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「あぁ。育己にいちゃんはね、あそこで力尽きて気絶しちゃったんだね、きっと。あのひと忙しいからさ、睡眠不足が祟って、ときたまああやってオチちゃうの。んで、その育己にいちゃんが、わが家の長男の大学二回生」
そういえば恭介は奈緒紀にホストクラブで働く兄がいると聞いていたが、おそらく彼のことだ。
こんな若い身空で、気絶するほど疲れているって、どういうことなんだ。もしかして親とは死別、そして彼がひとりでこの家族の家計を支えていたりするだとか……? 恭介は最悪のストーリーを構築してみた。
「もしかして、お前んとこ、両親って……」
奈緒紀だって思春期の難しい年頃だ。こんなセンシティブなことを聞いてもいいのかと思いつつも、恭介は好奇心に負けて口を開いた。すると奈緒紀はけろっと「うん。夫婦で隣に住んでる」と教えてくれる。
「へ? なんだそれは?」
「万年発情期のバカップル? って云うやつ? いつまでもふたりっきりがいいんだって。あはははは。ふたりが隣に移ったあとに、ソッコー藍里が生まれたよ」
「子どもの世話は?」
「もう、まったくしてないねぇ」
「なんだそりゃ……」
「ホント、なんだそりゃだよ。とーちゃんはかーちゃんを秘書にまでして、仕事中もずっといっしょだよ。ありゃ、離れたら死んじゃうとでも思っているんじゃない?」
(やばい家だな。ってか、やっぱりこいつは放置子だったのか?)
頭を抱えつつ、今度は育己の近くに寄せたちゃぶ台で、ノートを広げる男を指さす。
「じゃあアイツは、なんでこんな騒がしいところで、わざわざ勉強してるんだ?」
しかも良和や舞子みたいにケンカに忙しわけでもないのに、客である自分に会釈のひとつも送ってこないのだ。智につづいて、この男も愛想がないらしい。彼はひたすらそこで勉強しているだけだった。
「こんなところで頭に入るのか?」
「それが入っちゃうんだよ。集中力って鍛えられるみたいだよ、先輩?」
(それは俺にたいする嫌味か?)
恭介は目を細めて奈緒紀をみた。しかし口を綻ばせている彼の真意はわからない。
「……でも、ほかの部屋だってあるんだろ?」
「それは、そこに育己兄ちゃんがいるからですぅ」
「は?」
「まぁまぁ、気にしないで。あのひとは兄ちゃんの熱狂者だから。いつもにいちゃんの近くに陣取っているの。にいちゃんから離れると死んじゃうとでも思ってんじゃない?」
そのセリフでぴんときた恭介は、さっきの話に合点がいく。
名まえを訊きそびれた彼のことを、奈緒紀は何番目の兄弟であるか云わなかった。だとすれば、彼が謎の八人目の正体だ。
「あぁ、じゃもしかして兄弟じゃな、――わぁっ⁉」
それを奈緒紀に確認しようとしたとき、突然、こちらに飛んできたナニかは恭介の顔のすれすれを掠めていった。壁にぶつかり床に落ちたそれは、とても分厚い辞書だった。
「なっ――‼」
「ばっか! あんた馬鹿じゃないのっ! 壱加はれっきとしたここの子なんだからぁ!」
「……ご、ごめん?」
思わず辞書を投げつけてきた舞子に怒鳴りつけそうになったが、さきに彼女に怒鳴りつけられて、恭介はとっさに頭を下げてしまった。そしてはっと我に返って憤怒する。
くやしいし。しかも頭をあげた拍子にくらりと眩暈までする。心臓がどきどきし、胃が気持ち悪い。手足まで痺れてきた。
「奈緒……、だめだ……、気持ち、悪い……」
「えっ、先輩どうしちゃったの?」
目のまえの騒動とショックと、それに極めつけに怒りまでが合わさって、恭介は貧血を起こしたのだ。
胃のなかのものがせりあがってくる。片方の脚には由那がよじ登ってきていてるのだが、身体を支えられずふらついた。それでもそれに構っていられないほどに、限界がきていて――、
「吐きそう‥‥、うっ」
「えっ⁉ なんで? ちょっと、ちょっと待って、待って 、先輩っ!」
奈緒紀の、そして部屋にいた兄弟たちの声が、耳から徐々に遠のいていく。
蒼くなった恭介は、慌てふためいた奈緒紀に引っ張られながらトイレに誘導された。そして個室に入って便器のまえにしゃがむなり、すぐさま胃のなかのものをリバースしたのだ。
「うえぇぇっ、げほっ、げほ、うぇっ」
「えぇぇ……。先輩、大丈夫ぅ?」
昼に大した量を食べていなかったせいか、吐き出すものは少なかったが、嘔吐感は暫く治まらなかった。
奈緒紀は呆気に取られていたようだが、それでも恭介の吐き気が治まるまでずっと、やさしい手つきで背中を撫でてくれていた。
トイレからでた恭介は、玄関に近い部屋に案内されて横になっていた。ここがリビングからいちばん離れていて比較的静からしい。となりには奈緒紀がつき添ってくれている。
「俺、かっこわる……」
濡らしたタオルで目もとが隠れているから云えたセリフだ。くすっと奈緒紀の笑った気配がした。
「あんたはね、それくらいでいいんじゃないかな? この家は学校よりも板金屋よりも、きっと先輩にとってラクに過ごせるところになるよ」
「……なるかよ。二度と来るか。こんな騒がしいとこ疲れるだけだ」
「そっか。そだね」
そういえば恭介は奈緒紀にホストクラブで働く兄がいると聞いていたが、おそらく彼のことだ。
こんな若い身空で、気絶するほど疲れているって、どういうことなんだ。もしかして親とは死別、そして彼がひとりでこの家族の家計を支えていたりするだとか……? 恭介は最悪のストーリーを構築してみた。
「もしかして、お前んとこ、両親って……」
奈緒紀だって思春期の難しい年頃だ。こんなセンシティブなことを聞いてもいいのかと思いつつも、恭介は好奇心に負けて口を開いた。すると奈緒紀はけろっと「うん。夫婦で隣に住んでる」と教えてくれる。
「へ? なんだそれは?」
「万年発情期のバカップル? って云うやつ? いつまでもふたりっきりがいいんだって。あはははは。ふたりが隣に移ったあとに、ソッコー藍里が生まれたよ」
「子どもの世話は?」
「もう、まったくしてないねぇ」
「なんだそりゃ……」
「ホント、なんだそりゃだよ。とーちゃんはかーちゃんを秘書にまでして、仕事中もずっといっしょだよ。ありゃ、離れたら死んじゃうとでも思っているんじゃない?」
(やばい家だな。ってか、やっぱりこいつは放置子だったのか?)
頭を抱えつつ、今度は育己の近くに寄せたちゃぶ台で、ノートを広げる男を指さす。
「じゃあアイツは、なんでこんな騒がしいところで、わざわざ勉強してるんだ?」
しかも良和や舞子みたいにケンカに忙しわけでもないのに、客である自分に会釈のひとつも送ってこないのだ。智につづいて、この男も愛想がないらしい。彼はひたすらそこで勉強しているだけだった。
「こんなところで頭に入るのか?」
「それが入っちゃうんだよ。集中力って鍛えられるみたいだよ、先輩?」
(それは俺にたいする嫌味か?)
恭介は目を細めて奈緒紀をみた。しかし口を綻ばせている彼の真意はわからない。
「……でも、ほかの部屋だってあるんだろ?」
「それは、そこに育己兄ちゃんがいるからですぅ」
「は?」
「まぁまぁ、気にしないで。あのひとは兄ちゃんの熱狂者だから。いつもにいちゃんの近くに陣取っているの。にいちゃんから離れると死んじゃうとでも思ってんじゃない?」
そのセリフでぴんときた恭介は、さっきの話に合点がいく。
名まえを訊きそびれた彼のことを、奈緒紀は何番目の兄弟であるか云わなかった。だとすれば、彼が謎の八人目の正体だ。
「あぁ、じゃもしかして兄弟じゃな、――わぁっ⁉」
それを奈緒紀に確認しようとしたとき、突然、こちらに飛んできたナニかは恭介の顔のすれすれを掠めていった。壁にぶつかり床に落ちたそれは、とても分厚い辞書だった。
「なっ――‼」
「ばっか! あんた馬鹿じゃないのっ! 壱加はれっきとしたここの子なんだからぁ!」
「……ご、ごめん?」
思わず辞書を投げつけてきた舞子に怒鳴りつけそうになったが、さきに彼女に怒鳴りつけられて、恭介はとっさに頭を下げてしまった。そしてはっと我に返って憤怒する。
くやしいし。しかも頭をあげた拍子にくらりと眩暈までする。心臓がどきどきし、胃が気持ち悪い。手足まで痺れてきた。
「奈緒……、だめだ……、気持ち、悪い……」
「えっ、先輩どうしちゃったの?」
目のまえの騒動とショックと、それに極めつけに怒りまでが合わさって、恭介は貧血を起こしたのだ。
胃のなかのものがせりあがってくる。片方の脚には由那がよじ登ってきていてるのだが、身体を支えられずふらついた。それでもそれに構っていられないほどに、限界がきていて――、
「吐きそう‥‥、うっ」
「えっ⁉ なんで? ちょっと、ちょっと待って、待って 、先輩っ!」
奈緒紀の、そして部屋にいた兄弟たちの声が、耳から徐々に遠のいていく。
蒼くなった恭介は、慌てふためいた奈緒紀に引っ張られながらトイレに誘導された。そして個室に入って便器のまえにしゃがむなり、すぐさま胃のなかのものをリバースしたのだ。
「うえぇぇっ、げほっ、げほ、うぇっ」
「えぇぇ……。先輩、大丈夫ぅ?」
昼に大した量を食べていなかったせいか、吐き出すものは少なかったが、嘔吐感は暫く治まらなかった。
奈緒紀は呆気に取られていたようだが、それでも恭介の吐き気が治まるまでずっと、やさしい手つきで背中を撫でてくれていた。
トイレからでた恭介は、玄関に近い部屋に案内されて横になっていた。ここがリビングからいちばん離れていて比較的静からしい。となりには奈緒紀がつき添ってくれている。
「俺、かっこわる……」
濡らしたタオルで目もとが隠れているから云えたセリフだ。くすっと奈緒紀の笑った気配がした。
「あんたはね、それくらいでいいんじゃないかな? この家は学校よりも板金屋よりも、きっと先輩にとってラクに過ごせるところになるよ」
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