にとって、試合に出れないほどつらいことはなかった。
だからと言って、悲観してる訳でもない。
傷ついた体を元に戻す、ちょうどいい骨休みと割り切って、勇はそれなりに過ごすことにした。
ふと、目を覚ました勇は、左手の拳をぐっと握りしめた。
あの時の熱い想いを確認するように、何度も開いたり閉じたりして拳を固める。
そんな動作を繰り返すことによって勇の内側にあの時の感覚が蘇ってくる。
最高に幸せな時間がリングの上に確かに流れていた。
でも、今はそうしていないと、あのことが夢だったのではないかと思えてしまう。
このまま時間が止まればいいと本気で想った。
あの歓びのためなら、全ての苦痛も、つらさも、どんな悲しみも乗り越えられるような気がした。
たぶん、一生にそう何度も味わえない『至福の時』、『黄金の時間』に勇は浸っていたのだ。
秋月玲奈もそうだろうか?
自分と同じなのだろうか?
玲奈に無性に会いたかった。
確か彼女もまた謹慎処分を受けて、リングはもちろん、本業の歌手活動からも遠ざかっているはずだ。
勇はふいに、枕元に置いてあるはずのプロレス雑誌『週間レディースプロレス』、通称『レディプロ』を探してみた。
「あら、今月号がないわ。どこやったのかしら?」
しばし考え込んでいた勇の脳裏に昨日の記憶が甦った。
そう、確か、怜ちゃん、後輩の風森怜に貸し出していたような気がする。
風森怜と言えば、勇の付き人として一年ほど身の回りの世話をしてくれている新人の子である。
女子プロレスの世界は今でも、先輩、後輩の差別が厳しく、体育会系のノリが色濃く残っている。
勇としてはあまり気にしない方だが、封建的な徒弟制度みたいなものがある。
その流れでいうと風森玲は勇の弟子に当たる。
彼女は今年で十四歳のはずで、勇よりもずっと小柄なため、プロレスラーとしてはまだまだで、まずは身体作りからはじめる必要があった。
性格的におっとりしていて、そのためか試合では悪役の標的として、ことあるごとに凶器の竹刀や一斗缶の攻撃にさらされ、額ばかり割られていた。
そして、ついた不名誉な仇名が『トマ子』。
トマトケチャップのように頭から血ばかり流している、そういう意味合いがその呼び名に込められていた。
そんな怜を拾ったのが、勇であった。
そのような姿を見てられない性分の勇は、付き人として彼女を採用した訳だが、ことプロレスに関しては、センス、筋の良さはあるものの、なんというか、闘志というのか根性というのものが欠けている怜のプロレスは、勇をいつももどかしい気持ちにさせていた。
そのあたりをクリアーすれば、かなりいいプロレスラーになるかもしれない、と勇は秘かに思っていた。
とはいえ、口では『こら!ダメ怜』とか『とま子、頭かち割るわよ』と言いたい放題だった。
そんなことをあれこれ考えているうちに、突然、勇の部屋のドアが開く音がした。
「神沢先輩、まだ、起きてますか?」
細めた声がドアの隙間から聞こえた。
どうやら、件の怜の登場らしい。
「起きてるわよ。でも、こんな時間になんの用なの?」
怜はなぜか、畳の上をはいずるようにして勇の所まで来た。
いわゆる匍匐前進というやつだ。
自衛隊じゃあるまいし、この子は何を考えているかわからない所がある。
「先輩、大変です。この今週号の試合カード見てください」
重大な秘密を耳打ちするように、怜は勇の耳元で囁いてから、雑誌の記事を指さした。
勇は衝撃を受けた。
そこには勇にとって懐かしい名前が書かれていた。
しかし、その選手はすでに引退しているはずである。
「へへっ。凄いでしょ」
怜が得意げに笑う顔はなんとも愛くるしい。
ショートにした黒髪、童顔で少しほっぺの赤い顔と白い肌がどうも垢抜けなかった。
怜はさすがに自称神沢勇フリーク、研究家を名乗るだけあって勇の過去の対戦相手に詳しい。
普通、この名前をみて、勇の対戦相手のひとりだと気づく者は、余程の物好きか、相当なマニアに違いない。
「それで、この試合がもうすぐ始まるので、神沢先輩といっしょにテレビ見ようかと思って…」
怜は勝手にリモコンでチャンネルを合わせると、ボリュームを絞り気味にしてスイッチを入れた。
深夜一時から『オーレ、女子プロレス』という三十分番組がある。
プロレス業界自体が地盤沈下していく中で、積極的に新興団体、新人選手の試合を放映している番組だ。
その番組の特番の試合が、今から生放送されるのだ。
闇の中にテレビのブラウン管の光が浮かび上がる。
勇はまぶしさで思わず、目を細めた。
しだいに慣れていく視界にその選手の姿が飛び込んできた。
三年前にくらべるとかなりビルドアップされた肉体がリングの上で躍動していた。
すっかり怪我は治ったようで勇はそのことに対して正直、信じられない気持ちがあった。
無駄のない筋肉のつき方といい、それでいてなめらかな曲線を保っている全体のフォルム、ゆっくり、じっくりと辛抱強いトレーニングだけがそんな身体をつくりあげる。
しかも、勇からみれば柔軟性と強度、スタミナ、スピードを秘めた肉体であることは一目瞭然だった。
すべてがプロレスラーとして理想の形を体現していた。
柳沢楓。
かつて勇がプロテストで肩を砕いて、再起不能になったはずの少女である。
たった三年でどうやってあれほどの肉体を身につけたのか。
勇はトレーナーの顔を見たくなった。
この奇跡のようなカンバックには優秀なトレーナーが不可欠のはずだ。
そして、カメラが柳沢楓のセコンドを映した時、勇の驚きは最高潮に達した。
「かあさん!!」
そこには、勇の母である神沢恭子の姿があった。
そこはエンジェル・プロレスの女子寮である。
三年目の勇は、ようやく、一人部屋になっていたが、今のエンジェル・プロレスの経営状態を反映してか、四畳半一間の粗末な部屋に寝起きしていた。
もう夜中の12時を回っているのに、なかなか寝つかれなかった。
無理もない。
まだ、あの試合から一週間ほどしか経っていない。
あの時の興奮と歓喜がまだ、まざまざと彼女の身体に残っていたからだ。
それに、身体中の筋肉が悲鳴を上げ、青痣となっている打ちみの跡は、いまだにズキズキと痛んで勇の睡眠を妨げていた。
結局、試合はノーコンテスト、つまり、無効試合となっていた。
レフリーの制止を振り切って、あの後さらに、フロント、若手たちを巻き込んで大乱闘に発展してしまったのだから仕方ないとも言えた。
むしろ、軽い処分で済んだくらいだ。
勇が本当に落ち込んだのは一ヶ月にも渡る出場停止処分を申し渡された時だった。
練習中毒の勇にとって、試合に出れないほどつらいことはなかった。
だからと言って、悲観してる訳でもない。
傷ついた体を元に戻す、ちょうどいい骨休みと割り切って、勇はそれなりに過ごすことにした。
ふと、目を覚ました勇は、左手の拳をぐっと握りしめた。
あの時の熱い想いを確認するように、何度も開いたり閉じたりして拳を固める。
そんな動作を繰り返すことによって勇の内側にあの時の感覚が蘇ってくる。
最高に幸せな時間がリングの上に確かに流れていた。
でも、今はそうしていないと、あのことが夢だったのではないかと思えてしまう。
このまま時間が止まればいいと本気で想った。
あの歓びのためなら、全ての苦痛も、つらさも、どんな悲しみも乗り越えられるような気がした。
たぶん、一生にそう何度も味わえない『至福の時』、『黄金の時間』に勇は浸っていたのだ。
秋月玲奈もそうだろうか?
自分と同じなのだろうか?
玲奈に無性に会いたかった。
確か彼女もまた謹慎処分を受けて、リングはもちろん、本業の歌手活動からも遠ざかっているはずだ。
勇はふいに、枕元に置いてあるはずのプロレス雑誌『週間レディースプロレス』、通称『レディプロ』を探してみた。
「あら、今月号がないわ。どこやったのかしら?」
しばし考え込んでいた勇の脳裏に昨日の記憶が甦った。
そう、確か、怜ちゃん、後輩の風森怜に貸し出していたような気がする。
風森怜と言えば、勇の付き人として一年ほど身の回りの世話をしてくれている新人の子である。
女子プロレスの世界は今でも、先輩、後輩の差別が厳しく、体育会系のノリが色濃く残っている。
勇としてはあまり気にしない方だが、封建的な徒弟制度みたいなものがある。
その流れでいうと風森玲は勇の弟子に当たる。
彼女は今年で十四歳のはずで、勇よりもずっと小柄なため、プロレスラーとしてはまだまだで、まずは身体作りからはじめる必要があった。
性格的におっとりしていて、そのためか試合では悪役の標的として、ことあるごとに凶器の竹刀や一斗缶の攻撃にさらされ、額ばかり割られていた。
そして、ついた不名誉な仇名が『トマ子』。
トマトケチャップのように頭から血ばかり流している、そういう意味合いがその呼び名に込められていた。
そんな怜を拾ったのが、勇であった。
そのような姿を見てられない性分の勇は、付き人として彼女を採用した訳だが、ことプロレスに関しては、センス、筋の良さはあるものの、なんというか、闘志というのか根性というのものが欠けている怜のプロレスは、勇をいつももどかしい気持ちにさせていた。
そのあたりをクリアーすれば、かなりいいプロレスラーになるかもしれない、と勇は秘かに思っていた。
とはいえ、口では『こら!ダメ怜』とか『とま子、頭かち割るわよ』と言いたい放題だった。
そんなことをあれこれ考えているうちに、突然、勇の部屋のドアが開く音がした。
「神沢先輩、まだ、起きてますか?」
細めた声がドアの隙間から聞こえた。
どうやら、件の怜の登場らしい。
「起きてるわよ。でも、こんな時間になんの用なの?」
怜はなぜか、畳の上をはいずるようにして勇の所まで来た。
いわゆる匍匐前進というやつだ。
自衛隊じゃあるまいし、この子は何を考えているかわからない所がある。
「先輩、大変です。この今週号の試合カード見てください」
重大な秘密を耳打ちするように、怜は勇の耳元で囁いてから、雑誌の記事を指さした。
勇は衝撃を受けた。
そこには勇にとって懐かしい名前が書かれていた。
しかし、その選手はすでに引退しているはずである。
「へへっ。凄いでしょ」
怜が得意げに笑う顔はなんとも愛くるしい。
ショートにした黒髪、童顔で少しほっぺの赤い顔と白い肌がどうも垢抜けなかった。
怜はさすがに自称神沢勇フリーク、研究家を名乗るだけあって勇の過去の対戦相手に詳しい。
普通、この名前をみて、勇の対戦相手のひとりだと気づく者は、余程の物好きか、相当なマニアに違いない。
「それで、この試合がもうすぐ始まるので、神沢先輩といっしょにテレビ見ようかと思って…」
怜は勝手にリモコンでチャンネルを合わせると、ボリュームを絞り気味にしてスイッチを入れた。
深夜一時から『オーレ、女子プロレス』という三十分番組がある。
プロレス業界自体が地盤沈下していく中で、積極的に新興団体、新人選手の試合を放映している番組だ。
その番組の特番の試合が、今から生放送されるのだ。
闇の中にテレビのブラウン管の光が浮かび上がる。
勇はまぶしさで思わず、目を細めた。
しだいに慣れていく視界にその選手の姿が飛び込んできた。
三年前にくらべるとかなりビルドアップされた肉体がリングの上で躍動していた。
すっかり怪我は治ったようで勇はそのことに対して正直、信じられない気持ちがあった。
無駄のない筋肉のつき方といい、それでいてなめらかな曲線を保っている全体のフォルム、ゆっくり、じっくりと辛抱強いトレーニングだけがそんな身体をつくりあげる。
しかも、勇からみれば柔軟性と強度、スタミナ、スピードを秘めた肉体であることは一目瞭然だった。
すべてがプロレスラーとして理想の形を体現していた。
柳沢楓。
かつて勇がプロテストで肩を砕いて、再起不能になったはずの少女である。
たった三年でどうやってあれほどの肉体を身につけたのか。
勇はトレーナーの顔を見たくなった。
この奇跡のようなカンバックには優秀なトレーナーが不可欠のはずだ。
そして、カメラが柳沢楓のセコンドを映した時、勇の驚きは最高潮に達した。
「かあさん!!」
そこには、勇の母である神沢恭子の姿があった。
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